Change the future2
「違う…世界?」
「ああ、さっきから色々話を聞いて考えていたんだがな。どうやら俺は、俺の知る過去へ来たわけでもないようだ。」
「それは一体どういう事だ?」
まるで俺の言っている事が理解出来ないといった様子の家康に、俺は小さく苦笑する。
まあ、それも仕方ない事だろう。
俺が家康の立場だったとしても同じような反応を返すだろう。
「さっき話した『厭離穢土欣求浄土』な?あれはアンタが馬印として使っていたと伝わっているものなんだ。それはそもそも、桶狭間の戦いの時に今川傘下だったアンタが菩提寺に落ち延びた際、寺の住職に説かれたのが切っ掛けだ。自害しようとしていたのを思いとどまらせる為に仏の教えを説かれたのだと。だがアンタは桶狭間には参陣していないという。勿論、そうであれば自害しようともしていないだろう。これだけでも俺の知る歴史とは違っている。」
「ワシが………義元様の元で…?自害を……?」
「他にも色々俺の知る世界と違う事が多くてな。ここは俺の知る過去ではない――という結論に至った。」
「の知らぬ過去…?それはつまり……。」
「俺の知る世界と似て非なる世界。そうとしか思えない。」
「つまり、先刻が言ったワシが将軍となるというのも……?」
「ああ、もしかするとこの世界では絶対の事ではないのかもしれない。」
そこまで言うと、家康は少し寂しげに目を伏せる。
それはそうか。俺がさっき家康が将軍となると告げた時、とても感慨深げだった位だ。
それがもしかしたらここでは違うかもしれない――なんて、がっかりするに決まってる。
浅はかな己を恥じつつ、俺は家康に頭を下げた。
「すまない…もっときちんと考えて口にすべきだった。アンタを……ガッカリさせてしまったな。」
「いや…そんな事は無い。確かに確たる先ではないのかもしれんが、それでもの居た後の世では、ワシは平和な世を築けているのだろう?それが分かっただけでもワシは……。」
そう言って家康は笑みを浮かべる。
けれどそれは――作られた笑顔に見えて。
俺は思わずその精悍な顔に手を伸ばしていた。
「無理に……笑わなくていいよ。」
「――――っ?!」
「そりゃあ国主たる者、家臣の前では無理にだって笑わなくちゃいけないんだろうけど。でも俺は家臣でも領民でも…ましてや敵でもないから。俺の前で無理に笑う必要なんて無い。そりゃアンタがお殿様だっていうのは分かってるけど、俺は……一人の人間としてアンタに無理に笑って欲しくないんだ。そうしなくちゃいけない時以外は…無理にする必要ないよ、家康。」
俺の言葉に微かに強張る頬。
どんなに誤魔化そうとしてもわかるよ、家康。
表情は誤魔化せても、こうして触れているから分かる。
筋肉が心に反応して強張るのも、ぐっと食いしばられた口の周りの筋肉の感じも。
アンタが本心から思っている訳じゃないんだって。
「………はは…っ……見抜かれてしまったか。」
「俺、アンタを苦しめているな………すまない。」
「そんな事は無い。些か驚きはしたがな。」
そう言って笑う家康。
でも今度のソレは苦笑いの感じこそすれ、先刻のような無理に作られた感じのものでは無かった。
それに僅かばかり胸を撫で下ろす。
「そう言ってくれると少しは俺も気が楽になる。」
「ワシの事を心配してくれたのだな…。礼を言う。」
「いや、そんな……礼を言われるような事じゃ……。」
「だがな、お陰で改めて思いを新たに出来た。気持ちを曝け出す事が出来るというのは…時には必要な事なのかもしれんな。」
「家康……。」
頬に触れていた俺の手に軽く手を添えると家康は表情を緩めそっと目を細める。
「どちらにしてもワシが目指す先は変わらんからな。たとえ先見の神子の神託が無くとも、ワシはこの手で戦の無い穏やかな世を創り上げてみせるさ。」
「は?先見の神子って…?」
家康自身の決意表明はともかく。
何やら聞き捨てならないような単語が聞こえたような気がして、俺は眉を寄せる。
俺の思い過ごしであって欲しい所だが。
「ははっ!お気に召さなかったか?ワシにとっては先の世の事を知る道標。ワシらからすればこの先に起こるであろうことを知る先見の力の持ち主といった所なのでな。」
「………………で、俺が先見の神子だって?」
「気に入らんか?」
「気に入らない訳じゃないが……別に俺はそんな特別な力を持っている訳ではないしな。少しばかりくすぐったいだけだ。」
まあ別にどんな風に思われても俺がどうこう言える事じゃないが。
少なくとも俺がこの世界の人達からしたら異端なのは確かだし。
「もしの事が世に知れたとして、後の世から来たと言うよりも先見の力を持つ者とした方が誰もが納得するだろうからな。思う所もあるだろうが赦してくれ。」
赦すも赦さないも無いんだが…まあいいか。
俺は家康の言葉に小さく頷いて見せた。
「それで話は戻るが……ワシが馬印としたという仏の教えとはどのようなものなんだ?」
「『厭離穢土欣求浄土』ね。俺も詳しい訳じゃないが、俺達の住むこの世界を迷いや苦悩に満ちた穢れた国土…穢土として、それを厭い離れたいと願い、心から欣んで平和な極楽浄土を冀うこと…ってカンジだったと思うが…。」
「穢土を厭い離れ、心から欣んで浄土を冀う…か。」
どこか感慨深げに呟いて、家康は目を伏せる。
「アンタがさっき言っていた話…まさしくこの厭離穢土欣求浄土だと思ってな。それでつい漏らしてしまった。」
「ああ……そうかもしれんな。ワシも…そう思う。」
「さっきも言ったようにここは俺の知る過去ではないのかもしれない。でもアンタがその想いを持ち続けるなら、きっと戦の世を終わらせ人々が平和な暮らしをおくれるような世界を創れると…俺はそう思う。」
「……。」
もしもここが本当にパラレルワールド的な世界だったとしても。
俺の知る歴史の流れを辿らないのだとしても。
この世界を憂い、人々が平和で穏やかな生活が送れるよう目指している人物がこの世界を導いてくれる方が良いに決まっている。
だったら――俺のするべき事は一つじゃないだろうか。
「家康、俺……何かアンタの役に立てる事……あるかな?」
「どういう事だ??」
「俺……何でアンタの前に現れたのかと考えていた。もしかしたら俺の持ち得る全てをアンタの為に役立てろって事じゃないかなって思ったんだ。アンタの…この世界に対する思いを聞いて、そう思ったんだ。」
勿論、自分の知りうる歴史が家康を天下人として出来上がった世界だからなのかもしれないけれど。
でもそれだけじゃなくて、俺はこの徳川家康という人間の為に何か出来ないかと…そう思ってしまったんだ。
天下人になる人間だからじゃない。
人々の幸せを、世界の平和を想ってくれる人だからこそ。
もしかしたら俺の生きていた世界へと続く礎を築いてくれるかもしれない人だからこそ。
俺はこの人の力になりたいと…何故かそう思えた。
「……ワシの力になってくれると……そう言うのか?」
「いや、正直言えば俺が役に立つなんてありえないのかもしれないけど。でも、俺はやっぱりアンタにこの世界を平和にしてほしい。俺が出来る事があるなら、それがアンタの為になるなら…少しでも……。」
俺に出来る事なんて大してないけれど。
でもほんの少しでもこの人が楽になれるなら。
さっきのように無理に笑みを浮かべて苦しむ事が減らせるなら。
武勲や他の何かで役には立てなくても、後の世の人間であるが故に得られたほんの僅かな知識や情報、そして何の柵にも囚われずに一人の人間として向き合う事で、家康の負担を減らす事が出来たなら。
「どうしてワシにそこまでしてくれる?ワシがの世界では将軍となるからか?」
「そうだなぁ………俺は別に天下人や将軍を助けたい訳じゃないんだ。ただ、俺に美味しいお茶を勧めてくれた徳川家康っていう男が気に入って、そいつが目指している事に賛同したから、少しでも力になれればって…そう思っただけ。」
そう言うと、家康は零れ落ちるんじゃないかと思う程大きく目を見開く。
こうしてみると、やっぱり国主っていうより同年代のダチってカンジだ。
「勿論、役に立てるって自信は無いけどな。でも部屋が繋がった同士、何かしら縁もある訳だし少し位は…な?」
「…………………そうか。」
「あ、迷惑なら構わないんだ。ただ、俺が元の世界に戻れるまでは、少し迷惑を掛ける事は許してくれ。あ、戻れれば…ではあるが。」
「迷惑だなどと…そんな事は無いさ。嬉しいよ、。ワシに力を貸してくれて。ありがとう。」
柔らかな――まるで太陽のようなその笑みに。
俺はただただ釘付けになる。
そして思った。
耐えるような笑みよりも、無理に作られた笑みよりも、やはりこの人にはこの太陽のような微笑みが一番なのだと。
「しかし……元の世界に戻ると言うが、その扉の向こうへ行けば戻れるのではないのか?ワシの目にはその扉の向こうは不思議な物で溢れているように見えるが?」
家康が指差す先には、確かに俺の部屋へと続くドアがある。
いや、正確に言えばこちら側から見れば木製の観音扉のようなものなのだが、確かにその扉の開いた先には俺の部屋――俺の生きていた筈の世界が広がっている。
だが、それは恐らく部屋の中だけだろう。
確かめてはいないが、俺は確信を持っていた。
「確かにこの扉の向こうは俺の居た部屋、俺の居た世界に繋がっているかもしれない。けど、恐らくは戻れないと思う。」
「何故だ?」
「俺の部屋、外に出る為の扉はここに繋がってる。だからもう俺の部屋から俺の生きている外の世界へ繋がっている扉は無いんだ。」
「だが、向こう側に外のような風景が見えるぞ?」
「ああ窓は確かにあるな。けど、恐らくあそこを出てもそれは俺の世界じゃないと思う。だって俺が部屋を出ようとした時、外は豪雨だったんだ。天気予報では一日雨だと言っていた。」
「てんきよほう?」
「天候がどのように移り変わっていくか、いつ雨が降り、いつ雨が止むのか…そういった事が俺の生きていた後の世では予知というか、知る事が出来るんだ。」
「それは凄いな!!」
「その天気予報で今日は一日中雨で止む事は無いと言っていたのに…窓の向こうはどう見ても晴天だろう?まるでここのように。」
家康と向かい合っているここは――この世界は雲一つない晴天だ。
俺の部屋の窓から見える晴天は、恐らくこの世界のもの。
まあ、窓が開けられれば…の話だが。
「試しに窓を開けてみるか?こっちに来てみるといい、家康。別に危険な事は無いから安心してくれ。」
立ち上がって部屋に向かいながら家康を手招く。
一度背後の忠勝を振り返ってから頷くと、家康は俺の後に続いて俺の部屋に足を踏み入れた。
「本当に摩訶不思議な物ばかりだな。の部屋は。」
「色々聞きたい事もあるだろうけど、まずは窓な?」
「ああ、そうだったな。」
「……………………やっぱりな……開かない。」
窓自体が開かないというより、そもそも鍵が開かないんだ。
勿論鍵が古くて動かないとか錆びてるとか歪んでるとかそういった事じゃない。
昨日までは全く問題なく鍵も開け閉め出来ていたんだから。
俺の想像通り、窓自体が開けられない――俺の世界に繋がっていないから開けられないってのがこの状況を表す的確な言葉だろう。
それにしてもまぁ窓の外は見事に晴れているようだ。
俺にとっては見慣れない景色だけれど。
「これで分かっただろう?俺が元の世界に戻れない…って。」
「うーん……そうだろうか?」
「家康??」
「もしかして…なんだが、あちらとこちら…繋がっている時だけ開かない…という事は考えられんか?」
「え?」
「この扉が閉まったら、あの『まど』とやらは開くのではないか?」
そう言われて俺は目を瞬かせる。
確かに…その可能性は否定出来ない。
あちらの世界とこちらの世界が繋がっている時だけ他の道が塞がれるのなら、繋がりを断てば窓も開くかもしれない。
勿論、窓が開いたとしても外に出られる訳ではないが。
俺の部屋、マンションの5階だしな。
もし窓が開いても飛び降りる訳にはいかんし。
でも確かに試してみる価値はあるかもしれない。
「……………やって……みるか??」
そう言う家康の瞳は酷く真剣で。
俺はその言葉に無言のまま大きく頷いて見せた。