Wandering of the dragon 8







その日、俺は久しぶりにガレージに放置状態だった車のエンジンをかけていた。
基本的に毎日の通勤は電車通勤の為、車を使うのはもっぱら休日に遠出する時くらいなので、政宗がうちに居候するようになってからは車を使う程の遠出は殆ど無く、このままでは流石にバッテリーがあがってしまう心配に駆られて、俺はどれ位ぶりかで車のエンジンをかけたのだ。
まあ車と言ってもコンパクトカーなので碌な馬力は無いのだが、それでもちょっとした遠出には充分だし、小回りもきくので細い道も心配が無いからそこそこ気に入っている。
大人数を乗せられないのが不便といえば不便だが、今の所大人数を乗せて走る機会も無いからさして問題も無い。
そんなこんなで久しぶりに車の運転席に座る事になった俺は、助手席で目を輝かせながら車内のあちこちを弄り始めている政宗の子供のような表情に、やれやれと小さく苦笑するしかなかった。


「政宗ー、シートベルトしろよー?」


エアコンの風量調節を弄って目を丸くしている政宗に笑みがこぼれる。
とりあえず初めて車に乗る訳じゃないのがせめてもの救いだが、まずはシートベルトをしてもらわなけりゃ走り出す事も出来やしない。
やんちゃ盛りの子供を持つ親のような気分で政宗の髪を一度だけ撫でると、政宗はハタ――と我に帰ったように大人しくなった。

「それで?今日はこの『じどうしゃ』とやらで何処に行くんだ?」
「ああ、オヤジ達が野菜でも取りに来いって連絡よこしてきたからさ。ちょっとかかるけど、オヤジ達のやってる菜園に行こうと思ってる。」
の父上と母上か?」
「そ。俺が働き始めた頃はまだ家に一緒に住んでたんだけどな。田舎暮らしがしたいって言って二人で郊外に移っちまったんだよ。」

その両親から収穫時期の野菜があるから手伝いがてら取りに来いと言われて、俺は初めて政宗を連れていく事にしたのだ。
いや、新しく同居人になった政宗の事を一回連れて来いと煩い両親のおねだり攻撃に負けた訳じゃないぞ!
実際一度は政宗を連れて行こうと思っていたのは事実だし。
同じ県内とはいえ、自宅から40分程車で走れば次第に広がるのどかな田園風景。
政宗にとっては、自宅周辺のゴチャゴチャした住宅街よりきっとそちらの方が見慣れた景色に近いものだろう。
だから、一度は政宗を山や小高い丘や畑や田んぼの広がる、のどかな風景の中に連れて行こうと思ってはいたのだ。
まぁ大型連休の旅行を兼ねて――とか思っていたのは否定しないけど。
兎にも角にも些か近場ではあるものの、久方振りのドライブに俺も気を引き締めてハンドルを握ったのだった。


「んじゃ行くぜー?」


政宗がシートベルトをしたのを横目で確認してシフトを入れ替える。
ゆっくりアクセルを踏み込むと、僅かにエンジン音を強くして車は静かに滑り出す。
走り出した車の窓から心地良い風が入り込むのを感じながら、俺は助手席に座る政宗をチラリと見やった。
流れる風を受けながら目を細める政宗。
気持ち良さそうに車外の風景へ視線を向ける様は、好奇心と興奮とが入り混じってどこかやんちゃな幼い少年のようにさえ見える。
そんな姿を目の端に捉えながら、俺は政宗に気付かれないように微かに口元を緩めた。

最近本当に政宗はよく笑うようになったと思う。
いや、勿論最初から不敵な笑みと表現されるような表情は良く見ていたけれど、最近は心底楽しそうに――というのだろうか。
本当に楽しそうに、嬉しそうに笑う事が増えたような気がする。
そして、時折見せるドキリとさせられるような柔らかな微笑みも。
その度に俺は動揺させられてしまうのだ。
伊達政宗という最高の美丈夫の向ける親愛の眼差しに。



「なぁ?」


嫌なものではない静かな沈黙が暫く続いて。
市街地を抜けて、郊外へ向かう国道を走り始めた時だった。
不意に助手席の政宗がボソリ――と声を掛ける。

「ん?どした?政宗??」

ちょうどぶつかった赤信号に車を停車させると、俺は隣の政宗へ視線を向ける。
何やら窓の外を見たままの政宗に訝しげに首を傾げていると、視線に気付いた政宗がひょい――と窓の外を指差した。


「ありゃ何だ?ここいらの豪族の屋敷か何かか??」


政宗の言葉に指し示す先を見やれば。
郊外へ向かう国道から少し離れた所に建つどこか西洋の洋館を思わせるようなド派手な建物が。
その建物を目にした瞬間、俺は思わず口をあんぐりと開けてしまった。
確かにあんなのはそうあちこちにあるもんじゃないから、初めて見るであろう政宗が興味をひかれるのは理解出来なくは無いけど。
しかし、よりによって何てものに興味を示してくれてんだよ政宗!
国道から細い道に入った先にある現代社会にも不釣合いな仰々しい建物。



それは郊外の林の奥にひっそりと建てられた…………………ラブホテルだった。



「…………………………………。」

「大分デカイ屋敷みたいだが領主でもいんのか?」


思わずハンドルに突っ伏してしまった俺に、政宗の更なる的外れな問いが向けられる。
ぐったりと脱力してしまった俺が誤解を解こうと引き攣った顔を政宗に向けた瞬間、後ろから甲高いクラクションの音が響いた。

「うわ!やべッ!!」

青信号になっている事に気付かなかった俺は、慌ててアクセルを踏み込む。
バックミラー越しに後ろを見れば、5・6台の車が俺の後ろに詰まっていた。


「What's up(どうした)?」
「あー…………いや………政宗、さっきのアレな…………。」


車を走らせながら、どう説明したもんかと俺は頭を悩ませる。
ラブホだと説明した所で、それはどういうものかと聞かれたら…。
俺に一体どうしろと?!
政宗達の世界…というより、数百年前にこういった場所があれば説明もつくんだろうけど、博識でもない俺は該当しそうなものがサッパリ思い当たらない。

「おいおい。何だ?言い難い何かだってのか?」
「えー……まぁ……そんなカンジ?」
「はっきりしねぇな?」
「だからさ………あの建物はなんつーか……その…色事に使う所っつーか………。」
「何だ?花街みたいな所か?」
「いやちょっと違うんだけど………。」

現代の花街とも言える歓楽街は駅近くの繁華街の裏路地側にある。
その事を話すと、ああ――と政宗は大きく頷いた。

「そういや、あの近辺にもさっきのアレに似た屋敷があっただろ?」
「まさか、政宗行ったのか?!」

「は?んなワケねーだろ?随分目立つから何なのか気になって、はす向かいの奥方達に聞いた事があったのを思い出しただけだ。」


サラリと告げられた政宗の爆弾発言に、俺は咄嗟に急ブレーキを踏みそうになってしまった。
あー……………何か、ものすっっっっごく冷や汗ものの言葉が俺の耳を通り過ぎて行ったような気がするが気のせいだろうか?!
聞き間違いをする程疲れてるつもりも、耳がおかしくなったつもりも無いんだが。
俺は冷や汗を通り越して、半ば脂汗になりつつある汗を拭うと、恐る恐る助手席の政宗へと視線を向けた。


「…………………政宗、今…………何つった?」
「What(何だ)?」
「自治会長夫人に………………何言ったって?」
「Ah……Stationから見える妙な館は何なんだって聞いたんだよ。」
「……………………で、何て言われた?」


嫌な汗と動悸が俺の全身を駆け巡り硬直しそうになる。
ああもう!何でそーゆー事をよりにもよってご近所でもある自治会長夫人ご一行様に聞いちゃうかな?!
これから顔あわせた時、一体どんな顔して挨拶すりゃいいんだ?!
俺はグルグルする頭を抱えながらハンドルに縋りつきたい衝動を辛うじて押さえ込んでいた。


「ああ、何か意味深に笑われてな。『くんにお聞きになるとよろしいわ』とか何とか言ってたな。」


だからこうしてに聞いてるんじゃねぇか――そう言って政宗は窓の外から俺の方へとその強い光を宿す隻眼を向けてくる。
その視線を感じながら、俺はダラダラと流れ落ちる滝のような汗を拭えぬまま、ひたすら正面を見据えるしかなかった。
お上品な顔を引き攣らせて乾いた笑みを浮かべている自治会長夫人の顔が容易に想像出来て、俺はあまりの事にこのまま気を失ってしまいたくなる。
運転中だから俺!気ィ失ってる場合じゃないからマジで!


「えーと………その……政宗?さっきも言ったけど、アソコは色事に使うよーな所だからさ。やたらに人様にアソコの話は持ち出すなよ?特に女の人達には!」
「まぁ女ってのは花街みたいな所は快く思わねぇもんだしな。」
「いやだから、あそこには花街みたいにキレーなオネーサンとかは居ねぇけど。」
「は?女が居ねぇなら色事に使うなんて出来ねぇだろうが??」
「だからさ…………何つーか……その……そーゆー事したい奴らに場所だけ提供する旅籠みたいな所っつーか……。」

ああぁあぁぁああぁああぁあああぁああ!
何で俺がこんな事を事細かに説明せにゃならんのだ?!
しかし、又ご近所さんにでも同じ質問をされたら目も当てられないし。
俺は必死に言葉を探して、政宗の好奇心をこれ以上刺激しないで済むように事情を説明する羽目になってしまったのだった。
頼むからもう少し真っ当なものに興味を示してくれ伊達政宗!


「………I see(成る程な)。それであんな事言ってたわけだ。」
「え?」
「はす向かいの奥方がな、こうも言ってたんだよ。」

「な、何だよ?」


意味深な政宗の言葉に、何だか嫌な予感がしつつもそう問わずにはいられなくて。
俺は車を道の端に寄せて停まると、まるで古いブリキの玩具のようにギギギ――と音がしそうな状態で隣の政宗の方へと首を捻った。



「『今度くんに連れてってもらったらいかが?』ってな。そーゆー意味だったってわけか。」


「ぶわっかやろーーーーーーーーッッッッ!誰が連れてくかーーーーー!!!!!」




俺の絶叫に、追い抜いていった車のドライバーが目を丸くしていたのは………見なかった事にしておこう……。


















そしてその日の夕飯は、俺の機嫌を取る為にとりたて野菜のフルコースが食卓に並んだのだった。
相変わらず政宗の飯は最高に美味でした。
いやいや!食べ物で釣られるってどうよ自分?!
絆されてどうする!!!




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