気になるあの子は新米教師 2






「あれ?もしかして朝の…?」


渡り廊下を歩いていた大石は、聞き覚えのある声に不意に後ろから声を掛けられて、驚いて後ろを振り返った。


「やっぱり!朝職員室に案内してくれたよな?!」

「ああ、今朝の…!」


昼休み、部室へ向かおうと歩いていた大石に声を掛けてきたのは、朝職員室の場所を尋ねてきたあの少年――だった。
嬉しそうに駆け寄ってくるに笑顔を返すと、大石はゆっくりと向き直る。

「今朝は大丈夫だったかな?」
「ああ、おかげさまで!本当に助かったよ。」

にこやかに微笑んでくるに、朝と同様照れくさそうに顔を赤らめて、大石は目を伏せた。
何故か、の屈託の無いまっすぐな笑顔を見ると、照れ臭さで顔が熱くなってしまう。
困ったように頭を掻くと、話題を変える為に大石は気になっていた事を口にした。


「で、今度はどうしたのかな?こんな所を?」
「ああ、恥ずかしながら職員室行って迷った事言ったらさ、校内地図くれたから色々見てまわってるんだ。」


そう言って苦笑しながら、手に持っている校内案内図を広げてみせる。
とは言ったものの、校舎内は殆ど確認し終わって、これからグラウンドや部室棟、競技施設のある方へ行こうとしていた所だった。
そんな折、大石の姿を見つけ、思わず声を掛けてしまったというわけだ。
青学の卒業生であるには、大まかな校舎内の構造は把握出来ていた為、職員室のように卒業後に移転した場所だけ確認出来れば良かったので、思ったよりも早く全てを把握出来てしまい、少しテニス部の部室に顔を出してみようか――と考え始めていた矢先の出来事だった。


「じゃあ、案内しようか?」
「あ、いや…校舎内は大丈夫!これから部室棟とか外の方に行ってみようかと思ってるんだ。」
「ああ、それなら俺も一緒だ。」

言って大石は、をグランドの方へ促す。

「じゃあ、ちょっとご一緒させてもらおうかな?」

大石の申し出に微かに笑って、は大石の隣に肩を並べた。


しばらく他愛も無い話をしながら、部室棟の前を通り、テニスコートの前に出る。
普段なら昼休みにもコートに来る部員達が居るのだが、今日のコート内は珍しく無人のままだった。



「う~~やっぱりイイよな~テニスコートに来ると!」



コートが視界に入った途端、ぱぁっ――と破顔したの嬉しそうな声に、大石も思わずつられて笑顔になる。
自分が打ち込んでいるテニスの事を、偶然とはいえ楽しそうに語るが、酷く身近に感じて大石は嬉しそうに声を掛けた。

「テニス…好きなんだ?」
「勿論!ずっとやってきたからな!」
「じゃあさ、少しやってみる?」
「えっ?!」

あまりに嬉しそうに話すを見て、大石は一つの提案をする。
その言葉に、嬉しさと困惑を混ぜたような複雑な表情を浮かべて、は大石の柔らかな光をたたえる瞳を見詰めた。
テニスが出来るのは嬉しい事だが、いくら昼休みとはいえ、勝手にコートを使って良いものかと思わずにはいられない。
一応、代理とはいえ教職員で、なおかつテニス部の関係者なのだから、部外者というわけではないのだが、生徒でもない自分が娯楽の為に学校の設備を使って良いのかという思いが、大石の誘いに二の足を踏んでしまう理由だった。
の内心の不安を感じ取ったのか、小さく笑って見せて大石はコートに入っていく。


「大丈夫。普段は部員がよく来てやってるから。今日は誰も居ないし心配する事ないと思う。」


それに俺はテニス部の副部長だから少し位の使用は大丈夫――そう言おうとしたが、職権乱用のような気がして、大石はそれ以上は口に出さなかった。
そして大石は、そのままコート脇に置きっぱなしになっているラケットに手を伸ばす。
おそらく何処かのクラスの体育の授業で使ったものなのだろう。
昼休みに続きをやろうとして、そのまま置き去りにされたらしいそのラケットを2本取ると、一本をの方へ軽く放った。



「おっと!」



渡されたラケットを受け取って暫く考え込んでいたは、暫く考え込むと、ようやっと吹っ切れたように顔を上げて大石の方に向き直る。

「じゃあ、少しだけ…相手してくれるか?」
「喜んで!」


軽く握手をして身体を慣らす為にストレッチを始める。
大石もも、決して動きやすい服装ではなかったけれど、胸元をくつろげたり袖をまくったりする事で、必要最低限の動きを確保していた。


「よし!身体はほぐれた?」

ストレッチを終えてこちらを向いたが声を掛ける。
それに無言で頷いてみせると、大石は手近にあったボールに手を伸ばした。
遠くで生徒達のはしゃぐ声だけが風に乗って流れてくる。



「いくよ!」



大石の放ったボールが空高く舞い上がる。
ボールを叩く音が合図となって二人の打ち合いは幕を明けた。


















「どうしたぁ~大石ぃ?」

ぼんやりと机に頬杖をついていた大石の背後から、聞きなれた明るい声が掛かる。


「あ?英二か……。」

掛けられた声に振り返ると、青学のダブルス・ゴールデンペアと呼ばれる、大石のパートナー菊丸英二と、天才との異名を持つ不二周助の姿がそこにあった。


「どうしたの?何かぼんやりしてたみたいだけど?」

いつにない大石の様子に二人とも不思議そうに顔を見合わせる。

「いや…ちょっとね……。」
「何か心配事かにゃ?」
「そういう訳じゃないんだけど……。」

心配そうに見詰めてくる二人に苦笑して立ち上がる。
ボンヤリと考え事をしているうちに、いつの間にか授業は終わり、ホームルームも終わってクラス内はかなり騒がしくなっていた。


「ちょっとショックというか、驚いた事があってさ…。」

話しながら机の上に広げられたままだった教科書を片付ける。

「驚いた事??」
「ああ、今日転入生らしい子と昼休みテニスしたんだけどさ、それが凄く強くて手も足も出なくてボロ負けしたんだよ。」

「ええっ?!大石が負けたの?!」

片付け終わって歩き出した大石の後について歩きだした菊丸が、驚いたように声を上げる。
仮にも名門と呼ばれる青学テニス部のレギュラーが、転入生ごときに負けたとは、到底信じられなかった。

「う~ん…セルフジャッジだったけど、6-3で負けたよ。」
「へえ?それで、相手は一体誰だったの?」

不二の問いに、大石は僅かに眉を寄せる。

「それが、名前聞けなかったんだ。ちょうど予鈴が鳴って、慌てて教室に戻ったから……。」
「そっか~それでボーっとしてたんだー?」
「まあね。」

もう一度苦笑して、大石は歩きながら二人を振り返った。



「確かに負けたのも悔しかったけどさ、何というか…あの強さは本当に凄かったんだよ、テニス部に入ってくれたら皆の刺激になると思うんだけど…。何処の誰だか分からないからさ、どうしようかと思ってたんだよな。」

「まあ、その内ひょっこり顔出すんじゃない?そんなに強い子ならテニス部に入るかもしれないし。」
「そうだよな……。」


不二の言葉に納得したように頷く。
いつまでもこんな事を考え込んでいたら、集中して部活に取り組む事が出来ない。
モヤモヤとした気持ちを振り払うかのように、大石は大きく首を振った。




「そういえば大石は、まだ新しく来た第二顧問の先生に会ってないんじゃない?」

不意に思い出した――というように、不二が話題を変える。
その言葉に菊丸も朝の出来事を思い出したのか、不二に同調して口を開いた。


「そうにゃ!って名前だって言ってたよん、そのセンセー。」
「大石、今朝居なかったから、放課後の練習の時に紹介するって竜崎先生言ってたから、もしかするともう来てるかもしれないよ?……あ、ほらやっぱり居るよ。」

コートの方を見やって不二が笑う。
その不二の肩越しに見覚えのある姿を見つけて、大石は思わずピタリとその場で足を止めた。
コートの周りに張り巡らされているフェンスに寄り掛かるようにして立ちながら、手元のファイルに何か書き込んでいるその姿は、紛れも無く大石を負かした少年――そのものだった。


「あ、あれは!!」

「ああ、あれが先生だよ。産休の代理で来たんだって。大石知ってるの?」


何故か急に固まってしまった大石に声を掛けるが、ピクリとも反応が返らない。
不思議に思って、止まってしまった大石に向き直る菊丸と不二の姿が、ふとファイルから顔を上げたの視界に映る。
なにやら騒いでいるテニス部員の後ろに、見覚えのある姿を認めて、は嬉しそうに3人の方へ駆け出した。



「そこの君、昼間の子だよな?君もテニス部だったの?!」

「こんにちは、先生。」
先生にゃ~♪」


答えの返らない大石の代わりに、不二と菊丸が挨拶をする。

「やあ、こんにちは!確か…不二と菊丸…だっけ?」
「はい。よくご存知ですね?」
「まあ、一応レギュラー位はね。今朝の練習の時に顔は覚えたつもりだし。それ位出来なきゃテニス部の第二顧問なんて出来ないからね。……で、君もテニス部なんだろ?」

改めて大石に向き直って問い掛ける。



「あ、あの…本当に…先生…ですか?」

やっとの事で言葉を返した大石だったが、その額にはいくつもの冷や汗が流れている。
自分が今まで転入生だと信じて疑わなかった人物が、よりにもよって自分達を指導する事になった第二顧問の先生だったなんて、想像も出来なかった。
確かに随分大人っぽいな…とは思ったものの、まさか先生だったとは思いもよらなかった。
確かにが若く見られやすいというのも一つの要因だったが、手塚のように中学生に見えない中学生が身近に存在していたからか、当然のようにもそうだと思い込んでしまっていた。
その先生を相手に、知らなかったとはいえ、タメ口をきいてしまい、あげくに勝負を挑んでしまったとなれば――。
大石の頭の中は、今やパニック寸前になっていた。


「あ、うん。そういえば俺達、自己紹介もしてなかったよな。俺は、産休の代理で来たんだ。それと、男子テニス部の第二顧問もする事になった。よろしくな!で、君は?」


の言葉に再び固まってしまった大石に代わり、口を開いたのは大石のパートナーである菊丸だった。

「こいつは大石!テニス部の副部長をやってるにゃ!ちなみに俺のダブルスのパートナーでもあるんだよん!」
「ああ!君が副部長の大石か!ずっと運悪く会えないな~って思ってたけど……なんだ、とっくに会ってたのな。」

「へえ?二人共、もう面識があったんですね?」

可笑しそうに笑うに、不二が不思議そうに尋ねる。

「ああ、大石には職員室に案内してもらったり、昼休みにテニス付き合ってもらったりしたんだ。」
「じゃあ、大石が負けた相手って、先生だったのかにゃ?」
「負けた??ああ、昼休みの事?…負けたって言ったって、大石の場合は制服で動きにくかったからだよ。」

俺は大石と比べたら、比較的動きやすい格好だったからね――菊丸の問いかけに、些か照れ臭そうに苦笑しながらはそう答えて頷いてみせる。


と、ちょうどその声に被るようにして、聞き覚えのある怒鳴り声がテニスコートから響いた。


「菊丸!不二!大石!いつまで喋ってる!」

「げげっ!手塚!!」
「流石に限界みたいだね。急いだ方が良さそうだ。」

手塚の怒鳴り声に首をすくめた菊丸と不二が、慌てて部室へと走り出す。
その後ろ姿を、やれやれといったように見送ってから、は未だ動かない大石の肩に手を置いた。
瞬間、大石の身体がビクッと大きく跳ね上がる。
動揺したようにじっと見詰めてくる大石に、心配させないようにっこりと笑って、はコートに居る手塚に向かって声を掛けた。




「手塚ー!すまないけど、ちょっと大石を借りるから、先に始めててくれ!」
「分かりました。」



「そういうことだから、ちょっと付き合ってくれるか?」



手塚の承諾を得た事を伝えると、大石を校門の方へ促す。
その言葉に大石は、ただ無言で頷くだけだった。




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