Change the future3
家康に促されて俺は、家康の部屋に繋がっていたドアを閉める。
おかしな事に、向こうからこのドアを見た時は明らかに年季の入った古い木製の観音開きの扉だったのに、こちらから見るドアは見慣れた鉄製の重いものだ。
まるで扉の裏と表が違う材質で出来ているようで変なカンジはするが、この際そんな事はどうでもいい。
俺はカチャン――という音と共に閉まったドアを確認すると、背後で見守ってくれている家康を振り返った。
「閉まった……ようだな?」
「ああ、念の為鍵も掛けてみた。これでこの扉は開けられない。」
「つまり、あちらとの繋がりは無くなった…という事になるな?」
「………多分。」
これであちらとの繋がりが『絶たれた』とするなら…だが。
こればかりは、そうなのかどうか俺には判断する事も決める事も出来ないからな。
兎にも角にも、まずは仮定を検証するしか今の俺達に出来る事は無い。
俺は改めて反対側にある窓へ向かうと閉められたままの窓の鍵部分に手を伸ばした。
「……………………どうだ??」
「………開かない。」
「そうか………。」
別にそこまで期待していた訳じゃないけど。
でも可能性の一つが消えた事は残念ではあった。
折角家康が俺の為に考えて、心配してくれたのか付き合ってもくれたのに。
申し訳なくなって、俺は僅かに俯く。
「残念だったが……なに、他にも何か方法があるかもしれん。気を落とすな、。」
そう言って励ますように俺の肩を叩く家康。
それに小さく笑って、俺は家康をローテーブルのある方へ促した。
俺の為に色々考えて付き合ってくれたんだ。
礼なんて大したものじゃないが、家康が俺に茶を勧めてくれたように、せめて俺も茶の一杯でも淹れてお返しをしたい…そう思って。
とはいえ、俺の家にあるものなんてそこまで高級な物はないからなぁ。
せいぜいが友人が土産にくれた宇治茶位で、後はごく一般的な市販品の煎茶や紅茶程度のものだ。
あ、後はインスタントコーヒーかフルーツジュースか。
そういや、この間トリュフチョコを貰ったばかりだっけ。
考えた挙げ句、俺は当たり障りのない、初めて口にする者でも普通に楽しめそうな極めてオーソドックスなダージリンを選ぶ事にした。
そういえば今気付いたが、この部屋普通に使えるぞ。
電気も問題なく通っているようで電気ポットは使えるし、ガスレンジも使えるからヤカンで湯を沸かす事も可能だ。
元の世界に繋がっていない筈なのに何でこんな所ばかりは普段通りなんだか。
そうこうしている内に準備の整った紅茶に頂き物のトリュフチョコを添えて、俺は何やら少しばかり緊張気味の家康の前にカップを置いた。
「待たせたな。大したものじゃないが良かったら飲んでくれ。」
「これは?」
「紅茶と言うんだ。俺も普段から良く飲む。」
「こうちゃ……か。不思議な香りがするものだな?」
「そうか?あ、あとこっちはもらい物だが良かったら食べてみてくれ。けっこう甘いが…家康、甘いのは大丈夫か?」
「ああ、嫌いではないぞ。」
そう答えはするもののカップに手を伸ばそうとしない家康に、俺はハタ――とある事を思い出す。
そうだ!いかん、いかん。大事な事を忘れる所だった。
俺は慌てて一度家康の前に置いたカップを手に取ると、そのまま一口だけ紅茶を啜ると、トリュフチョコを一つ口に放り込む。
「?」
「すまん、毒見が必要だったな。うっかりしていた。」
どうも自分がそういう生活をしていないもんだから考えもしなかったが、国主ともなれば毒殺も警戒しなければならないだろう。
生憎この場には家康以外には俺しか居ないので、俺が毒見役をするしか無い訳だが。
まあ、これで安心してもらえれば良いが…。
「違うんだ!ワシは…!別に毒殺を疑った訳ではないんだ!」
「そうなのか?なら…。」
「いや……この『こうちゃ』なるもの、どうやって飲めばよいのかと思ってな。」
思いもしなかったその言葉に、俺はポカンとアホ面を晒してしまう。
え?毒殺を警戒して手を付けなかった訳じゃないのか?
その俺の表情があまりにおかしかったのか、家康は苦笑気味に笑ってみせる。
「何やら周りに色々な物があるだろう?もしかして何かしらの作法があるのかと思ってなぁ。」
そう言われて見れば、ティーカップ以外に角砂糖やらミルクやらレモンやらジャムやら置いているし、スプーンにソーサー、ティーポットもそのままだ。
現代人なら当たり前の光景でも、初めて見る人間には何がどうなのかさっぱりでもおかしくない。
そういえば、家康の時代には茶の湯が流行っていたんだっけ?
俺には全然分からないが、茶道とかは作法やしきたりとか色々難しい事がありそうだしな。
そう考えれば、気軽な一服のつもりで出した茶も、家康にとっては未知の作法も知らないもの…って事になっちまう訳か。
しかし、ちょっと一服するだけでも作法とか…お偉いさんってのは大変なんだな。
「すまん、気が付かなくて。作法とか気にせず気軽に飲んでくれ。そうそう、飲みかたにも好みがあるから好きな様にしてもらって構わない。俺はこのミルクという牛の乳から出来たものを入れて飲む事が多いが…このレモンという果物を入れる奴も居れば、そのまま飲む奴も居る。ああ、飲みにくいなら砂糖やジャムもあるから。」
「砂糖なんて高級な物、いいのか?」
「あー…俺の生きてた世界ではそこまで高級品という訳じゃないんだ。気にせず使ってくれ。」
「そうか……ならば遠慮なく頂こう。」
そう言うと家康は角砂糖を一つ摘み上げる。
そして俺の顔を見ると、ティーカップに一つ放り込んだ。
「おおっ?!見る間に消えていくぞ?!」
「砂糖を入れたらこのスプーン……匙といえば分かるか?これで掻き混ぜてくれ。下に溜まっている砂糖を溶かす必要があるからな。」
「なるほど…これだな?」
「そうそう。後はそのままでもレモンを入れてもミルクを入れても…ご自由に。」
「はこの『みるく』というのを入れるのだったか?」
「そうだな……比較的それを入れて飲むことが多いかな?まあ、大体ミルクティーを飲む時はダージリンよりウヴァやアッサムを淹れるがな。」
「それは…?」
「茶葉の種類さ。飲み方は好みがあるから自由だが、茶葉には向き不向きのようなものがあってな。俺が好むミルクティーにする場合、このダージリンという茶よりも向いている茶葉があるんだ。」
「うーん…色々と複雑なのだな?」
どこか感心したようにそう言って、家康は目の前のティーカップに視線を落とす。
「そんな事も無いさ。気軽に楽しんでくれ。別に決まり事に縛られるようなものでもない。」
「そうか。ならば、このまま頂くとしようか。」
そう言って家康は両手でティーカップを持ち上げると、恐る恐るカップに口を付ける。
その表情がどことなく初めての事に挑戦する子供の様に見えて。
俺は思わず口元を緩ませてしまった。
だって、後の天下の将軍様がティーカップを両手で抱えて、そぉーっとカップに口を寄せてるんだぜ?
なんというか、ちょっと可愛いというか。
大の男に可愛いも無いかもしれんが、何か微笑ましく見えちまったんだから仕方ない。
「………………美味いな。」
「そうか?」
「それにとても良い香りがする。」
何というか…ほんわりとした顔というのか…そんな表情で家康が俺を見る。
まあ、マズイと思われなかったのならいいか。
「良かったらこのトリュフチョコも食べてみてくれ。」
「うん…………こ、これは…ッ!」
「どうした?口に合わないか?」
「いや!何て甘いんだ!この『とるふ』というものは!!」
「トリュフ…な。気に入ってくれたか?」
「ああ!こんなもの食べた事が無い!忠勝や皆にも食べさせてやりたいくらいだ!!」
なんだ…いやに凄い反応するから口に合わないのかと思ったら。
相当にお気に召したらしい。
まあ確かに砂糖すら貴重な時代に、ここまで甘いモノなんてそうはないだろうし。
そこまで気に入ってくれたのなら、土産に持たせてやろうか。
俺も貰い物とはいえ、結構な数があるからな。
喜んでくれるなら俺が食べきれずに無駄にするよりも遥かにいいだろうし。
「良かったら持って行くか?」
「いいのか?!」
「ああ、俺1人では食べきれない位貰ったんでな。」
「ありがとう!まずは感謝を!!」
おいおい…そんな仰々しい。
でもまぁ喜んでくれたのなら良しとするか。
そんなこんなで短いながらもティータイムを終えた俺と家康は、もう一度ダメ押しで窓の鍵が開かない事を確認してから、家康の部屋へと繋がるドア――本来なら俺の部屋の外へ繋がる筈だったその扉を開けた。
――――――のだが。
えー………と?何で俺はこんな体勢で床に押し付けられなけりゃならないんだ??
「!!!!!!!!!!!!」
「家康様!!ご無事でようございました!!!」
「な…ッ?!忠勝?!皆も?!」
思いっきり床に押し付けられて、身動きが取れないようにされている俺の頭の上で何やら複数人の声がする。
何というか今にも号泣しかねないようなその声音に、俺は抗議の声をあげるのを止めた。
「この扉の向こうへ行かれたままお戻りになられず…皆心配致しておりましたぞ!」
「本多殿より家康様がお戻りになられぬとお聞きした時は肝が冷えましたが…こうして無事にお戻りになられて…!」
「おいおい!ちょっと待ってくれ皆!一体何をそんなに…。確かに暫しの間の所に居たが、せいぜい四半刻位だろう?何もそこまで心配せずとも…。」
「!!!!!!!!!!!!!!!」
「何だって?!それは本当か忠勝?!ワシがこの扉の向こうに消えて、5日も経っているのか?!」
あー…………なるほど。
これで合点がいった。
俺が問答無用で抑え込まれている理由が。
俺は大切な殿をかどわかした極悪人…という訳か。
そりゃあ5日も殿が戻らなければ、大騒ぎにもなるわな。
「すまんな忠勝、皆。だがワシはこの通り無事だ。」
「………………!」
「はははっ!もう、攫われるような事はないさ。」
「………………………で、俺はいつまでこうしていればいいんだ?」
一件落着したなら、そろそろこの状況を何とかしてほしい所なんだがな。
っつーか、そろそろマジで骨が折れそうな気がする。
「?!!」
俺の呟きに、我に返った様子の家康が慌ててすっ飛んでくる。
ああ、うん。分かってたさ。
押さえ込まれてた俺の事なんて見えてなかったって。
「離してやってくれ!!はワシの大事な客人だ!!!」
顔色を変えて俺を助け起こす家康。
しかし、俺は捻り上げられた腕に力が入らないわ、踏み押さえられた足が痺れて動かないわで、全く身動き一つ取る事が出来なかった。
痛みで悲鳴をあげなかっただけマシだな、この状況は。
「大丈夫か?!」
「あー……あまり大丈夫ではないかもしれん。」
「すまない!!ワシの家臣達が勘違いを…!」
「そのようだな……。」
まあ、それだけ家康が部下に慕われてるって証なんだろうけど。
しかし、まずは人の話を聞くって事をここの人達には徹底してもらいたい所だ。
最初から思い込みでケンカ吹っ掛けて、間違いでしたじゃシャレにならん。
世の中には取り返しのつかない事ってあるんだぞ、全く。
しかしこの状況から鑑みると、やっぱり最初の時、家康と忠勝だけの時に部屋が繋がったのはホントに運が良かったんだなぁ。
俺は改めて最初の出会いを居るかもわからない神に感謝した。