Change the future5
「家康、俺…暫く自分の部屋に籠ろうと思うんだ。」
家康の部屋と俺の部屋が繋がって暫く、俺は家康達の住まうこの世界の事を知る為に時間を費やした。
何と言っても情報は最大の武器だ。
それに何より俺自身この世界の事をまだ何も知らない。
家康や家臣の人達に僅かずつではあるが話を聞いてはいるが、そうするに従って俺は大きな違和感を感じずにはいられなくなった。
厭離穢土欣求浄土の馬印の話に始まり、桶狭間での歴史的事実との相違、本多忠勝を始めとする絡繰り技術の想像以上の発展具合…そして、これが一番大きな疑心の原因――婆娑羅者が持つという属性の存在。
他にも家康の年齢やら他国の情勢・武将達の関係性…細かい所をあげたらキリが無いが、兎も角も明らかに『おかしい』と言わざるを得ない事が余りにも多すぎるのだ。
これは俺が専門的な歴史的知識が無いとか、そういったレベルの話じゃない。
明らかに俺の知る歴史と違うのだ。
だから、俺は出来うる限り、かき集められるだけの情報をかき集めた。
そしてこれ以上ここでの情報収集は見込めない…と判断して、俺は次の手段を講じる事にした。
俺の次の手段――それは自身の部屋に籠って調べられる範囲の事をネットで調べようというものだ。
確かに俺の部屋から外の世界へは出口を失ったものの、幸いにして俺の部屋は未だ通常通り電気も通っており、パソコンもスマホもタブレットも何ら問題なく使う事が出来る。
勿論ネット上には眉唾なものや作り話的なものも多いが、それでもその情報量は莫大だ。
もしかしたら俺が知らない歴史的事実や、知られざる諸説・逸話なんかがあるかもしれない。
その内のどれかが、もしかしたら歴史的事実で、その世界に俺は居るかもしれない――そんな可能性だって考えられるだろう。
だから俺は俺の部屋に繋がる扉を開ける事を家康に申し出たのだった。
「どうしたんだ急に?勿論向こうはの部屋だから止めるような理由はワシには無いが…何かあったのか?」
「いや……あったというよりも、無いから籠る…といった方が正しいか。」
「いったいどういう事だ?」
俺の言葉に不思議そうに首を傾げる家康。
それに小さく頷いて、俺は大分長くなり始めた前髪を掻き揚げる。
「前にも言ったと思うが俺は歴史的には数百年後の未来から来た筈なんだ。だがしかし、俺の知る歴史的知識とこの世界はあまりにも違い過ぎていて…。」
「ああ、そういえば以前もそのような事を言っていたな。」
「あの時は情報不足で何とも断言しにくかったんだが…アンタや家臣の人達に話を聞いたり情報を集めるにつれ、それがより色濃くなってきてな。」
「やはりが知る世界と似て非なる世界…というやつか?」
「いや、それはまだ何とも…ともかく俺の知る歴史と余りに合致点が無さすぎるのは確かだ。」
「成る程!それで無さすぎる…か。」
「だから、もしかしたら俺の知らない何かがあるのかもしれない…と思ってな。俺個人の持つ情報量は少なすぎる。だから部屋に籠って暫く調べものをしようかと思ってな。」
勿論俺の求める情報が手に入る保証は何処にも無い訳だが。
でもこのまま何もせず手をこまねいていても時間は無為に過ぎるばかり。
このまま何も分からないまま時間を過ごしても家康の役に立てるとも思えないし、俺自身が帰る術を見付けられるとも思えない。
正直言うと、最近では俺はこの状況を一種の俺に課せられたクエスト的な物じゃないかという考えを持つようになってきている。
俺が例えば何かしらの課題的な任務的な物を与えられて家康の前に引き出された。
そしてその与えられた何か――これを俺は家康が天下を治める為の手助けだと考えている――をこなさない限り俺は元の世界には戻れないんじゃないかと。
だからいずれにしても今俺が出来る事は、出来うる限りの情報を集める事だと…そう結論付けた。
「そうか……それはどれ位掛かりそうなんだ?」
「分からん…俺が求める情報を早く手に入れられるかどうかはやってみない事には何とも…。」
「そうか……。」
一瞬、どこか寂しげな表情を浮かべた家康は、それでも次の瞬間にはその精悍な顔にいつもの笑みを乗せる。
これが家康の感情を押さえ込む方法なのだと気付いたのはいつだったか。
もしかしたら生きていく為に…国主となる為に身に着けた一種の後天的スキルなのかもしれないけど。
でもやっぱりそれを向けられるのは…あまり嬉しい事でもない。
「家康?」
「ん?何だ?」
「ここには誰も居ない。そうだよな?」
「あ、ああ?そうだな。」
「警護の忍もここでの会話は聞こえる範囲には居ない…。」
「うむ、そうだ。」
「じゃあ聞くけど………俺と離れるの……寂しい?」
「―――――ッ?!」
「寂しいか?家康?」
何の根拠があって――そう言われると厳しいが、何故か俺は家康が俺と離れるのを厭っているように思えた。
けれど、きっとそれを表に出すのは、寂しいと告げるのは、俺を縛り付ける事になるとでも思ったんだろう。
だから言葉を、思いを飲み込んだ。
国主の仮面スキルの下に感情を押し殺した。
そうすべきでないと――理性的な国主の仮面がそう囁いたのかもしれない。
「、ワシは……。」
「俺、言ったよな?俺にはアンタの思いを言ってって。家臣の人達の前みたいに思いを飲み込んだりしないでって。」
「ワシ……ワシは――」
「俺、アンタの『本当の』言葉が欲しい。俺と離れて…寂しい?」
別に寂しくないならそれでいいんだ。
ただ、アンタが吐き出せない思いを飲み込んで苦しまないならそれで。
でも俺の目にはそう見えなかったから。
だから俺はアンタへの思いは俺も偽らずに伝えようと思う。
「俺はさ、向こうへ行ってもほんの短い時間だから寂しいなんて感じるかは正直微妙だけど……でももし俺がこっちに残ってアンタを長い事待たなきゃならなかったとしたら……。」
そう。もしもこの後数ヶ月も会えないのだとなったら。
それはやっぱり寂しいし、その事を手放しで勧めたりは出来ない。
「行って欲しくないって気持ちになるよ。寂しいと……思うよ。」
だって俺にとっても家康はもう大切な人だから。
誰だって大切な人とは別れたくなんてないだろう?
「でも、もしそうなっても俺はアンタを止めはしないけどね。だってそれはアンタが必要だと思って選んだ道だろうから。けど……アンタを止める事と自分の気持ちを表す事は別の事だと思うんだ。だから俺は言うよ。アンタと離れる事になったら寂しいって。」
それが俺の正直な気持ち。
俺の偽らざるアンタへの思い。
家康が本当はどう思っているのかは…家康にしか分からないけれど。
「………ワシは……どう見える?」
「え?」
「寂しそうに…見えたか?」
「………うん……一瞬だけだけど。」
「そうか…………………やれやれ。」
「家康??」
「まったく…ワシはには見抜かれてばかりだなぁ。」
そう言って笑う顔は、何というか苦笑と言うより寧ろ参ったといったような感じで。
家康は大きく息を吐き出すと俺の座っている後ろに腰を下ろす。
そのまま背中合わせになると、家康はゆっくりと俺の背に身体を預けた。
「家……康?」
「本当にには何もかも見抜かれてばかりだ。には隠し事など出来んな。」
「そうか?」
「ああ、そうだとも。位だぞ?ワシをこんな風にしてしまうのは。」
全く敵でなくて本当に良かった――そう言う声には僅かに笑みが含まれている。
そしてそのまま家康は俺に寄りかかったまま天井を見上げた。
背中と肩に感じるずっしりとした家康の重み。
家康の命の重さ。
ここに、俺のすぐ傍に居るのだと分かる心地良い負荷。
それは家康が少しでも俺に気持ちを表してくれた証。
俺に背中を許してくれた印。
少しは俺の事を信じてくれたと思っていいんだろうか?
だって己の死角であり急所でもある背を預けるのは、きっと最大級の信頼の証の一つだろうから。
「俺だってこんな風にするのは家康だけだ。」
「そうなのか?」
「だってそうだろ?俺だって他の奴になんか俺の背は晒したくないし、こんな気持ちにはなったりしない。こっ恥ずかしい事だって言えないさ。」
でも何でかな?
アンタは違うんだ。
アンタには俺の思いをきちんと伝えたい。
そしてアンタの気持ちも素直に吐き出させたい。
俺は将軍様とか三河の国の国主様という仮面だけのアンタじゃなく、徳川家康という一人の人間と想いを共有したいんだよ。
「?ワシは物心つく前から国主としての道を歩いて来た。だからワシの望みは国主としてのものなのかワシ個人が望んでいるのかと問われたら答えに窮する事が多いだろう。…お前と離れ難く思うこの思いも、どのワシが望んでいるのか…それも正直ワシ自身も分からん。だが、それでもワシはワシを想ってくれると共に在りたいと思う。ワシも……………お前と離れなくてはならないのは……やはり寂しいよ。」
独白とも取れるようなその小さな声音に。
俺は床に置かれた家康の手に己が手を重ねる。
背中越しに振り返って家康の表情を見なくても、何となく家康の表情は感じ取れた。
だから俺は家康の手を握りしめるんだ。
「家康?俺さ、別に国主であるアンタを否定するつもりはないんだ。国主のアンタも、個人としてのアンタもアンタには変わりない。俺を友だと言ってくれるアンタに線引きなんか必要ない。どの面も全てアンタ自身。全てが徳川家康そのものなんだから。」
「……。」
「ただ、バランス…つり合いが取れてない事だけが心配なだけなんだ。アンタは良き国主であろうとし過ぎる。 公私の比率を公に重きを置きすぎる。だから俺は国主じゃないアンタが心配なだけ。ただそれだけの事なんだ。だから、アンタが俺と離れる事が寂しいと思ってくれただけで…嬉しいよ。ありがと……家康。」
ああ、もしかしたら本当は俺が家康と離れたくないだけだったのかもしれない。
だって向こうの部屋に行ったら、俺にとってはほんの数時間の事でも、家康にとってはとてつもなく長い時間になる。
その間に家康が俺の事を気に掛けなくなっていたら。
一時の気まぐれで物珍しい俺に気を取られただけだとなったら。
そうなるのが耐えられないんだ――俺は。
「そうだ、一つ頼みがあるんだが…構わないか?」
「何だ?俺に出来る事か?」
「そうだな…出来る事というか…預かりたいものがあるんだが。」
「預かりたい…モノ?」
「ああ、この扉の鍵、ワシに預けてはくれんか?」
珍しく自らの望みを口にした家康に、俺は首をひねらずにはいられない。
鍵を預けるのは何の問題も無いが、一体この鍵が何だというのか?
「は向こうへ行ったら扉に鍵をしてくれ。が戻る間だけこれをワシに預けて欲しいんだ。」
「預けるのは構わないが…俺が向こうで鍵を掛けたらこの鍵は意味を無くすぞ?この鍵で向こうの鍵は開けられないんだから。あちらから施錠されていない時にだけ、この鍵は意味を持つのだし。」
「分かっている。これは扉を開ける為に預かる訳ではない。これは…ワシとを結ぶ絆として持っていたいんだ。が居ない間は、これがワシとを繋いでくれる。」
だからその間はワシもの不在を耐えてみせるさ――そう言って家康は重ねた俺の手を握り返す。
前も思ったが、家康の手には傷が多い。
それも良く見てみれば比較的新しいものが多いように見受けられる。
正直、お殿様である家康の手に何でこんなに傷が多いのか不思議でならない。
けれどだからこそ、この手はとても大きくて暖かく感じる。
何というのか……ああ、大昔のどこかの長編アニメ映画であったなぁ『働き者のきれいな手』ってやつ。
DVDで見た記憶がある。
アレみたいな感じだろうか。
そのおよそ支配者とは思えない手に、この先のこの国の未来が託されるのだろう。
どうせ先を託すなら、お綺麗なだけの手よりこの方が何倍もいい…そう思うのは俺だけだろうか?
「分かったよ家康。また俺が戻ってくるまで頼む。」
そう言って観音扉につけられた錠前の鍵を握られた手越しに手渡す。
それを俺の手ごとギュッと握りしめてから、家康は小さく肩を震わせた。
「どうした?家康??」
「いや……気付いているか?お前、今戻ってくると言ったんだぞ?」
「ん?確かに言ったが?それが?」
「ははっ!分かっているか?『ここ』に『戻ってくる』と言ったのだと。にとって向こうの部屋が戻る所ではなかったのかと思ったらな……何故か嬉しくなってしまってな。すまない。」
思いもしなかったその言葉に、俺はポカンと口を開けて固まってしまう。
確かに俺は戻ると言った――ココに。
どちらかというとココというよりは家康の傍に――ってカンジだったが。
何の違和感もなくそう答えていた。
俺にとってここは…家康の傍は戻る場所になっていたらしい。
「ならば暫しの別れは寂しいが、こう言って送り出さねばならんな。……戻りを心待ちにしている――と。」
そう言って笑う家康は、俺の手をもう一度しっかりと握りしめた。