白銀のWizard 4
「まじゅつし…とは一体どのようなものにございますか??」
俺の告げた言葉に幸村は不思議そうな表情でコトリと首を傾げる。
隣に立つ佐助も俺の言葉に訝しげな表情を崩さないままだ。
その二人に魔術師とは何かを理解させるのは、それこそ異次元空間の存在を理解させる事より難儀な事かもしれない。
そう思い、俺は少々荒療治とも言える一つの方法を試みる事にした。
「ええと……口で言うより見てもらった方が二人には分かりやすいと思うんだ。」
そう言って俺は目の前の幸村の頬に手を伸ばす。
そこには俺を受け止めた時に出来たであろう、未だ血の滲む擦り傷が目尻の辺りから顎の辺りへかけて大きく走っていた。
「殿?何を…?」
「ちょっと大人しくしててくれな?」
狼狽えた様子で僅かに頬を染めた幸村を黙らせると、俺はそっと幸村の傷の上に己の手をかざす。
この世界で俺の力が上手く発動するか正直不安もあったが、転移系魔方陣が今もこうして作用している以上、全く力が発動しないという事は無さそうだ。
目を伏せ、小さく息を吐き出しながらかざした掌に意識を集中させると、じわじわと手の平に熱が集中してくるのを感じる。
順調な発動に俺は内心で胸を撫で下ろした。
「何やら………頬が暖かくなってきたような……。」
「うん、その筈だよ。」
どこかボンヤリとした様子の幸村に目元を緩ませる。
湯にでも浸かっているような…とよく表現されることがあるから、恐らくは幸村もそんな感覚なのだろう。
今にも瞼を閉じてしまいそうな幸村は、ほぅ――と小さく息をついた。
「気持ち……良いで…ござる……。」
「ちょっとちょっと!こんな所で寝ないでよ旦那?!」
呆けた様子の幸村に佐助が慌てたように肩を叩く。
それに片手を挙げる事で答えた幸村は、ゆうるりと俺の方へ視線を向けた。
「殿?」
「ん?」
「痛みが……なくなって参りました……。」
「そうだろうな。もう少しで終わるよ。」
俺達が本来持っている自己治癒能力を促進させてやるのが、俺の治癒系魔術の特徴だ。
スペシャリストともなれば、こんな時間の掛かる方法ではなく一気に回復させる事も可能なのだが、生憎俺は回復系魔術は得意な方ではない。
全く使えないよりは確かにマシだが、俺にはこの程度の回復魔術しか扱う事は出来なかった。
「…………そろそろ大丈夫かな?」
じわじわと反応を返していた手の平の下がようやく落ち着いてきた頃になって、俺は掌に集中させていた意識を分散させる。
集まっていた力が引いていくに従って、ゆっくりとかざしていた手を離せば、そこには元から擦り傷など無かったかのように傷一つ無い幸村の頬が晒されていた。
「怪我が……無くなってる?!」
「誠か佐助?!」
「これはの旦那が?」
驚いた様子の佐助に無言のままコクリと頷いてみせる。
「もしかしての旦那は、薬師か何か?」
「いや。そういうのとは違う。それに俺は回復系は正直苦手だから。」
「じゃあこの力はいったい?」
「これは俺の――魔術師の力の一つ。他には…そうだなぁ………。」
くるりと周囲を見渡すと、少し離れた所に恐らくは幸村のものなのだろう。
水の入った竹筒が置いてあるのが目に入る。
それを見て、俺はハタ――とある事に気付いた。
「これ、ちょっと借りるな?」
「構いませぬが……何を?」
幸村の問いに笑って、俺は竹筒を傾けると左手に水を注ぎ込む。
「ウォーターシールド展開!」
掌の水に意識を集中させ、魔力を水に練りこむ。
途端に俺の掌の中の水がグルグルと渦を巻き、手から離れると上空で薄い水の幕を作り出した。
「これは?!」
「薄い水の幕だよ。少しくらいの衝撃なら防ぐ事が出来る。」
「何と?!」
「後は、こういう事も。」
再び水を手元に集めて、今度は沢山の小さな水の塊を作り出す。
ふわふわと右手の上で漂う沢山の弾状の水。
それを弄びつつ周囲を見渡すと、少し離れた所に敵軍のものであろう旗が地面に突き刺さっているのが視界に入った。
それに向かって俺は手首を捻る。
「ウォーターバレット斉射!」
言葉と共に手の上の水の弾が一斉に突き刺さったままの旗へ向かい勢いよく飛び、そのまま衝突して旗の残骸を粉々に砕いて弾け飛んだ。
「おおっ?!」
「これは少ない媒体で、その上織り上げた力は微々たるものだからこの程度の威力しかないけどね。」
「はぁ……まるで忍みたいな事まで出来るんだ?」
「後は、状況にもよるけど離れた所へ転移する事とか、遠くのものをこの場に召喚する事とかもね。」
「それが出来るのがの旦那のいう『まじゅつし』とやらなんだ?」
佐助の言葉にゆっくりと頷く。
勿論大まかにしか話していないのだから、本当に二人が魔術師について理解できたとは思えないが、それでも俺がこれらの力を駆使する『使役者』である事が分かればいいのだ。
俺は改めて二人を見返して眉尻を下げた。
「これが俺の全て。信じる信じないは二人次第だけど。」
「某は信じますぞ。」
「ちょっと真田の旦那!!」
「佐助とて分かっておるのであろう?現実にこうして目の前で殿の力を見せられたのだ。どんなに否定しようとしたとて、目前の事実は変えられぬ。」
「…………そりゃそうだけど……。」
珍しく幸村の言葉に言い淀む佐助。
それに小さく苦笑してみせて俺はふるふると首を振って見せた。
「それが普通の反応だよ佐助さん。何もおかしい事じゃない。幸村の方が順応しすぎなんだって。」
「……いや、確かに真田の旦那の言う通りだよ。いくら飛び抜けた力を持つ忍だってあんな事は出来ないし、こんな短期間で傷を癒しちまうような奴が居れば俺様達の耳に入らないわけが無い。でもそんな人間が居るなんて話聞いた事も無いしね。それにその纏っている衣も見た事もないものだ。外つ国ならあるのかもしれないけど、少なくともそんなのがあれば奥州の独眼竜の旦那なり、四国の鬼の旦那なりがとうに手に入れてる筈だ。けどそんな話も聞かない。の旦那がこの世界の人間じゃないって事についてだけ、情報が揃っちまってるんだからね。」
はぁ――と盛大に溜め息をついて、佐助はどこか恨みがましそうな目で俺を見やるとガクリと肩を落とした。
「信じるしかないでしょ?」
「佐助さん……。」
「それに、殿が嘘をついているとは思えませぬ。」
「幸村も…。」
「ご心配めさるな。某は殿のお言葉、信じておりまする。」
「………………ありがとう。」
何だかとても満たされた思いが広がって。
俺はそれ以上言葉が出なかった。
「ともかく!の旦那の今までの話を纏めるとこういう事になるんだよね?ここと同じような世界がこの世にはそれこそ無限に存在していて、その内の一つがの旦那の居た世界や俺様達の居るこの世界。そして二つの世界は本来交わる事は無いけれど、その決して交わらない世界の扉を『まじゅつし』とやらの力で開いたのはの旦那自身で、その道を通っての旦那はあそこからこの世界にやってきた。あ、いや落ちてきた――と。」
「ご名答!」
上空の魔方陣を指差してそう纏める佐助に俺は片目を瞑ってみせる。
模範解答とも言えるその言葉に、俺はにっこりと笑みを浮かべた。
「あ、そ……。」
「……やっぱり納得出来ない?よな?」
「いや、そんな事ないよ。ただビックリしてるだけ。」
「そりゃそうだよ。こんなの普通はありえない話だし。」
「そうじゃなくてさ。信じざるを得ない状況とはいえ、俺様がこうも簡単に信じてしまう事が…ね。」
自分自身も予想外だったと、そう言って佐助は今までよりも表情を緩めて俺に右手を差し出してくる。
「猿飛佐助だよ。きちんと自己紹介、してなかったしね。」
「猿飛さん……。」
「ああ、佐助でいいって。多分、俺様とあまり歳変わんないだろうし。」
「ありがとう佐助。そしたら佐助もって呼んでくれるか?」
「了解!」
ニカッと笑った佐助は、先刻までよりもどこか少年っぽい表情を浮かべていて、俺は作られたものではないその笑みに口元が緩むのを感じていた。
「ようございましたな殿!」
「うん!これも幸村のおかげだよ。俺を助けてくれて、信じてくれて、佐助まで説得してくれて……本当にありがとな。俺、この世界に落ちてきたのが幸村の所で本当に良かった。」
これは俺の本心だった。
もしも魔方陣の開いた先がここではなかったとしたら。
もしかしたら俺は不審人物としてその場で切り捨てられていたかもしれない。
この世界――特にこんな戦国の世で、急に空から降ってきた怪しげな人間を信じろという方が難しい話だ。
俺は、偶然とはいえ真田幸村の元へ惹き寄せられた己の運命を、初めて幸運なものであったと噛み締めていた。
「確かにねー。真田の旦那だからこそも無事だったって言えるだろうし。第六天魔王の所とかだったらどうなってたやら。」
「うん。俺もそう思ってた。他の所に落ちてたら…って。」
「そもそも、ここに来なけりゃそんな心配も無かったんじゃ?」
「それを言ったらオシマイだよー。」
苦笑いしつつツッコミを入れてくる佐助に、同じく苦笑いで答えたその時だった。
「そう言われれば、殿は何故交わらぬ筈の世界を繋いでまで某達の居るこの世界に来られたので?」
不意にポツリと零された何気ない幸村の言葉。
その言葉に、俺は思わず言葉を失ってしまった。
この話をしたら、いつか聞かれるのではないかとは思っていた。
けれどその問いに答える術を、俺は最初から持っていなかった。
「殿が別の世界より来られた事は理解致しましたが、何故そこまでして某達の居るこの世界へ来られたのかが不思議なのです。」
「ああ確かに。本来ありえない筈の事を、そこまでして行うってのは何か理由があるからだって思うのは自然な事だよねぇ?」
幸村の問いに、佐助も同意見のようで大きく頷いている。
当然と言えば当然の疑問に返す言葉が無くて、俺は心底途方に暮れて目を伏せた。
いったいどう答えれば良いというのだ。
自分達の世界では、この世界は現実に存在しない、それこそ架空の世界なのだと――そう説明しろとでもいうのか。
そしてその世界に生きる幸村達を少しでも守りたくて、国に叛くような真似までしてこの世界への道を無理矢理開いたのだと…そう答えろというのか。
そんな事を話した所で、それこそ異世界から来たという以上に突拍子も無い話を信じろという方が無理がある。
それに、誰だって命を掛けて生きているこの世界が、一方の世界では紛い物の創られた世界なのだと聞かされて良い思いなどするはずが無い。
俺は初めて二人の問いに言葉を失くして黙り込んでしまった。
「殿?いかがなされた?」
「………話せない……何かがあるって事?」
「……………………。」
「………殿?」
心配そうに眉根を寄せる幸村。
本当ならそんな顔をさせたくはなかった。
不審者である筈の俺を庇い、俺の言葉を疑う事無く信じてくれた幸村には心配などさせたくはなかった。
けれど、これだけは伝えるべきではないと――そう思った。
必死に生きている、命懸けでこの世界を生きている者達に、その『生』が紛い物かもしれないなどと言う事だけは、決してあってはならない。
そう思った。
「…………俺は………。」
「……はい。」
言葉が喉に詰まって上手く出てこない。
そんな俺を気遣うように静かに目元を緩めて、幸村が俺の生白い手をきゅっと握り締める。
幸村と比べるとまるで力の無い、男としてはいたく劣等感を刺激される白く弱々しく感じられる己の手。
研究一筋でろくに日に晒されずに来た、鍛えられてもいないこのちっぽけな手で。
本当に護る事が出来るのだろうか。
ちっぽけなこの手に過酷な運命を切り開き、大切な者達を護り抜くだけの力が、その資格が本当にあるのだろうか。
沸き上がる不安と戸惑いに、俺の手が微かに震えている。
それを励ますかのようにして、幸村は握った手に僅かに力を込めた。
その暖かな手の感触に後押しされて、俺はごくりと息を飲み込むと小さく口を開く。
「俺は……ただ、護りたかっただけなんだ。」
「護りたい??」
俺の力など、微々たるものかもしれない。
流れ行く歴史の運命には敵わないのかもしれない。
でも、それでも――
俺をこうして受け入れてくれた一握りの存在だけは護りたい。
その為に俺は時空を超える道を選んだのだ。
「俺の力なんて大して役に立たないかもしれない。でも、俺はこの世界で大切な者を護りたい。紡がれる歴史のほんの一端を俺の手で切り開きたい。その為に俺はここに来た。」
告げた言葉は俺の真実。
今二人に伝えられるのは、この真実だけだった。