転校生 3
「…………みーくん………?」
咄嗟に零れたのは、幼い頃によく口にした響き。
自分でも無意識だったその呼び名に、部長と呼ばれた少年は、はっと目を見開いた。
「どうしてその呼び名を……。」
唖然という言葉が最も相応しいと思わせるほど驚愕した表情を浮かべて、切れ長の瞳が俺を見詰める。
その表情は、困惑・驚愕・動揺といった様々な感情が入り乱れていて、俺は小さく笑みをこぼした。
「ああ!やっぱりみーくん?!国一じいちゃんトコの?!」
否定しないって事は、やっぱり俺の思っている『みーくん』で間違いないらしい。
俺は何年かぶりの再会に、なんだか嬉しくなって、俺は思わずみーくんだと思われる目の前の部長さんの首に飛びついてしまった。
「すっごい久しぶり~~!!!」
「お、おいっ?!」
「っっ?!!」
「げっ…!」
流石に慌てたみーくんの声と、半ば悲鳴のようなリョーマの声と、驚いたような桃ちゃんの声とが、奇妙なくらい重なって、俺は内心で笑ってしまった。
クセというか、アメリカで培われてしまった習慣というか、俺は興奮するとこうしてついスキンシップ過多になってしまう。
流石にここは向こうと違うから、少しは気をつけないと。
でも、本当にこんな所で思いがけずみーくんに会えるとは思わなかった。
最後に会ったのは小学校に入学する前だから、もしかしたらみーくんの方は俺の事を憶えてないかもしれないけど、俺は本当にみーくんが大好きだったんだ。
俺のじいさん――と言っても母方のじいさんだけど、そのじいさんとみーくんのおじいさんである国一じいちゃんとは学生時代の同級生だったらしく、俺はよくじいさんに連れられて、国一じいちゃんの家に遊びに行っていた。
その当時既にヤンチャ坊主だった俺は、国一じいちゃんの家に遊びに行く度に、少しだけ柔道を教えてもらったりもしたけれど、そんな国一じいちゃんの家に居たのが、俺と同い年だったみーくんだった。
「何年ぶりかなー?俺の事もう憶えてないか?」
ジャージの前を掴んだまま、にこにこと笑ってみーくんを見上げると、どこか困ったような表情を浮かべてみーくんは俺をじっと見下ろす。
外見はあの頃のみーくんとは思えない程すっかり変わってしまったけど、こうやって間近で見れば、やっぱり眼鏡越しに見える瞳とか、感じる雰囲気なんかは俺の知ってるみーくんとさほど変わらない。
透き通った迷いの無い瞳は、俺の大好きだったみーくんのものだった。
「……………か?」
「うん!憶えててくれたんだ?!」
「あの呼び方をしたのはお前だけだったからな…。」
少しは懐かしいと思ってくれたんだろうか?
俺が幼なじみだと分かったからか、戸惑いながらもほんの少しだけ表情を和らげてくれる。
俺はそれが嬉しくて、もう一度みーくんに抱きついてしまった。
「嬉しいなー!こんな所で会えるなんて!!」
「こ、こら!抱きつくな!」
「いいじゃないか!かたい事言うなよ、久しぶりの再会なんだし。昔はもっと抱き締めてくれたじゃんか!」
俺は猫が甘えるようにして、慌てるみーくんの胸に頬をすり寄せる。
兄弟のいなかった俺は同い年のみーくんを、まるで兄のようにでも思っていたんだろう。
昔は、本当によくこうして彼に甘えていた。
子供の頃からみーくんは俺より大きかったから、感じとしては今の状態とあまり変わらない。
その頃は彼も照れ臭そうにしながらも、俺を抱き締めてくれたし、暖かな手でいつも俺の頭を撫でてくれた。
その優しさと温もりが俺は大好きだったんだ。
「、部長と知り合いだったの?」
俺とみーくんの遣り取りを暫く見ていたリョーマが、何故か不機嫌そうに表情を歪めて口を開く。
そのリョーマのおかしな反応に疑問を持ちながらも、俺は問われるままに質問の答えを素直に口にした。
「うん。幼なじみって言っていいのかな?小学校に上がる前の話だけどね。」
な?とみーくんを見上げると、ほんの僅かだけ頬を赤くしたみーくんが無言で頷いた。
「ふ~ん、そう………ずいぶん仲良かったんだ………。」
「そうかもねー?小学校の入学式の日に、同じ小学校に入れなくて泣いた記憶あるもんなー俺。そういえば、入学式の後に撮った写真、俺半べそかいてたっけ。」
その頃の事を思い出すと、自然に顔が緩んでしまう。
小学校に入ってからは、お互い会う事は無くなってしまったけれど、みーくんとのあの暖かな時間は俺の中で楽しくて幸せな時間として残っている。
「でも、本当にビックリだよ。まさかこんな所でみーくんに会えるなんて。」
「……、その『みーくん』というのは止めてくれ………。」
俺の言葉にみーくんは心底困ったように眉を寄せる。
そんな顔するとせっかくのカッコイイ顔がだいなしなのに、彼はそう言って小さく溜息をついた。
「ええ?じゃあ、なんて呼べばいいんだよ?」
いささか不満そうに眉を寄せれば、言われたみーくんも、そこまで考えていなかったようで暫し考え込んでいる。
呼び方なんて本人が指定するようなものじゃないから、いざそんな事を聞かれると返答に困るんだろう。
まあ、この年になってまで『みーくん』もないだろうというのは理解できるから、別にそこまで反発する気は無いけれど、少し淋しいなーと思うのも又否定出来ない事実だった。
「出ないなら、国光って呼ぶよ?」
「……ああ、まあ…それで構わないだろう。『みーくん』よりはマシだ。」
俺の言葉にホッとしたように息をついて、みーくん――いや国光はスッと肩の力を抜いた。
そこまであからさまにホッとしなくてもいいのに。
でも、そんな所が何だか少し可愛くて俺は自然と口元が緩んでしまう。
「おい、お前いくら幼なじみだからって、部長とタメでしゃべれるなんてスゲーな、スゲーよ!!」
暫く俺と国光の遣り取りを後ろで窺っていた桃ちゃんが、感心したように目を丸くしている。
「えー?だって同い年なんだからいいじゃん?」
何がそんなに凄いのか良くは分からないけど、きっと国光とこうして話す事自体が桃ちゃんにとっては驚きなんだろう。
ずいぶん特別な目で見られてるんだなあ――と思いながら、俺は隣にいる俺より僅かに大きい国光の顔を見上げた。
「は?!同い年?!何言ってんだよ、お前二年じゃん!」
素っ頓狂な声をあげて、桃ちゃんが思わずといった感じにツッコミを入れてくる。
それに合わせるように、フェンスの中で桃ちゃんの隣に立っているリョーマも、呆れたような顔をして頷いた。
そんな二人の姿を見て俺はハタ――とひとつの事に気付く。
「あー…二人には言ってなかったっけ?俺、国光と年は一緒なんだよ。」
あはは…と笑ってみせたら、二人とも信じられないといったように目を見開いた。
そしてついでに口もポカンと開いてしまっている。
いささかマヌケなその表情を見て、俺は思わず吹き出してしまった。
まあ、でもそれも仕方ないだろう。
確かに俺は2年生のクラスに編入してきていて、国光とは1学年違うのは確かなんだから。
「ええと、俺小学校の低学年の時、1年程休学というか…学校に行けなかった時期があったんだよ。だから俺、本当なら3年生なんだ。」
ちなみにもう15歳だよ――と言うと、二人とも大きな瞳を更に見開いた。
「、お前編入は2年生なのか?」
「うん、こればっかりは仕方ないから。」
「そうか……。」
少しだけ残念そうに見えたのは俺の欲目だろうか?
最初から感情の変化が読み取りにくいとは思っていたけれど、ほんの僅かだけ感じた国光の違和感は、時計へと向けられてしまった視線のせいですぐに掻き消えてしまった。
「もう部活開始の時間だ。悪いが俺達はもう行く。はどうするんだ?」
時間を確認してからコートの中に集まっている部員達をフェンス越しに見渡して、国光は俺の方へと再び視線を戻す。
その言葉に俺は小さく唸ってしまった。
国光達の邪魔はしたくないけど、せっかく会えたんだから、はいさようなら…なんて事にしたくないというのが正直な所だ。
それに、リョーマのプレイはアメリカでも何度も見た事あるけど、桃ちゃんと国光がテニスをする所は見たことないし…。
「邪魔しないから見学しててもいいか?」
「構わん。」
湧きあがる興味に抗いきれず、そう言って上目遣いに見上げると、国光は僅かに表情を和らげてくれる。
そのそっと細められた目を見て笑ってみせると、国光は小さく頷いてから、フェンスの中へと入っていった。
ゆっくりと歩いて行く国光の後ろ姿を見送りながら、俺はふつふつと湧き上がってくる興奮を押さえる事が出来なかった。
何たってリョーマと桃ちゃんと国光、3人のプレイを間近で見れるんだから、ワクワクするなという方が無理な話だ。
これでもリョーマとはアメリカで一緒の時間が多かったから、リョーマのテニスの力はある程度知っているつもりだけど、桃ちゃんと国光のプレイは、本当に初めて目にするわけだし。
俺は部員達の邪魔にならないことを第一に、コートの中の様子が最も良く分かる場所を探してフェンスの周りをぐるぐるとまわった。
どうせ見るなら、より良いポジションで見たい。
「Aコートを重点的に見るなら、ここよりあっちの方をおすすめするよ?」
なかなか思ったように良い所が見つからなくて、暫くフェンスの周りをうろうろとしていると、ふと背後から聞きなれない低い声が聞こえてきた。
不思議に思って振り返ってみると、国光よりも更に背の高い、黒ぶち眼鏡の少年が興味深そうに俺の事を見下ろしている。
癖のある黒髪に、表情が読めないくらい度の強そうな黒ぶちの眼鏡、すらっと伸びた長い手足、そのどれもが一度見たら忘れられない位印象強い。
腕に抱えているカゴの中にテニスボールが入っている所を見ると、この少年も国光やリョーマ達同様にテニス部員のようだ。
俺は思わずじっと見詰めてしまってから、はっ――と我に返ってペコリと頭を下げた。
そうだ、この目の前の特徴のある少年は、俺がより良いポジションを探してるのを見かねてアドバイスしてくれたんだ。
礼を言うどころか、物珍しそうに見るなんて、流石に失礼だよな。
「あ、ありがとう。」
慌てて礼を言うと、何がおかしかったのかその少年はくくっと喉を鳴らして笑う。
その反応が理解できなくて俺は小さく首をかしげた。
「ああ、ごめん。そんなに不思議そうな顔しなくていいよ。ちょっと予想外の反応だったから驚いただけなんだ。」
「とても驚いたような反応には見えなかったんだけど?」
「そうか?まあ、大した意味は無いから気にしなくていいよ。ところで君、転校生か何か?見かけない顔だけど?」
何だかうやむやにされたような気がしないでもなかったけれど、そこまで言われてしまってはこれ以上返す言葉は無い。
俺は釈然としないまま、彼の質問に答えて大きく頷いてみせた。
「今日から編入してきたっていうんだ、よろしく。」
「へえ?こんな時期に珍しいな?俺は乾貞治、3年生だ。」
「うん、俺もずいぶん中途半端な時期だとは思うけどね。こればっかりは俺の都合じゃどうにもならないし。」
そう言って笑うと、違いない――と言って乾は微かに苦笑した。
眼鏡のせいで表情は読み取りづらいけど、無表情って訳じゃないらしい。
その点で言ったら、国光の方が遥かに無表情で感情の変化が分かりにくいと思う。
「そういえば、乾もテニス部員じゃないの?いいのか?皆もう練習始めてるみたいだけど?」
フェンスの向こうで国光を中心に練習を始めた部員達の集団に視線を向けると、目の前に立つ乾は僅かに困ったように笑って、溜息をついてみせた。
「ああ、いいんだ。今はレギュラーじゃないからマネージャー業に力を入れているからね。」
「レギュラー?」
「ああ、転校してきたばかりだからは知らないか。うちのテニス部は、数ヶ月に一回行われる校内ランキング戦で、8名のレギュラーを決めるんだ。そのメンバーが色々な大会に選手として出場する事になっているんだよ。ほら、皆と違うジャージを着ているのが何人か居るのが見えるだろう?」
赤と青と白を基調にしたジャージを着ている国光を指さして、乾は俺を見下ろす。
その視線に無言で頷いて俺は視線をコートへと向けた。
そういえば、国光だけじゃなくリョーマも桃ちゃんも同じジャージを着ている。
それ以外に5人。
確かに乾の言う通り8人だけ違うジャージを着ているのが目に留まった。
「皆あのレギュラージャージを目指して練習を積むんだ。」
「今は…って事は前はレギュラーだったんだ?」
「まあね。新しい力にしてやられた…って所かな?」
そう言って乾はもう一度苦笑してみせた。
(あれ?今のフレーズどっかで聞いたような……?)
何気ない乾の一言に俺はピタリと動きを止めた。
乾とは初めて会ったのに、乾の零したフレーズには確かに聞き覚えがあった。
『新しい力にしてやられたよ』
決して気のせいじゃない。
同じ言葉を確かに俺は聞いている。
それもごく最近、かなり身近で。
「どうした?難しい顔して?」
急に黙り込んでしまった俺を不審に思ったのか、乾が眉を寄せて俺の顔を覗き込んでくる。
「あ…うん、ごめん今の言葉どっかで聞いた事あるようなって思って……。」
「今の言葉?」
「『新しい力にしてやられた』ってやつ。結構最近だと思うんだよな、覚えがあるくらいだから。」
俺が関わっている事なんて限られてるから、すぐに分かりそうなものなのに。
予想以上に思い当たらない。
俺は首を捻りながら、一つ一つここ最近の事を思い出してみた。
アメリカでの前の学校、引っ越してきたの家、そしてここ青春学園。
いずれもそれらしいものに思い当たらない。
あと俺が接するって言ったらメル友かチャット仲間くらいだ。
「あっっ!!」
そこまで考えて俺はやっとの事で一つの事に思い当たった。
「ああ!この間チャットで話した時だ!レギュラー落ちしたって話の時に聞いたんだった!」
時々顔を出すチャットルームで結構親しくしてる奴と1・2週間前にチャットしてる時に出た話題の中で確かに同じフレーズを聞いた。
色々な話の一部だったからすっかり記憶の外に押し出されてしまっていたけれど、間違いない。
俺は胸に引っかかっていたつかえが取れたような感覚に、小さく息をついてから大きく頷いた。
「チャット……?」
俺の言葉に、今度は乾の方が訝しげに眉を寄せる。
何か気に障るような事でも言ってしまったんだろうか?
俺はじっと見詰めてくる乾の視線に居心地悪げに視線をそらした。
「……君、もしかして……………?」
乾の眼鏡がキラリと光ったような気がした。
To be continued