嫉妬 5
「………?」
「もういい……もういいんだ。ごめん真田……俺が全部悪いから………だから、そんな辛そうな顔しないでくれよ。真田がそんな顔する必要なんかないんだ。真田が悪いんじゃないんだ。だから………ごめん………本当にゴメン……………。」
抱き締めた真田の肩を縋るように更に強くきゅっと抱き締めて、はまるで自分自身に言い聞かせるかのように何度もごめん――と口にする。
先刻までの険しい表情や、張り詰めた緊迫感は完全になりを潜め、ただただ一心に謝罪の言葉を口にするの姿は、どこか諦めの色を含んでいて、酷く儚げな印象を真田に与えるばかりだった。
「何故お前が謝る?悪いのは俺だろう。お前にずっと苦しい思いを、嫌な思いをさせ、笑顔を奪っていたのは俺なのだからな。そう、嫌われるほどに……。」
「だから違うんだ。それは真田のせいじゃない。それに嫌いなんて…ウソなんだよ……。」
「ウソ?」
の言葉に、戸惑いがちに真田が問い返す。
それに静かに頷いてみせて、は大きく息をついた。
「そう…ウソ………全部ウソだから………真田が心配する事ないから。真田の事を嫌いになったりなんかしてないから。だから真田が辛そうにする必要なんかどこにもない…どこにもないんだ。だから………。」
そこまで言っては言葉を詰まらせた。
(だから、もうそんな顔しないで――。)
「…………?どうした?」
急に口を閉ざしてしまったに、真田が訝しげに声を掛ける。
それに答える事無く、は抱き締めたままの真田の肩口にゆっくりと額を預けた。
(もう、真田を困らせる事はしないから。もう二度と…………。)
「おい、聞いているのか?」
「ごめん…だから心配しないで。もうこんな事にならないようにするから。」
「?何を言っているんだ?」
「誓うから……真田に二度とそんな顔させないから。」
「っっ?!」
幸村以上に己を見てくれる訳はないからと、嫌われる事で、憎まれる事で真田の特別でいようとした愚かな自分。
それでも自分は構わないと思っていた。
特別な視線を向けてもらえるなら、たとえどんな種類のものでもそれで良いと思った。
だから真田に疎まれるようにと真田を避け、本心に背いた言動を続けてきた。
そうするしかないと思い込むしかなかった。
その身勝手な行いの報いが――今、来たのだ。
そう…誰よりも愛しい、惹かれてやまないあの存在を苦しめてしまった。
(真田の、あんな辛そうな顔を見るくらいなら俺は――。)
自分の想いなど、苦しみなど、どうでもいい。
真田を苦しめない為になら、自分の存在の有無など関係ない。
彼の平穏の為なら、これからいくらだって笑ってみせる。
その為なら、今までとは別の意味で己を偽る事もいとわない。
『ただの一人の友人』として振舞ってみせる。
それを演じ続けてみせる。
全身全霊をもって、真田の望むという人間を演じてみせよう。
たとえそれが己の本心とは違っていたとしても。
そう……これは罰なのだから。
もう、ありのままの自分のまま真田の側に居る事も、憎悪し嫌悪される事で己の存在を刻み付ける事も――どちらも出来ない。選べない。戻れない。
これが、身勝手な自分への最大の罰だから。
(これがきっと――最後だから……。)
だから二度と口にはしないであろう本心を、今だけは口にしよう。
真田を納得させる為だけに。
真田の表情を曇らせない為だけに。
決して自分の本心とは気取られないように。
『ただの友人』の言葉と捉えてくれるように。
特別な想いなど欠片もないと思わせて。
特別に想っているからこそ言えなかった言葉を――。
「大丈夫……好きだから………。」
の言葉に、真田の瞳が大きく見開かれる。
その言葉の意味だけでなく、発せられた声の儚さや響きまでもが真田を驚かせた。
まるで必死に絞り出したかのような、重くそれでいて今にも消え入りそうな程微かな囁き。
何故か、酷く切なくなって真田はぎゅっと眉を寄せた。
「好きだから。嫌いになんかなってないから。だからもうそんな顔する必要ない。」
「?お前、さっきから一体何を…?俺の言葉が聞こえているのか?」
「大切な『友達』なんだから……嫌いになる訳ない。だから大丈夫。」
「おい!!」
真田の問いかけに一切答えようとはしないに、真田が声を上げる。
何度声を掛けても、全く要領を得ないの言葉。
真田自身と言葉を交わしているというより、自分自身に言い聞かせているようなそんな雰囲気に真田の背筋を嫌な汗が流れた。
「?!どうしたというんだ一体?!」
己の肩口にあるの顔を見やって、真田は大きく息を呑む。
「大丈夫…俺は…真田の『友達』だから……。好きな友達を困らせたり…しないから……だからもう…大丈夫…………。」
「っ?!?!おいっっ?!!」
はらはらと溢れては零れ落ちていく涙。
その雫の源は、どこか遠くを見ているようで、完全に色を失っているように真田には見えた。
焦点の合わない瞳が、ボンヤリとここではない何かを見ている。
目の前にいる真田自身ではなく、その何かに意識を、心を奪われているようなそんな感覚。
そう思わずにはいられない程にの目には生気が感じられなかった。
「好きだよ………真田………………。」
そう呟いて微笑むと、の身体がガクリと崩れ落ちる。
「ーーーーっっ!!!!」
どこか遠く真田の絶叫を聞きながら、は迫り来る闇の中に意識を手放した。