白銀(しろがね)のWizard 5







緩やかに広がる闇の中。
俺は静かに閉じていた目を開いた。


「ここ………は?」


見覚えの無い天井。
明らかに自宅の寝室とは違う年期の入った木目張りの天井に、俺は目を瞬かせる。
薄闇の中、布団に包まりこんな所に横たわっている理由が、俺にはさっぱり理解出来ない。
確か転移系魔方陣から放り出されて――
そこまで思い出して、俺はガバリと身を起こした。

「起きた?」

不意に横から掛けられた声にビクリと身を竦ませる。
それに小さく笑う声がして、俺はその声の方へとまだボンヤリとしたままの目を向けた。

「佐助?」

「そ。もう大丈夫?」
「俺……いったい……。」

微かに感じる頭の重さ。
こめかみを軽く押さえつつ問えば、佐助が部屋の隅の燭台にそっと灯りをともしながらこちらを振り返る。
悪戯っぽく口の端を持ち上げる様は、どこか少年のようにさえ見えた。


「どこまで憶えてる?」
「え…と………何でここに来たんだって聞かれて……。」
「そう。その後倒れたんだよ。」
「倒れた?!」
「大分疲れてたんじゃないかって。熱とかは無いみたいだけど、暫くはゆっくり寝てろってさ。」

とりあえず夕餉を持ってくるまでは横になってな――そういう佐助の言葉に俺は無言でコクリと頷いた。
何という情け無い有り様だろう。
大切な者を護るのだと言っておきながら、この体たらく。
俺は己の不甲斐なさに頭を抱えたくなった。


「………そういえば………。」
「ん?」
「ここ……何処?」


大きな溜め息をついたあと。
ふと思い立って俺は襖を開けた佐助に声を掛ける。
それに振り返って佐助は、そういえば――というようにポンと手を合わせた。


「ここは躑躅ヶ崎館。甲斐の虎、武田信玄公の居城だよ。」

ちなみに真田の旦那の上司に当たるからね――そう言って佐助は俺が倒れた後の説明を始めた。


「あの後、本来なら俺様達は上田の城に戻る予定だったんだけどね。倒れたを見て真田の旦那が狼狽えちゃってさー。お館様に泣きついちゃったんだよね。そしたらお館様がこっちの方が近いから、まずはゆっくり身体を休ませてやれって仰ってくれて。で、とりあえず真田の本体は別の人間に任せて、俺様と真田の旦那はそのままを連れて躑躅ヶ崎館まで来た…ってわけ。」

「ごめん…迷惑掛けて。」
「ああ、いいよ。どっちかっていえば、真田の旦那が大騒ぎしなけりゃ良かっただけの事なんだし?」
「それでも迷惑掛けた事は確かだし。」


しゅんと項垂れれば、苦笑いを浮かべた佐助が近付いてきてガシガシと俺の髪を掻き混ぜる。
優しげなその手の感触にそっと上目遣いに佐助を見上げれば、幸村を見る時と同じような瞳が俺を見下ろしていた。


「この殊勝さを、真田の旦那も少しは持って欲しいもんだよねー。」
「佐助?」
「大丈夫!大丈夫!気にする事ないって。どうしても気になるんだったら、今は身体を休める事が一番の恩返しだと思っときな。」

優しく細められたその瞳に俺は再度無言のまま頷く。
俺は佐助に促されるまま、もう一度暖かな布団の中にその身を横たえて静かに目を閉じた。


「佐助?」

「ん?何??」


出て行こうとする佐助の気配を感じて、俺は目を閉じたままポツリと声を漏らす。

「幸村と信玄公に……お礼、言っといてくれるか?」

「………それは自分の口でしな。」
「……うん……。」


やはり佐助の言うように疲労が溜まっていたのか、布団の暖かさに包まれた途端ボンヤリとし始めた意識の向こう。
どこか笑みを含んだ声にそう言われて。
俺はその声に小さく頷くと、そのまま再び意識を闇の中に手放した。
















あれから暫くして、佐助の運んできた夕餉を口にした後、俺はふと湧き上がった疑問を佐助にぶつけていた。
戦場に居た俺達が今現在躑躅ヶ崎館に居るという事は、少なくとも佐助か幸村のどちらかがぶっ倒れた俺を運んでくれたという事で。
つまりは、全く意識の無い大の男を抱えてくれたという事になる。
いくら二人が俺より鍛えているとはいえ、そんな事をさせてしまった事は本当に申し訳ないの一言に尽きた。


「ああ、その点なら大丈夫だよ。真田の旦那が一緒に馬に乗っけて運んでくれたから。」

「馬に?」
「そう。別の奴に運ばせるって言ったんだけどさ。自分が運ぶって言ってね。まぁ倒れたを抱えてたからってのもあったんだろうけど。」


とりあえず馬なら支えてやる位で他に労力もかからないからいいんじゃないかって事になって――という佐助の言葉に、俺は情けなさと恥ずかしさで憤死しそうだった。
いや、最初から助けられておきながら贅沢な事は言っていられないが、ようはずっと幸村に助けられっぱなしだという事ではないか。
落下の際には抱き留めてもらい、佐助への取り成しもしてくれて、挙句の果てに倒れた俺を抱き止めそのまま抱えて躑躅ヶ崎館まで運んでくれたという。
これ以上無い位に情けない所を晒し続けてしまった事に、俺は頭を抱えてしまった。

「さっきも言ったけど気にする程の事じゃないよ。旦那だって自分で好き好んでやった事なんだし?」
「そうは言うけど、自分より年下の人間に助けられっぱなしって………流石にヘコむわ……。」
「あ、やっぱりって真田の旦那より年上なんだ?」
「え?そりゃそうだろ?だって幸村はどう見たって10代じゃないか。」
「まぁ確かにそうだけど。って事はは20代だって事だよね?」
「どういう事だよそれ?見りゃ分かるだろ??」
「あー………あはは…………でもその様子だと、多分実年齢よか若く見られてると思うよ……。」

どこか含みのある表情で佐助は頬を掻く。
些か目が泳いでいるように見えるのは俺の思い込みでは無い筈だ。
憮然として眉を寄せて、俺は佐助をジトリと睨み返した。


「ちなみにっていくつ??」

「……………24歳。」

「………………………………うそ?!」
「嘘じゃねぇよ!!」


驚愕といった様子の佐助に、思わず声をあげる。
次の瞬間、既に夜も更けている事を思い出し、俺は慌てて口を押さえて周囲を見渡す。
流石に夜更けに大声を出すなど非常識だと内心で自分を叱咤し、俺はコホンと一つ咳き込んだ。


「これはちょっと詐欺じゃない?真田の旦那なんか、自分と一つ・二つしか違わないと思ってるぜーきっと。」
「詐欺って……。」
「流石に俺様もビックリだわ。」


思わずついた溜め息に佐助が気の毒そうに眉尻を下げる。

「まぁ老けて見られるよりマシだって。」
「慰めになってねーよ………。」

思わず遠い目をしてしまって、俺はハァ――と盛大な溜め息を漏らしてしまう。
自分が昔から歳相応に見られない事は分かっていた。
しかし、流石にここまで露骨に驚かれたのは生まれて初めてだ。
確かに学生時代は若く見られる事でそれなりに有益な事もあったけれど、成人してからこっち、一人前の社会人として過ごしてきたつもりだった俺にとって、幸村と大して変わらなく見られているというのは、かなり衝撃的だった。
若く見られていいね…などというレベルの話ではない。
下手をしたら、この世界では周囲から子供扱いされかねないという事ではないだろうか。
嫌な予感に俺は一つ大きく身震いした。


「いやいや大丈夫!流石にまだ元服してないとかいう程、若く見られてる訳じゃないからさ!」
「当たり前だろ!!」


慰めてるつもりなのか、トドメを刺そうとしているのか微妙な佐助の言葉に、俺は目頭が熱くなりそうになる。
へにゃりと歪んだ俺の顔に慌てたように手を振って、佐助はさっさと話を切り上げる体勢に入った。

「まあまあ!とにかく、今日は色々あって疲れも引いてないだろうから、ゆっくり休んで明日になったらお館様に目通りするといいよ。とりあえず明日は顔を出させるってお館様には言ってあるし。それに、きっと明日には真田の旦那もここに顔を出すだろうからさ。」

佐助の言葉に、そういえば――と俺は首を傾げる。
倒れた俺を自らここへ運んでくれた程俺の事を心配してくれていたという幸村が、そういえば一度もここへ顔を出していない。
話からすれば、一度位は俺の様子を見に来ていそうなものなのだが。
そう思い佐助に尋ねれば、どこか困ったように笑って佐助はガシガシと己の髪を掻き揚げた。


が気を失ってる間、右往左往で大騒ぎだったからね。今日一日、ここへの出入り禁止をお館様から喰らってんの。多分、明日の朝一で飛び込んでくると思うから、今日は早い所寝て疲れを取っておいた方がいいと思うよ。真田の旦那の朝は、そりゃもう早いから。」


ご愁傷様だの、お気の毒にだのいう言葉がどういう意味か聞くだに恐ろしいが、そこはあえてツッコまない事に決めて、俺は乾いた笑いを浮かべた。
恐らくは例のアレ――師弟の殴り愛――が始まる時間前後だろうと想像はつくのだが、どれだけ早い時間に来られる事やら。
本来、研究に没頭するあまり極度の夜型人間と化している俺が、早朝からの幸村の襲撃に耐えられるかどうか、正直自信が無かった。

「ええと俺、朝はかなり弱い方なんだけど………。」
「だろうね。だからご愁傷様だって言ってるんだって。」

「……………………俺、対応出来る自信無くなってきた………。」

兎にも角にも、体育会系の元気青年と、ひ弱なインドア派の頭脳労働者とでは潜在的生命力値が全く違うのだ。
その上、年齢の差という壁も存在する。
確かに実際目の当たりにした真田幸村という男は、俺の予想していた以上に智将という側面をも持つ武将らしい落ち着いた表情を見せてもいたが、そこはあの真田幸村だ。
今の内にある程度の覚悟はしておいた方がいいのかもしれない。
そう思って俺は遠くなりそうな意識を辛うじて引き寄せた。


「そうそう!あと……。」
「何………?」
「そんな悲壮な顔しなさんなって。」
「他人事だと思って………。」
「あのさ、俺様何年この状況だと思ってるわけ?」
「………………ごめんなさい。」


何やらえらく重みのある佐助の言葉に思わず謝ってしまう。
確かに昼夜の別なく働いている佐助の方が、もっと大変な思いも多くしてきた事だろう。
何となくこれ以上愚痴は零せないような気がして俺はガクリと肩を落とした。

「で、話は戻るけど。」
「うん?」
「もしかしたらなんだけど、明日の朝、真田の旦那がここに顔出す前に館内でちょっとした騒ぎがあるかもしれないけどは…………まぁ気にしないでいいから。」

「何だよそれ?!」

佐助にそうツッコミつつ、内心では――ああやっぱり朝の恒例行事として存在するんだな――と翌朝のイベントを思い、俺はどちらにしても起こるであろう睡眠妨害に軽い眩暈をおぼえる。
佐助の言葉に従い少しでも身体を休めておく必要を強く感じて、俺は片付けられた布団を敷き直す為に重くなった腰をあげた。

「女中を呼ぼうか?」
「いいよ。これくらい自分で出来るし。」

せめてこれ位はしないと――そう笑うと、佐助は小さくそっか――と呟いて俺の向かい側に腰を下ろす。
そのまま無言で俺の手伝いをしてくれる佐助に、俺は静かに目を細めてありがとうと一言だけ口にした。



「さてと、俺様はもう行くよ。あまり遅くまで話してると本当に夜更かしさせちまうからね。」



着ていた法衣を脱ぎ、用意されていた簡単な浴衣のような着物に着替えさせてもらうと、敷き終えた布団に横になるよう促されて。
俺はその言葉に従い足を敷かれた布団の中に押し込む。
それを確認した佐助がくしゃくしゃと軽く俺の頭を撫でるのを、俺は首を竦めて受け止めた。
何だかくすぐったいような心地良いようなそんな暖かさ。
俺はガラにも無く幸せなんて言葉を噛み締めて、目の前の佐助の整った顔を見上げた。


「本当にありがとな佐助。色々と……。」
「その言葉は真田の旦那に言ってやってよ。」
「そうだな。でも、佐助も……な?」


そう言うと一瞬だけ驚いたように目が見開かれる。
すぐにそれはいつもの佐助のニヒルな笑みに隠れてしまったけれど。
俺は佐助が珍しくも照れているのだと、そう思った。

「さ、もういいから寝た寝た!」

バサリと上掛けを頭から被せられて一瞬息が詰まった所を、トン――と軽く押されて俺は敷き布団の上にパタリと転がる。
空気を求めて顔を出した所をもう一度くしゃりと撫でられて、俺はそのまま小さく息をついた。


「じゃあ又明日に。」


まるで子供を寝かしつけるように数回ポンポンと布団を叩くと、佐助は音も立てずに俺の傍らを離れる。
廊下に面した障子に手を掛ける佐助の後ろ姿を見ながら、俺は小さく呟いた。



「おやすみ………佐助。」



答える声は、消えた灯火と共に闇夜に溶けて消えていった。




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