正直言って、この状況は少し意外だった。
確かに背も高いし頭もいいし、スポーツも大抵の事はこなせてしまうけど、ここまで人気がある人だったなんて、今の今まで全く気付かなかった。


「あの………ちょっと周りの視線が痛いんで、他の所に行きませんか………乾先輩………。」


1年1組の教室内で、女生徒達の熱い視線を受けているのは、誰あろう……青学男子テニス部のブレーンとまで言われた、乾貞治先輩その人だった。






鈍感






結局、場所移動をしようとした俺の意図は理解される事なく、俺はこめかみを押さえたままその場で小さく溜息をついた。


「乾先輩…凄いモテっぷりですねー……。注目の的ですよ。」


四方八方から向けられる興味津々な視線に晒されて、一緒に居る俺は少々辟易しながらそう呟く。
、13歳。入学してから今日まで、ここまで注目の的になった事はないかもしれない。
それくらいに今の俺達は、教室内の多数の視線を一心に集めていた。


「何を言ってるんだ。3年生がこんな所に居れば注目もされるだろう?」


俺の言葉に僅かに苦笑して、乾先輩は少しだけズリ落ちかけた眼鏡を指の腹で押し上げる。
まあ確かにそれもあるとは思うけれど、絶対にそれだけがこの視線の多さの理由ではないと俺は思う。
しかし、どうやら本気でそう思っているらしい乾先輩の様子に、俺は盛大な溜息をつかざるをえなかった。


「そりゃそうですけど……。でも、それだけが理由じゃないっスよ?」
「そうか?………ああ、1年の教室だと3年の俺は長身で目立ちやすいって事か。」
「いや、それも間違ってないですけど!絶対それだけじゃないですって!」
「じゃあ、お前は何だと思うんだ?」
「何って……どう見たって乾先輩への熱い視線ってやつじゃないですか。」
「はは……まさか。不二や手塚じゃあるまいし。」
「いや、まあ不二先輩と手塚先輩は、もう論外ですけど………。」


俺はそこまで言って頭を抱えてしまった。

この人………こんなに鈍い人だっただろうか?!
本当に、このまとわりつくような女子達の熱視線に気付いていないんだろうか?
青学テニス部のブレーンと呼ばれ、どんな相手でも、その鋭い観察眼で全てを暴いてきた人とはとても思えない。


??」
「………ふぅ………流石の乾先輩も、自分の事は分らないもんなんですね…………。」

俺はやっとのことでそう呟いて、再度大きな溜息をこぼした。


だって、この熱っぽい視線…他に何だというんだ。
乾先輩を見詰める女子達の視線、視線、視線……。
そのどれもが、何というか……熱を帯びているというか、妙に輝いている。
これで、乾先輩を特別な目で見ているんじゃないといったら、一体何だというのだろう?
俺でさえ分かるくらいなのに、当の乾先輩自身が全く気付く気配が無いというのが、呆れるというか驚かざるをえないというか……。
まあ、確かに『憧れ』とか『カッコイイ先輩』くらいの感覚の者も居るとは思うけど、それだって好意の塊な視線な訳だから同じ事だろうし。


「ん?どういう意味だ?」
「いえ、分らなければいいです………。」

きょとんと小首をかしげる乾先輩に、俺はもう乾いた笑いを浮かべるしかなかった。


「変な奴だなは。……まあいいか。」
「あ、そういえばどうしたんですか乾先輩?急に1年生の教室に来るなんて?」
「ああ、忘れる所だった。ほら、これを渡すつもりで来たんだ。」


そう言って、乾先輩は手にしていた小さな包みを差し出す。
小さなビニール袋の中に入ったシンプルなデザインの紙袋に、俺は目を瞬かせる。
大きなものではなかったけれど、俺は両手でその包みを受け取った。

「何ですかこれ?」
「修学旅行の土産だ。たいしたものじゃないけどな。」

そう答えて乾先輩は、ふっと口元をほころばせた。



俺の大好きな――そう、あの俺にだけ向けてくれる優しい微笑み。
本当に微かにしか変わらないけど、俺を見る視線が和らいだ事が分って、俺は胸が熱くなる。


「あ、ありがとう…ございます……。」


そう答えるのが精一杯で、俺は微かに紅くなった顔のまま俯いた。
こんな所で反則だと思う。
そんな顔をされたら、そんな表情を見せられたら、まともに先輩の顔が見られなくなってしまうじゃないか。
それに、周りには乾先輩を見詰める女子達の熱い視線がいっぱいなのだ。
そんな所で、たださえ興奮状態やうっとりモードな女子達に、そんな無意識に優しい笑顔なんか見せられたら……もう、考えるまでも無く女子達に更に拍車を掛けてしまう。
案の定、見回した視線の先の女子達は、先輩の変化に気付いたのか、今にも黄色い悲鳴を上げそうな程に興奮状態で、実に様々な反応を見せていた。
かろうじて今は何とか爆発を抑えているといったカンジだったけれど。


「も、もう……本当に解ってないんですね乾先輩…………。」


俺は、もうガクリと肩を落とすしかなかった。
本当に自覚が無い行動な分、かなりタチが悪い。
自分の行動が、行為が、いかに周囲に影響を与えるのか全く解っていないらしい。
俺も先輩が教室に現れるまでは、そこまで認識していたわけではなかったけれど、流石にここまでくれば、否が応でも気付いたというのに。


?」

「も少し自覚持って下さいよ。でないと………。」


そこまで言って俺は言葉を切った。
そう、自分の事をきちんと自覚してくれないと、本当に俺の身がもたない。
だって、今は俺にだけ向けられているあの微笑み、それをもし他にも向けられでもしたら……!
そんな風に考えてしまうほどには、俺は乾先輩の特別な存在でいたいと思ってしまっているんだ。
俺にそんな事思う資格は無いと解っていても――。


「?」

「……でないと、大石先輩の二の舞になっちゃいますよ?」

俺はモヤモヤする気持ちを抑え込んでそう言うと、微かに笑ってみせた。
上手く笑えているか自信は無かったけれど。

「大石?」
「ほら、前に大石先輩が2年の教室に行った事あったじゃないですか。」


以前2年生の教室に足を踏み入れた大石先輩が、女生徒達の集団に取り囲まれて大騒ぎになった事がある。
その日の大石先輩は、何というか……練習もまともに出来ないくらい酷く疲れ果てていた事は記憶に新しい。
その事を示唆してみせると、顎に手を当てて少し考えた素振りをしてから、乾先輩は小さく苦笑してみせた。


「はは……そうか、肝に銘じておくよ。確かに大石の二の舞は勘弁してもらいたいからな。でもまあ、が心配するような事になる確立は、極めて低いから大丈夫だけどね。」

「その確立の元になるデータ自体が間違っているんじゃ、話にならないと思うんですけど……。」


そう言って俺が小さく溜息をつくと、無言のままどこか楽しそうに乾先輩は口元をほころばせる。
何がおかしいのか分からないけれど、俺はそんな乾先輩の表情に、それ以上の言葉を飲み込んだ。


本当に…何て顔してくれるんだろう。
そんな優しい表情なんかされたら、これ以上何も言えなくなってしまうじゃないか。
とはいったものの、やれやれと思う一方で、乾先輩が楽しそうなんだったらいいか――なんて思ってしまう自分も確かに存在しているんだけど。
しかし、そうなってくるとやっぱり気になるのは周りの反応なわけで。
気になってチラリと周りの様子を窺うと、案の定俺が危惧した通り、俺達の後ろから乾先輩と俺の様子を窺っていた数人の女子が、小さいけれど黄色い悲鳴を上げた。


(うわ!やっぱりだよ……!)


先輩は大石先輩の二の舞になる確率は低い…なんて言っていたけど、今の女子達の様子を見れば、そのデータが間違っていると言わざるをえない。

(やっぱり俺のデータの方があってたじゃないか…。)

伊達に俺も乾先輩とデータ100%ペアを組んでいるわけじゃないなぁ…なんてぼんやり思いながら俺は目の前の乾先輩を上目遣いに見上げた。
こうして改めて乾先輩を見てみると、なるほど…女子達が騒ぐのも解るような気がする。
普段、分厚い眼鏡に隠されて気付きにくいかもしれないけど、本当に乾先輩の造形は酷く整っているんだ。
それに、長身で引き締まった無駄の無い身体に、耳に心地良い低音の優しい声。
その上、文武両道で器用に何でもこなす……とくれば、確かに騒がれるのも無理は無い。
それより、普段側に居る俺達ですらあまり気付かないというのに、接点の殆ど無い女子達が、その事に無意識でも気付いている事が凄いと思う。
流石に『恋する乙女』の眼力は違う。
その観察眼……乾先輩とデータ100%ペアを組んでいる以上、俺も少しは身に付けないと。
それにしても、逆光眼鏡やら汁の存在なんかで、俺達にはいつの間にか妙なフィルターでも掛かってしまっていたんだろうか?
もし乾先輩が自分の人気の事を自覚して、ファッションやスタイルを変えたり、行動したりするようになったら、もしかしたら手塚先輩や不二先輩に続く人気になるんじゃないだろうか…そんな事を頭の隅で考えながら、俺は乾先輩の整った顔をボーッと見つめ続けた。



??」

「え?あ…!すいません!何ですか?」
「データ自体が間違っているとは言ったけど…………越前の言葉を借りるなら…『まだまだだね』かな?」
「は?!」

「俺の事に関しての今の発言……のデータは、まだまだ不完全だよ。」

そう言って乾先輩はニッと口の端を持ち上げる。

「ど、どういう事ですか?!」
「そして、の言葉を借りるなら、お前も『流石に自分の事は分らないもの』なんだな…という事だよ。」


「????????」


「ああ、『分らなければいい』よ。」


相変わらず楽しそうに口元を緩ませたまま、乾先輩は俺の言葉を繰り返してみせる。
俺は結局、そんな悪戯っ子のような表情を浮かべる乾先輩の真意がどこにあるのか理解することが出来ず、ただただ首を傾げる事しか出来なかった。






「やれやれ……鈍いのはも同じなんだがな……。俺が知っているだけでも、に想いを寄せている女の子は軽く片手を超えるくらいは居るんだが。俺がその子達を牽制しに来たって知ったら、お前はどう思うかな………。」
















<オマケ>

「もう~~!ほんっと!あの二人って見てて歯がゆくてしかたないわ!!そう思うでしょ桜乃?」
「ちょ、ちょっと!朋ちゃんっ!!」
「だって、あの二人ってば、お互いに相手だけが一方的にモテると思い込んでんのよ?!」
「た、確かにそうみたいだけど………。」
「あの、こっちが恥ずかしくなるくらい自分達だけの世界を創ってるあの二人を、どれだけの女の子が気を揉みながら見守ってると思ってるの?!皆、二人合わせて注目してるに決まってるじゃない。それに気付いてないんだから…ああ、もう!」
「ああ!乾先輩もくんも、自分の事には気付かない鈍感って事?」
「………桜乃……あんた、ポヤヤンとしてる割にはハッキリ言うわね……。」




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