幸せになろう 1






「なあ、いいかげん俺と付き合わへん?」


もう何度目になるか数えるのもバカらしくなる位同じセリフを聞かされ続けて、俺は少々辟易して手の中のハードカバーの本を閉じた。
ゆっくりと顔をあげると、目の前に広がるテニスコートには変わらず大勢のテニス部員達の姿が見える。
元はといえば、こんな所に居るからこんな目にもあう訳で。
だったら、さっさとこんな所離れてしまえば良いんだろうけれど、俺にはそう出来ない理由があった。


「おい、いいかげんにしろ。俺にその気はないと何回言ったら解る?」


目の前で笑いながら俺の顔を覗き込んでくる忍足を軽く睨んで、俺は腕を組んだ。
今日は嫌にしつこく忍足が絡んでくる。
いや、今日に限って言えば忍足だけではないのだが、とにかく今日は特に酷かった。
確かにこんな遣り取りは日常茶飯事になりかけているけれど、ここまで何度も食い下がってくるのは初めてかもしれない。
何かあるな――と内心で思いながら俺は小さく溜息をついた。

「つれないなー相変わらず。ま、そんな所が又たまらんのやけど。」

そう言って忍足は、やれやれといったように苦笑した。

「お前も俺ばかり構ってないで、少しは部活に精を出したらどうだ?」
「ええやん、今は休憩中なんやし。」
「さっきからそればかり言ってるだろう。ずいぶん長い休憩時間だな。」

コートの中で練習に励んでいる他の部員達に視線を向けて見せると、気まずそうに笑って忍足は肩をすくめてみせた。
練習をそっちのけにしてまで俺に絡む理由は解らないが、そこまでしてでも俺をどうにかしたいのだと言う事は解る。
もっと詳しく言えば、俺をここから離れさせたいのだろう。
俺だって出来ればそうしたいが、こればかりはそういうわけにもいかない。

そう、この場を離れられない理由が俺にはあった。
溜息をつきたい気持ちを抑えて、俺はコート内で必死にボールを追っている一人の2年生レギュラーに視線を向ける。


鳳長太郎――。


2年生にして、200人も居る我が氷帝学園テニス部の中で、正レギュラーの座を射止めている。
人懐こい瞳と表情とをあわせ持つ、まるで大型犬のようなそいつは、ある日ひょっこりと俺の前に現れて、いつの間にか俺の心に中にすんなりと入り込んでしまった。


「鳳の奴……。」

俺にここに居るように言っておきながら、自分は俺の事などすっかり忘れてしまったかのように部活にのめりこんでいる。
そんな姿を目で追いながら、俺は今日何度目になるか分らない盛大な溜息をついた。
俺がここを動けない理由。
全ては鳳の言葉が原因だというのに。



先輩、今日の放課後って予定空いてます?』

『な、何だ急に?別に暇だが……。』



今日最後の授業が終わって、帰りのHRが終わるや否や、うちの教室に駆け込んできた鳳の姿に、俺は思わず目を見開いてしまった。
珍しく今日は生徒会業務が無いので、早々に帰ろうかと思っていたから、俺は膝に手をついて息を荒くしながら俺を見上げてくる鳳にそう答える。


『本当っスか?!じゃあ、今日一緒に行って欲しい所があるんで、付き合ってもらっていいですか?!』


ニコニコと笑みを浮かべながらそう言う鳳に俺が断れるはずもなく……。
結局その申し出をOKしてしまった俺は、鳳の部活が終わるまで学校で待つ事になってしまった。
何というか…初めて会った時からなのだが、どうもこいつには弱い自分を自覚せざるをえない。
俺を見る目が、ちぎれんばかりにしっぽを振っている大型犬のようで、どうも強く出れないのだ。

まあ、鳳の事は……そう、嫌いじゃない。
だから慕われるのは悪い気はしないし、少しくらいの無茶も聞いてやってもいいかな?という気が起こるのも確かだ。
そんなこんなで俺は鳳と一緒にテニス部の練習しているコートへと向かう事になった。
しかし………俺はすぐにその選択を後悔する事になる。


『じゃあ、俺練習に参加してきますんで、ここで俺の勇姿見てて下さいね。』
『勇姿って……おい、ここで待ってなきゃいけないのか?』
『はい!先輩が見ててくれるんだったら、俺いつも以上に気合い入りますから!!』
『……………う…っ……!』
『見てて下さいね?!先輩?』
『……ああ、分った分った。』
『絶対ですよ?絶対ここから居なくなったりしないで下さいね?男と男の約束です!』


そんな会話を交わしてから、釈然としないながらも頷いた俺に満足そうに笑って、鳳はコートの方へと駆けて行った。
そして暫くは何事もなくすんだのだが。
正レギュラー達が続々と集まって来た頃から、事態は一変した。
部員達の邪魔にならないようにコートの側の石段の所に腰を降ろして、カバンの中に入っていた本を読んでいると、少し離れた所から、ヒソヒソと何か囁くような声が聞こえ始める。
最初は気にもしていなかった俺だけれど、複数の視線を感じるようになってから流石におかしいと思い、辺りをぐるっと見回した。


「……………っ?!」


俺を見詰める視線、視線、視線……。
跡部に忍足、向日、樺地、宍戸、日吉、それにいつもは寝てばかりの芥川まで。
俺は注がれる視線に居心地の悪さを感じて一瞬立ち上がりかけたが、ふと鳳との約束を思い出して再びその腰を降ろした。
俺は一度した約束を破るのは大嫌いだ。
たとえバカらしいと分っていても、一度した約束を反故にするのは俺の真情に反する。
だからこそ、俺は突き刺さる視線に耐えながらも、その場から離れる事を諦めた。
そして、そこからはもう言わずもがな…である。
入れかわりたちかわり正レギュラー達が俺の元にやってきては、あれこれと俺に構ってくる。
まあ、さすがに樺地は何も言わず、俺の目の前で突っ立っていただけだけれど。
そして、現状に至る…というわけだ。


「なあ、ほんまに冗談やないねんで?俺と付き合わへん?」
「しつこいな、お前は。一体何なんださっきから。お前だけじゃなく、正レギュラーそろって同じような事言ってきて。」
「あーうん、まあなぁ……俺らも色々あるんや。」
「……とにかく、俺にその気は無い!それは誰が言っても同じだ!!」

いいかげんうんざりしながらそう言うと、急に表情を変えて忍足がポツリと呟く。




「長太郎やったらええんか……?」




耳に届いた言葉は、俺の想像もしないものだった。

「は?!」

俺は忍足の小さな呟きに、思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。



(鳳が…何だって?)



どういう流れでそんな話になったのか解らず、眉を寄せる。
そんな俺に気付いた忍足が、気まずそうに小さく苦笑してから、目の前で大きく手を振って見せた。

「ああ、気にせんといて。独り言やし。」
「忍足?」

何か言いたげな忍足に視線を向けると、一つ溜息をついて奴は己の髪を一度かきあげた。


「…………なあ?がここに居るのは何でなん?」
「え?そりゃ鳳と約束したからだが?」
「せやけどその約束、にはあまりイイ事なんてあれへんやん?せっかくの時間は潰されてまうし、現にこうして俺らの集中攻撃にあってるわけやしな。せやったら最初からそんなん断った方が良かったんちゃう?」
「そ、それは………っ!」
「俺らにしたように、にべも無く断る事も出来たはずやんな?せやのに、はそうせえへんかった……。その意味…俺らかて分るんやから、が分らんはず…ないやろ?」


静かに紡がれるその言葉に、俺は言葉を失った。
確かに忍足の言う通り、断る事も出来た。
一緒に出掛けるのはいいにしても、ここまで付き合う必要は無かったかもしれない。
でも、確かに俺は自分からそれを受け入れた。
ここまでではないにしろ、少なからずこのような事になるのではないかと解っていたのに。


「俺は…………。」


確かに鳳の事は嫌いじゃなかった。
いつも俺を慕ってくれるし、あいつの笑顔は何だかささくれ立っている時の俺には癒される何かを持っていたから。
だから、他と比べて少し特殊な後輩だと、そう思っていた。
ただの後輩だと、可愛い後輩だと……思っていた。
でも――。


「ゴチャゴチャとすまんかったな。せやけど俺ら、ふざけてにあんなん言ったんちゃうで。それだけは忘れんといて?」
「え?」
「今言うてもしゃあないけど、俺ら皆、ん事ずっと気にしてたんやで?せやから皆、最後のチャンスにかけてにアタックしたんや。」
「最後?チャンス?」
「………まあ、その理由は後で判るやろ。ただな、これで俺ら全員玉砕や。長太郎の言う通りやったわ。あいつの一人勝ちや。」


やれやれというように肩をすくめて、忍足はクルリときびすを返す。
その背中に、俺は声を掛ける事も出来なかった。


「ほな、俺行くわ。しっかり自分の事考えてや?」


遠ざかっていく忍足の背中は、少しだけ寂しそうに揺れていた。




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