嫉妬 3






それは、ほんの些細な偶然の産物だった。
の前の週番が体調不良で欠席などしなければ職員室に呼ばれる事も無かったし、昼休みも終わるこんな時間に慌てて教室に戻る事も無かったかもしれない。
けれど現実は、週番の代わりにクラス中の提出書類を、昼休み返上で集計して届けなくてはならないという迷惑この上ない状態だった。
そして、それが思いもしない相手との遭遇へと繋がろうとは、教室への帰路を急いでいるには想像もつかなかった。


―――っっ!」


ふと聞きなれた、それでいて今は久しぶりだと感じてしまう声が己の名を呼ぶ。
どこか切羽詰った感じのするその声に、は急いでいた足を止め、声のする方を振り返った。

「真田………。」

認識したその姿に、愛しいその名を口に乗せる。
それだけで胸がいっぱいになっていくのが分かる。
その自分だけに向けられている視線に、思わず笑みを漏らしそうになったは、次の瞬間視界に映った人物の姿にピクリと凍りついた。



「幸……村………。」

「あ、!」


真田の後ろからひょっこりと姿を現した幸村に、視線が釘付けになる。
当然のように真田の隣にいて、当然のように真田の顔を見上げて、当然のように真田の腕に触れる幸村。
こちらに聞こえない声で何か二言三言囁きあう二人の姿に、の心は急激に冷え切っていった。
まるで二人との間に見えない壁があるような、そんな錯覚を感じさせるほどに、目の前の二人が遠く感じる。
こんなに近くに居ても、真田の側にはもっと近しい存在が居て。
はその場の雰囲気に耐え切れず、真田が呼び止めるのも聞かずに走り出した。



「待て!!!」



夢中で走るの後を追いかけてくる足音。
それは振り返らなくても誰のものかには容易に判別する事ができる。
けれど、その言葉に従う事は今のには出来なかった。

「待てと言っているだろう!止まれ!!」

予鈴が鳴ったとはいえ、まだちらほらと廊下には生徒達の姿が見て取れる。
その中を全力で走り抜けると真田は、何事かと不思議そうに向けられる興味深げな視線の中を注目されつつも走り続けた。




(幸村、幸村、幸村、幸村―――!いつも幸村が居る!!)




混乱する頭に浮かぶのは、真田の隣に居る幸村の姿。
誰が真田の側に居ようとも、それは真田とそいつの問題で、には何も言えないと分かっているのに。
そんな事で腹を立てる資格など自分にはありはしないのに。
そう分かっているのに――。
けれど、理性と感情は決して相容れる事が無い。


(何を今更ショックなんか受けてるんだよ?!最初から分かってた事じゃないか!)


期待するのは止めようと誓ったのは、ついこの間の事。
真田の隣に居られないなら、その他大勢という認識をされるくらいなら、とことん真田から、離れようと。
真田の中の負の感情を向けられる存在として、真田の中で自分の存在を不動のものにしようと誓ったばかりなのに。
そうでなければ、幸村以上に強い感情で自分を見てくれる事などありえないと覚悟したはずなのに。
己の誓いが、覚悟がいかに脆いものなのかを思い知らされた。


!頼むから止まってくれ!!」

「何で追いかけてくるんだよ?!いいから放っておいてくれ!」


真田の懇願にも似た叫びに、も又荒い息の間から叫ぶしかなかった。
今止まったら崩れてしまう。
無様に泣き崩れて縋ってしまうかもしれない。
そんな想いが、真田の言葉に応える事を拒んでいた。


(だって、そんな事したら俺はただの情けない奴じゃないか。真田の中で取るに足らない存在になってしまう。そうしたら俺の存在は消えてしまう。そんなの――!)


やっと見つけたのだ。
真田に嫌われ、憎まれ、軽蔑される事でだけ、己の存在は幸村と同じくらいの位置を得る事が出来ると思えたのだ。
幸村と正反対の方向性で、真田にとって大きな存在で居られると思えたのだ。
それすらも無くなってしまったら、これ以上どうしたら良いのか分からない。




「もう、俺を壊さないで――――!!!!!」




走りながら頬を一筋涙が流れる。
もう、これ以上耐えられる自信が無かった。



―――――――っっっ!!!」



真田の叫びがひときわ大きくなった瞬間、はぐいっと強い力で身体を引き寄せられた。

「―――――っ?!!」
「逃げないでくれ……頼む。」

後ろから抱き込むようにしての肩を抱き締めて、真田は苦しげに呟く。
その耳にした事の無いほどに苦しげな声音に、は立ち竦んだまま身じろぐ事が出来なかった。

(泣いて……いる?)

暫くの静寂の後、の頬に涙の跡を見つけて真田は息を飲む。
それに合わせるかのように、はそっと身体の力を抜いた。


「もう、逃げないよ…………。」


どこか諦めたように呟かれた声は、酷く苦しげに掠れていた。




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