嫉妬4
「もう逃げないから離れて………。」
苦しげに吐き出すようにそう言うの言葉に、真田はゆっくりとその身を起こす。
「すまん……。」
「別にいいよ……。」
真田を見ようとしないままそう答えて、は己の身体をぎゅっと抱き締めた。
それはまるで、そうでもしないと自分自身を支えられないとでもいうようで。
今にも崩れ落ちてしまいそうなのをかろうじて押さえ込んでいるようなその姿に、真田の表情が歪む。
背を向けたまま、一人辛さに耐える姿を見るのはたまらなかった。
「……………俺を見てくれ。」
何故が自分の前から逃げようとしたのか分からなかったけれど、ただ自分一人だけで震えながら遠くを見詰めてほしくは無かった。
虚ろな瞳でも、自分を見てくれるだけマシだと思えた。
だからこそ、瞳を合わせるどころか、顔も向けようとしないの姿に、身を切り刻まれるような想いがして仕方なかった。
「頼む、こちらを向いてくれ。一人で泣かないでくれ。俺はどうしたら良いのか分からん。」
「………何でそんなに優しい事を言うんだよ。」
ポツリと小さく、誰に言うでもなく呟かれた言葉。
けれどそれはハッキリと真田の耳にも届いた。
「俺は優しくなど無い。それはお前も知ってるはずだろう?」
「そう?優しいよ。」
「………。」
「優しくて残酷だ、真田……。」
ようやく背後の真田を振り返ったが、にっこりと笑う。
その、恐ろしいくらいに壮絶な笑顔は、真田の背筋を凍らせた。
妖艶とはこういう事をいうのだろうか――?と頭のどこかで思いながら、真田はゴクリと息を呑む。
「そんな所が……………俺は大嫌いだ。嫌いだよ、真田……。」
嫌い――と口にする度、の心が悲鳴を上げる。
そんな事は無いと、それはウソなのだと叫べたら、どれだけ楽だろう。
けれど、それは自分には許されない事だから。
そしてそれ以前に、そんな事はムダだと分かっているから。
だからは、己の感情に、想いに背いた言葉を紡いだ。
「残酷な…優しい真田は………嫌いなんだよ。」
自ら広げていく心の傷は、呼吸さえも奪っていくのだろうか?
苦しくて呼吸がままならない。
それほどの心は今にも押し潰されそうだった。
「嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!大嫌いだ!!!」
「そうか……………。」
荒い呼吸を叫びと共に繰り返すの言葉に、真田は一言だけ答えると、小さく息をつく。
「だが俺は嫌いではないのだ。」
「―――っ?!何を…っ?!」
漏らされた真田の言葉に、の身体がビクリと大きく震える。
真田が何を言っているのか一瞬理解出来なかった。
「お前がどう思っていても構わん。だが、俺はお前を嫌う事は出来ないらしい。すまんな……。」
「ば、バカじゃないのか?!そんなの謝る事じゃないだろ?!」
「そうか……。」
トゲのある言葉だったはずなのに、何故か真田の声は酷く優しいもので。
は、我知らず背後に立つ真田を驚愕の表情で見詰めていた。
「何で…?何で怒らないんだよ?!何で俺を嫌いになってくれないんだよ……っ?!!そんな風にされたら俺は……。」
「………嫌われたいのか?」
「それは……っ!」
「もしそうなら……すまんが、それは叶えてはやれんようだ。」
静かに紡がれるその声は変わらず優しげな響きを伴っていたが、その一方での目に映った真田の顔は、いつになく寂しげで…そして酷く辛そうに歪んでいた。
「な、何で真田がそんな顔するんだよ…?」
「そんな顔?」
「泣きたいのはこっちだ…っ!」
ぐっと真田を睨んでから、はふいっと視線をそらす。
噛み締めた唇から、僅かに血の味が広がるのを感じながら、は足元に視線を落とした。
何故己がキツイ態度をとった事くらいで、そんなに辛そうな表情などするのか?
嫌そうな顔をするだろうと……するはずだと思っての行動であったはずなのに。
あのキツイ視線を向けてくれるだろうと思っていたのに。
その為に己の気持ちにも、思いがけず与えられた優しい言葉にもあえて目を背けたというのに――。
これでは、何の為に真田にきつく当たってきたのかわからない。
「俺が……お前をこんなに……して……しまっていたの……か?」
思考の海に沈んでいたが途切れ途切れに聞こえる声に再び視線を上げれば、今まで見たことも無いくらい切なげに瞳を眇めている真田の姿が目に映る。
まるで幼い子供のようなその表情に、は小さく息を呑んだ。
真田が――あの真田弦一郎が、こんな表情を見せるなんて――。
不遜なほどにいつも自信に満ち溢れ、常に人の先を颯爽と歩く真田に、こんな脆い一面があったなんて思いもよらなかった。
「そうか……俺がお前を苦しめていたのか……今、分かった。お前にこんな顔をさせていたのは俺だったとはな……。滑稽だな…俺が……お前の笑顔を殺していたとは………。という一人の人間を追い詰めていたのは、他ならぬ俺だったわけだ。」
「さ、真……田……?」
「嫌い…か。お前が俺を嫌うのも理解出来る……。」
「な、何言って………。」
半ば自嘲気味に呟くその姿は、到底いつもの真田とは思えないほどで、は思わず目を伏せた真田へと手を伸ばしていた。
「?」
「そんな顔しないでくれよ。俺、そんな顔されたら、どうしたらいいのか………。」
「…………………………。」
「……っ!頼むから期待させないで……くれ。」
そんな顔されたら、もしかして自分は幸村以上の存在になれるのではないかと期待してしまうから。
以前のように、真田の特別になれるかもしれないと錯覚してしまうから。
(しっかりしろ!!このままでいいわけないだろ?!)
耐え切れずには静かに瞳を閉じると、大きく数回頭を振る。
一瞬湧き上がった想いを押さえ込んでから、は俯き加減の真田へと視線を向けた。
(真田にこんな顔をさせたかったんじゃなかったのに。)
睨まれても、蔑まれても構わなかったのに。
こんなにも辛そうな顔を、自分の為にさせたいわけじゃなかった。
(何でこんな事に………?)
溢れ出す涙が次々と頬を伝っては流れ落ちていく。
もう、これ以上気持ちを偽り続ける事は出来なそうだった。
真田がの為に表情を歪ませている今では。
毒づく事も、反発する事も完全に無意味になってしまった今では――。
「嫌いなんてウソだ………だから、そんな顔しないでくれよ真田………。悪いのは全部、俺なんだから…………。」
おずおずと真田の肩を抱き締めると、真田が息を呑むのが分かる。
それを感じながら、これが最後だから――と心の中で呟いて、は静かに瞳を閉じた。