名も知らぬ… 2






「加藤、堀尾、水野っ!遅いぞ!一体何をしていた?!」


俺が最初に耳にした青学テニス部での第一声は、そんな怒鳴り声だった。


(あれ?どこかで……。)


俺をこの場に連れてきた3人を見て、眉間に皺を寄せる人物の姿に、俺は内心で首をかしげる。
俺に青学の知り合いなんか居ない筈なのに、どこかで見たような覚えがある。
不思議に思いながら、俺は彼らから少し離れた所で足を止めた。

「すみませんっ!手塚部長!」
「でも、どうにも出来ない事情があったんです~!」

いきなり怒鳴られて慌てふためいた堀尾・加藤・水野の3人は、ワタワタしながら必死に弁解をしている。
その様子を横目で見ながら、俺はフェンスに囲まれたテニスコートに視線を向けた。



(居た!)



いつも見かける穏やかな笑顔。

「やっぱりテニス部員だったんだな……。」

知らず知らずの内に俺はボソリと呟いていた。
予想外に大きくなってしまったその声が聞こえたんだろう。
コートの中に居た数人が、何事かとこちらに視線を向ける。
その中に彼の姿もあった。
俺を見詰める瞳が、信じられないものでも見るかのように、驚きで見開かれている。
まるで数日前のバス停の時と同じ状態に、俺は咄嗟に視線をそらした。


さんっ!」


コートから注がれる複数の興味深げな視線にさらされて、居心地悪げに身じろいだ時、見上げるように俺を見る加藤の声が耳に届いた。

「何だ?」
「うちの部長です!」

「青学テニス部部長、手塚です。今回はうちの部員を助けてもらったそうで…申し訳ない。」


生真面目そうな部長に丁寧に頭を下げられて、俺は面喰ってしまう。
本当に大した事はしていないのに、さっきの加藤達といい、この部長の態度といい、本当に英雄扱いだ。


「いや、こちらこそすまない。元はといえばうちの学校の生徒が彼らに絡んでいたのが原因だし。戻ったらそれなりの処置はするつもりだ。」
「それなりの処置?」

俺の言葉に、手塚と名乗った部長が訝しげに首をかしげる。



くんは生徒会の副会長もしてるんだよ、手塚。」



事情を説明しようと口を開いた俺よりも早く聞こえてきた声。
近付いてくるその声の主の姿に、俺は驚きで目を見張る。



『彼』だった。



「不二、知り合いか?」
「うん、毎朝同じバスに乗り合わせるんだ、くんとは。」
「そうか。」

彼――どうやら不二というらしい――はそう言ってにっこりと微笑んで見せる。
いつも俺が目にするのと少しも変わらない、穏やかで優しい笑顔。
惜しげもなくそれを向けられて、俺は内心でかなり動揺していた。


「どうして俺の事を――?」

知っているんだ?という言葉は途中で途切れてしまう。
あまりの驚きで、言葉にならないというのが正直な所だった。

「いつも同じバスに乗ってるからね、知らない方がおかしいよ。君だって僕の事知ってるでしょ?」
「そ、それは………。」

確かに彼…不二の言う通りだけど、俺の疑問は少し違っていた。
俺達は一度も話した事も無いのに、何故俺の名前や学校での役職に至るまで不二は知っているんだろう?
俺に至っては、たった今不二の名前を知ったというのに。

「僕が君の事知ってるのが驚きかい?」

きっと呆然とした顔をしているであろう俺の顔を見て、クスクスと笑いながら不二は軽く肩を震わせる。

「あ…ああ………。」
「不二先輩、さんの事知ってるんスね?」
「うん。乾に個人的に頼んでデータを取ってもらったんだ。」


そう言って不二は、少し離れた所でこちらを窺っている黒ぶち眼鏡で長身の部員の方へと視線を向けた。


「データ?」
「そう、おおまかな事なら知ってるよ。ね、乾?」

「ああ。……中学3年サッカー部所属。ポジションはMFで主にボランチをつとめる。副部長として部活をまとめる一方で、生徒会にも所属。今年度は生徒会副会長職をつとめている。家族は父・母・弟との4人家族。身長171センチメートル、体重52キロ。瞬発力が優れており、陸上部からも声が掛かる。その実力から私立高校3校から特待生としてのスカウトが来ている………。」


乾と呼ばれた長身の彼は、一通りしゃべり終えると手にしていたノートをパタリと閉じた。
その信じられない程に詳しくまとめられたデータに、俺は唖然として言葉も出なかった。
俺なんかの事を、ここまで詳しく調べられていたなんて。
それも、不二がそれを依頼していたなんて、とても信じられない。
確かに俺の方は不二の事をずっと気に掛けていたけれど、不二が俺の事を気に掛けるなんて事、想像もしていなかった。


「間違ってる?」


これが僕の知っている君の情報だよ――そう言って不二は再びニコリと笑みを浮かべた。


「間違ってないけど……。」

やはりそれ以上言葉は出なかった。
俺が不二の事を気に掛けながらも、ボンヤリと日々を過ごしている間に、不二の方では俺の事をここまで詳細に調べ尽くしていたんだ。
不二は俺が思っていた以上に積極的で、行動的なのだという事がようやく理解できた。


「で、今日はどうしたの?くんが青学に居るなんて?」
「ああ、今日は今週末の練習試合の打ち合わせに来たんだ。で、帰ろうとしたんだけど……。」
「そこで加藤達を助けてもらったという訳か。」

手塚の言葉に俺は無言で頷く。

「助ける?」
「うちの学校の生徒が、この少し先で彼らに絡んで脅していたんだ。」
「そうなんです、不二先輩!危ない所をさんに助けてもらったんですよ。」
「だから、大した事はしていないって言ってるだろう?」


加藤の言葉に、俺は照れ臭くなって小さく頭を掻く。

「そんな事無いっスよ!さんがひと睨みしただけで逃げてったもんなーあいつら。」
「へえ?そうなんだ?」

まるで自分の事のように自慢げに話す堀尾の言葉に頷きながら、不二は再び俺の方へと視線を向けてくる。

「いや、それは俺が副会長という役職についてるからだよ。本当に何かしたわけじゃないから、あまりおだてないでくれ。」
「……なるほど副会長か。それで『それなりの処置』というわけか……。」

困ったように眉を寄せる俺の隣で、手塚が納得いったというように頷いている。
まあ、俺にさっきのヤツラの処置に関する決定権は無いけれど、俺の目の前で事に及ぼうとしたというのは大きい。
現行犯……という訳にはいかなかったけれど、それなりの処罰を与える為に俺の証言はかなり重要性を持つだろう。


「改めて後日うちの会長が謝罪に来ると思う。おそらく生徒会を通じてになると思うけど……。」
「いや、それには及ばない。」


もう一度頭を下げると、すぐ隣に居た手塚がそれを制した。

「え?」

くん、手塚はうちの生徒会長なんだよ。」


手塚の言葉の意味が理解出来なくて首を傾げた俺に、不二がおかしそうに笑ってみせる。
その言葉を聞いて、俺は先ほど感じていた違和感の正体にようやく気付いた。
道理で、手塚をどこかで見たような気がしたわけだ。
新学期が始まった早々に、この近隣の中学校の生徒会の懇談会があったが、その時に会長と一緒に参加した俺は、手塚を見かけていたんだ。


「こちらとしては、今後このような事が無いよう対処してくれればそれで構わない。揉め事が大きくなれば、試合にも響く。出来れば話を大きくしない方がこちらとしても助かるのだが…。」


手塚の言い分に、俺はなるほど…と思う。
確かに手塚の言う通りだ。
俺もサッカー部の副部長をつとめているから、その気持ちは良く分かる。
大した事でなくとも、不祥事があったというだけで、下手をしたら大会の出場を取り消されかねない。
部長として…というより一部員として、それは確かに避けたいだろう。
出来るなら俺の方もそんな事態にはなって欲しくはない。
特に、それによって不二が――嫌なめにあうのは…何故か絶対に避けたいと思った。
俺は手塚の要望を受け入れる事にして大きく頷いた。


「分かった……それじゃ正式な謝罪は避けるようにする。その代わり、今週末の土曜日に練習試合でこちらに来る機会があるから、その時にでも事の詳細を報告させてもらうよ。」

そう答えると、手塚は無言のままゆっくりと頷いた。




「じゃあ、俺はそろそろ失礼するよ。」

「え?もう帰っちゃうのくん?」
「あ……いや、だって練習の邪魔だろう?それに他校生がウロつくのはマズくないか?」


確かにこのまま暫くここに居れば不二のテニスをする所が見れるかもしれないけれど、用事も無いのにこれ以上ここに居る訳にも行かないと思って、俺は言葉を詰まらせた。

「もしこの後何か急ぎの用があるんじゃなかったら、暫く見ていかない?あと30分位で終わると思うから、良かったら一緒に帰ろう?」

思いもかけない不二の言葉。
俺はその内容に思わず言葉を無くした。

「でも俺は他校生で……っ。」
「構わないよ。テニス部ならともかく、くんはサッカー部だからね。偵察されてるわけじゃないんだから。ね、手塚?」
「ああ……。」
「………………。」


結局、俺は笑顔の不二に押し切られる形で、そのままこの場に留まる事になった。




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