Change the future9
あれから俺は家康の許可の元、すぐに新たな忍組織の編成に取り掛かっていた。
勿論実務担当は服部半蔵殿だが、部隊編成や練成にはある程度の時間を要する。
俺はその為の計画書や何やらを作ると――流石に半蔵殿に分かるような形での書類を作るのには時間が掛かったが――それを半蔵殿に託して、俺は次の段階への準備に取り掛かった。
そんなある日の事。
「風魔が来たって本当か?!」
家康が小田原の北条殿に書状を出して数日、予想していた通り北条殿からの返事を携えて、伝説の忍の異名を持つ風魔小太郎が家康のもとを訪れた。
今回は使者という形なので、今は風魔も控えの間で待たされているのだという。
この後、家康からの返事を受け取るまでは、風魔はこの城で待機状態を余儀なくされるという訳だ。
それをたまたますれ違った井伊直政殿から聞いて、俺は急いで家康の執務室を訪れたのだった。
「ああ、良い所に来た。これから呼びに行かせようと思っていた所だ。」
「まさか本当に風魔が来てくれるとはな…。」
「ふむ、流石は先見の神子殿…といった所か?」
「からかわないでくれ家康。確率は五分五分といった所だったんだから。」
「しかしの思惑通りに風魔が来た事で、今や家臣達の間では『先見の神子殿が未来を予見した!』との噂が飛び交っているぞ。どうやら女中や下男達の口から、出入りの商人や薬師・職人達にまでその噂が広まりつつあるらしい。」
「その点においては上々…といった所かな。」
後はその噂に上手い具合に尾ひれを付けさせる事が出来れば一番なんだが。
その誘導については後ほど半蔵殿に指示を出しておこう。
「それでどうする?風魔は今控えの間で待ってもらっている所だが。」
「ああ、ちなみに北条殿の返事はどうだった?」
「うむ、歓んでお待ち申し上げる…との事だった。それでいつ頃来られるか?との事でな。」
「家康は………流石に今は忙しいよな?」
「そうだな……いや、何とかなるだろう。忠勝に乗っていけばそれほど時間もかからず小田原までは行ける。1日程度なら時間を割いても問題は無い。」
「もし厳しいようなら俺が名代という形を取るぞ?」
「いや、前にも言っただろう?ワシもと桜を見に行くのを楽しみにしていると。」
だから大丈夫だ――そう言って家康はにっこりと笑ってみせた。
まあ確かにここ暫く家康は働き詰めだったし、少しは休息も必要だろう。
そういえば徳川四天王でもある榊原康政殿が『殿がお休み下さらぬ』だの『お身体を壊されては一大事』だの言っていたっけ。
これをいい機会として1日時間を空けてくれるかもしれない。
「そうか。なら家康は北条殿への書状をしたためておいてくれ。俺は風魔の所へ行ってくる。」
「大丈夫か?誰か忍でもつけて――」
「いや、いらないさ。少なくとも今の風魔は北条殿の使者だ。滅多な真似はしないさ。」
俺は心配する家康に小さく手を振って家康の執務室を出ると、厨へ行き茶の準備を整える。
そして淹れた茶を手に、そのままの足で風魔の待つ控えの間へと向かった。
伝説と呼ばれるレベルの忍相手に今更こそこそした所でどうなるものでもないし――と、俺は普段通りにトコトコと足音を消すでもなく廊下を歩く。
そして控えの間の前まで来ると、そのまま中に居るであろう風魔に声掛けもせず、勢いよくその障子戸を開いた。
伝説と称される程の忍なら、俺が近付く気配くらいとうに気付いているだろうから――なんて思っての事だったのだが、いざ障子戸を開けてみれば、無表情ながらも向けられた視線の中に僅かに驚いたような気配が感じ取れる。
まあ、この場合の驚きは俺が来たという事より、声も掛けずに障子を開け放った無作法についてだろうが。
「不躾ですまない風魔殿。俺は、ここで世話になっている者だ。今家康が北条殿への書状をしたためている所だから今暫くお待ち頂きたい。」
そう言うと風魔はコクリと無言で頷く。
その仕草はどこか小学校低学年くらいの男の子のようで。
俺は思わず口元が緩んでしまった。
俺よりも遥かに体格のいい大の男だというのに、まるで小さな子供みたいな仕草を見せる風魔。
もしかしたら見たカンジよりも実際は意外と若かったりするのだろうか?
まるで年下の弟を見るような心境で風魔を見ると、一瞬不思議そうな雰囲気を漂わせてコテン――と風魔は首を傾げてみせる。
それに小さく笑って、俺は持参してきた茶――あちらの世界から持ってきたアールグレイ――を風魔の前に差し出した。
「これは外つ国の茶なんだが…良かったら飲んでみてくれ。」
「…………………。」
「俺のコレと同じだが…毒見が必要か?」
些か戸惑い気味な風魔の前に腰を下ろして、俺は風魔の目の前の茶碗と自分の前に置いたマイカップを交互に指差してみせる。
どうも忘れがちだが、こちらの世界では毒殺なんて事もどうやら現実的…日常茶飯事のようだし。
家康は俺が紅茶を出した時疑わずに口にしてくれたけど、風魔にしてみればここは他国で、自分の任務は主に書状を届ける事。
万一こんな所で毒殺でもされたら任務に支障が出てしまう。
そう考えれば警戒するのは至極当然の事だ。
俺は、俺の言葉にどこか戸惑いがちな空気を醸し出している風魔の、目の前に置かれた茶碗を手に取り、それを一口含んで見せた。
「俺が口を付けたもので申し訳ないが。」
そう言って差し出すと、ぺこりと小さく会釈して風魔は俺の手から茶碗を受け取る。
そしてそのままちびり――と一口アールグレイを啜った。
「口に合うといいんだが。」
とりあえず飲みやすいように少し砂糖を入れて甘めにしてきたが、ベルガモットの香りがダメだと微妙だしな。
少々不安に思いつつ風魔を見れば、そのままちびちびと茶を啜り続ける姿が目に留まる。
どうやら甘めにしてきた事が功を奏したらしい。
俺は内心で胸を撫で下ろしながら自身のカップを口に運んだ。
「なあ風魔殿?」
「?」
「そういえば風魔殿は確か傭兵だったよな?」
ちびっ――と茶を啜りながら風魔は俺の問いに無言のままこっくりと頷いてみせる。
そして、それがどうした?と言いたげに俺をじっと見つめてくる。
言葉は無くとも彼の醸し出す雰囲気は何よりも雄弁で。
俺は小さく苦笑してから手の中のマグカップへ視線を落とした。
「もし良かったら俺と契約してくれないか?」
「?!」
「いや、勿論今は北条殿に仕えている事は知っている。だから、もしこの先万が一北条殿の元を離れなければならない状況になった時に…という事なんだが。もしその時が来たら、他の誰よりも優先的に俺と契約してほしい。」
「………………。」
「勿論傭兵というからには報酬次第だという事も承知しているつもりだ。確かに一国の主でもない俺には風魔殿を満足させられる程の物理的な報酬は出せないかもしれない。だが、俺はアンタに『未来』は与えられる。」
「――――?」
「俺は未来を知る者。先見の力をもってこの世の行く末を知る事が出来る。」
「………。」
「信じられないかもしれない。今はそれでいい。だがもしも俺の力を信じる事が出来たら…その時は俺と契約してほしいんだ。」
その結果が出るのは遥か先だけれど。
でもあらゆる事態を想定して、打てるだけの布石は打っておかないと。
出来ればこの提案が活かされない日が来てほしいものだが。
その点については北条殿への働きかけの方で何とかするしかないか。
ともかく今は目の前の風魔の方が最優先事項だ。
「これから風魔殿に先見の力で一つ預言してみせよう。これは北条殿にお伝えする事にも繋がるから良く覚えていてくれ。」
そう言うと、風魔は手にしていた茶碗を畳の上に置いて改めて俺に向き直る。
それに小さく頷いてみせて、俺は手にしていたマグカップをそっと畳の上に置いた。
「単刀直入に言おう。そう遠くない未来に小田原の北条殿の元へ豊臣が攻め込むだろう。」
「―――――――ッ?!」
「落ち着いてくれ。この未来というのは不確定なところがあってな。この先の未来は幾重にも枝分かれしていて、どの未来へと落ち着くのかまだハッキリとはしていない。もしかしたら豊臣の挙兵自体が起こらないかもしれない。だが、このままでは小田原が戦場となる可能性が極めて高くてな。だからもしそうなってしまった時に被害を、犠牲を少しでも少なく出来るよう、俺は僅かばかりだが助けとなりたいんだ。」
「…………………………。」
そこまで話して俺は小さく息をつく。
正直、こんな事を言った所で、はいそうですか――と信じてもらえるとも思えないが。
でもそうであればある程、それが現実となった時の効力は、俺の先見の神子としての存在は大きなものとなる。
俺は流石に戸惑わずにはいられない様子の風魔に、苦笑いを浮かべてみせるしかなかった。
急に告げられた思いもしなかったであろう俺の言葉に暫く考え込んでから、風魔は懐から巻物と携帯用の筆入れを取り出す。
そのままサラサラと何かを走り書くと、風魔はそれを俺に向けて広げてみせた。
意外といったら失礼だが、予想以上に達筆なその文字。
流石に一瞥して判別出来る程俺もこの世界の文字には慣れていなかったが、そのこちらに向けられた巻物に綴られている文字を少しずつ解読していけば。
『避けられぬものなのか?』
そう書かれていて。
俺は半信半疑とはいえ俺の言葉に耳を傾けてくれた事に胸を撫で下ろす。
「正直今のままだと豊臣の小田原出兵は避けられないだろう。俺も風魔殿程ではないが色々と諸国の情報を集めていてな。流石にこのままでは回避するのは難しいと判断した。」
『氏政様はどうなる?』
「そこからが問題なんだ、風魔殿。このまま行けば圧倒的な軍事力によって北条殿は危機的状況に陥るだろう。そこで俺の出番という訳だ。」
「???」
「俺はその危機的状況を回避する為の術を知っている。だから俺は北条殿へお会いしてその術をお伝えしたいんだ。北条殿と小田原の民を少しでも守れるように。」
正直な事を言えば一人の犠牲も出さないようには出来ないと思う。
でも北条にとって一番最悪な未来は、氏政殿が討たれ北条が滅亡し、主だった家臣達も処罰され、領民達が他国の兵達に蹂躙される事だろう。
その最悪な状況を避け、少しでも一人でも多く犠牲を出さずに済めば。
そしてそれによって北条の力が温存され、家康の助けとなってくれるなら。
それがお互いにとって一番良い結果を生む筈なのだ。
そりゃあ勿論戦など一つも起こらず誰も犠牲とならないのが一番に決まっているが、この世界でそれを為せる程俺の力は大きくは無いし、この世界もまだその域まで達していない。
それに、未だこの世界の事を知らない、ぬくぬくと未来で生きてきた俺には『戦は良くないから止めよう』なんて事、簡単に言う権利などないのだ。
この世界にはこの世界の事情があって、現代を生きる俺の価値観を全て是として押し付ける事は出来ない。
勿論この世界の人達だって皆がこの状況を望んでいる訳ではない。
だからこそ、家康のような存在が居るのだ。
そしてその家康のような存在が少しずつ、色々な苦労を積み重ねて、身を削るような艱難辛苦に耐えるからこそ、本当に皆の望む平和で穏やかな世界が作れるのだ。
ぬくぬくと生きてきた人間の軽い言葉や、エゴにも近い一方的な価値観、現実にそぐわない理想論――それらが人の心を動かす事は出来ないんだ。
だから俺はそれを成す事の出来る家康の為に、少しでも良いと思われる方向に導いていきたい。
まあ、この考え自体も俺のエゴでしかないのだけれど。
「風魔殿、俺は出来ればアンタと契約を結ぶような日は来てほしくないんだ。でもそうならない為には俺の話を少しでもいいから信じてもらって、北条が滅びる事などないようにあらゆる手回しをしておかなくてはならない。その為に風魔殿の力を借りたいんだ。風魔殿達忍も、豊臣との戦で少なからず犠牲を出さずにはいられないだろうから。俺はそれも避けたいと思っている。」
『何故そこまで我等を?』
「勿論少しでも犠牲を出したくないというのが一番だ。たとえ世話になっている三河の民でなくても、人が数多死ぬのを心から喜ぶ者はいないだろう?だが確かにそれだけじゃないのは否定しない。俺は出来たら北条に家康の味方となってもらいたいんだ。」
「?」
「俺は先見の力を持つ。だから言える事だが、この世界を真に平和で穏やかな世に出来るのは徳川家康。今でも東照権現と呼ばれているようだが、その更に後には東照大権現の称号を持つまでになる家康を、北条殿に――そして風魔殿、アンタにも助けてもらいたいんだ。歴史の正道を歩むのは――徳川家康だから。」
「……………。」
「勿論今こんな事を言った所で信じられないのは分かっている。だから、さっきも言ったがもし俺の預言が現実のものとなり豊臣が攻めてきたら、その時は俺が先見の神子だと信じて欲しい。そして万一の時は俺と契約して家康の力となって欲しい。ただ、それだけなんだ。でもまずはそれを避けたいからアンタに予言をしている――とまあ、こんな所だ。」
そこまで話して俺は小さく息をついた。
これで風魔が多少なりと俺の話を聞いて、対豊臣の為の対策を講じてくれればいいのだが。
風魔を納得させられるだけのものをこれ以上持たない俺には、これが今出来る精一杯だ。
俺は、彼にとってはあまりにも突拍子もないであろう話をそれでも真剣に聞いてくれている風魔にペコリと頭を下げて、俺の話に付き合ってくれた事を感謝した。
さて、もうそろそろ家康が書状を持ってきてもおかしくない時間だ。
そう思っていれば案の定聞きなれた廊下を歩く音がして、この城の主が姿を見せる。
ホントいいタイミングに現れるものだ。
「すまんな遅くなって。」
「ああ家康。いや、こちらも今話が終わった所だ。」
「そうなのか?」
家康の問いに無言で頷いてみせる風魔。
それにホッと表情を緩ませて、家康は風魔に書状と思しき折り畳まれた紙の束を差し出した。
「待たせたな風魔。これを北条殿にお渡ししてくれ。」
差し出された書状を受け取ると、風魔はこっくりと大きく頷いてからそれを懐に仕舞い込む。
そして再び手元にあった紙と筆を手に、又してもさらさらと何かを走り書いたと思うと、家康の後ろに居た俺に見えるように紙をこちらに広げてみせた。
いや、本当に達筆でなかなか解読が難しいんだが。
それを目を細めてじっと解読してみれば。
『先刻の件、確かに承った。』
との文字が。
俺がハッ――と目を見開いて風魔を見ると、ようやく理解したと分かったのか一度だけ頷いてから、ヒュッと消えてしまった。
烏の羽らしき漆黒の羽を残して。
その内の一枚がふわりと舞って俺の目の前に落ちてくる。
それを掴まえて俺はクスリ――と小さな笑みを零した。
どうやら俺との契約の話、そうならない未来の為に力を貸してほしい旨の事、とりあえずは承知してくれたらしい。
「先刻の件??一体何を風魔と話していたんだ??」
羽を手に表情を緩めている俺に、家康が不思議そうに目を瞬かせる。
「内緒だ。」
片目を瞑りそう答えれば、どこか不満そうに眉を寄せる家康。
その顔は、自分に隠し事か――とでも言いたげで。
俺は苦笑すると、そんな家康をこちらへ手招いて、着物の上から着けていたヒップバッグの中からキャラメルを取り出し、何かを言い掛けた家康の口の中にそのキャラメルを一つ放り込んだ。
「む…っぐ!」
「拗ねるなよ家康。」
「すっ…拗ねてなどおらんぞ!」
どこか慌てたようにそう言う家康の表情は、どこか少年のようなあどけなさを含んでいて。
俺は思わず家康の肩を掴んて引き寄せると、その額に己が額をコツリ――とぶつけてみせた。
「安心してくれ。俺の一番は家康だけだからさ。」
家康の僅かに赤みの差した頬が一気に紅潮したのは次の瞬間の事だった。