Change the future6
あれから――家康に送り出されて、俺は久方ぶりに自身の部屋へ足を踏み入れた。
部屋の時計を見てみれば俺が最初に部屋を出ようとしていた時間からさほど経過していない。
俺は改めて二つの世界の時の流れの違いに大きく溜息をついた。
「いかんいかん。こんな事してる場合じゃない。」
そうだ。ここでの30分は向こうでは5日以上にもなってしまうのだ。
ぼんやりしていたら、ただでさえ差のある二つの世界に更に差が開いてしまう。
俺は慌ててパソコンの置かれている机の方へ駆け寄るとパソコンの電源を入れた。
起動の間に出来るだけの事をしておこうと、そのまま俺はプリンタを起動し、タブレットを充電する為にUSBケーブルを差し込み、更にノートパソコンも充電の為コンセントに差し込む。
持ち出せる資料はあらゆる媒体で出来るだけ多く持ち出そうと思ったからだ。
いくら調べものをしたとして、俺自身の脳内メモリじゃ記憶出来る量は限られている。
流石に全ての情報は記憶しきれない。
それなら使えるものは何でも使ってしまえばいいのだ。
そこは当然、情報という名のデータだけではなく、物理的な物も全て込みで。
俺は更にクローゼットの奥の方から旅行用のスーツケースやキャリーケース・ボストンバックを引っ張り出してきて、自分の部屋から持ち出せそうな――そして何かしら向こうでも役に立ちそうなものを片っ端からその中へ詰め込んでいった。
保存用の缶詰やレトルトなどの非常食からあちらでは手に入らないであろう調味料一式、俺の服や身の周りの物などの生活必需品、更には時計やカメラなどの家電からモバイル系、果ては買い溜めしていたお菓子や酒などの嗜好品に至るまで、もう際限なくごった煮状態で。
ともかくも、俺は1分1秒も無駄に出来ないとばかりにバタバタと部屋の中を駆け回った。
「さて、そしたらまずは家康の事から調べるか…。」
あらかた持ち出す物を詰め終わった所で、俺はティーカップ片手にパソコンの前に陣取る。
これからが本題だ。
俺はこの先家康の手助けになるかもしれない歴史的資料をかき集める為に、まずは手始めにサーチエンジンで家康自身の名前を検索する事にした。
ブラウザを起動し『徳川家康』と打ち込んでみる。
と、その段階でハタ――と気付いた。
一体どのサーチエンジンで調べたらベストなんだ?
何も考えずに無意識にいつもと同じ使い慣れたサーチエンジンを開いたが、この手の情報を集めるには他のサーチエンジンも使った方が良いのだろうか?
大体が同じような内容を表示するとはいえ、それぞれのサーチエンジンによって多少の違いは出る可能性がある。
となれば、いっそ複数のサーチエンジンで検索かけてみるか。
それとか歴史的項目を取り扱っているサイトの登録型サーチとか。
俺はブラウザのタブを複数開いてそれぞれ違うサーチエンジンで家康の名前を検索してみた。
「あ……れ?これって……??」
大手サーチエンジンで検索した結果を見比べていて、俺はふとマウスを動かしていた手を止める。
とあるサーチエンジンの表示内容の片隅に見覚えのあるものが目に留まったからだ。
検索結果の片隅、複数表示されている画像の中にそれはあった。
「これは…家康!」
歴史の教科書などで誰もがが良く知る肖像画の徳川家康公の画像が溢れる中で、ひときわ異彩を放つそれ。
俺の良く知る――そしてとてもじゃないが数百年前の人間を描いたとは思えない程、余りに現代的な画像処理の施された姿。
俺は、そのあまりの違和感におもわず目を見開いた。
だってコレ、どこからどう見てもCGで作られたキャラクターって感じじゃないか。
しかし、姿形・服や髪型、そしてあの精悍で爽やかな好青年を思わせる顔つき…そのどれもが俺の知る『徳川家康』そのものでしかなくて。
俺は急いでその画像をクリックしてリンクを辿った。
「…………………………………………なんてこった。」
暫く無言であちこち調べていた俺は判明した事実に頭を抱えざるをえなくなる。
確かにあちらの世界はどうも俺の持つ知識の中の歴史と大分差があったが……まさかこんな状況が現実として待っているとは。
「家康は……あの家康はゲームのキャラクターだってのか……。」
俺が出会った徳川家康。
それが歴史上の武将達をモデルに作られたアクションゲームの登場人物なのだと、リンク先のどれもがそう告げていて。
俺は信じられない思いを抱えながらも、最終的にそのゲームを出しているゲーム会社の公式ページから、果てはWikiやアニメ・関連商品販売・動画サイトのプレイ動画・画像投稿サイトまでありとあらゆる所を見て回った。
そして知るあの世界の事。
家康の辿るであろう運命。
なるほど、今にして思えばゲームの世界観だったのなら理解も出来る。
歴史の流れと合致しない家康の年齢を筆頭に、本来なら有り得ない武将同士の関係性、起こらない歴史の流れ、有り得ない程進んだ絡繰り技術、そして婆娑羅者が持つという力――属性の存在。
全てがゲームを彩る為の要素だったのなら何のおかしな事も無い。
そして俺は知る――この世界観がゲームであり史実でないのなら、家康が辿る未来の可能性は数多存在するのだと。
俺が調べただけでもゲームは数年にわたって複数本発売されている。
その中で描かれるストーリーはおよそ史実から著しくは外れてはいないが、それでも史実と違った様々な未来を描き出していた。
それはプレイヤーがどんな選択をするかによって変わっていく世界。
つまり選んだ道が違えば違う未来が拓ける。
そう、選択する道が違えば数多の未来が存在するという事。
だったら家康が辿る最も史実に近い世界――そしてそれが家康個人にとっては必ずしも最良とは言えない――その世界への道を、もしかしたら辿らずに済むかもしれない。
家康の、天下を統一し平和な世を築くという望みを叶えても、家康が苦しまずに済むような世界に出来るかもしれない――と。
だって俺は見てしまったんだ。
幾つもの選択肢の中の一つ――最も史実に近い世界で。
『友』を『この世界』の為にその手にかけざるをえなかった家康の慟哭を。
声を殺して泣く徳川家康という一人の男の姿を。
だから俺はあの悲しい世界にだけは、俺の知るあの家康を導きたくはない。
確かに別の選択によって別の歴史が紡がれたり、その後に発売された続編のようなゲームでは別の選択・別の歴史の流れによって導かれた更に新しい別の世界もあったけど。
でも、それでもゲームの中のどの家康も常に苦しんでいるように見えた。
あの深く美しい琥珀の瞳の奥に――あの太陽のような暖かさの中に、深い苦悩と悲しみと葛藤とを抱え、それを決して部下や周囲には悟らせまいとしていた。
そして己の中の矛盾に苦しんで苦しんで苦しんで。
それでも自分の心を殺して、人々の為に公人『徳川家康』を創り上げていた。
でもその姿は俺にしたらとても淋しく切なく見えた。
それだけに留まらず、家康が志半ばで倒れ天下人とならない世界でも、家康は謂れのない誤解を受けて命を奪われたり、大切な友を生かす為に誤解されたまま自ら憎悪される道を選んでいたり。
常に自分個人の感情ではなく、大切な友の為の選択をしていた。
だから俺は――俺の出来うる限り全ての力と情報と知識とを総動員して、この優しく暖かで――そのくせ自分の事は疎かにする本当は不器用な『友』を少しでも彼にとって優しい世界へ導こうと、そう決めた。
元の世界に戻る為じゃない。
俺の知る歴史に添わせる為じゃない。
俺の『友』が本当に笑える世界で生きて行けるように。
「俺にそんな力は無い…なんて言ってられないな。」
力が無いんじゃない。
その力を自らで作り出すんだ――家康の為に。
家康の心を守る為に。
そして俺はかなりの時間を掛けて家康の事だけでなくゲーム内のあらゆるデータをはじめ、史実の徳川家康の情報、他国の武将の情報、歴史的資料、戦場の事から当時の政治・経済・情報…とにかくかき集められるだけの膨大な情報をノートパソコンに、タブレットに、紙媒体に、スマホに記録していった。
そして何時間が過ぎただろうか。
まだまだ調べきったとは言い切れないが、かなりの情報を手に入れた俺は、手に入れた情報とスーツケース等一式を手に、家康の部屋へと続くドアを開いた。
「家………康………?」
恐る恐る扉の向こうを伺い見れば。
寝衣姿で褥に座る家康の驚いたように見開かれた瞳と視線がぶつかる。
流石に何時頃かまでは分からないが、どうやらちょうど就寝前の所に出くわしてしまったらしい。
俺は申し訳ない思いでスーツケースやらボストンバックやらキャリーバックやらを引き摺ると、慌ててこちらへ駆け寄ってくる家康に苦笑してみせた。
「!!」
「あー………変な時に帰って来てしまったみたいですまん。」
「何を言う!そんな事気にする事などない!しかし、よく帰って来てくれた!」
「あ……うん…………その………ただいま、家康。」
こっちの人間でもない俺がただいまなんておかしな表現かもしれないけど。
でも戻ってくると約束したから。
家康が『よく帰ってきた』と言ってくれたから。
だから俺は『ただいま』と言いたかった。
家康の所にきちんと帰ってきたのだと。
約束は守ったのだと――そう言いたかった。
「ああ、おかえり。戻ってくるのを待っていたぞ。」
「待ってて…くれた…のか?」
「当然だろう!言っただろうお前の戻りを心待ちにしている――と。覚えてはおらんか?」
そう言って笑う家康の瞳は、変わらず深く美しい琥珀の輝きを秘めていて。
俺はそれに無言で首を振ってみせた。
「ああそうか。の方は大して時は経っていないのだったな。こちらではもうあれから二月も経っていてな…が居ない間、ワシはが再びこの扉を開けて現れるのを今か今かと待ち侘びていた。」
「家康……。」
「本当の事を言うとな?もう二度ととは会えないのではないかと…この二月ずっと不安だった。皆には内緒だぞ?」
ははっ――とまるで照れ笑いのような表情を浮かべて、軽く頬を掻いてみせる家康。
まるで生き別れた親兄弟との再会のような口ぶりに些か照れはするものの、でも本当に俺の帰りを待っていてくれたのだという思いが自然と俺の笑みを深くしてしまう。
そして家康が自身の思いを素直に口にしてくれたことが嬉しかった。
不安を俺に漏らして…俺に不安だった気持ちの重さを分けてくれた事が嬉しかった。
「正直言うと俺もちょっとばかり不安だった。あの扉を開いても家康の所に繋がってなかったら…って。そのまま何事も無く外に出れてしまったらって。」
「でもそれはにとって良い事だろう?元の世界に戻れるのだから?」
確かにそうかもしれない。
少なくとも、この世界に来た直後の俺だったらそう思っていたかもしれない。
でも今は違うんだ。
あの扉が俺のあるべき世界に――俺の部屋の外へ通じていなくて良かった。
俺の言葉に不思議そうに首を傾げる家康に小さく笑うと、俺は前に見た時よりも傷の増えた包帯に包まれた家康の手を握りしめる。
そしてそのままフルフルと頭を振ってみせた。
「だってこれで俺は又家康に会う事が出来た。ここに帰って来れた。俺は家康の所に戻りたかったよ。」
「……。」
「確かに元に戻れたらそれがいいのかもしれないけど…でも俺個人は――はもう一度ここに帰ってきたかった。家康の――俺の『友』の所に帰りたかったんだ。」
これは俺の真実。
だから俺はドアの先に家康の顔が見えて本当に嬉しかったんだ。
「……ワシは……。」
「でもまぁ…かなり長い時間俺はこっちに居なかったから、もしかして俺の事もすっかり忘れられてるかも――なんて思ってもいたんだがな。」
「忘れるなど!そんな事あるわけないだろう!ワシにとっては――!!」
そこまで言って家康は口籠る。
そしてどことなく切なそうに目を細めると、懐から小さな包みを取り出した。
「が居ない間、ワシはずっとお前の事を考えていた。いつもこの鍵を見ての事を思い出していた。」
家康の大きな手の中に握られている鉄製の鍵。
俺の部屋と家康の部屋を繋ぐ扉に着けられた錠前を開ける為のもの。
家康が俺と家康を繋ぐものだと、絆だとそう言った鍵。
それが家康の掌に乗せられていた。
「家康……ソレ、いつも懐に入れていたのか?」
「ああ、ここにあればいつでもと共に在るような気がしてな。それに願掛けでもあったかもしれん。が一日も早くワシの元に戻ってくれるように――と。」
一種のお守りのようなつもりだった――そう言って家康は更に笑みを深める。
そのまるで少年のようでもある笑みに、俺は胸の奥深くが締め付けられるような感覚を覚えた。
この笑みを少しでも多く家康に与えたい。
勿論家康が進む道の先には否が応にも苦難や悲しみが待ち受けているのかもしれないけれど。
この笑みが曇る時は必ずあるのかもしれないけれど。
でもほんの少しでもこの太陽のような人の笑顔を増やしたい。
家康の行く先の可能性を知った今では、この笑顔の――この暖かさの貴重さがより深く感じられるから。
だから俺は家康を助ける為に、この世界で自ら『先見の神子』となる事を決めた。
先見の神子として、俺が持ち得る全ての力をもって、家康の世界を切り拓いてみせる。
俺の見たゲームの中の家康…あの存在のような思いは絶対にさせない。
それが史実に沿わぬ事であろうと、歴史の――時の神に逆らう事であろうと。
俺は、俺の大事な友を――家康を守ってみせる。
「家康?」
「ん?どうした?」
「ありがとう…………俺を待っててくれて。」
そう言って笑う俺に。
家康は握った手を握り返してこう呟いた。
「こちらこそだ。帰って来てくれてありがとう………。」