Change the future8
あれから――。
家康と共に床に就いて暫くの間、俺は初めての状況に身体を固くしていた。
しかし、暖かな布団に家康の傍という居心地の良い空気に触れている内に。
俺はいつの間にか意識を手放していて、心地良い闇の世界にその身を委ねていた。
案外俺って図太い神経を持っていたらしい。
結局次の日の朝、家康を起こしに来た部下の人――恐らくは小姓だと思うが――が悲鳴のような声をあげるまで俺は呑気に惰眠を貪ってしまった。
前日にパソコンのモニタに向かいっぱなしだったのが効いたのだろうか?
恐るべし眼精疲労。
兎にも角にも前の晩には居なかった人の気配に、小姓らしき少年が大声を上げた事で俺達二人は目を覚ました。
それと同時に警備の忍と他の傍付きの家臣の人達も血相変えて部屋に飛び込んできたが。
正直な事を言えば、小姓の少年が叫んだのはどんなニュアンスでだったのか、イマイチハッキリしない。
何となく、曲者!!ってカンジで叫ばれたというより、ご寵愛を受けたい殿の褥に昨晩は誰も居なかった筈なのに、朝になったら誰ぞの気配がある?!って事で思わず悲鳴が出てしまった――ってカンジがしたんだが。
それは俺の曲解だろうか?
しかしその一方で何をどう伝言ゲーム状態になったのか、古参の家臣の人の中には『ついに家康様が伴侶をお決めになられたのか?!』だの、『これでお世継ぎは盤石!!』だの言う人が出始めて。
すっかり俺は殿と一夜を共にした何処ぞの女性という事にされかかっていた。
…………こんな図体の女性が何処に居るっていうんだ…全く。
そんなこんなで、俺はこちらに戻った早々、あちこちで誤解を解いて回る事を余儀なくされたのだった。
しかし今更ながら…家康の周囲には特定の女性の存在が見えてこない事に気付く。
国主様で、なかなかの爽やかスポーツ系イケメンで、同じ男の俺から見てもカッコイイという言葉が似合う家康。
頭も切れるし、男らしく鍛え上げられた身体に、性格も悪くないし、見ている限り女中さん達にも分け隔てなく優しい。
立場的にもどう考えても女の子だって選り取り見取りの筈なのに。
でも嫁さんはおろか、目を掛けている女中さんや家臣の娘さんの気配すら感じられない。
まあ、普段の家康の様子を鑑みるに、今は何より天下泰平が一番…嫁さんの事は後回しってカンジだろうか。
そんな所も俺の知る歴史と違っていて、俺は改めてこの世界が俺の生きる世界とは違うのだと再認識させられた。
そして――こちらへ戻ってきた本来の目的を果たすために、俺は国主として色々と忙しいであろう家康に改めて時間を設けてもらって、この世界の事とこれからの事を話し合う機会を作ってもらったのだった。
「悪いな家康、忙しいのに。」
「何の!が気にする事はない。」
「気にしてるんじゃない『心配してる』んだ。」
「………そうか。」
「前にも言っただろう?アンタは俺の前でも無理して笑うから。」
「ありがとう。だが本当に大丈夫だ。」
「ならいいが……。」
「ふふ…っ!それにな?せっかくこうしてと共に居る時間が取れたんだ。それがワシにとって苦となる訳もないだろう?」
まあ俺との会話がストレス解消や仕事の合間の休憩的なものになっているというのならいいんだが。
俺はどこか穏やかな表情で微笑む家康に、小さく頷いて見せた。
「実は家康にいくつか頼みがあるんだ。」
「頼み?ワシに出来る事なら何でも言ってくれ。」
「ありがとう。そしたら…まずは今現在の状況を教えて欲しい。俺が居なかった間に起こった事や、今の情勢とかを出来る限り教えてもらいたいんだ。」
「情勢…か。」
「もし説明しにくかったら俺の質問に答える形でも構わない。それで現在の状況を推測していく。」
正直、今歴史的にどのあたりまで来ていて、どの方向へ進んでいるのか。
それだけでも大分方向性を掴む事が出来るだろう。
それが分からなければ、最悪の未来への道筋を消す事は難しくなる。
やはり俺にとって情報が一番の武器であり、今後を考える一番のデータであるわけだしな。
「情勢はともかくとして……が居ない間に起こった事だったな?うむ…一番大きな事といえば信長公が討たれた事だろうか。」
「織田信長殿が?!本能寺か?!」
「ははっ…!流石は先見の神子殿だな。如何にも信長公は本能寺で討たれた。それが誰によるものなのか、それもは知っているのだろう?」
「明智……か?」
「ああ、まさか信長公が明智の手によって討たれる日が来ようとはな。」
「家康………アンタは大丈夫だったのか?」
「ワシか?ワシはこの通り無事だが…ワシも明智に狙われているのか?」
どうやらこの様子から察するに家康は本能寺の変には一切関わりが無いらしい。
定説では信長への表敬訪問の後に堺に居た家康が明智軍からの襲撃を回避する為に伊賀越えをしたとか、家康と明智は繋がっていたとか色々言われているが、そもそもこの家康は信長の元を訪れてもいないようだし、堺へも足を運んでいないのだったら逃げ帰る必要も怪我を負う可能性も無い訳だ。
家康の身に危険が及んでいなかった…それについてはホッとしている。
「いや……アンタが無事だったんならいい。アンタだって三河の国主なんだ、他国から狙われていたっておかしくないし、本能寺での事を切っ掛けに明智が三河へも手を出す可能性も考えらえたしな。それに信長殿と同じようにアンタも下剋上されない保証は無いだろう?だから少し心配になってな。でもまあ、アンタには無用の心配か…アンタは部下の皆に慕われているし。」
「そうであってくれるといいんだが。」
「そうに決まってる。」
「ふふふ…っ!に言われると何だか本当にそんな気がしてくるから不思議だ。」
「そうか?」
何やら妙に嬉しそうに笑う家康。
それに首を傾げながら、俺は手元のノートパソコンを立ち上げる。
ここは俺の知る過去ではないのは確かなのだから、今はどんな些細な事でも漏らさず聞き取らないと。
俺はその後もいくつか俺の居ない間に起こった事や諸国の情勢を家康から聞き出しながら、次々にその情報をパソコン内に記録していった。
これだけ色々な事が分かれば歴史書の一つでも書けるんじゃないか、俺。
でもそのデータ収集のおかげで一つ、俺は又新たな――そしてかなり重要でもある歴史との相違点を見付ける事となった。
つい最近起こったはずの本能寺の変より遥か前に、何故か小牧長久手の戦いが起きているらしいのだ。
史実的には、徳川家康と豊臣秀吉が争ったというあの戦。
それを聞いて、俺はようやっといくつかの腑に落ちなかった事を合点する事が出来た。
以前家康が言っていた桶狭間の戦いの時に既に今川傘下でなかった事、今回の本能寺の変の際に信長の元を表敬訪問もせず堺にも行かなかった理由、これで全てが繋がった。
つまり―――既に小牧長久手の戦いで豊臣傘下となっていた家康に、桶狭間で今川傘下である事も、本能寺の変の時に信長の同盟者たる事も出来ようはずがないのだ。
まあ、歴史の流れとそれぞれの武将の年齢も違っていたり、年齢的に本来関わり合う筈もない人達が主従関係を結んでいたりしてりるのだから、今更戦場が歴史的に前後していても今更驚く事も無いが。
何と言ってもここは俺の知る史実の世界ではなく、アクションゲームの世界観を持つ世界なのだから。
兎にも角にも、以前聞いた桶狭間の戦いの時同様に、今回の本能寺の変も定説なら家康の人生を左右する一大事だった訳だが、幸いにしてこちらの家康には大きな影響は無く済んだようだ。
そう考えるとこれから先の展開は、ゲームの世界の道筋を辿る可能性も極めて高くなってくるという事だ。
となれば…これから本格的にこの世界での情報収集を行わなくてはいけなくなりそうだ。
それも出来るだけ早急に。
Time is money――時は金なりだ。
時が過ぎれば、それだけで状況は変わっていく。
刻一刻と変わっていく情報をいち速く掴み、それを活かす事で他の誰よりも有利になれる。
情報戦を制したものが勝者となる――それがこの世のセオリーだ。
ただ一つ気になるのは……史実の流れでもなく、ゲームの主だったストーリーでもない歴史の流れを、本当に俺の力で新しく拓く事が可能なのか――と言う事だが。
まあ、やりもしない内から今ここでアレコレ言っていても仕方ない!
俺はこの手で家康の未来を拓き、家康の心を守ると決めたのだから。
「よし!………これでおよその状況は掴めた。ここまで動きがあるなら急いだ方がいいな……。」
「?」
「ああ、二つ目の頼み事なんだが……服部半蔵殿、居るだろう?半蔵殿を俺に貸してほしいんだ。」
「半蔵を?」
驚いたような家康に、俺は無言で頷いて見せる。
半蔵は勿論の事だが、それだけでなくもう少し規模の大きい事を俺は考えていた。
「ああ、あと出来れば情報収集に特化した忍の集団を作る為に、忍をある程度俺に預けてもらいたい。その統括に半蔵殿を…と思っているんだ。」
「それは構わんが……今でも諸国の情勢を探らせる為に草として忍を放っているぞ?何か必要な事があるならその者達を呼ぶが?」
「いや、俺は今とは違う形の忍の組織が必要なんだ。組織形態も、目的も、優先順位も全てが今までと違うであろう特殊な組織を。」
決して優秀な『戦忍』はいらない。
小田原の北条や甲斐の武田、越後の上杉のような飛び抜けた戦忍集団である必要など全くないんだ。
戦う事よりも、必要な情報を手に入れ、それをいかに迅速に必要な形で活かす事が出来るか。
それをこなす事の出来る忍が欲しい。
俺が必要とするのは戦略的に影響力のある情報を得る事、そしてその情報を武器として使う事。
たとえ戦術的に優れていなくても、戦略的に優位な状況に持ち込めれば、それだけで状況は大きく変わる。
たった一言の流言で人は疑心暗鬼し、国全体も揺らぐ。
情報とはそうした形無き武器。
情報を上手く操り、活かし、必要な形にしていく。
俺は戦術家ではなく、戦略家としてこの戦国の世を切り拓いていきたいのだから。
「…………………どうして新たな忍組織が必要なんだ?」
暫く考え込んでから、家康は真剣な表情で俺を見詰める。
国主としての顔がそこにはあった。
「………俺が『先見の神子』となる為に。」
その俺の言葉に、家康は驚いたように目を見開く。
それもそうだろう。
以前家康が俺の事を『先見の神子』と称した時に、俺はあまり良い顔をしなかったのだから。
その俺が自ら先見の神子となる事を宣言したのだ。
家康の反応も当然と言えば当然だ。
「先見の神子と呼ばれるのは嫌だったのではないのか??」
「今まではな。でも決めたんだ…俺は俺の意志で先見の神子となるって。」
「いったい何故…?」
「俺が先見の神子になれば俺の影響力は大きなものになるだろう。俺の一言が人を動かし、選択を誘導することになる……その為の布石として――俺の手足として俺の手助けを新たな忍組織にしてもらいたいんだ。」
俺の先見の神子としての力が大きければ大きいだけ、大きな力を持つと皆が思えば思うだけ、俺の影響力はより大きくなる。
そうすれば誰もが先見の神子の言葉を、力を信じ、その言葉を受け入れようとするだろう。
俺は『先見の神子』という『偶像』を創り上げたいのだ。
本当の俺の力では何も出来ないが、その偶像の力が家康を助ける力になる。
その偶像の『先見の神子』を演じる事で、家康の未来を、家康の心を守りたいんだ。
「何故そうまでして先見の神子としての力を望む?」
「俺が先見の神子としての力を見せれば、誰もが俺を本当の先見の力を持つ神子だと思うだろう。その俺がアンタを選ぶ――それだけでアンタは神子に選ばれし歴史の正道を行く者となる。未来を知り未来を語る俺の言葉は神の言葉。アンタは歴史の神の使徒たる俺に選ばれた正当な後継者となるんだ。」
「お前は……ワシの為に先見の神子となるというのか?」
「ああ、俺がアンタに出来る事――アンタの役に立つ事なんてそれ位しかなさそうだしな。」
現代育ちの俺じゃ戦で戦果を挙げる事はおろか、家康の盾にすらなれないだろうけど。
でもそんな俺でも、このまがりなりにも優秀とは言えない頭脳と、かき集められるだけのデータ、そしてこの世界で得られる優れた情報を武器に、俺は家康を守る為の目に見えない盾を作る事位なら出来る。
俺の武器は目に見えない。
それを駆使して家康の助けになりたいんだ。
「……ワシはワシの為にお前が望まぬ役回りをするのは本意ではない。」
「言っただろう家康、俺は自分の意志で先見の神子になるんだって。」
「だが自ら望んで先見の神子になるのではなく、ワシの為にそれを選んでくれるのだろう?それではの意志とは言えんのではないか?」
「俺がそれを選んだんだからそれでいいんだ。家康、アンタは俺の先見の神子という存在を利用してくれればいい。」
「利用だなどと!ワシはお前をそんな風に――!」
「分かってるよ家康。アンタはそんな奴じゃないって。でも俺がアンタの役に立ちたいって思ってる事は理解してくれ。もし俺の事を思ってくれるなら、俺の作り出す先見の神子という存在すらも上手く使ってアンタの役に立ててくれる方が俺にとっても本懐だ。」
アンタの俺に対する存在価値。
俺はこの先見の神子を演じる事で、そこにその存在価値を見付けたいのかもしれない。
そうでなけりゃ俺なんて何の力も価値もないただの未来人、異世界人でしかないのだから。
「そこまでして……、お前はワシを選んでくれるのか?ワシを助けてくれるのか?ワシはお前に何を返したらいい?」
何処か切なそうに目を細めて、家康が俺の手を取る。
「何もいらないさ。前に言っただろう?俺はアンタに賛同してアンタを助けたいと思った。俺を友だと言ってくれたアンタを助けるのに何の見返りが必要なんだ?そもそも俺はこっちで何か見返りを貰ったとしても、あちらの世界では何の役にも立たないんだぞ?」
「だが……。」
「そうだな…もしどうしてもと言うなら、アンタが幸せになってくれればそれでいい。天下人が幸せでない世界で、どうして皆も幸せになれる?」
だって自分達の為に粉骨砕身してくれている大切なお殿様が、自らを擦り減らして苦しんでいたら、自分達だけ呑気に笑っていられないだろう?
トップが自ら幸せに笑っていられたら、他の皆だって心から笑って生きていける。
「それだけの事で……お前は……。」
「だから家康、アンタにもう一つ頼みたい。俺の存在を――先見の神子の存在を世に広められる機会を作ってくれないか?そうだな……まずは北条殿へ渡りをつけてもらえると嬉しい。」
「北条殿??」
「ああ。出来れば、異国の珍しい菓子が手に入ったから花見がてら挨拶に行きたい…とでも書状を送ってもらえると助かる。」
「小田原はそろそろ桜の見頃を迎える頃だ……成る程、良い口実ではあるが…。」
「そう、だからこうも付け加えてもらいたい。『桜の時期は短い故、急ぎ返答を頂きたい』と。そうすれば恐らく使者ではなく忍に書状を持たせるだろう。それも往復の時間を考えれば出来るだけ優秀な忍に。」
「そこまでの忍となると……。」
「風魔小太郎……上手くすれば風魔が来てくれるかもしれない。」
「は風魔との接触を望んでいるのか?」
「そうだな…それもある。勿論北条殿にもお目に掛かる機会を作りたいのは確かだ。」
歴史上では北条家は豊臣秀吉による小田原征伐で滅亡するはずだが、確かアクションゲームの世界では滅ぼされる事無く関ヶ原の東軍の一員に名を連ねている状況もあった。
だからそれが起こる前に北条殿にそれとなくその情報を吹き込んでおきたいのだ。
そして北条征伐が起きた時に北条家が生き残る為の布石を残しておけば、北条殿は俺を真の先見の神子として祭り上げてくれるだろう。
そして、万一北条家が滅ぶ…もしくはどこかの勢力に降り、風魔が北条から解き放たれたとしても、松永久秀の手に渡る前に風魔をこちら側へ引き込む事が出来るように。
対策は二重三重にしておいても損は無い。
あらゆることを想定して対策を講じる。
特に史実――定説通りに歴史が動かないかもしれないこの世界ならなおの事。
「分かった。の言う通りにしよう。」
「すまないな、家康。手間を掛けさせるが。」
「いや、それも全てワシの手助けの為…なのだろう?ならばこれ位はどうという事も無い。だが、本当に良いのだな?先見の神子として生きる事――。」
「構わない。」
「そうか分かった。ならばワシも腹を括るとしよう。」
「よろしく頼む。」
「とは言ったものの……実を言うとワシは今回の事、少し楽しみでもあるんだ。」
悪戯っぽく笑ってみせて、家康は俺の肩に己の肩を乗せる。
肩を組んで耳元に口を寄せて小さく囁くと、家康は照れ笑いを浮かべた。
「初めてと遠出をして花見に行けるのだろう?口実とはいえ、楽しみなんだ…友と桜を愛でる時間が取れるというのが。」
小田原の桜は絶景だぞ――そう言って家康は楽しそうに表情を緩めてみせた。