いつかこの手に 2
「俺をアメフト部に入れてくんない?妖一サン………?」
俺の言葉に蛭魔は、その切れ長の目を更に大きく見開く。
そんな蛭魔の様子に、俺は更ににっこりと笑みを浮かべてみせたのだった。
「そりゃ初対面でいきなりこんな事言えば警戒するのも分かるけどサ。俺、役に立つよ?色々と。それに俺、何だってするし。手元に置いといて損はないって。どう?」
俺のこの言葉に偽りは無い。
自分で言うのも何だが、大抵の事はソツなくこなせる自信はある。
今までの実生活の中で必要に迫られた結果身に付いたものではあるけれど、知識量は標準的な高校一年生を遥かに凌駕しているはずだし、ある程度の荒事でもそれなりには対応出来るだけの力は持っているつもりだ。
だから蛭魔にとっても、俺を利用する事は決して悪い話じゃないはずなのだ。
俺は改めて、胡散臭そうに俺を見詰める蛭魔の鋭い瞳を見返して目を細めた。
「役に立つだぁ?」
「そ。何でもやるよ俺。アンタがやれって言うならマネージャーだって主務だって。雑用でも偵察でもデータ収集でも裏工作でも何でもお任せあれ。あ、もちろん選手っていうならそれでもイイけど。こなしてみせるよ……どんな事でも。」
「ほう?言うじゃねーか。」
俺の言葉に蛭魔がニヤリと口の端を持ち上げる。
その悪魔の司令官の瞳の中に、僅かだが俺への好奇心の炎の揺らめきが窺えて、俺は蛭魔同様にゆっくりとその口元を引き上げた。
「イイでしょ?俺をここに置いてよ?ね、妖一サン……。」
間近で見上げた蛭魔妖一は、俺の微かに甘えの帯びた言葉に、その磁器のように滑らかに整った顔へほんの一瞬戸惑いの表情を浮かべる。
けれど、それもほんの一瞬の事で、すぐに意味ありげな笑みを口元に湛えた、あの独特な表情に戻ってしまう。
ほんの一瞬垣間見せた蛭魔の、歳相応の少年らしい感情の波と表情。
そんな表情に、俺は目を奪われずにはいられなかった。
そして、この男の側に居たいと――改めてそう思った。
「ダメ?俺、アンタの世界が見たいんだ。」
「俺の世界…だと?」
「そ。アンタの見てる世界を…アンタが作り出す世界を俺も近くで見たいんだ。だからさ、俺をアメフト部に入れてよ?ここに……アンタの側に居させて?」
自分自身何て芸のない言葉だろうと思わないでもなかったけれど、何故か下手な小細工や飾り立てた言葉を向ける気にはどうしてもなれなかった。
今は俺の中にある想いをそのまま蛭魔妖一にぶつけてみたい。
その結果拒まれてしまったとしても、仕方がない――そう思った。
「テメェ…………………って言ったか?」
「ん。」
暫くの沈黙の後。
微かに目を細めて蛭魔が俺をじっと見据える。
まるで値踏みされているかのようなその視線に、流石に耐えられなくなって俺は僅かに身じろぐ。
何というか…先刻までの蛭魔と、どこか違う眼差し。
俺の全てを見透かそうとするかのような、そのどこか熱を帯びた強い眼差しに、俺はらしくもなく耳が熱くなるのを感じていた。
「えと……妖一…サン?」
「……いいだろう。入部を認めてやる。」
「ホント?」
「ああ。ただし……条件がある。」
「条件?」
蛭魔の言葉に飛び上がりかけた俺に、蛭魔の声がピシャリと釘をさす。
「俺の出す条件をクリアしたら……だ。」
「入部テストか何か?」
「ま、そんなもんだ。」
断言をせず、どこか言葉を濁している所を見ると、体力測定とかルールチェックとかそういった類のものではないらしい。
まあ、蛭魔妖一のする事だ。
普通じゃない事くらいは容易に想像がつく。
そういえば、今の部員達は何やらとんでもない入部テストを受けさせられたとか何とか…。
どちらにしても、そう簡単に事が済むだろうとは思っていなかったのだから、それ位の事は何ら問題ない。
俺は蛭魔の探るような視線にコクリと一つ頷いてみせた。
「で?どうすればいいの?」
「簡単な事だ。これを明日のこの時間までキッチリ保管し、俺に返す……それだけだ。」
そう言って蛭魔は『あくまてちょう』と書かれた片手サイズの手帳を放ってくる。
「それだけ?」
予想外にあっさりとした内容に、釈然としない表情でそう問い掛ければ、蛭魔の口元にあの悪魔の笑みが広がる。
それだけで俺は悟ってしまった。
蛭魔の出す条件――悪魔の命題が一筋縄で済む訳がないということを。
「ケケケ!一日無事に過ごせりゃ簡単な事だろうがなぁ?」
「……愚問デシタ……。」
そう……俺は試されているのだ。
そう考えれば、当然何かしらの妨害はあってしかるべきだ。
気は抜けない。
「了解デス。とりあえず明日のこの時間までコレを死守出来るかどうかが判定ポイントなワケね?」
「飲み込みが早ぇな。」
「んで、その間の対応についての規制とかは?」
「特にねぇ。どんな手段を用いろうとも、最後まで無事なら文句はねぇからな。」
「そ。分かった。」
俺は状況を整理して瞬時に最良の方法をシュミレートする。
規制がない分、俺の達成率はかなり高い。
俺は最も安全と思われる方法をとるべく、目の前に立つ蛭魔にそっと身を寄せた。
「ゴメンね、妖一サン?」
「――――?!」
肩が触れ合うほど近付く距離。
囁くような俺の言葉に蛭魔が目を見開く。
その次の瞬間、俺は身を返しスルリと蛭魔の背後に回り込んで、蛭魔の首元に一発手刀を叩き込んだ。
「―――っく!」
グラリと蛭魔の身体が傾き、前のめりに崩れ落ちていく。
それをとっさに支えて、俺は腕の中に蛭魔を抱きこんだ。
思っていた以上に蛭魔の身体は逞しく、支えた身体を抱きこむ瞬間、一瞬グラつきそうになったけれど、慌てて足に力を込めてその場に踏みとどまる。
気を失っている人間を支えるのは、全体重を掛けられている分だけ流石にキツイものがあった。
「っと!重っ!!」
慌てて体勢を整えて支えてはみるものの、蛭魔の身体はズルズルと滑り落ちていくばかり。
流石にこのまま自分より大きな蛭魔を抱えあげる訳にもいかず、俺は仕方なく少し離れた所にある裏門近くの木陰に蛭魔を引きずるようにして運ぶと、ポケットから携帯電話を取り出した。
「といいますが、泥門高校裏門にタクシー1台まわしてもらえます?」
一番近場のタクシー会社に連絡し、まずは移動手段を確保する。
その後、手元の『あくまてちょう』の中から使えそうな情報を探って――これが一種の脅迫ネタ帳である事にこの時初めて気付いた――そのいくつかに電話をし必要な情報を得ると、俺は気を失ったまま大樹にもたれている彫刻のように整った蛭魔の顔をそっと覗き込んだ。
「……………手荒な事してゴメンね妖一サン?許して?」
今は閉じられた瞼にそっと手を伸ばす。
あの力強い眼差しが隠れているだけで、こんなにも無防備な印象に変わるものかと思わずにはいられない程穏やかな、歳相応の顔。
「ねぇ?この目には一体何が映ってるの………?」
聞こえてはいない事は分かっていたけれど、そう問い掛けずにはいられなかった。
いや、聞こえていないからこそ口に出来たのかもしれない。
「アンタの見る世界の先なら………見つかるかな?俺の……本当に欲しいもの………。」
ポツリと小さく呟いた声が風に乗って流れていく。
その呟きは、段々と遠くから近付いてくる車のエンジンの音に次第に掻き消されていって。
俺は静かに舞う木の葉を見上げてそっと目を伏せたのだった。