『テニスが好きだったから』

きっかけは、ただそれだけだった。
お世話になった恩師の頼みとはいえ、テニスが絡んでいなければ関わる事など無かったかもしれない。
母校のテニス部のサブコーチという考えもつかなかった立場に身を置く事になったのは、ひとえにテニスに関わっていたいという一心からでしかなかった。
あの時までは…。





出会い






「これでやっとあたしも肩の荷が下りるってもんだ!」


そう言って竜崎は、健康そうに日焼けした顔に笑顔を浮かべた。
その顔は抱えていた問題が解決した事による安堵の表情で、いっぱいだった。

「でも、本当に期待しないで下さいね?出来るだけご期待に応えたいとは思いますけど。」

予想以上の恩師の喜びように、どこかくすぐったい想いを感じながら、は小さく苦笑した。
が母校である青学の男子テニス部のサブコーチを引き受ける事を了承して、臨時職員という肩書きの元に正式にサブコーチに就任したのは、つい先刻の事。
竜崎に案内されて正式に手続きを済ませ、やっと戻ってきた所だった。


「分かってるさ。けど、これで正式にあんたはテニス部の関係者だ。早速で悪いがこれに目を通しとくれ。」
そう言って竜崎は机の引き出しから書類の束を取り出すと、に書類を差し出す。

「在籍者名簿…ですか?」

「ああ、ウチは部員数が多いからね。直ぐに全てを把握しろとは言わないが、最低限現レギュラーと前レギュラー位はすぐ分かるようにしといておくれ。」


名簿の名前の横についている印を指してレギュラーの選手を確認させる。

「この赤で印がついてるのが現レギュラー、で青でついてるのが前レギュラーだ。」
「ほとんど入れ替わりはありませんね?」
「そうだね、とりあえずはレギュラー陣をメインにフォローしていって貰いたい。じき大会も近いからね。」
「分かりました…これ位なら何とかなりそうです。で、部長と副部長ですが…。」

名簿の一番上に記載されている部長と副部長の欄を指して問い掛ける。

「部長…手塚国光……副部長、大石秀一郎……彼らが部のまとめ役…というわけですね。どんな子達ですか?」
「そうだね…これからは一緒に対応してもらう事も多くなるだろうし…。一度顔合わせしといた方がいいかもしれないね。ちょっと待っといで、今来させる。」

暫し考え込んでいた竜崎は、結局の質問に答える事はせず、直接自分の目で確かめさせる方法を選んだ。
少し待つように言い置いて、グラウンドにいる手塚と大石を呼ぶ為に廊下へ出ていく。
一人残されたは、いずれ顔を合わせるとはいえ急に対面する事になってしまった二人の少年の事を思い、柄にも無く緊張していた。
















どれ位そうしていたか、不意にドアが開く音がして、緊張していたは文字通りその音に跳びあがった。



「待たせたね。」

「失礼します。」

竜崎の後から、礼儀正しく挨拶をして部屋に入ってくる少年が一人。
その人数に疑問を感じ、は無言で竜崎を見やった。

「すまないね、副部長の大石は部費の予算折衝に行ってるらしくて連れて来れなかった。まあ、いずれは嫌でも顔を合わせる事になる。その時でも構わないだろう。さ、こっち来な。」

竜崎の後ろで無言のままこちらを見ていた少年が、竜崎に促されての方へ歩み寄る。
薄い眼鏡を掛け、僅かに茶色がかった少し長い髪を軽く流した背の高い少年。
その堂々とした姿には目を見開いた。
カリスマ性を感じさせるような雰囲気と、年に似合わぬ落ち着きぶり、下手をすればよりも年上に見えるその物腰はとても中学生には見えなかった。



「こいつが部長の手塚だ。手塚、こっちがさっき話したサブコーチ、。これからはあたしと一緒に指導していくことになる。」

「手塚国光です。よろしくお願いします。」

竜崎に紹介されて、手塚は座ったままのに深々と頭を下げる。
その姿に、も慌てて立ち上がると軽く頭を下げた。
「こちらこそ。大したことは出来ないけど、精一杯バックアップしていくつもりだから。迷惑掛けるかもしれないけどこれからよろしく!」

「いえ。こちらこそ、よろしくご指導お願いします、先生。」

返された言葉に微笑んだは、手塚の一言に一瞬動きを止めた。



「…先生……??」

「?何か失礼な事でも言いましたか?」


固まってしまったの姿に、手塚は訝しげに眉を寄せる。

「あ、いや…そうじゃないんだけど…あのねオレは教師じゃないから『先生』はいらないよ。」

苦笑して手塚を見やると、困ったように目を伏せる。
そのバツの悪そうな表情が叱られた子供のようで、は思わず可愛いと思ってしまった。
自分より僅かに背の高い少年が、どんなに大人びて見えてもやはりまだ14歳の少年でしかないのだと思うと、可愛くて仕方がなかった。


「すみません。」
「オレのことはと呼んでくれればいいよ。オレも君の事は手塚と呼び捨てにさせてもらいたいし…いいかな?」
「はい、分かりましたコーチ。」
頷いた手塚の言葉に、は再び苦笑いを浮かべる。
「う~ん…何か照れるな~コーチって。くすぐったいカンジがするから…コーチはいらないよ。」

「では、どのように呼べば……?」

手塚は困惑した表情を浮かべてを見やる。
先生と呼ばないというのは分かるが、コーチがダメなら一体どのように呼べば良いというのだろう?
そう思わずにはいられなかった。

「そうだね、さっきも言ったけど、と呼んでくれればいいよ。その方がオレもやり易いし。」
「ですが…。」
「そんなに難しく考えんでも良いだろう、手塚?『さん』とでも呼んでやりな。」

教え子達の遣り取りを黙って見ていた竜崎が、絶えかねたように口を挟んだ。
その口元は堪えたような笑いが浮かんでいる。



「分かりました。改めてよろしくお願いします、さん。」

「うん、よろしく!手塚!」

差し出した手を手塚が握り返してきたのを見て、はにっこりと満足げに笑顔を浮かべた。

「それじゃあ、悪いけど、あたしは職員会議があるから行くよ?、後の詳しい事は手塚に聞いとくれ。」

二人の対面を無事に済ませる事が出来た安心感か、竜崎はふっと息をつくとの肩を軽く叩いた。
そして机から職員会議用の書類の束を取り出しながら、竜崎は手を止めずそう言う。

「分かりました先生。」
「頼んだよ、手塚。」
「はい。」
竜崎は二人の教え子をそれぞれ見やると、満足げに頷いて、そのまま直ぐに部屋を出て行く。
その後ろ姿を見送って一息つくと、は再びソファーに腰を降ろした。


「じゃあ、ごめんな。少し教えてもらっていい?」

手塚に自分の座った向かいのソファーに座るように促して、目の前に置かれたままだった在籍者名簿を指差す。
促されたままソファーに腰を降ろした手塚は無言で小さく頷いた。
その様子を見て、は竜崎から渡されたテニス部の在籍者名簿をパラパラと捲り、その中から数枚の紙を抜き出すと、それらを順番にテーブルの上に広げる。

「今居るレギュラーは計8名。その内3年生5名、2年生2名、1年生1名…。この中に手塚も入ってる訳だけど、今現在手塚の目から見てメンタル面で一番弱いと思うのは誰?あくまで手塚の個人的意見を聞きたいだけだから、あまり難しく考えなくていいよ。どう?」
「……そうですね、弱いかどうかはともかくとして、精神的にムラのあるヤツでしたら…菊丸ですね。」

少しの間考え込んだ後、手塚は口を開いた。
手塚の言葉に無言で頷きながら、在籍者名簿に何やら書き込んでいく。

「そっか…気分屋なのかな?」
「そんな感じです。」
「ふ~ん…そっか……。」

よし!と軽く気合を入れて、は改めて目の前に広げられた書類の束に向き直る。
そのの真剣な様子に、今日はこれ以上練習出来ないな…と手塚は小さく息をついた。
















最後の書類を完全にまとめ上げたのはそれからかなりの時間が経った頃だった。
時計を見上げたは、立ち上がると一つ大きく伸びをする。
午後7時。いつの間にかかなりの時間が経っていた。
真剣なにつられたのか、手塚もいつの間にか時間を忘れるほど真剣にテニス部の現状の説明や試合日程、問題点等を語っていて、その間は嫌なそぶり一つ見せる事も無く、手塚の話に時々相槌を打ちながら、時には意見を挟み、静かに真剣に話を聞き続けた。
最初こそ練習時間を削られる事に心の何処かで不満を感じていた手塚も、のテニスに取り組む姿勢と、真剣に部員の事を考えてくれる姿に、いつの間にかそんな不満など消えてしまっていた。


「すっかり遅くなっちゃったな。ごめんな、こんな遅くまでつき合わせちゃって。」

「いえ、こちらこそ色々すみません。おかげでこちらも助かりました。」

心底すまなそうに謝るに微かに笑って静かに首を振る。
今日初めて会って数時間話をしただけだけれど、が如何にテニスを大切に思い、選手の事を真剣に考えてくれる人間かが手塚にははっきりと感じ取る事が出来た。
何より選手の事を一番に思い、選手の立場に立って物事を考えてくれる。
そして優しい微笑みで全てを受け止めようとしてくれる。
それが何より手塚の心を掴んで離さなかった。


「じゃあ、もう遅いから帰ろう。送っていくから着替えておいで。」

机の上の書類や資料を片付けていた手塚に、片付けは良いから先に着替えてくるようにと言うと、残っている書類をまとめ始める。

「いえ、大丈夫です一人で帰れますので。」
「だめだめ!オレがここまで付き合わせちゃったんだから。いくら男でも中学生をこんな時間に一人で帰す訳にはいかないよ。さ、着替えておいで。」
そう言って手塚を部屋から出そうとする。

「分かりました。では片付けが終わったら着替えてきますのでお願いします。」

提示された妥協案には無言で頷いた。
広げられた書類を完全に片付け、部屋を出る時に竜崎から渡された部屋の鍵を出して、既に暗くなった廊下に出る。
鍵を掛けて、部室に置かれている手塚の荷物と制服を取りに二人で並んで歩き出した時、不意に手塚が思い出したように声を掛けてきた。


「そういえばさんはお幾つですか?」
「ん~?幾つに見える?」
「少なくとも臨時職員になれるんですから高校生じゃない事は確かでしょう?」


逆に聞き返してきたにそう答える。
「そうだね。ついでに未成年でもないから。」
の言葉に少し驚いたように、手塚は僅かに目を見開く。

「驚いてるって事は十代だと思ってくれてた?」
「ええ。」
「オレ、童顔なのか、いつも若く見られるんだよな。一応今年で21になるんだけど。」
苦笑いして軽く頭を掻く。
「大学三年…今年の夏にはここの正式な教育実習生になるんだけどさ。」
「そうですか…。」

「やっぱり、見えない?」

悪戯っぽく笑って、下から見上げるように手塚を見る。
そんな風に見詰めてくるの瞳に、顔を赤らめると手塚は慌てたように目を伏せた。

「いえ…そんなことは…。」
「いいって、そんなに気にしなくて。いつもの事だし、これもオレの個性かな~って思ってるからさ。でも、ありがとな。」

にっこり笑っては手塚の背中を軽く叩いた。





「さてと、ここかな?テニス部の部室は?」
「はい。じゃあ着替えてきますので…。」
「うん、ここで待ってるから。あ、鍵は開いてる?開いてなかったら鍵、竜崎先生に預かった中にあるけど?」
「…閉まってるみたいですね。」

手塚がドアノブを回すとガチャガチャという金属音が闇の中に響く。

「遅いから戸締りして帰っちゃったんだな。じゃあ、ちょっとどいて…。」

竜崎に渡された鍵の束の中から『部室』と書かれた鍵を取り出す。
鍵穴にその鍵を差し込み回すと、カチリと音がして鍵が外れる音がする。

「さ、これでいいかな?」

「すみません。すぐ済ませますから。」

そう言って手塚は部室の中に入っていく。
程なくして出てきた手塚は手に荷物は持っていたものの、服装は入った時と同様にレギュラージャージのままで、は小さく首を傾げた。


「どうした?着替えないの?」
「暗いですし、後は帰るだけですから。」
「そう?じゃあ鍵締めて帰ろう。」


来た時同様にしっかり鍵を掛けて、そのまま校門の方へ歩き出す。
ふと、途中でが方向転換して校舎脇の駐車場の方に向かうのを見て、手塚は足を止めた。



さん?」


「こっちこっち。」


手招きするにつられるように駐車場に向かった手塚を迎えたのは、黒い車に乗り込もうとしているの姿だった。

「さ、乗って。家までのナビしてもらわないといけないけど。」

助手席のドアを開けてナビシートに座るよう言う。

「送るってこういう事ですか…。」
「普段の時間だとどれ位掛かる?」
「だいたい30分位です。」
「じゃあ今の時間なら30分掛からないかな。」

手塚が助手席に乗り込んだのを確認すると、エンジンをかけてシフトを入れ替える。
ステアリングを握ると、はゆっくりとアクセルを踏んで車を走らせた。


「こっちでいい?」
「はい。暫くはこのままで大丈夫です。」
「そっか。手塚ん家はこっちなんだ~懐かしい~。」


ニコニコと笑みを浮かべるに、手塚は不思議そうな顔をして問い掛ける。

「懐かしいって…ここら辺ご存じなんですか?」
「ああ、この近くにテニスコートあるだろ?よく行ってたんだよなー。今はどうなってるか知らないけどさ。」
「今でも結構人はいますよ。うちの部員も時々来てるみたいですし。」
「そっか~久しぶりに見てみたいな~。」

ウキウキとしたの様子に手塚は我知らず笑みが零れる。
自分より遥かに年上なのに、どこか子供っぽい感じのする
楽しそうにニコニコと笑う姿は自分よりも年下のようで、手塚は思わず可愛いと思ってしまった。
普段自分を見る顔はやはり大人の男のものだけれど、ふと見せる笑顔がとても可愛くて、自分が守ってやりたいという衝動に駆られてしまう。



(何を考えているんだ、俺は!)



ふとよぎった考えに自分自身驚いて軽く頭を振る。
自分がの事を可愛いと思っている事が信じられなかった。
は決して可愛いと称されるような部類ではない。
どちらかと言えば『カッコいい』と称される事の方が多い。
あどけなさは残るものの、れっきとした大人の男の外見をしている。
女に間違えられるような事は無い、そんなを可愛いなどと思っている自分が信じられなかった。



「…でいいの?」


ふと声を掛けられて手塚ははっと我にかえる。

「えっ?!」

「だから、こっちでいいのかなって…。」
「あ、はい。そうです。」
「へえ~ますますテニスコートに近いな。後で見に行ってみようかな。」

ますます笑みを深くしたに、手塚は暫く考え込んだ後一つの案を提示する。

「今行ってみますか?」

「え?!行くって、テニスコートに?!」
「ええ、この時間ならすいてると思いますよ。」
「でも、手塚を先に送り届けなくちゃ…。」
「別に構いませんよ。もう直ぐ近くだし、今更少し位遅くなっても変わりませんから。」

手塚の提案に考え込んだは、誘惑に勝てなかったのか、苦笑いを浮かべて車を止めた。


「ごめんな、少し見たら直ぐ帰るから。」

車を降りてテニスコートのある公園の階段を昇りながらは嬉しそうに笑みを浮かべる。



「良かったら少しプレイしてみませんか?」



あまりの喜びように手塚は新たに一つの提案をする。
それはにとっては酷く魅力的な提案だったが、流石にこれ以上我が侭を通すのは気が引けると思ったのか、少し困ったような表情を浮かべた。

「少し…付き合ってもらえませんか?部活で動けなかった分、少し身体を動かしたいんです。」

の困ったような表情に、自分の方が付き合って欲しいのだと言って、バッグの中から2本のラケットを取り出す。

「でも…いいの?」
「ええ、お願いします。」
「……ありがとう!」


手塚が自分の事を思って自ら声を掛けてくれたのだと分かったは、その優しさに思わず目頭が熱くなっていくのが分かった。
冷静であるが故に厳しく無表情な印象を持たれやすい手塚だが、本当は酷く優しい、他人への気配りの出来る人間なのだと。


さん?」
「ううん、何でもない!相手…してくれるか?」
「喜んで。」


差し出されたラケットを握り、は今日一番の笑顔を見せた。
















「へえ~全然変わってないな~。ん~やっぱり懐かしい!」


誰も居ない無人のテニスコートを見て、は嬉しそうに声を上げた。
普段なら何人かストリートテニスを楽しむ者が居るのだが、今日に限って珍しくコートは無人だった。

「誰も居ないみたいですね。」
「そうだな。じゃあ、軽くストレッチしないとな。」

持っていたラケットをベンチに置いて、ゆっくりとストレッチを始める。
ワイシャツとスラックスだったは、車の中に積んであったTシャツとスウェットに着替えて、すっかり動き易い服装になっていた。

「審判居ないから、セルフジャッジでいいよな?」
「構いませんよ。」
「よし!これ位でいいかな?そっちは大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。」

ストレッチを終えて、ベンチの上に置いてあったラケットを手に取る。



「じゃあ、行くよ?」



そう言ってはボールをコートに向かって弾ませた。
ポーンポーンという規則正しい音がライトアップされた闇夜のテニスコートに響き渡る。


「はっ!」

高くボールが上がりの腕が空を切った。
途端に鋭いボールが手塚のコートめがけて打ち込まれる。



(?!)



そのスピードに、手塚は不覚にも動く事が出来なかった。

「フィフティーン・ラブ!」

の声に、はっと我に帰る。
指導者になる位だから上手いだろうとは思っていたが、これ程だとは正直想像できなかった。


(この人は…!)


侮っていた訳ではないが、気軽な打ち合いのつもりでいた手塚はその認識を変えざるをえなかった。
本気でやらなければ一方的に終わってしまう。
それはプレイヤーとしてのプライドが許さなかった。


(強い…。確実に!)


ふっと手塚の目が鋭いものに変わる。
と、再びのラケットを握る手が大きく振り下ろされた。
飛んできたボールに向かい瞬間的に駆け出す。
手塚の真剣勝負が幕を明けた。















結局、結果は6-2でに軍配が上がった。
途中から集まりだしたギャラリーの中から審判を選び正式にジャッジをしたが、やはり年期の違いか手塚はから2ゲーム奪うのが精一杯だった。


「完敗です…。」

少し悔しそうに頭を下げる。
その姿に苦笑して、は右手を差し出した。

「ありがとう。でも、これでオレが負けたらシャレにならないからね。」

差し出された右手を握り返して、手塚もつられた様に苦笑する。

「流石です、竜崎先生からコーチを依頼されたのは伊達じゃありませんね。」
「そんな事ないって。まあ、これで少しはオレの事認めてくれたかな?」

そう言って照れたように笑う
ゆっくりとコートを出る二人に、周りに居たギャラリーの中から歓声があがった。


「すげーじゃん!二人とも!」
「久しぶりに熱い試合だったよな!」

もみくちゃにされそうな勢いで集まってくるギャラリーの中から、と同じ位と思われる青年が興奮したように声を掛ける。



「なあ、あんた青学のだろ?!あの、全国チャンピオン!!」


「え?!」

「凄かったよな~あんたの出た試合!」

その当時の事を思い出したのか、さらに興奮して捲し立てる青年の言葉に、その場に居た全員が再び歓声を上げる。

「…全国優勝した事あるんですか?!」

驚いていたのはギャラリーだけではなかった。
驚いたような手塚の言葉に照れたような笑みを浮かべてみせる。

「何だ?知らないでプレイしてたのかよ?!青学のって言ったら3年連続全国大会優勝の超有名人だぜ!オレ達の世代じゃ無敵のプレイヤーだよ!!」

自分の事の様に自慢げに話してみせる青年に小さく笑うと、は無言のまま立っている手塚に向き直る。

「昔の事だって。さ、そろそろ帰ろう、手塚。」
「何だよ、もう帰っちまうのか?!」
「悪いな、こいつ送ってかなきゃならないからさ。行こう?」
「はい…。」

に促されて歩き出すと、手塚はそっと横目でを伺ってみる。

「本当ですか?3年連続全国優勝って…。」
「んー?まあ一応ね。でも5年以上も前の話だし、今とはレベルが全然違うから。あの頃手塚と当たってたら間違いなく負けてるよ。」

「…………。」



驕る事無く、そう言い切るに手塚は無言のまま彼を見詰める。
の言う事は必ずしも真実ではないと手塚は断言できた。
今現在も当時のようにテニスに打ち込んでいるならともかく、ブランクがあるだろう筈の状態で手塚に完全に主導権を取らせず、尚且つ余裕で手塚を下したそのプレイは完全に力を出し切ったら想像もつかない。
そんなの絶頂期のプレイが今の自分より劣るとは到底思えなかった。



「すっかり遅くなっちゃったな。お家の方に一言ご挨拶しなきゃな。」

汗を拭い、間単に着替えたは、手塚を車の助手席に座らせると急いで車を走らせる。


「いえ、大丈夫です。送って頂くだけで充分ですから。」
「そういう訳にはいかないよ。ここまで遅くさせちゃったんだしな。で、この近く?」
「はい、そこの角を曲がった所にある3件目です。」
「ここを曲がって…って随分立派な家だなー。…さあ着いた!」

エンジンを止め車を降りていくを手塚は何処か遠いものを見るように見詰める。
笑顔の優しい新しいコーチが、ただのそこら辺の名ばかりのコーチとは違うという事を今日一日で嫌という程思い知らされた。
テニスに取り組む真剣な姿、選手を思う優しさ、そして誰よりも強いその実力。
自分の遥か先に、遥か上に存在する大きな人。
その存在を超えなければ自分は決して強くなる事はおろか、勝つ事も出来ない。



(この人を超えたい。この人に…勝ちたい!)



ぼんやりとの後ろ姿を見詰めて手塚は強くそう思った。
は出てきた手塚の母親に事情を話して挨拶をしている所らしい。
そのにこやかな笑顔には先刻のような凄さは微塵も感じられないけれど、間違いなく自分はこの男に負けたのだと思う。


「手塚、どうした?」

ふと、話を終えたがこちらを振り向く。



(超えてみせる!必ず!)



「いえ…別に。」
「そうか?ならいいけど…。今日は本当にありがとうな。ゆっくり休めよ?」

ふわっと微笑んでは車のドアに手を掛ける。
乗り込もうとドアを開けた時、不意に手塚が口を開いた。



さん!」

「何だ?」



「いつか…超えてみせます…必ず!」




自分に言い聞かせるように紡がれた言葉。
その力強い手塚の言葉に一瞬目を見開いたは、ニッと強気な笑みを浮かべて見せる。



「全力でおいで…!待ってるから。」



の言葉に手塚は小さく会釈する。
それを目の端で認めると、は車を走らせた。

「楽しみにしてるよ……手塚…。」

バックミラー越しに見える手塚の姿を見やって、そっと笑みを浮かべる。
呟かれた言葉は風に流されて、手塚に聞こえる事はなかったけれど。
しかし、これがの本心だった。
追いかけられる事がこんなに嬉しいと感じたのは初めてだった。



「オレも…負けてらんないな…手塚国光か…。」



最後の強気な目をした手塚の顔が思い浮かぶ。
彼ならいつか自分を越え、遥か高みへ昇り詰める事が出来るだろう――そう思う。
その時彼の側に居られたら…そう願っている自分が確かに存在している事には僅かな戸惑いを感じていた。
そして、この感情が何処から来るものなのか未だ分からずにいた。









きっかけはテニスに関わっていたいという一心だった。
けれど、今は少し違っている。
勿論変わらずテニスは大切だけれど他にもこだわる理由が出来た。
あの時出逢った少年との繋がりが欲しくて。
そして自分を求めてくれる想いに応えたくて。
あの時の出会いが全てを変えた。
手塚国光との出会いが――。





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