Change the future 27







「そういえば……戦は終わったと言ってたが、北条殿と小田原城はどうなったんだ?」


家康の帰還を受けて俄かに慌ただしくなった城内の喧騒を遠く聞きながら、俺は俺の膝枕でゆったりとしている家康にふとそう問いを向けた。
戦から戻って疲れているであろう家康に、何か俺が出来る事は無いか尋ねた結果帰ってきた答えがこの膝枕だった訳だが。
何というか…女の子の柔らかな膝枕ならいざ知らず、俺みたいな男の膝枕を望むとは、相変わらず家康は変わっている。
まあ確かに膝枕それ自体は男のロマンかもしれんが。
流石にやってもらう相手は選ぶべきだと思うんだが…。
ここには女中さんをはじめ、若くて美人で柔らかな女性が沢山居るんだし。
そう言ってはみたものの、家康の賛同は得られなかった。
まぁ、確かに人の好みは十人十色だしな。
兎にも角にも、家康の望み通り些か固い俺の膝枕で瞳を閉じていた家康は、俺の問いに静かにその琥珀色の瞳を開くと俺を下から見上げてきた。


「ああ……北条は豊臣の軍門に降った。小田原城は……少なからず被害は出たが、人的被害は抑えられた方だろう。」
「そうか。流石に無血開城…という訳にはいかなかったか…。」
「だが、北条殿の責も今回は不問に付されたし、北条の主だった家臣達もそのまま処罰される事も無く北条殿の元に留め置かれる事となった。流石に領地は今まで通りという訳にはいかんが、一部の領地は安堵されたからな。まずはこの結果を喜ぶべきだろう。」
「北条殿が……良かった。」


老将の僅かに背中の曲がった姿を思い出し、ホッと胸を撫で下ろす。
責を負う立場の国主とはいえ、流石に顔見知りの老齢の御仁が命を絶たれる所を目の当たりにして気分の良いものではない。
俺は俺を見上げてくる家康に小さく笑うと、その短く切り揃えられた髪をゆっくりと撫でた。

「家康が陳情してくれたんだろう?そうでなけりゃ敵軍の総大将であり国主でもある北条殿がお咎めも無く無事でいられる訳がない。」
「まあ……少なからず北条殿の助命を嘆願はしたが……だが、それだけで秀吉殿や半兵衛殿を納得させる事は難しくてな。」
「そうだろうな。豊臣にとって北条殿を生かしておいても何の利益も無いからな。」

「ここで北条を滅ぼすより、そのまま恭順させた方が豊臣の為になると言ってみたんだ。北条殿を討ち、主だった家臣達を処罰すれば豊臣に対する反感と不信感が増すだけだからな。ならば北条殿を恭順させ、一部の領地を安堵した上で家臣達を束ねさせておけば、豊臣の懐の深さを示す事が出来るし、民や家臣達の反発も防ぐ事が出来る――とな。」

「その通りだが……豊臣は納得してくれたのか?」
「確かにワシだけの陳情だけでは厳しかっただろうな。だが官兵衛も半兵衛殿や秀吉殿に働きかけてくれてな。自ら北条殿を説得してみせると言って色々と動いてくれたんだ。その官兵衛の北条殿への働きかけがが功を奏してな。おかげで北条殿も豊臣に降る事を了承してくれ、最終的には大きな戦闘や合戦で多大な犠牲が出る事は避けられた。」

「………確かに官兵衛殿の力によるところもあるとは思うが、俺は家康の働きかけも大きかったと思うぞ?」

きっと家康自らが調停役となる事を進言したんだろう。
そして、そうする事で豊臣にも北条にも利があると示して見せた。
天下の名軍師と謳われる程の竹中半兵衛なら、家康の人となりを利用して矢面に立たせる方が豊臣への反感の矛先を逸らせると踏むだろうし、無用な反発を招いて戦を長期化させ、規模を大きくするよりも、家康の案に乗った方が自軍の消耗も少ないとすぐに分かっただろう。
北条殿にしても、積極的に攻撃を仕掛けてくる豊臣子飼いの武将達よりも、家康や官兵衛といった北条に好意的な者の説得になら応じやすい。
領地の一部が安堵され、自身や家臣の処分も見送られるとなれば、悪い話では無い筈だ。
こうして必要最低限の犠牲で戦を終えられたのなら、それはやはり家康の力によるところが大きいと言うべきだろう。
俺は改めて今回の戦において尽力したであろう家康の、その功績に感服するしかなかった。

「だがな………一概に万全だったとも言えん状況でな……。」
「どういう事だ?」
「先刻も言ったが、豊臣は元より北条殿を滅ぼすつもりで戦に臨んでいたからな。ワシが北条の一部勢力と交渉している最中にも、豊臣の一部が騙し討ちのような形で北条の兵達を手に掛けたりもしていてな。」
「そんな事が……。」
「ワシを信じて刀を収めてくれた北条の者達をみすみす死なせる事となってしまった……。」

それを防げなかった事が心残りであり、自責の念となって家康を苦しめているのだろう。
微かに眉間に皺を寄せたまま呟いて、家康はぐっと奥歯を噛みしめた。


「戦とは甘いものでは無い事は分かっている。だが、全てを蹂躙すれば良いというその力に任せたやり方は……やはりワシには……。」

「家康………。」
「だが、それもワシが至らぬが故に防げなかった事なのだろうな。」
「…………………。」

「だからという訳ではないのだがな…。」
「?」

言葉と共にひょい――と起き上がった家康は、くりると向きを変えてこちらへ向き直ると、その意志の強さを宿した琥珀色の瞳でじっと俺を見詰める。
家康は……何かを決意したのだろう。
そう思わせる程に、いつになく強い決意の込められた瞳の色に俺は小さく息を飲む。


ああ、ついに――――――『その時』が来たのだ。



………………ワシは豊臣を離れようと思う。」

「――――――。」


紡がれた家康の言葉。
その道を選んだのか――漠然とだがそう思いながら、俺は詰めていた息を吐き出す。
沢山の選択肢の中、俺の家康が選んだのは豊臣からの離脱。
そして、それは自らの力でこの戦国の世を切り拓こうとする意志の現れ。
もう未来を誰かの手に委ねるのでも、理想を追い求め誰かの理想に自らの理想を重ねるのでもなく、自身の手で切り拓き、自身の足で進む事を家康は選んだのだ。
自ら苦難の道へ進む事を選んだのだ。
そう、これから――家康の本当の苦難が始まるんだ。


「驚いては…………居ないようだな?」


俺の反応に僅かに苦笑を滲ませて家康が軽く息をつく。
それに俺は無言のまま頷いた。

「そうだったな………、お前は先見(さきみ)の神子だった。この結果も知っていたのか?」
「いや、言っただろう?俺の居た世界の過去とこの世界は違うのだと。だから俺にはアンタがこの決断をする事なんて知りようも無かったさ。俺はただ、アンタがどんな道を選ぼうとも――アンタが何処を目指し何処へ進もうとも着いて行く……ただそれだけだから。だから家康、アンタがどんな選択をしようとも驚く事なんて無い。」

……。」


そう、たとえ家康がどんなに苦難な道を選んだとしても、それは家康自身が選んだ道。
家康が決断した事。
決められた歴史のレールの上を歩かされてるんじゃない。
家康は自身の意思で選んでいるんだ。
だったら家康がどんな決断をしても何も驚く事なんか無い。
俺はその家康の決断を、想いを受け入れるだけ。
そして歩き出す家康の、その苦難の道行きを共に歩き始めるだけなんだ。
本当は俺の力なんて、俺の支えなんていらないのかもしれないけれど。
でも俺はこの日がいつか来る事は知っていた。
そしてこの先の道が茨の道である事も。
だから今日この日、家康の決断と新たな道行きの日に、俺も家康と共に歩んでいく事をこの胸に誓ったんだ。

「家康、俺はアンタと共に進む…………だからアンタはアンタの思うまま歩いてくれ。」
「ワシの思うまま…歩く……。」

「この先、きっと立ち止まる事も、戸惑う事も………そして立ち上がる事すら出来なくなる時も来るかもしれない。振り返る事も後悔する事も涙する事も。沢山の思いが徳川家康を作るだろう。常に進めとは言わない。前を向く事だけが全てじゃない。でもこれだけは忘れないでくれ。どんな選択も、どんな想いも、どんな結果も全てアンタのものだ。アンタが選びアンタ自身の手で掴んだものだ。苦悩も喜びも悲しみも苦しみも幸せも全て。だから己の決断を想いを……全て受け止めて生きてくれ。」

「………………。」

「俺は――アンタの傍に居るから。アンタと共に笑って泣いて苦しんで、共に生きるから。」


アンタが今日のこの決断を後悔するとしても。
いつか苦しむ日が来るかもしれないけど。
例えその日が来ても、俺は家康が苦しむ事も悲しむ事も止めはしない。
その感情を否定しない。
それら全てが、徳川家康という一つの存在を…人格を作り上げる為の要素なのだから。
でもそれでも俺は――俺だけは、アンタの後悔も全て受け止めて、それでもアンタの決断を是として生きる。


「この先が苦難であろうとも、ワシと共に進みワシと共に生きてくれるというのか?」

「ああ。………俺はアンタじゃないから、もしかしたらアンタの辛さも苦しさも本当には理解してやれないのかもしれない。アンタと同じになれない俺がこんな事言うのはおこがましいのかもしれない。でも、アンタの後悔も苦しみも悲しみも全て……俺が一緒に半分背負うから。」
「共に背負う………か。ふふっ…そして幸せも喜びも分かち合ってくれるのだろう?」
「勿論だ。」

そう言って笑えば、家康は微かに目を細める。
そしてその力強い腕を伸ばして、俺をその腕の中に抱き込んだ。

「こんなワシを…………、お前は…お前だけはどこまでも信じてくれるのだな…。」

背中に回された腕が縋るようにぎゅっと俺を抱き締める。
俺より大きく、逞しく、そして力強いその腕が、今はまるで幼子のように俺に縋り付いている。
そうだ。家康だって一人の人間だ。
たとえ東照権現よ、東の照よと讃えられる名君であろうとも。
1人の人である以上、考え、悩み、戸惑い、不安と苦しみの中でもがきながら生きているんだ。
己の選んだ道が、進む先が――決断が正しい道なのか不安になるんだ。
なら俺は、俺だけはアンタの決断を肯定する存在となろう。
それがたとえ誤った選択でも、後悔しか残らないような道であろうとも。
家康、アンタ自身が否定しても、俺だけはアンタの選ぶ道を最後まで信じて生きるから。


「俺はアンタを――アンタの選択を、決断を信じているんだ。アンタの闇も光も全て認めた上で、アンタという存在そのものを信じている。」
………ワシは道を誤るかもしれんぞ?神子のお前が誇れるような、選ばれし寵児とはなれないかもしれん。」

「構わないじゃないか。たとえ道を誤ろうとも、それがアンタの選んだ道だ。過ちも、それによってもたらされる結果も全てアンタが得たものだ。それら全てが徳川家康という存在を作っていく。そうして皆未来に向かって生きていくんだ。人とはそういうものだろう?」


完全で無欠な絶対の存在なんてありはしない。
そんなのは『人』じゃない。
不完全である『人』の手によって創られるものでなくて、何が輝かしい未来だ。


「家康、俺は先見の神子を名乗ってはいるが、ただの人だ。伊予河野の姫巫女殿のような特別な力は無い。聖人君子でも何でもない『』というちっぽけな存在だ。俺はアンタが望んだ『標』としての先見の神子にはなってやれないけど、その代わりアンタが選んだ未来へ繋がる道への『導き手』として力を尽くそう。俺はアンタを支える『人』として、先見の神子としての役割を果たそう。」

「人として…?」
「ああ。家康、忘れないでくれ。未来を作るのは神でもなければ仏でもない。悩み苦しみもがきながら光へ向かって生きようとする人が創る物だ。だから家康……どうか人として生きてくれ。過ちを犯す事のない完璧な存在になどなろうとしないでくれ。時には選択を誤り、苦悩しながら生きる人であってくれ。」

……矛盾を抱え常に自分の無力さと不甲斐なさに葛藤している……こんなワシで良いと、お前は言うのか?」


俺の言葉に、耳元で家康が小さく息を飲む音がする。
その家康の背中を宥めるようにポンポンと数回軽く叩くと、俺を抱き込んでいた家康の腕の力が僅かに緩んだ。
その緩んだ腕の中から間近に家康の顔を見上げると、信じられないとでもいうように目を見開く家康の姿が目に飛び込んでくる。
そんなに驚くような事を言ったつもりは無いんだがな。
俺はそんな家康に小さく笑うと、もう一度自ら家康を抱き締めて口を開いた。


「そんなアンタだからこそいいんだよ……家康。」


そう。人として苦しみ、悩み、もがきながらも、自らの力で立ち上がり、自らの手で掴み取ろうとするからこそ価値があるんだ。
そうして生きる人であるからこそ他者からも共感され、その言葉には魂が宿り、人の心を動かす重みのある言葉となる。
人々を束ね導くに相応しい『人』とはこうした家康のような人間なのだ。
だから間違いを犯さない絶対的な存在である必要などどこにもない。
それを俺は家康に伝えたかった。

「………ワシは不完全だ。己が至らぬ身である事も分かっている。だが、お前が居てくれるのなら…………ワシは完全にはなれなくとも、お前に恥じぬ道を歩いて行けるだろう。」
「心配しなくてもアンタなら大丈夫だよ家康。」

暖かな――そして心地良い温もりを抱き締めながらそう言えば、家康の腕に力が籠る。


、お前の言葉は何と力強くワシの心に響く事か……。お前がそう言うのなら、本当にそうなのだと思えてくる。お前の言葉はワシを奮い立たせる。ワシを前に進ませてくれる。」
「家康………。」
「お前はワシの光明だ。」
「俺はそんな上等なもんじゃないさ。」
「だがお前の言葉がワシを前に向かせる。立ち上がる力をくれる。人として生きる力を与えてくれるんだ。ワシはお前が居てくれてはじめて人となれるのかもしれん。」
「おいおい、仰々しいな。俺はそんなに凄い事を言ってる訳じゃないぞ?俺はただアンタを信じてるってだけだ。言っただろう?」

家康の言葉にそう言って笑えば、再度家康の腕が緩み、腕の中の俺を見下ろすようにして家康が俺の顔を覗き込んでくる。
少し戸惑いながらも浮かべられたのは微かな笑み。
そしてそれから一つ大きく息を吐き出した。

「ふぅ……やはりお前には敵わんな。流石はワシの神子だ。」
「何が敵わないのかよく分からんが……でもまあ、アンタの片割れとしてアンタの傍で共に立つ先見の神子としては、アンタにそう言ってもらえる位でなくては釣り合いが取れんからな。褒め言葉として受け取っておこう。」

「片割れ…?」

「――あ?!すまん、俺が勝手にそう思っているだけで…ッ!」

「いや、謝らんでくれ。そう……思ってくれていたのだな?嬉しいよ…。」
「家康………。」

「そうだ……ワシらは片割れだ。互いを必要とする対の存在。ワシらは2人でようやく一つになれるのかもしれん。だから、……ワシはこの先1人で進むのではない。お前と一つとなって明日を切り拓くのだ――そうだろう?」

そう言う家康の顔はどこか誇らしげで。
先刻まで家康を満たしていたであろう戸惑いや不安は、すっかり影を潜めていた。
俺の言葉で、少しでも家康の中の不安が拭えたのだとしたら良かった。
人である以上、また同じように不安に苛まれる時が来るかもしれないけど、その時は又今日のように言葉を――想いを伝えよう。
この先何度でも何度でも……家康、俺が何度だってアンタをこうして抱き締めるから。



「そうだな……2人でなら切り拓ける………新たな未来を。」



そうだ。俺1人の力だけでは新たな世界を――未来を切り拓くのは難しいだろう。
でも家康と一緒なら。
家康の言う通り2人で一つなら、その2人の力を合わせて俺の知らない新たな未来を、希望を掴み取る事が出来るかもしれない。
家康が本当に笑って生きられる世界を導く事が出来るかもしれない。
いや、きっと出来る。
1人ではないのなら。
光に――太陽に愛された存在、徳川家康と共になら。
この暖かな存在と共に在れる限り――。



「共に行こう……。」

「ああ、一緒に……。」



そして、この日から一月の(のち)
無事三河へと帰還の途に就いた家臣団と共に、家康は内外に向けて、徳川の豊臣傘下からの離脱を正式に表明したのだった。




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