転校生 2
「リョーマはねー…………アメリカ時代のボーイフレンドだよ♪」
にっこり笑顔でそう言うと、桃ちゃんの表情が更に強張った。
あ、本当に固まってる。
いいな~こういう反応って凄く新鮮で♪
リョーマとは別の意味で何だか可愛いと思う。
何だか…むしょうにテニス部に入りたくなってきた。
テニス部に入部すれば、これからはリョーマとも桃ちゃんとも一緒にいられる時間が多くなるって事だし。
本気で入部を考えてみようかと思う位には、魅力的な材料が揃ってるのは確かだ。
「ぼ、ボーイフレンド……?」
俺の発した言葉に、桃ちゃんがやっとの事で言葉をしぼり出す。
その呆然とした声からも桃ちゃんの困惑がありありと見て取れて、俺は思わず吹き出してしまった。
「本気にしないでよ、桃先輩!」
「え?やっぱ冗談か?」
「ええ~~本当のことじゃん。」
「っっっ!!!」
「そこまで怒る事無いだろう?実際皆そう思ってたんだしさ?」
本格的に睨みをきかせてきたリョーマに、ひょいっと肩をすくめてみせる。
やれやれ…このままじゃ本気でご機嫌を損ねてしまいそうだ。
ムッとしたリョーマの顔も、それはそれで又可愛いんだけど、これ以上ふざけて本当に嫌われても嫌だから、ここらで王子様のご機嫌を回復させておかないと。
俺は何とも複雑そうな表情で俺とリョーマを見る桃ちゃんに小さく苦笑してみせた。
「で?実際の所どうなんだよ?」
「だから嘘じゃないって。ただ、桃ちゃんが想像してるのとは、ちょっと違うかもしれないけどね。」
そう言ってもう一度リョーマを見ると、俺の態度が変わった事に気付いたのか、少しだけ表情が和らいだ。
「リョーマがアメリカ帰りなのは桃ちゃんも知ってるでしょ?俺もつい最近まで向こうに住んでたんだよ。リョーマと知り合ったのも向こうだしね。」
「へえ~?って帰国子女なのか?」
「まあね。で、二人とも一応は向こうの学校に通ってたわけだけど、リョーマって性格はともかく、見た目はこの通り可愛いじゃん?かなり目ェつけられてたんだよね。」
「性格はともかく…ってどういう意味?!」
俺の言葉にリョーマの眉が吊り上がる。
ムッとしたような声に、桃ちゃんが苦笑してリョーマの頭をグリグリとかき回すと、リョーマは更に不機嫌そうに頬を膨らませた。
「ともかく、あらゆる所からちょっかい掛けられて、リョーマ爆発寸前だったんだよね。何たって老若男女問わず…って感じだったし。」
「おいおい……老若男女って…?!」
「まあ、それは流石に言い過ぎたかな?でも、上は31の先生から下は9歳の女の子まで、本当に男女問わずだったのは確かだよ。だから俺達付き合ってるって事にして、ちょっかい掛けられないようにしてたってわけ。」
にっこり笑ってみせると、桃ちゃんがフェンスの向こうで呆然と固まっているのが目に入った。
まあ、これがごく普通の反応だろうね。
でも、そのおかげで問題なく毎日の生活が送れるようになったんだから、バカにしたもんじゃないと思うけど。
それに、この話を最初に俺に持ちかけてきたのは、他ならぬリョーマの方なんだし。
「そういうだって人の事言えなかっただろ。なんか危うく襲われかけたくせに!誰があの時助けてやったか分かってる?」
「お、襲われた?!」
「あはは…!まあ、それは否定しないけど。でも、それからはお互い静かな生活が送れるようになったじゃないか。」
確かにリョーマには数えきれない程助けてもらった。
だから、当時の俺にとっては本当にリョーマは『王子様』だったんだ。
そうでもなけりゃ、今こうしてここに居るどころか、俺は家の敷居をまたがせてもらってないかもしれない。
よりにもよって男に押し倒されました――なんて、じいさんに知れたらタダじゃ済まなそうだ。
だけどリョーマがボーイフレンドになってからは、そういう事もピタリとおさまったのも確かだし。
にこにこと笑いながら同意を求めて俺より低い位置にあるリョーマの顔を覗き込むと、釈然としない様子のリョーマの表情が飛び込んできた。
「静か?!イベントごとに引っ張り出されて、何かといえばと二人っきりで過ごすことが多くなったのが?!」
きっと、その時の事でも思い出してるんだろう。
上目遣いに軽く睨んでくるリョーマの顔は、すっかり赤くなっていた。
まあ、確かにリョーマの言う通り、色々と引っぱり出した気はする。
でも、それもこれも全て二人は付き合ってるんだって周りに思わせる為だったんだけど。
カップルにつきもののイベントに何もしてないんじゃ、怪しいって勘繰られるから、出来るだけそういったイベントでは人目につくようにはしていた。
確かに自分から好き好んで…っていうようには見えなかったけれど、リョーマだってまんざらじゃなさそうだったのに…。
「そんな事言って……でも、おかげでマイクからもベティーからもクラウドからも迫られなくなっただろ?俺もリョーマのおかげで押し倒される事も無くなったし。」
「だからって何でと……っ!」
そこまで言って、リョーマは顔を赤らめたままぐっと言葉を切った。
「と……何だよ??」
急に口をつぐんでしまったリョーマを不審に思ったのか、桃ちゃんが俺とリョーマを見比べながら首をかしげる。
そんな桃ちゃんに不機嫌そうな視線を向けて、リョーマは更に頬を膨らませた。
「キスくらいで文句言わない!それともクラウドに押し倒される方が良かった?」
「~~~っ!っ!!」
「あ、ヤバ……。」
咄嗟に答えてから、俺は慌てて両手で自分の口を塞いだ。
俺は別に構わないけど、流石にリョーマは知られたくない事だったかもしれない。
軽率な発言をしてしまった事に気付いて、俺はそーっと横の桃ちゃんへと視線を向けた。
「……………………キス??」
これはもう誤魔化しようがなさそうだと思うくらいに、桃ちゃんの目が点になっている。
こうなったら下手に誤魔化すよりも、開き直った方がいっそ男らしいかな。
「あはは…ごめんリョーマ……。」
乾いた笑いがこぼれる。
もうここまできたら仕方が無い。
もしかしたら、一週間くらいは口きいてくれなくなるかもしれないけど。
この後はひたすら拝み倒して機嫌を取るしかないかも。
でも、リョーマだって、あの時はそれほど嫌そうにはしてなかったのになー。
ここまで過激に反応されると少しヘコミそうだ。
「…………やっぱりお前ら本当にデキてんの?」
「あははは…いや、だからデキてるとかじゃなく、単にファーストキスがリョーマだったっていうだけの事なんだけど……。」
「~~!いい加減にしなよ…!」
俺の最後のトドメとも思える一言に、流石にたまりかねたリョーマが真っ赤になって声をあげた時だった。
「何を騒いでいる?!」
俺達の立っている後ろの方から聞こえてきた落ち着いた声が、その場の雰囲気を一瞬にして変えた。
「手塚部長っ?!」
フェンス越しの桃ちゃんの言葉に振り返ると、とても同じ中学生とは思えない位の貫禄をもった少年がじっと俺達を見ている。
すらっと伸びた長身に、僅かに癖のある茶色の髪。
眼鏡越しに俺達を見据える茶色の瞳は鋭く、意志の強さを感じさせるようなしっかりとした光を宿している。
その堂々とした姿に、桃ちゃんは途端に緊張したように背筋を伸ばした。
隣にいたリョーマでさえも、さっきまで俺に向けていた怒りはどこへやら、急にピタリと口を閉ざしてしまう。
「いつまで騒いでいるつもりだ。早くコートに入れ越前!」
「うぃーっス!」
その少年の言葉に渋々頷いて、リョーマは一度だけ俺をチラリと見てからフェンスの中へと入っていく。
それを無言のまま見送って溜息をついた少年の横顔に、俺は何か引っかかるものを感じて、大きく眉を寄せた。
(どこかで――会った事がある?)
初めて会った筈なのに、どこか懐かしい感じ。
横顔もそうだけれど、まとっている空気というか、彼の持つ雰囲気がどこか懐かしい。
俺は失礼を承知の上で目の前の少年の横顔をじっと見詰めてしまった。
「何か?」
じっと見詰め続けていた俺の視線に気付いたのか、目の前の少年が訝しげに俺を見返す。
その意志の強そうな強い光を秘めた瞳は、やはり確かにどこかで見た覚えがある。
でも、一体何処で会ったのか、この少年が誰なのか今の俺にはサッパリ分からなかった。
「あの~テニス部の部長さん?」
さっき桃ちゃんが彼の事を『部長』と呼んでいたのを思い出して、俺は目の前の部長とやらを見上げた。
「そうだが……何か?」
「えっと……急で何だけど……俺と会った事無いかな??」
「は?!」
まあ、彼の反応は至極マトモだったかもしれない。
初対面だと思われる人間に、いきなりそんな事を言われれば誰だって面食らうだろう。
でも、俺自身が自分の記憶を持て余している以上、相手に聞いてみるっていうのは、必ずしも悪い行動じゃないと思う。
ただ、確かにこの状況はどうみても、今どき居ないだろうという位下手なナンパと殆ど変わらない。
我ながら陳腐なセリフだと思いつつも、けれど俺は訊かざるをえなかった。
「おいっ!、お前部長に何バカな事言ってんだ?!」
「桃城、知り合いか?」
飛びかかるような勢いで目の前のフェンスに手を掛けた桃ちゃんが、慌てたようにサッと顔色を変える。
その言葉に俺から桃ちゃんへと視線を移した部長さんの、流れるような無駄の無い動きを目で追っていた俺は、ふと記憶の中の何かがピタリと一つに重なるのを感じていた。
「…………みーくん………?」
「え?」
自分でも知らず知らずのうちにポロリと口から零れ落ちた言葉。
もう何年も口にしなかった懐かしい名前。
その俺の言葉に、目の前の部長さんは大きく目を見開いた。