徳川家康、やはりアンタは凄い人なんだ。
Change the future1
日本という国に生まれて、ごく普通に平凡に生きてきた者ならば『徳川家康』という名を知らない者など居ないだろう。
たとえ歴史が苦手な者であっても、三英傑と呼ばれる織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の名くらいは当たり前のように知っている。
その中でも特に徳川家康は、その後数百年間もの戦の無い平穏な世界を創り上げた――その基礎を築きあげた人物として歴史上でも有名かつ重要な人物だ。
長きに渡る戦乱の世。
それに疲れ果てたであろう人民を戦の無い世界へと導いた江戸幕府初代将軍。
そして死後も己の創り上げた江戸を守る為に神となり、今もかの地を守り続けているという。
そんな雲の上の存在。
そんな人が居たとして、決して俺の人生とは交わる事などない。
そうだった筈なのに。
なのに――どうして俺は顔を突き合わせているんだ?
東照権現――徳川家康と。
「ふむ……なるほど。お主は後の世から来たと言うのだな?」
爽やかな好青年といった風貌のこの目の前の青年。
どう見てもニッカズボンに袖なしのフード付きパーカを纏ったスポーツ系爽やか青年としか見えない。
……………………後ろに居るガンダムも真っ青な人型MS…もとい、巨大MS型武将さえ居なければ。
「断言は出来ないが恐らくは。」
「ははは…まぁワシとしても俄かに信じ難い話ではあるが…しかし現にお主はここにこうして居るしなぁ。」
そう言って家康は苦笑気味に俺の肩を叩く。
その腕の何と太く力強い事。
レスラー顔負けの鍛え上げられた筋肉。
同じ男として思わず自分の腕を見て落ち込みたくなってしまう程のそれは、間違いなく目の前の男が現実に存在している証でもあって。
俺は己が身に起こった現実に溜息をつかずにはいられなかった。
俺が数百年も前に新たな日本を創りこの世を去った筈の偉人とこうして顔を合わせる事になった理由。
それは正直俺自身も良くは分かっていない。
いつもと変わらず出掛ける為に自室のマンションのドアを開けただけなのだ。
急に意識を失って何処か知らぬ所へ連れていかれたとか、己が身に不可思議な事が降りかかってきただとか、何かの力によって放り出されたり落っことされたりした訳でも無い。
ごくごく普通にドアを開けただけ。
けれど、目の前に広がる筈のマンションの廊下は何処にもなく、見慣れない広い和室が俺の目の前に広がっていた。
それがこの目前の人物、徳川家康を名乗る男の私室だったという訳だ。
正直、繋がった先が家康の私室で良かったと思う。
たまたまこの私室に家康と家臣である本多忠勝の2人だけだったから俺はこうして今も生きているが、下手な所に繋がっていたら曲者として捕らえられるか、最悪の場合切り殺されていてもおかしくは無い。
確かにMS型武将…もとい、本多忠勝は俺の事を警戒していたようだけど、家康は…流石に後の天下の将軍様の器の大きさは別格だった。
俺の困惑を感じ取ってくれたのか、それとも俺に危険性が無いと踏んだのか、今にも飛びかかろうとしていた忠勝を窘めると俺に声を掛けてくれたんだ。
『こちらに来て一緒に茶を飲まんか――?』と。
結果、俺は冷静になる事が出来、至って穏便に彼らと現状把握の為の情報交換が出来たというわけ。
まぁ流石に自己紹介でこんな偉人の名前を聞く事になろうとは思わなかったけど。
「そうか…お主、と言うのか。」
「ああ、だ。」
天下の将軍様に名乗るのもおこがましいかもしれんが――そう言うと、家康はきょとんと目を丸くする。
その表情の意味が分からなくて俺は首を傾げた。
「俺、何か変な事を言ったか?」
「いや……今、ワシの事を将軍と呼んだか?」
「え?ああ、そうだな。」
「ワシは将軍となるのか?」
「え?!違うのか?!」
しまった!!確かに俺の知る徳川家康は征夷大将軍となり江戸幕府初代将軍にはなるが、よくよく考えればそれは遥か晩年の話じゃないか!
どう見たって俺とそうそう歳も変わらなそうなこの男が、この若さで将軍になっているなんて考えられない。
つまりは、将軍になるどころか関ヶ原の戦いすら起こっていない可能性が高い。
いや、もしかしなくてもこの若さからしたら本能寺の変すら起こってないんじゃ?!
俺、うっかり歴史の流れを変えちまいかねない事をしでかしたのでは?!
「そうか……ワシは将軍となるのか………。」
「あ、いや!それは…っ!」
「違うのか?」
「え…と!違くはない…けど…ッ!」
「………教えてくれ。ワシは…………。」
そこまで言うと家康は、一度自身の握りしめた拳に視線を落としてから、じっと俺を見詰める。
「ワシは、この世に平和を創る事が出来たのか…?争い無き世を…人々が穏やかに過ごせる世を創る事が出来たか……?」
まるで縋るようなその眼差しに。
俺は返す言葉を失った。
何でそんなに切なそうな顔をしているんだ?
どうして権力者である筈の家康が――支配者である筈の家康が、そこまで必死な顔をしているんだ?
戦で末端の兵士達が死のうと、農民達が田畑を焼かれようと、遥か高みに居る権力者には痛くも痒くもないだろう?
権力者なんてものは、下の者達がどうなろうと知ったこっちゃない…そういうものじゃないのか?
なのにどうして…アンタが表情を曇らせる必要があるんだ?
まるで自分の事の様に、自分の身を削られているかのように。
「ワシはこの手で成し遂げられるのか………?」
「家康……。」
成し遂げられる――それが何の事なのか。
それは俺には分からない。
ただ一つ分かるとすれば、徳川家康が江戸幕府を開き数百年にわたって平穏な戦の無い世を創り上げたのだという事だけ。
たとえ今のこの家康が未だ力も無く、今川か織田あたりの人質とされていたとしても。
この男はいずれ天下を治める将軍となるのだ。
「ああ……家康、アンタはこの日ノ本に戦の無い世を創る。長く続く穏やかな世を。」
この事を教えても教えなかったとしても、この男は必ず天下を取るだろう。
この先の未来を知ったからといって、何かがこの先変わるという事は無いだろう。
だって俺が伝えたのは結果的未来なだけ。
そりゃあ関ヶ原とかみたいな所で東軍・西軍どちらにつくか悩んでいるような奴になら、歴史が変わってしまう程の情報かもしれないけど。
でも俺が伝えたのは家康の将来――未来のビジョンだけ。
どういう風にして将軍になるのかとか、どうしたら将軍になれるのかとか、そういった具体的な事は何一つ伝えてない。
だから、この事で『家康本人の選択する未来』が変わるような事にはならないだろう。
そう…思いたい。
「そうか……ワシは…成せるのだな……。」
そう言って家康は右手をグッと握りしめる。
良く見れば傷だらけでボロボロの手。
いくら武士とはいえ、とてもお殿様の…後の天下人の手とは思えない程傷の刻まれたその手に、俺は目を見開く。
「家康…アンタ何でそこまで……。」
「?」
「どうしてそうまでしてこの戦国の世を終わらせたいんだ?アンタは武士…戦をするのが、武力を振りかざすのが…仕事だろう?」
「この世界は血を流し過ぎた……もう人々はこれ以上耐えられぬ所まで追い詰められているのだ。誰かがそれを…この戦の世を終わらせねばならん。この世を悲しみで、苦しみで、痛みで、憎しみで満たす訳にはいかんのだ。」
「家康……。」
「この世を統べるのは絆の力。武力などではなく、人々のお互いを想い合う絆の力こそが穏やかで平和な世を創り、この日ノ本を支える大きな力となると……ワシは信じているのだ。」
「そうか……それがアンタの『厭離穢土欣求浄土』なんだな。」
徳川家康が掲げた馬印。
徳川と言えば三葉葵の紋が有名だが、この馬印こそが家康の個人としての旗と言えるのではないだろうか。
元は仏教の教えだとかいう話だが、それを自身の馬印に掲げて戦ったのは家康一人の筈だ。
つまり『徳川家』ではなく『家康』の馬印。
これは家康自身の想い。
この厭離穢土欣求浄土の想いがあるからこそ、本気でこの戦国の世を終わらせようとしているんじゃないだろうか。
「…それは?」
「え?」
「今のだ。浄土がどうとか……。」
「ああ『厭離穢土欣求浄土』?」
「それだ!!」
あれ?何かこの様子から察するに、この家康は己の馬印ともなる厭離穢土欣求浄土を知らないように見える。
もしかして……今川義元が滅ぼされた桶狭間の戦いすら起きていないのか?!
「ええと……この言葉、知らないか?」
「ああ!初めて耳にする。」
「あー……っと……つかぬ事を聞くが、今川義元殿は……ご存命か?」
「義元様?」
「そうだ。もしかして……まだアンタは今川の人質だったり…するか?」
「いや……義元様は亡くなられた…。」
「桶狭間で……か?」
「そうか……は後の世の人間だったな。ワシらの行く末も知っているのだな。」
「じゃあ、やっぱり今川は滅んだんだな?」
俺の問いに無言で頷く家康。
成る程…これで少し状況が掴めそうだ。
少なくとも桶狭間の戦いは起こっている。
これは理解出来た。
つまりは桶狭間より前の出来事は口にしても問題無いって事だ。
まあ、言い伝えられている事や遺されていた歴史的資料が間違っている事もあるだろうから、俺の知識と必ずしも一致するとは限らないが。
とはいえ、桶狭間が起こっているなら何故この若き家康は厭離穢土欣求浄土を知らないんだ?
確かこの馬印を使うようになったのは、桶狭間で今川義元が織田信長に滅ぼされ、今川傘下だった家康も自らの菩提寺だった大樹寺へ逃げ帰った時だった筈。
前途を悲観して墓前で自害しようとした家康を当時の住職がこの厭離穢土欣求浄土の教えを説いて思いとどまらせた――っていうのが通説の筈だ。
なのに、桶狭間の戦いが起きていて今川義元も滅んだというのに、誰もこの教えをこの家康に説かなかったのだろうか?
「なあ、桶狭間の時……アンタは今川の傘下だったろ?」
「いや?ワシはその時は既に義元様の元を離れている。」
「は?!」
「信長公に義元様が討たれた時、ワシはその戦には出陣しておらんからな。」
……………………………なんてこった。
いきなり歴史的事実が覆されてしまった。
しかし…なるほど、それならこの家康が厭離穢土欣求浄土の言葉を知らなかったのも頷ける。
大樹寺に逃げ帰ってもいなければ、自害しようともしていないなら、住職にこの言葉を聞かされることも無い訳だ。
けど…そうなると…参ったな。
本来起こっていたと思われる事が起こっていないとなると、俺は下手な話は出来ないって事になってしまう。
「義元様と今の言葉と何か関係があるのか???」
「いや……。そういう訳ではないんだが……。」
いや、待て。もしかすると…俺が住職の代わりとして家康の前に引き出されたって可能性は無いか?
このまま、俺がこの厭離穢土欣求浄土を教えなければ、家康はこの馬印を掲げる事無く、もしかしたらその想いが形にならない…って事になりはしないか?
徳川が天下を取らない……そんな事になりでもしたら…!
いや、それよりも良く考えてみれば、そもそもとしてこの世界……少しおかしくないか?
一番は家臣の本多忠勝の姿だ。
確かに戦に出ても傷一つ負わずに戻ったなんて逸話のある人物だけど、コレはどう見たってロボットと人間のハイブリッド状態じゃないか。
そんな技術がこの戦国時代にあるなんて…そもそもそこからしておかしい。
つまりだ…もしかしたらここは俺の知らないもう一つの戦国時代。
俺の知る世界とは別の、そう一種のパラレルワールド的な世界の可能性はないだろうか。
だとしたら、家康が桶狭間の時に今川傘下でなかった事も、己の馬印となる筈だった厭離穢土欣求浄土を知らなかった事も説明がつく。
「家康、この『厭離穢土欣求浄土』の事を話す前に、言っておきたい事があるんだ。」
「うん?何だ一体?」
「俺は……数百年の後の世から来た……それはおそらく間違いないだろう。だがもしかしたら、こことは違う世界の未来からかもしれない。その事を理解した上で聞いてほしいんだ……俺の話を。」
そう言った俺の瞳に映ったのは。
未来の将軍様でも支配者的な国主の顔でもなく、どこか少年のようなあどけなさを残す、年相応の一人の青年の顔だった。