Wandering of the dragon 3
ひょんな事から奥州筆頭たる伊達政宗を拾ってから十日あまり。
俺、は政宗の異常な程の順応力の高さに内心で舌を巻いていた。
何が凄いって、その記憶力の高さだ。
言葉や名前など教えた事は大体1回で覚えてしまうし、この世界に来てからまだ2週間も経たないというのに、家の中の主要な電化製品や生活用品の扱い方さえもほぼマスターしつつある。
好奇心旺盛で積極性の強い政宗なればこその順応の早さだと思うが、その能力の高さは流石に国を統べるだけの器の持ち主だ。
俺は興味深げに俺の手元を凝視している政宗に苦笑しながら、フライパンの中のパスタを皿に盛り付けた。
「政宗ーこれ運んで?」
出来上がった熱々の湯気をたたえている皿を眼前に差し出すと、それまで無言で俺の手元を見ていた政宗が立ち上る匂いにクン――と一つ鼻を鳴らす。
子供のようなその仕草に、俺は小さく口の端を持ち上げた。
「旨そうな匂いだな。」
「そっかー?政宗、辛いの平気だったよな?」
「ああ。ある程度はな。」
政宗の両手にある皿には俺特製ペペロンチーノもどきがある。
一般的なペペロンチーノにブロックベーコンとエリンギを放り込んだ、ごくごく簡単なものだ。
俺は政宗をダイニングテーブルに促すと、フォークと政宗専用になった木製の箸を食器棚から取り出して冷蔵庫を開いた。
レタス・ルッコラ・トマトにリコッタチーズをあえただけのサラダに、良く冷えたストレートティ。
それを手に振り返ると、パスタの皿をテーブルに置いた政宗がいつの間にか俺の真後ろに立っていた。
「それも運ぶんだろ?」
ひょい――と俺の手からサラダのボウルを取り上げると、もう片方の手を俺の持つペットボトルの方へと差し出す。
「そっちもよこせ。」
「サンキュー。」
「発音悪ィな。」
「うるせーよ!」
ニヤリと笑ってみせる政宗に同じように笑って、俺は癖の強い政宗の頭を小さく小突く。
それにもう一度笑うと、政宗は俺の手の中のペットボトルを軽々と持ち上げた。
他愛の無い遣り取りの中の、さり気無い気遣い。
俺はこの数日で何度もこうした政宗の優しさに触れていた。
ふとした瞬間に差し伸べられる手。
それは1人での生活に慣れていた俺には酷く暖かく、そして少しだけくすぐったいような、そんな思いを抱かせるものだった。
「ほい、政宗。」
身軽になった俺は、グラスに冷えたストレートティーを注いでいる政宗へ手にしていた政宗専用の木製の箸を手渡す。
それを受け取ろうと差し出された手を見て、俺は改めて目の前の男が戦国の世を生き抜いてきた男なのだと実感した。
その手に刻まれた大小数え切れない程の傷痕。
そして長年刀を握り続けてきた事が窺える、硬く厚くなった皮膚。
その手には、政宗が生きてきた時間そのものが刻み込まれているようだった。
「何だ?どうした?」
「……え?」
「俺の手に何かあるのか?」
じっと政宗の手を見詰めていた俺に、政宗が訝しげに首を傾げる。
それに小さく首を振って、俺は政宗の手に箸を乗せた。
「そういえばさ、庭の手入れしてくれたの…もしかしなくても政宗だよな?」
ふと思い出して俺はすっかり綺麗になった前庭を指差した。
両親がまだここに住んでいた頃は、庭弄りが趣味の母親がよく庭の手入れをしていたが、田舎暮らしをしたいと言って夫婦揃ってここを出て行ってからは、俺が碌な手入れをせずに放置していた為に庭は殆ど荒れ放題になっていた。
それがここ数日の間に見違えるように綺麗になっていたのだ。
どうやら俺が会社に行っている間暇を持て余していた政宗が気まぐれに手入れを始めたらしい。
以前と比べて和風の雰囲気にはなったものの、荒れ放題の頃からすると格段に見栄えの良い庭になっていた。
「ああ。珍しい花や木なんかもあったんでな。」
「あの荒れ放題だった庭がこんなに綺麗になるとは正直思わなかったぜ。」
「、アンタ放置しすぎじゃねぇか?」
「とはいってもなぁ……俺、こーゆーの興味無ぇし、どうしたらいいのかサッパリ分かんねぇから……。」
パスタを啜りながらそう呟いた時だった。
「藤次郎さん――?いらっしゃる?」
複数の女性の笑い声と共に外から掛けられた高い声。
前庭に面した塀越しに聞き覚えのある女性の声がして、俺は慌てて前庭のある和室の方へ駆け寄った。
あの声は、うちの斜め前に住んでいる自治会長の奥さんだ。
俺も子供の頃からよく顔をあわせているから間違いない。
「Ah…はす向かいの奥方か。」
「御機嫌よう藤次郎さん。あらまあ!今日はくんもいらっしゃるのね?」
「こんにちは。ご無沙汰してます。」
「奥方、今日はどうした?」
「実は珍しいお花をわけて頂いたから、藤次郎さんにもと思って。でも今日はくんも居るようだから、又後日にした方がいいわね。」
「Sorry.近い内に又頼む。」
「ええ。また今度寄らせて頂くわね。」
にっこりと上品な笑顔を浮かべて自治会長夫人は政宗に手を振ると、数人の女性達と笑い声を上げながら自宅の方へ引き上げていく。
その後ろ姿と隣に立つ政宗の横顔を交互に見やって、俺は唖然としたように目を見開いた。
いったいこれはどういう事なんだ?!
俺が会社で居ない間に、何があったというんだ?!
「政宗…………どーゆー事?」
「何がだ?」
「何でお前が自治会長夫人と顔見知りなんだよ?!つーか、他の奥さん達もお前の事知ってるみたいだし?!」
「ああ。庭の手入れを始めた時声を掛けられてな。俺も色々と教えてもらったぜ。初めて見る花なんかもあったんでな。」
それ以来、時々顔を出しては一緒にうちの庭の手入れをしながらお茶したり、差し入れを貰ったりしていたのだと、政宗はしれっとそう答えるとダイニングへと踵を返した。
えー…………つまりは何だ。
この世界に来て早々に、この男はご近所の奥様方を虜にしてしまったという事だろうか?
確かに政宗はイイ男だと思うが、まさか俺の親と変わらない位の奥様達までもを引っ掛けるとは。
俺は驚きを通り越して半ば呆れの混じった溜め息をつくしかなかった。
「政宗、お前ってマダムキラーだったのな………。」
「何だそりゃ?」
軽い頭痛をおぼえてこめかみを押さえれば、政宗が意味ありげにニヤリと笑みを浮かべる。
それに微かに眉を寄せて、俺は政宗から視線を逸らした。
「何だ?妬いてんのか?」
「何でお前に嫉妬しないといけねぇんだよ?!俺に熟女好きの趣味はねぇ!」
「俺にじゃねぇよ。奥方達にだ。」
「は?!意味分かんねぇし?!」
素直になれよ――なんて言う政宗のニヤついた顔に勢い良く台布巾を投げつけて。
俺は今後も頭痛の種になりそうな、戦国一の伊達男――伊達政宗の整った顔を睨みつけたのだった。
もしかしたら俺の平穏な生活は戻らないのかもしれない……。