PARTNER 2






「俺に先輩の必殺技を教えてください!」



思い切って俺は乾先輩にお願いしてみた。
ほんの一瞬だけ驚いたように目を見開いた乾先輩は、すぐに表情を戻すと僅かだけ困ったように眉を寄せた。


「俺の必殺技と言うと…高速サーブのことか?」
「はい、俺も欲しいんです!試合を決める必殺技が…。」
「確かに決め技を持つと、試合を有利に運ぶことが出来る…。だが高速サーブはお前には教えられないな。」
「そんなぁ!なんでですか!?」


俺は思わず声をあげてしまった。
俺が必殺技を欲しいと思ったのは、なにも昨日や今日の事じゃない。
本当はずっと前から、確実に試合を決める事の出来るような必殺技が欲しかった。
俺のライバル、藤堂は強力なバックハンドストロークを武器に、確実に試合をものにしているし、リョーマくんだって上手く技を使う事で、試合を有利に進めたり逆境をはねのけたりしている。
藤堂やリョ―マくんは俺と同じ一年生にもかかわらず、先輩達に一歩も劣る事無く自分のスタイル・自分の技を持っている。
そして、その技一つで試合の流れさえも変え、試合を自分のペースにする事が出来ている。
俺は羨ましいと思うと同時に、自分も彼らには負けたくない――そう思い続けていた。
そして何より、それを身に付ける事で、少しでも乾先輩の負担を減らしたかった。
どうしたって経験不足の俺が乾先輩の足を引っ張ってしまうし、所詮は俺の出来る事なんて限られてしまう。
だから、少しでもいいから強くなりたかった。
乾先輩に少しでも近付きたかった。
必殺技が使えるようになったら、ほんの少しでも乾先輩に近付けるんじゃないか。
そんな思いが俺を駆り立てていた。


「お前と俺の身長差がどれだけあるかわかるか?」
「え?えーと…。」


たしなめるように俺の肩に手を置くと、乾先輩はゆっくりと首を横に振った。

「身体能力も柔軟性も、お前と俺ではずいぶん違う。そんなお前が打ち方を真似ても、俺と同じサーブは無理だ。」

「じゃあ…俺はどうすればいいんですか?」


乾先輩の言葉に、俺は戸惑いを隠せなかった。
確かに乾先輩の言う事は正論だと思う。
でも、それなら俺は一体どうすれば良いというんだろう?
このまま何も得る事が出来ないまま、藤堂や他の学校の選手達と戦っていかなくてはならないんだろうか?
そう考えると、どうにも出来ない不安に押し潰されてしまいそうで、俺は知らず知らずの内に左腕をぎゅっと握り締めていた。


「教わるのではなく、自分で編み出すしかないな……お前だけの必殺技を。」

「俺だけの!?」


思いもよらなかった乾先輩の言葉。
その言葉に、俺は大きく目を見開いた。
自分で編み出す、自分だけの必殺技。
そんな事、考えた事もなかった。

「そんな技があるんでしょうか……?」

驚きと共に、ほんの僅かだけ不安が湧きあがってくる。
乾先輩の言うように、本当に俺なんかにそんな事が出来るんだろうか。


「それはお前の努力次第だ。特訓、行くぞ!」

「はいっ!」


力強い乾先輩の言葉に、俺は気合を入れて大きく応える。
もう後には引けない。
俺は覚悟を決めてコートへと向かった。

自分だけの必殺技を得る為の特訓は、俺が今まで経験した練習とは比べ物にならないものだった。
肉体的な苦しさはもちろんの事、いつまでも見出す事の出来ない光に焦りや不安が大きくなり、精神的な苦しさは経験した事が無い程大きかった。


「はあっ……はあっ……はあっ………っ!」


耳元で心臓がうるさい程に早鐘を打っている。
身体中が心臓になってしまったように、全身が悲鳴をあげていた。


「どうした?もうバテたのか?」
「やっぱり…無理ですよ。こんな練習したって俺には……。これだけやったのに、必殺技の糸口すら掴めないんですから……。」


せっかく乾先輩に助けてもらっているのに、全然思い通りにいかない現実に、俺は打ちのめされそうだった。
悔しさと情けなさ、不甲斐なさがゴチャ混ぜになって、今すぐここから消えてしまいたい。
そんな俺の言葉に、乾先輩はほんの少しだけ顔をしかめた。


「まだまだ足りないな、練習が。」

「まだ……足りない?そんな!」


俺は先輩の言葉に呆然としてしまう。
確かに乾先輩が練習熱心で、人の何倍も努力する人だという事は分かっていたけど、それでも俺も負けてないつもりだった。
それでも足りないと、乾先輩はそう言う。

「俺は何倍…いや何十倍もの時間を費やしたよ。」

見上げる俺を静かに見下ろして、先輩はじっと俺の瞳を見据える。
静かだけれど、どこか説得力のあるその声に、俺はじっと乾先輩を見詰め返した。

「手塚も大石も他のみんなも、そうやって自分だけの技を手に入れたんだ。」
「先輩たちも……?」

「糸口が掴めないなら考えろ!自分の長所は何か、どうそれを生かすか……。今打った1球1球にどんな意味があるのか考えろ!さあ続けるぞ!」

「……はい!わかりました、やってみます!」


乾先輩の言葉に俺は大きく頷いた。
元から必殺技がそう簡単に手に出来るんだったら、俺だってこんなに悩んだりはしない。
きっと先輩達だけじゃなく、リョーマくんだって藤堂だって俺以上にキツイ練習と辛い思いをして、それぞれの技を手にしたはずなんだ。
必殺技を手にする事は、そう簡単なことじゃない事は分かっていた筈なのに――。
そう思うと、こうして見守ってくれている乾先輩に、甘えてしまっていた自分が酷く情けない男に思えた。
乾先輩に追いつく為には、こんな所でぐずぐずと落ち込んでいる訳にはいかない。
俺は乾先輩の言葉に、もう一度気合を入れ直して、ラケットを握り締めた。


「いくぞ!っっ!!」

乾先輩がラケットを振り下ろす。
まっすぐに飛んでくるボールに向かって俺は意識を集中させた。


(追いつきたい!!乾先輩に!!!)


俺は無我夢中で飛んでくるボールに飛びついた。

「ええいっっっ!!」

こういうのを無心と言うんだろうか。
身体が自然に動いて、俺は自分でも驚くほどのショットを乾先輩の居るコートへと打ち返していた。


「あ……あれ……俺………?」


呆然と立ち尽くして、転がったボールに視線を向ける。
自分が何をしたのか、一瞬理解出来なかった。



!!」

「乾…先輩?」



ボールから自分の握っているラケットに視線を向けた俺の頭上から、どことなく嬉しそうな乾先輩の声が降りてくる。
その声を間近で聞いて、俺は初めて我にかえった。


「で、出来た!」


俺は自分でも信じられない程興奮して、思わずその場で飛び上がってしまう。
俺はすぐ横に来ていた乾先輩を、笑顔で見上げた。

「乾先輩!出来ましたっ!!」
「ああ、見事な高速ショットだったな。」
「高速ショット……これが俺だけの必殺技……。」


誰のコピーでもない、俺だけの必殺技。
俺は手の中に残る確かな感触に、ぎゅっと右手を握り締める。
この手に掴み取った重みは、決して付け焼刃のものじゃない。
だからこそ、同じようにして必殺技を手にしてきた先輩達も、自信を持って決め球に出来るのだと、やっと分かったような気がした。


「チャンスを見極めるのは大変だが、お前なら出来る。ここだと思った時は思い切って打ち込め!」

「はい……わかりまし………あれ?」


急に視界がグラリと傾く。
急激に身体から力が抜け落ちて、俺は危うくコートに倒れこむ所だった。

「おっと!!」

前のめりに倒れこんだ俺を、乾先輩の大きな腕が咄嗟に支えてくれる。
俺とは違う力強い腕。
俺なんか片手で支えてしまえる位、俺と乾先輩との差は大きい。
身体的にも、体力的にも、技術的にも、そして…精神的にも。

「……っっ!」

乾先輩の腕に縋り付いて、俺は小さく息を詰まらせた。
体格も力も技術力も全てが俺より遥かに上で、こうして俺を助けてくれる。
でも…先輩が俺を思ってアドバイスしてくれたり、助けてくれるのは嬉しいけれど、その反面自分の不甲斐なさに情けなさを感じるのも又事実だった。
俺が乾先輩に支えられるように、俺も先輩を支えたい。
俺も先輩の支えに、先輩の力になりたい。
いつか先輩が何かの不安にさいなまれた時、自分だけではどうにも出来なくなった時、俺が少しでも先輩の役に立てれば。
そう思わずにはいられなかった。
今はまだ遠いけれど、本当の意味で乾先輩に認められた時、それが叶うような気がした。


「おい、大丈夫か!?」
「いえ…平気です。ちょっと疲れただけで……。」


暫くボーッとしてしまった俺に、乾先輩が心配そうに声を掛けてくれる。
それに小さく笑みを返して、俺は乾先輩の腕から離れた。


「あ………。」

「はい?」


乾先輩の腕から離れた瞬間、ふと、先輩が声を漏らす。
その声は俺を呼び止めるというよりも、半ば無意識に発したものらしかった。

「先輩??」

俺を支えていた腕を何故か無言のままじっと見てから、そのまま俺の方に視線を向ける。
不意に眼鏡越しの視線に晒されて、俺はビクリと身体をすくませた。
別に何か言われた訳でも、睨まれた訳でもなかったが、何故か俺は乾先輩の視線に過剰な反応を返してしまう。


(俺…何ビクついてるんだ?!)


俺は自分自身の反応に内心で戸惑いながら、小さく俯いた。
これじゃ乾先輩も変に思うかもしれない。
とはいうものの、乾先輩の態度もどこかぎこちなくて、俺は僅かに首をかしげる。
乾先輩が何を思ってさっきのような行動を取るのか、俺にはサッパリ分からなかった。

「いや……何でもない………。」

暫く俺を見ていた乾先輩は、そう言いながら小さく苦笑して首を横に振った。
その表情はいつもと変わらないもので、俺は先輩に気付かれないよう小さく息をついた。

「必殺技は体力をたくさん消費するからな。無理もない。ここぞという時だけに使った方がいいだろうな。」
「…はい、わかりました。」

何事も無かったかのようにそう言う乾先輩の横顔は、本当にいつもと何も変わりがなくて。
不思議に思いながらも俺は大きく頷いた。



「あ、乾先輩!!」



再び反対側のコートへと戻っていこうとする乾先輩を呼び止めて、俺は咄嗟に先輩のジャージの裾を掴んでしまった。

「どうした??」

自分のとった咄嗟の行動に自分でうろたえてしまった俺に、乾先輩が小さく笑う。
苦笑交じりのその表情はどこか優しげで、俺はもごもごと口ごもりながら、俺より遥かに大きい先輩の顔をそっと見上げた。


「あの………えっと……ありがとうございました………。」


掴んだままだった先輩のジャージをそっと離す。
それを見ていた先輩は、俺の目線まで屈みこんで俺の顔を覗き込むと、無言のままゆっくりと俺の頭を撫でてくれた。
暖かくて大きな手。
この手に触れられると、何でも出来るような気がする。
俺にとっては魔法の手みたいな乾先輩の手。
俺はこの手の暖かさが本当に心地良くて、もっと乾先輩にほめて欲しくて、きっともっと頑張ろうと思ってしまうんだ。
勿論強くなりたいっていうのが一番だけれど、乾先輩にほめられたい、認めてもらいたい、先輩に近付きたいという想いが大きくなってるのも確かで。



「……頑張ったな、……。」



不意に優しげに呟かれた乾先輩の声が、初めて俺の名前を呼んでくれて、俺は初めて先輩にパートナーとして認めてもらえたような気がして――。
俺は情けなくも涙が溢れてくるのを止められなかった。




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