Wandering of the dragon 2
ポタポタと兜から滴り落ちる雨の雫が政宗の下に小さな水溜りを作る。
その小さな音をボンヤリ聞きながら、俺は指差した住宅街へと視線を向けた。
「ここが何処だか………分かってないっしょ?」
「………………………何処だ?」
「一言で言えばアンタが居るはずの無い世界…ってトコ?」
そう言って苦笑してみせれば、政宗の顔に困惑の表情が広がる。
そりゃ確かにこんな抽象的な表現じゃ事態を把握出来っこないわな。
俺は思いのほか落ち着いてはいるものの、いつ又抜刀してもおかしくは無い目前の男にどう事の詳細を説明すべきか頭を悩ませる羽目になってしまった。
「まず、ここはアンタが生きていた世界から400年以上後の世界になる。」
「What's?!(何ッ?!)」
「だから、普通に考えたらここにアンタが居るのはおかしいんだよ。周りを見てみりゃ分かるだろ?アンタが見た事もないものばかりの筈だ。」
足元の空き缶。
暗闇を煌々と照らす街灯。
立ち並ぶ住宅郡。
舗装された道路。
そのどれもが政宗の居た世界にはある筈の無いものだ。
「It is unbelievable(信じられねぇ)……。」
「そう思いたい気持ちも分からんでもないけど。」
「ハッ!Will it be a joke?!(冗談だろ?!)」
「そうだったら俺としても悩まないで済んで良かったんだけどな。」
本当に冗談なら良かった。
今ならドッキリでしたーとかって言われても笑ってやれる。
けど、どう見たって目の前の侍は俺の知る奥州筆頭だし、この動揺ぶりはいくら演技ったって熱が入りすぎってもんだろう。
目前の出来事は全て現実なのだ。
俺にとっても政宗自身にとっても。
「……………つまり俺は何かの理由で400年後とやらに飛ばされたってのか?」
「いや、まあ…その…ちょっと違うんだけど概ねそう言う事になるかな?」
「何だ曖昧な答えだな。」
「あー…それよかもっと肝心な事があるからなぁ。未来に飛ばされたって事より、こっちの方がより深刻だと俺は思うけどね。」
何というか…ここまできたら自分の置かれた現状ってものをトコトン理解してもらうしかないと思う。
下手に隠し事したっていずれはバレるだろうし。
俺は政宗にとって最も受け入れ難いであろう現実を突きつける事を選んで重い口を開いた。
「アンタはこの世界の人間じゃない。別の世界からこの世界に飛ばされてきたんだよ。奥州筆頭、伊達政宗殿?」
「は?!何を言ってる?」
「つまりね、この世界の過去………400年前にアンタは存在しないんだよ。」
「って言ったよな?アンタさっき俺に『俺の居た時代から400年後』って言っただろうが。」
「だからさ、時の流れ的には確かにそうなんだよ。でもこの世界の400年前に『奥州筆頭』なんか存在しない。」
そうなのだ。
俺の知る奥州筆頭としての伊達政宗と、この世界での偉人としての伊達政宗公は全くの別人。
この世界の400年前には、戦国の世から豊臣・徳川の世を経て3代将軍の世までその権勢を誇った仙台藩の藩祖である歴史上の偉人しか存在しない。
同じ名前の別の人格。
その事を説明すると、流石に冷静な政宗の顔にも戸惑いと不安の色が垣間見えるようになった。
そりゃそうだろう。
いくら国主としての重責を担える程の器の持ち主であったとしても、未だ十代の青年である事は変わりないし、たった一人で異世界へと放り出されたともなれば不安になるのも当然だ。
俺は半ば呆然としかかっている政宗が何だか雨の中捨てられた猫のように見えてしまい、思わずその隻眼の前に己の手を差し出してしまった。
「あー…政宗、とりあえず俺んトコ来る?」
「……?」
「だってアンタ行く所なんて無いだろ?何でこんな事になったのかとか、帰る方法とか色々考えなきゃいけない事は多いだろーけど、まずは目先の事から片付けねーとな?」
「目先……だと?」
「そ。腹が減っては戦は出来ぬ…って言うだろ?もう大分遅い時間だし、とりあえず飯食って落ち着いて、そうだな………一晩ゆっくり寝てから今後の対策考えた方がいい考えも浮かぶんじゃね?」
「……………何故俺を助けようとする?」
差し出した俺の手と俺の顔を交互に見比べて、政宗はどこか困ったように眉根を寄せた。
警戒というよりも寧ろ戸惑いの色の強い瞳。
力強い光を湛えた隻眼が迷子の子供のように揺れている。
あー………何と言うかそういう顔されると余計に放っとけないじゃないか。
俺はぐっと口元を引き締めて俺の言葉を待っている政宗の篭手ごしの手を取ると、その予想以上に大きな手をギュッと握り締めた。
「―――――ッ?!」
「まぁ知り合ったのも何かの縁だし?それに一応、政宗の事全く知らないって訳でもないしさ。それに……。」
「それに……何だ?」
言葉を濁した俺に政宗が訝しげに首を傾げる。
それに微かに笑ってみせて、俺は繋いだ手を引くと漸く小降りになり始めた公園内へと政宗を誘った。
「政宗が俺の前に現れたってのも、何か訳があるのかもしんないし?だったら俺は俺の出来る事をするだけだからさ。」
「……アンタ………。」
「俺の自己満足だからさ。それでもいいなら俺んトコ来いよ…政宗。」
繋いだままの政宗の手。
勿論警戒されているのは分かっているけど、俺の方からこの手を離す気にはなれなかった。
テレビ画面の向こう側にしか存在しなかった政宗の、こんな人間くさい一面を見せられたら、国主としてではなく1人の青年としての顔を見せられたら、そのまま放って帰るなんて事出来っこない。
俺は改めて政宗の戸惑いがちに揺れる隻眼を見詰めて目を細めた。
「…………………………世話になる。」
「そっか。んじゃ帰ろーぜ。俺達の家に。」
繋いだままの手をグッと握り返してくる政宗。
そのどこか照れたような表情が。
俺よりも強い力を持つ大きな手が。
篭手ごしに伝わるほんの微かな温かさが。
本当にここに政宗が存在するのだと実感させてくれる。
画面の向こうの遠い世界の事などではなく俺のすぐ傍に。
俺の触れられる距離に、あの奥州筆頭・伊達政宗が存在しているのだ。
「俺達……のHome……?」
「ああ。これからは政宗の家にもなるんだからさ。」
「俺の…Home………。」
「あ!政宗の城みたいにバカでっかいのとか想像するなよ?!俺は平凡な平民なんだからな?」
噛み締めるように呟く政宗の姿に、俺は慌てて大きく手を振ってみせる。
城だの屋敷だのが日常生活の一部の奴と、現代日本の一般中流階級市民では住む世界が違うのだ!
そんなバタバタとした俺の様子に、漸く彼らしい覇気と自信に満ち溢れた表情を浮かべると、政宗はくつくつと喉を鳴らして笑う。
ここに来て初めて見せたその笑みに、やっぱり政宗にはこの方が似合うよなぁなんて思いながら。
俺は政宗の手を引いて小雨の降る夜道を自宅へと向かって勢い良く駆け出したのだった。