王子様の寝起き






この映像記録は夏合宿の当番制を利用して、我が青学レギュラー陣の寝起きの様子を撮影したものである。
寝起きこそが人の最も無防備・無警戒な瞬間。
本人も気が付いていない、テニスプレイに大きく影響を与える潜在意識下の各種のファクターが、そこから読み取れるのだ。
これは貴重な記録となるに違いない。
では、の場合を記録する…。






「おい、もう朝だぞ。そろそろ起きろ。」

どちらかと言えば朝に弱そうなが、掛け布団をかぶって丸くなっているのを見て、微かに笑みが零れる。
いくら空調のきいている部屋とはいっても、真夏によくもまあすっぽりと布団をかぶれるものだと思う。
俺はビデオカメラをまわしながら、のその様子に小さく苦笑して息をついた。


「う……ん…………。」

聞こえているのかいないのか、僅かに眉を寄せてが微かにうめく。
その姿はやはりまだ幼くて、普段俺の前で見せるどの姿とも違っていた。


「聞こえてるか??」
「………ん………っっ……。」


もう一度声を掛けてみる。
すると、先程よりも更に顔をしかめてはきゅっと身体を丸めた。
まるで幼い子供がむずがるようなその姿に、俺は思わず起こそうと伸ばした手を止めてしまう。

(これじゃデータにならんな……。)

起こさなくては…とは思うのだが、何故だかこれ以上無理に起こす事にためらいを感じてしまう。
あどけない寝顔で穏やかな眠りの世界にいるを、無理に起こす事はかなり忍びなかった。


「やれやれ…どうするか……。」

とりあえず一旦ビデオカメラを止めてベッドサイドの机の上に置いて、俺は大きく溜息をつく。
まだ当初の起床予定時間にはなっていないから、データを取らないなら今すぐを起こす必要は無い。
他のメンバーの部屋も回るつもりだったから、起床時間よりかなり早い時間帯だ。
ただ、この部屋に足を踏み入れた以上、このまますごすごと部屋を出てしまうのはバカらしい気がして、俺は立ったまま机に寄りかかるような形で身体を預けて、すぐ側のの寝顔へと視線を向けた。


。1年1組に所属し、選手層の厚いこの青学で、一年生にしてレギュラーの座を手にしている。
そして今は俺のダブルスパートナー。
この小さく幼い身体のどこに、あの信じられないような力が秘められているというのだろう?
一年生レギュラーといえば聞こえはいいが、やはりまだ自分達と比べて幼い所が多い
にもかかわらず、俺達でさえ時には音をあげそうになる練習に、遅れをとる事無くついてきている。
そして、時には俺達の誰よりも目を見張る結果を出す事さえある。
それが当たり前になりつつあったから気付かなかったが、やはりそれなりに無理もしていたのだろうか?
そうでなければ、まだ身体の出来きっていないが、俺達と同じ練習についてこれる事の説明がつかないような気がした。



「無理はしていないか……?」



ふとポツリと零れた言葉。
寝ているに言っても意味の無いその言葉は、俺の内心の呟きだった。
確かに他の一年生と違って基礎が出来ていたらしく、はその後の練習で目覚しい成長を見せていた。
しかし、急激な成長は、それだけ無理も祟ってしまう。
自身に負担が無いのならいいが、もしそうでなかったとしたら……。
俺は嫌な考えに取り付かれている自分に気付いて大きく頭を振った。

「いや、考えすぎだろう……。」

は、そこまでバカな奴じゃない。
俺のデータテニスについて来れるだけの能力と知識と頭脳とを持ち合わせている。
俺はを起こさないよう細心の注意を払ってベッド脇に腰を降ろして、静かにの顔を覗き込んだ。


「……い…ぬい…せんぱ……い………。」


ふと聞こえてきたの言葉にビクリと肩をすくめる。
起こしてしまったのかと息を飲んだ俺は、恐る恐る小さくの名前を呼んだ。

……?」
「…………………………。」
「起きたんじゃないのか?」

何の反応も返さないに、俺はホッと胸を撫で下ろす。
どうやら夢でも見ているらしい。
俺の名前を呼んでいるという事は、俺の夢でも見ているんだろうか?
複雑な思いで小さく苦笑して、俺はそっとの前髪に手を伸ばした。


「一体どんな夢を見ているのやら――。」


いい夢であればいいとは思いながらも、以前菊丸に、俺にペナルティーを持って追いかけられる夢を見た…という話を聞かされた事を思い出す。
もそんな夢を見ているのだろうか?
そう思うと、何だか少し寂しいような気がした。

「や…りまし……た……よ………いぬい……せ…ぱい………。」

不意にフワリとが微笑む。
コロン…とこちら側に寝返りを打ったが、無意識にだろう、触れていた俺の手をキュッと握り締めた。


「っっ?!」

「…いぬい……せ…んぱ……いぃ………。」


握り締められた俺よりも小さな手が、酷く暖かい。
この小さな手ではラケットを握っているのだ。
長年グリップを握ってきたであろう、硬くなったタコの存在が微かに感じられる。
幸せそうに微笑むの姿は、何故か俺の心を穏やかにしてくれて。
俺は自分でも信じられない位の幸福感を感じていた。


「不二の次にデータが取れないな、は。」


握られている右手はそのままに、左手でもう一度の髪に触れる。
ほんの少しの時間しかないけれど、もう暫くだけこのままでいても構わないだろう。

の方が離してくれないんだからな。」

目を覚ました時、お前は驚くだろうけれど。
そのときの光景が容易に想像出来て、俺は思わず小さく吹き出してしまう。



「まあ、それも悪くない。」



俺らしくないかもしれないけれど、たまにはそれも悪くない。
そう思うのはだからかもしれないけれど――そう思いながら、俺は静かに目を伏せた。
あと少しだけ、お前に安らかな眠りを――。
















「うう…ん……………あ…れ?」

「やあ、おはよう。」
「…………………………乾…先輩?」


結局、起床時間よりも15分早くは目を覚ました。
少しの間モゾモゾとしていたの顔が、段々と覚醒していくのがわかる。
もう暫くしたら、今のこの状況に気付いて動揺し始めるだろう。
俺は口元を緩めてその様子を窺う事にした。


「ああ……よく眠れたかい?」


「…………………っっ?!い、いいいいっ乾先輩っっ?!何でこんな所に?!!」

「お前を起こしに来たんだけどね……。」
「だ、だって起こされてないですよ?!まさかずっと俺の寝てる所見てたんですかっっ?!」


瞬時に顔が真っ赤になって、は飛び上がらんばかりに慌てふためく。
案の定、予想通りのの様子に、俺はおかしくなって慌てて口元を押さえた。

「酷いですよ、笑うなんて!!」
「あ、いや、すまない……。確かにずっとお前の寝顔を見てたわけだけど…でも、ここを離れられなかったのはのせいだぞ?」
「え?」


「ほら、これ。」


俺は握られたままの手を持ち上げてみせる。


「うわぁっ?!?!」
「な?」


慌てて俺の手を離すに、もう一度笑ってみせて、俺はの頭を一度だけ軽くポンッと叩いた。
寝起きのデータは……ある意味取れなかったようなものだし、そろそろ本格的に起き始めないといけない時刻だから、ここら辺で撤退してやる事にしよう。
きっと今のの頭の中は大混乱中だろうし。



「じゃあ、俺は行くから。早く支度した方がいいぞ?」

聞こえているかどうかは分らないけれど、とりあえず声を掛けてみる。



「あ、え?は、はいっっ!!」



いつもと変わらない、それでいて少しだけ違うの姿に口元がほころぶ。



「今日はデータ取れなかったから撤退しておくけど、また来るよ。その時は今度こそのデータもキッチリ取らせてもらうから。」

「え?ええええええっっっ?!!」



俺は驚くに無言のまま背中越しに手を上げて、の部屋を後にする。
そう、次こそはの寝起きのデータを取らないと。

(その時は……今日のようにならなければいいけどね。)

内心でそう思いながら、俺は少しずつ人気の増え始めた廊下をゆっくりと歩き始めた。
さあ、今日も暑い1日が始まる――。




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