白銀のWizard 7
「幸村からは多少なりとお主の事情は聞いておるが、お主自ら事の仔細を聞いた方が良かろうと思うての。儂も国主たる立場ゆえ、避けては通れぬのじゃ。すまぬが今一度お主自身の話を聞かせてはくれぬか?」
国主の顔と、武田信玄個人としての顔が混ざり合ったその表情に、俺は微かに苦笑してみせる。
「そんなお顔をなさらないで下さい信玄公。責任のあるお立場なのです、当然の事でしょう。」
「殿!お館様は決して殿を疑うている訳ではございませぬ!」
「うん、分かってるよ。だから言っただろ?責任ある立場だから仕方ない事なんだって。別に信玄公に疑われてるとかは思ってないよ。」
俺の言葉に慌てたように幸村が口を挟む。
その様子に、俺は小さく首を振ってみせた。
そう、国を背負って立つ以上、個人的感情だけに流されてはいられない事もある。
特にこんな戦国の世であれば尚更だ。
沢山の領民を護る為に、時として辛い選択・苦しい選択を迫られ、望まぬ事すらせねばならない事もある。
それが国主というものだろう。
「ふむ………佐助の申す通り、殿は些か変わった御仁じゃのぅ。」
「は?!」
「いや、面白い御仁と申した方が良いかな?」
興味深げに目を細めて信玄公がその表情を和らげる。
それにどう反応して良いのか分からず、俺は目を白黒させるしかなかった。
「さて、話は戻るが……どうじゃ?お主の事、話してくれるかの?」
「あ、はい。勿論です。」
「では今一度問おう。お主は誠に遠き世界より参ったのじゃな?」
「はい。間違いありません。」
「そして何やら変わった力を使うというのも……。」
「事実です。俺の力は魔力という力によって発動します。己の中にある魔力とこの世界に満ちている力の源を紡ぎ織り上げる事で様々な事象を発現させる事が出来ます。」
そう言って俺は掌に力を集中させると、パチンと一つ指を鳴らした。
次の瞬間、俺の手の上に小さな渦が巻き起こる。
竜巻の子供のような小さな渦が、その場の空気を引き裂くかのように段々とその威力と鋭さを増していく。
それをひょい――と信玄公の目の前に差し出してみせて、俺は微かに目を細めた。
「何と?!」
「今は小さな状態に固定していますが、大気中より紡ぎ出す力の量を増やせば巨大なカマイタチ程度の力は発揮出来ます。」
「成る程のぅ。これが幸村の申した『まじゅつし』とやらの力か。」
「はい。」
精悍な顔に驚きの表情を浮かべて信玄公は僅かにその身を乗り出す。
「確かに面妖な力じゃ。儂も長く生きておるが、こんな力を見るのは初めての事よ。」
「某も殿の力を見た時は、震えが走りましてございます!」
「そうであろう。して、殿はこの力をどうしようと思うておるのじゃ?」
「どう……する……?」
信玄公の言葉に俺は言葉を失う。
己の持つこの力をどうにかしようなどと考えた事は一度もなかった。
この力は俺にとってあたりまえのようにあった力で、その力をどうしていこうとか、どういう事に使っていこうとか、そういった事は考える事すらなかった。
「うむ。酷な話ではあるが……これだけの力を持つとなれば、お主を脅威と見て狙う輩もいずれ出てくるであろう。中には己が軍に迎えようと思う者も居るやもしれぬ。その力は敵となれば明らかに脅威となりうるからのぅ。」
「つまり、このままでは殿のお命が危険であると?お館様?!」
「この戦乱の世、望まずともそのような事に巻き込まれるは必定。そうでなくとも殿のその容貌は人目を惹く。殿の力そのものを望まずとも、手元に置きたいと望む者も現れぬとも限らぬ。」
「俺の存在が、この力が色々な意味で危険であるという事ですか……。」
望む望まないにかかわらず、俺のこの力はこの戦国の世ではトラブルを引き寄せるのだろう。
ある者は己の覇道を遮る障害として。
ある者はその力を己が物として使う為に。
そしてある者はこの世界の住人ではない俺の存在そのものを、まるで珍獣のように欲するのだろう。
俺がこの力をどう使うかで、俺自身とこの世界の今後が変わっていくのだろうか?
「本来ならば儂がこの様な事を申すのはおかしな事かもしれぬがの。」
「いえ……俺がこの力をどう使うかで、この世界が向かう未来が変わるかもしれない…という事なのですね……。俺が悪鬼の如き人物に仕え、この力を揮ったら……と。」
「否定はせぬ。じゃがのぅ…儂はお主がこの戦国の世で、幾多の思惑に巻き込まれ苦しむ事が無ければ良いと…そう思うただけよ。」
「信玄公………。」
「お主の為には何処かで採り立ててもらうのが一番であろう。その力を使うに相応しいと思える道が見つかれば、その為に尽くせる国を…主を探すが良かろう。」
この力を揮うに相応しい道。
その言葉は俺の心に強く焼きついた。
確かに俺はこの世界で大切な者を護ろうと誓った。
しかし、その為に己が何を為すべきなのかも、この世界では異質なこの力を活かす道を考える事もしなかった。
そして己の存在がこの世界に与えるであろう影響にすら、思いを致さなかった。
「俺は…………。」
不意に突きつけられた現実に俺の手が微かに震える。
「……殿??いかがなされました?!」
「幸村……?」
「何やら辛そうにお見受け致しまする。今薬師をお呼び致しましょう!」
「違うんだ幸村!具合が悪い訳じゃないんだ。」
心配そうに表情を歪めた幸村が慌てて腰を上げる。
それを遮って、俺は小さく息を吐いた。
「俺……信玄公がおっしゃった事、全然考えてなかった。俺がこの世界を壊してしまうかもしれない可能性を考えすらしなかった。」
「殿……。」
「甘かったのかな………俺。」
「そんな事はございませぬ!大切な者を護りたいとおっしゃった殿の想い、決して生半可なものではないと某は感じ申した!そんな殿が甘いなどど…ましてこの世界を壊すかもしれぬなどと、そんな事は決してござらぬ!この幸村、断言致しまする!!」
俯いた俺の手を力強く握り締めて、幸村は勢い込んで声をあげる。
その手の暖かさに、俺は俯いていた顔をゆっくりと上げた。
会って間もない俺の為にこんなにも必死になってくれる幸村。
その暖かな手の温もりに、まっすぐな瞳にどれだけ救われた事か。
俺は与えられたこの温もりの為に生きたいと、この命の為に己の全てを掛けたいと初めてそう思った。
「ありがとな……幸村……。もう大丈夫だから。」
「殿……。」
握られた手をそっと握り返して、俺はそっと目を細める。
この湧き上がる思いを与えてくれた存在を護る為にこそ、この力を揮うのだ。
他の誰でもない。
真田幸村の為に――。
「……………信玄公、俺のこの力…確かにこの世界においては危ういものかもしれません。俺自身だけでなく、様々な人々の今後をも変えてしまう可能性がある事も否定出来ません。ですが、俺はやはりこの力を大切な者を『護る』為に使いたいと思います。」
「ほう……護る為とな?」
「はい。それがこの力を揮うに相応しい道だと……そう思います。」
「そうか。して、その為に進む道は…その想いを託せる相手は見つかりそうかのぅ?」
「はい!目の前に!!」
そう言って俺は満面の笑みを幸村に向けた。
仕える主人としてではないけれど。
俺を信じ、俺の存在をそのまま受け止めてくれた幸村。
1人の人間として、この暖かな存在を護りたい。
その為にこそ俺は次元の扉を開いてこの世界へと降り立ったのだから。
「何と!幸村とな?!」
「はい。俺は幸村殿の為にこそ、この異端の力を揮いたい。物の数にもならぬ身ですが、幸村殿の暖かさに少しでも報いたいのです。」
「殿…ッ!某如き未熟な身にそのような…ッ!」
「そんな事ないよ幸村。俺、本当に幸村には助けられてばかりで……。」
そう、最初からずっと幸村には助けられっぱなしだった。
この世界に落ちてきた時も、佐助に疑惑の目を向けられた時も、過労のあまり倒れた時も。
そして、何度も俺が沈み込みそうになる度に、その暖かい手を差し伸べてくれた。
暖かな想いを、優しさを、温もりを与えてくれた。
俺の事を疑いもなく信じてくれた。
何より俺の心を暖かく包んでくれたのだ。
だからこそ俺が進むべき道は、真田幸村の元であると――そう信じたい。
「なれば、お主はこの甲斐の国に止まるつもりであると……そう捉えて良いのじゃな?」
「……はい。信玄公にお許し頂けるのなら。」
そうなのだ。
幸村はあくまでも甲斐の国の武将の1人に過ぎない。
この国の国主は甲斐の虎、武田信玄なのだから。
どんなに俺が幸村の傍に在りたいと思っても、信玄公の許しがなければそれはままならない。
「そうか。さすれば、お主をこの甲斐の国の賓客として迎えねばならんのぅ。」
「お館様?!それは誠にございますか?!」
「うむ。幸村…他でもないお主の為にと申すのであれば、儂にとっても大事な客人となろう。」
「信玄公……よろしいのですか?俺のような得体の知れない者を……。」
想像もしなかった信玄公の言葉に、俺は唖然としたまま目の前の巨体を見上げる。
俺自身、幸村の配下――それも末端の部下くらいを認めてもらえればマシだと思っていたので、信玄公の申し出は想像以上の高待遇だった。
「構わぬ。お主は真田の家臣たろうとは思うておらぬのであろう?なれば、幸村の臣下にする訳にもいくまい?」
「ですが……。」
「真田や武田に縛られる事はない。お主はお主の信ずる道を進むがよかろう。そのままのお主のままでのぅ。」
そう言って信玄公は精悍なその顔を緩めると、その迫力ある巨体に相応しい豪快な笑い声をあげた。
「ようございましたな殿!」
「うん。本当に信じられない……俺なんかを客人として迎えてもらえるなんて……。」
「これで某も安心致しました。この甲斐の国に居られるのであれば某、全力で殿をお守り出来まする!」
「ゆ、幸村……ッ!?」
ぶんぶんと勢いよく握ったままの手を振られて、俺は思わずグラリと前のめりに倒れこむ。
その勢いで俺は、しなやかな獣を思わせるような幸村の逞しい胸元にトサリ――と顔面から倒れこんだ。
「――っぷ!」
「も、申し訳ござらん!」
「ははは……ああ、大丈夫。……………ええと、幸村?」
「何でござろう?」
「本当にありがとう。これからは俺も幸村の為に働かせてくれな?」
「殿………。」
「俺も幸村を護りたいんだ。だから………これからもよろしく。」
俺なんかの力では本当に幸村の力になれるのか分からないけれど。
今までのように幸村に助けられる事ばかりかもしれないけれど。
それでも俺はこの僅かばかりの力を幸村の為に使いたい。
そうする事は、少なくともこの世界を壊す事に繋がりはしないだろう。
俺は驚きに目を見開いた幸村の、未だあどけなさを残した顔を見上げて、ふわりと小さく微笑んだ。
「……………承知致しました。この幸村も殿の事は、この身にかえてもお守り致しまする!」
「ありがとう………幸村。」
幸村の表情が少しだけはにかんだように綻んで。
俺はその静かに細められた瞳に、柔らかに注がれる眼差しに、惹き付けられずにはいられなかった。
「さてもめでたき事よ!我が甲斐の国も白銀の天上人を迎え、益々の繁栄を約束されたも同然!まこと今日はめでたき日じゃ。」
「し、信玄公…ッ?!俺は別に天上人では…!」
「ははは…!良いではないか。その麗らかなる容貌、幸村の申す通り天上人もかくや…といった容貌よ。誰もが称賛するであろう。」
「えええええーーーー?!」
「お、落ち着いてくだされ殿!」
「っていうか、幸村?!信玄公に天上人の話をしたのか?!」
爆発しそうに熱を帯びた顔を押さえて、俺は目の前の幸村にぐっと詰め寄る。
まさか信玄公の耳にまであの話が入っているとは。
佐助はその場に居合わせたから仕方が無いとしても、まさか信玄公の耳にまで伝わって、その上こうしてからかわれる事になろうとは思いもしなかった。
「申し訳ございませぬ!お館様には某の思う所を全て申し上げました故……。」
「うううぅぅ…だ、だからってぇ………。」
そんな事まで言わなくてもいいじゃないか――。
続く言葉は喉で詰まって言葉にならなかった。
あまりの羞恥に思わず涙腺が緩み、じわりと視界を歪ませる。
困ったようにペコリと頭を下げる幸村に、それ以上の言葉を無くした俺は、真っ赤な顔で唸ったまま目の前の幸村の整った顔を見上げるしか出来なかった。
「ほう?なかなかイイ顔すんじゃねーか。『甲斐の白銀の天上人』殿は。」
不意に横から聞こえてきた声にピクリと肩を竦ませれば。
咄嗟に目の前の幸村が俺を背中に庇うようにして声の方に向き直る。
その掛けられたどこか斜に構えたような耳に心地いい低い声は、俺にとって聞き覚えのあるものだった。
「政宗殿っ?!」
「よう真田幸村、久しぶりだな。」
「な、何故政宗殿がここへ?!」
「だーから、もう暫く入るのは待ってくれって言ったのに、独眼竜の旦那は……聞いちゃくれないんだから……全く。」
「佐助?!仕事で出てたんじゃ?!」
聞き覚えのある声に、ひょい――と幸村の背後から顔を覗かせてみれば。
廊下に面した障子が開かれ、その先にはあの奥州筆頭――伊達政宗と、仕事で出掛けた筈の佐助の姿があった。
幸村の好敵手にして奥州の国主たる責務を負った、未だ年若き隻眼の青年。
今やこの甲斐の国の同盟国となったという、北方の平定者。
その研ぎ澄まされた強い光を宿した隻眼が、幸村から俺へと興味深げな視線を向けてくる。
俺は慌ててその場に立ち上がり、いつものクセでその場でクルリと回ると、片手を胸に片足を引いてペコリと頭を下げた。