Wandering of the dragon 16
政宗が倒れた次の日。
俺はいつもより少し遅い時間に目を覚ました。
幸いというのか、昨日の晩は特に大きく容体が変わる事も無く、夜中に数回寝汗をかいた政宗を着替えさせたりしただけで、後はひたすら政宗の回復力に任せるしかなかったというのが現実だ。
明け方近くまでは高熱が続いていたようだったが、空がうっすら白み始めた頃には政宗の表情も大分落ち着き始め、俺はホッと胸を撫で下ろした。
それから暫くして俺はいつの間にか意識を失ってしまったらしかった。
「うわ…!やっべ!いつの間にか寝ちまってたか?!」
ほんの数時間とはいえ政宗から目を離してしまったのは事実だ。
俺は慌てて隣で寝ている筈の政宗の方へ目を向ける。
「あれ?」
政宗の顔を覗き込もうとして体を起こすと、肩から布団がバサリと落ちる。
え?何で??俺別に布団に潜り込んだ覚えは無いんだけど?!
不思議に思って視線を巡らすと、俺はビシリとその場で固まった。
……………………………………えーと、何で俺政宗と同じ布団で寝てんの?!
いや、並べて敷いた布団も勿論意識を失う前に使っていたし、持って来ていた毛布も掛かってるけど、明らかに俺政宗の掛布団の中に身を滑り込ませてたよな?
俺は内心の動揺を抑えつつその場から静かに移動する。
隣に敷いた布団の上に乗っかって政宗の方へ視線を向けると、昨日よりも赤みのひいた顔が穏やかな寝顔を浮かべていた。
良かった!少なくとも高熱は治まったらしい。
後できちんと体温を測らないといけないけど、少なくとも昨日ほどの辛さはもう無いだろう。
安心したように寝息を立てている政宗の姿に表情が緩むのを感じながら、俺は音を立てないよう細心の注意を払って和室を出ると風呂場へと足を向けた。
シャワーのコックを捻り熱いお湯を浴びると、未だ寝惚け半分だった意識がスッキリとしてくる。
簡単にだがシャワーを浴びてからキッチンに向かい、政宗お気に入りの玉露を淹れてホッと一息つく頃には意識も完全にハッキリしていた。
「さてと……何か軽く食えるモン用意しねーと。あ、あと政宗のお粥…かな?」
まだ食う気が無いなら、昨日と同じようにゼリー飲料か固形の栄養食品を食わせるしかない訳だが。
まぁダメもとでお粥を作る事にしよう。
とはいえ味気ない白粥よりは多少は食欲を刺激してくれるものの方が食べる気も増すだろうから、お粥というよりおじや…だな。
俺は冷蔵庫を開けると鶏肉と卵、それに人参・大根・小口葱を取り出してキッチンに立った。
野菜類を細かく刻み、出汁と醤油の中に鶏肉と野菜を放り込む。
暫くしてグツグツといい香りが立ち昇り始めると、卵を溶かし入れ小口葱を散らして火を止めた。
そのまま蒸らしている間にと、そっと和室を覗き込む。
「あれ?政宗??」
「Good morning(おはよう)。」
覗き込んだ先の政宗と目が合って俺は思わず目を見開く。
まさかもう目が覚めているとは思わなかった。
「おはよ。どうだ?調子は?」
「ああ……大分いい。昨日は悪かったな。」
「いいってそんなのは。それより、飯食えそうか?」
「Ah……そうだな…軽いものならな。」
「じゃあ、おじやだったら食えるだろ?」
「ああ。」
「じゃあ今持ってくるから、それまでもう少し横になってろよ。」
とりあえず先に熱だけ測らせる為に体温計を渡すと、俺は政宗の掛布団を直してからキッチンに戻る。
少しだけ触れた身体はまだ熱を持っていたが、昨夜の熱に比べたら天と地程の差がある。
急いでキッチンに戻った俺は、土鍋と茶碗と木製のスプーンをお盆に乗せて政宗の待つ和室へと引き返した。
「どうだった?」
体温計を手にボンヤリとこちらに視線を向けてくる政宗に問いかける。
差し出されたそれを受け取ると、電子体温計の示す数値はは37.8℃。
微熱とはいえ、昨日の39℃台の熱に比べれば大分良くなった方だろう。
俺はホッと胸を撫で下ろして政宗の横にお盆を置いた。
「とりあえず無理には食わなくてもいいからな?もし何だったら昨日のゼリー飲料なり栄養食品なり持ってくるから。」
「いや、これでいい。なかなかいい匂いじゃねぇか。」
「あんまり美味くねぇかもしれねーけど。こーゆー方が胃に優しいかと思ってさ。」
土鍋の蓋を開けて茶碗に盛りつけ粗熱を冷ます。
それを見て身体を起こそうとする政宗を慌てて止めると、政宗の表情が訝しげなものになる。
「起きなくていいって。」
「何言ってんだ?そしたら食えねぇだろ?」
「大丈夫だっての。ほら!いいからちゃんとに寝て口開けろ。」
そう言って木製のスプーンを差し出す俺に、政宗は驚いたようにその隻眼を零れんばかりに見開く。
ああ、うん。まぁ分からん反応ではないわな。
いい歳して子供みたいに「はい、あーん」みたいな状態は、流石に躊躇われるか。
とはいえ、未だ熱もあり体力も消耗してる筈の政宗の体力を少しでも温存させる為には、やっぱりこうした方がいい訳で。
俺は戸惑いがちに向けられてくる政宗の視線に、これ以上ないくらいにっこりと笑ってみせて、手元のスプーンを政宗の口元に近付けた。
「餓鬼じゃあるまいし……。」
「病気の時は話が別だろ?」
「……………。」
「ほら、早くしないと冷めちまうぜ?」
渋る政宗の顔を軽く睨んでみせると、はぁ――と盛大な溜息が政宗から漏れる。
しかし、観念したのか僅かに顔を顰めた状態で、政宗は俺の差し出したスプーンにカプリと齧り付いた。
一度腹を括ってしまえば後はもう大した抵抗感は無いようで、政宗はふた口め以降は比較的大人しく口を開く。
うんうん。人間素直なのが一番だよな。
特に具合が悪い時はなおさら。
俺は段々と政宗の腹の中に納まっていく土鍋の中身に、満足げな笑みを浮かべた。
「Ah…そうか……。」
「ん?どした政宗??」
「……こんな事してもらうってーのは餓鬼の時以来だな。」
「へぇ?そーなんだ?」
「小十郎がな………熱を出した俺に一晩中付き添ってくれて……。」
「…………。」
「次の日、起きられない俺にこうして……粥を食わせてくれた……。」
「…………………そっか。」
不意に呟いた政宗の言葉に、俺は静かに目を細める。
暖かな感情の籠ったその声は、酷く優しく、そして柔らかなものだった。
きっと政宗の中の暖かな思い出の一つなんだろう。
少しばかり切なそうにも見えなくはないが、少なくとも昨日のように辛そうな苦しそうな顔を見るよりはナンボかマシだ。
静かに目を伏せた政宗の、未だ額に貼られた冷却シートを剥がしてやりながら、俺は政宗の僅かに汗で湿った前髪をそっと梳きながら手の中の茶碗をお盆の上に置いた。
さてと、後は水分補給かな?
一応夜からこまめに水分を取らせてはいたけど、大分発汗しているから脱水症状を起こさせない為にもしっかり水分補給させる必要がある。
手元のお盆を片付ける傍ら冷蔵庫から緑茶とスポーツドリンクのペットボトルを取り出すと、俺はもう一度政宗の元へ足を向けた。
「政宗、スポーツドリンクと冷えた緑茶、どっちがいい?」
本当は断然スポーツドリンクの方が吸収がいいのだが、おじやを食った後にスポーツドリンクってーのも何だし。
もしどちらも嫌なようだったら昨日用意したミネラルウォーターのペットボトルも部屋にはあるからそっちでも構わない。
大分体調も落ち着きつつある今なら、好みの物を与えてやった方がいいような気がした。
「そうだな……出来りゃいつもの茶が飲みてぇとこだが。」
「う~ん…流石に熱いお茶は寝たまま飲ませてやれねぇからなぁ……。」
「………ならその茶を貰うとするか。」
「オッケー。ちっと待っててな?」
ペットボトルの蓋を開け、ストローキャップを取り付ける。
そしてそのまま政宗の口元に飲み口を近付けた。
「よこせ。」
「大丈夫か??」
「ああ。支えて飲むくらいは出来る。」
言われるままにそれを差し出すと、昨日よりも力強い手がそれをしっかりと握る。
少しずつ元に戻りつつある政宗の様子に、俺は静かに口元を緩めた。
こうしてみると、かなりの高熱が出たとはいえ、一晩でそれも治まりつつあるって事は、どうやら政宗の体調不良はインフルエンザじゃ無かったみたいだ。
個人差があるとはいえ、インフルエンザなら一日やそこらで高熱がひくとは考えられない。
大分体力を消耗しているのは確かだが、一晩でここまで良くなったならそう長くかからず回復するだろう。
とはいえまだまだ油断は禁物だ。
こくこくと喉を鳴らしながらペットボトルの緑茶を飲み干していく政宗の顔を見ながら、俺は静かに隣に敷いた布団を畳み始めた。
「そういやは飯食ったのか?」
「いや。これから食うけど?」
「そうか……世話…掛けちまったな…。」
「だーかーらー!そんなのいいんだってさっきも言っただろ?!」
「……。」
「具合悪い時はそんなの考えねーで大人しく甘やかされてればいーんだよ!そのかわり、俺ももしそうなったら目一杯政宗に頼るから!」
だからこれ以上言うなと言い置いて、俺はツン――と政宗の額を軽く小突いた。
本当はいつも世話掛けてばかりの俺が政宗にしてやれる事があるってのが嬉しいんだ――なんて言えねーから。
こうして政宗を納得させるしかない。
その俺の言葉に驚いたように目を丸くしてから、政宗はふわりとその表情を緩めた。
そう、俺がいつも心乱されてしまう、あの笑みだ。
強さと激しさの向こうに垣間見える柔らかな、そして優しさの籠った眼差しが、いつものように真っ直ぐに俺に向けられる。
そうだ。俺はこの表情に弱いんだ。
俺にだけに向けられる――これは決して自惚れでも何でもなく――この暖かな想いの籠った優しさが、とてつもなく心地良くて堪らないんだ。
「なぁ…?」
「な、何だよ…!」
「Thank you……。」
布団の中から差し出された手が。
静かに俺の手を握りしめる。
昨日の力無いそれとは違った、けれどいつも程の力はない手が、まるで俺を離すまいとするかのようにしっかりと俺の手を包み込む。
僅かに熱いその手を昨日と同じように握り返すと、政宗の隻眼が更に柔らかく綻んだ。
「あったけぇな……。」
「え?どうした?政宗??」
「いや、アンタは…本当にあったけぇと思ってな。」
「そうか?政宗の方が熱いと思うけどな?」
「そうじゃねぇんだが……まあいい。」
どこか苦笑気味に笑って、政宗は俺の手をそっと引き寄せる。
「おっと…!」
その動きに引き摺られるようにして政宗が横になっている布団に上半身をダイブさせると、それを受け止めるように政宗の腕がそっと俺を抱きとめる。
その暖かいというより熱を帯びた腕の中で、俺は突然の事に目を白黒させるしかなかった。
だってこれじゃまるで……抱き締められてるみたいじゃないか。
いや、今までだって政宗とのスキンシップは大なり小なりあったけど、こうして強引に引き寄せられて腕の中にぎゅっと閉じ込められるなんて、ここまで強い意志を持ってされたのは初めてじゃないだろうか。
引き寄せられる事も、抱き着かれる事も、包み込まれる事もあったけど、このまま離すまいとする程に力強く俺を『抱き締める』事なんて無かった筈だ。
政宗の腕が意志を持って『俺』という存在を求めている――そう言える程の強い想いが、この俺を包み込む腕にはあった。
「ま、政宗……?」
「なぁ?」
「な、何だよ?」
「嫌……か?」
そう問われて俺は二の句が継げなくなる。
そんな事――嫌だったらとっくに政宗をぶん殴ってこの家から放り出してるに決まってる。
分かってる筈なのにそんな風に聞くなんて――!信じらんねぇコイツ!!
それに、こんな……心地良ささえ感じてしまって大人しくしてる俺に、面と向かってそーゆー事聞くか普通?!
俺は急激に熱くなってきた頬を悟られたくなくて、とはいえ病人の政宗に手を上げる事も出来ずに、政宗の腕の中で小さく唸るしかなかった。
「うううううぅぅ~~~~!」
「……………?」
「てめ…ッ!卑怯だぞ……政宗…ッ!」
腕の中から睨み付けると、きょとりとした表情の後にその口元がゆっくりと持ち上がる。
あーもー!分かったんだろ?!
俺がこうしてる事に抵抗感が無いんだって事が!
くっそー!ニヤニヤしやがってー!!!
けれどすぐにその笑みは鳴りを潜め、まっすぐな視線が俺の瞳を射抜いた。
「ふざけてる訳じゃねぇ。これは……本気だ。」
囁くようなその呟きに。
俺はただ無言のまま頷く事しか出来なかった。
繋がれた手を強く握りしめた事だけが――俺の答えなんだって……政宗は気付いただろうか?