俺が諸国の諸将に先見(さきみ)の神子という己の存在を示し、新たな歴史の流れを切り拓くべく家康の助けを借りて幾人かの武将のもとを行脚してから数ヶ月。
まるで嵐の前の静けさとでもいうように、三河には穏やかな日々が流れていた。
勿論周辺諸国との小規模な小競り合いや、豊臣傘下としての軍事行動に駆り出される事などもあったが、三河の国内それだけを見る分には他国と比べて比較的穏やかであったと言えるだろう。
しかし日ノ本全体を見渡してみれば、確実に歴史は動き、当然の事ながら時の流れは向かうべき方向へ流れていた。
その内の一つが豊臣による小田原出兵。
以前俺が北条殿や風魔に示唆してみせた事が、実際にこの世界でも起ころうとしていた。
正直な所を言えば、俺が介入し北条に対してアクションを起こした事で少なからず違う歴史の流れが起きるかもしれない…と期待していた部分もあったのだが。
しかしその思惑は実際に形になる事は無かった。
結局の所、この世界でも小田原は豊臣による天下統一へ向けての関東制覇の足掛かりの為の拠点とみなされ、開戦を余儀なくされる事となった。
多少の違いはあれど、明らかに俺の知る史実の――そしてアクションゲームの世界の流れを辿っている。
もしかしたら………歴史はどうしても歪める事の出来ない幾つかのポイントのようなものがあるのかもしれない。
変えられる運命と変える事の出来ない運命。
何処かが歪められたが故に修正しようとする力。
俺には到底思いもつかない何かがあるのかもしれない。
だとすれば、これからの俺の行動は新しい世界を切り拓く刃となる事が出来るんだろうか…。
そして家康は…………この先どんな選択をするのだろう。
家康の人生とこの世界の行く末が定まる決断の日。
穏やかな日々の中、それは密やかに…そして確実に近付いて来ていた。






Change the future 26







「小田原へ出兵?!」


夜着に包まれながらいつものように家康とその日にあった事を取り留めも無く話していた俺は、どこか思いつめたような素振りで言葉を紡ぐ家康の横顔を視界の端に捉えたまま驚きに声をあげた。
就寝までの僅かな時間。
それを時折こうして家康と共に過ごす事があるが、その殆どはその日にあった他愛もない出来事だったり思い出話だったりと、俺達の間で交わされる会話は政とはかけ離れた事を話す事が多かった。
俺自身、せめてこの時間だけは公人としてではなく、徳川家康というただの1人の人間として過ごして欲しいと思っていたから、出来るだけこの穏やかな時間に政に関する話題は持ち出さないようにしていたのだが。
確かに今日は褥に入る前から家康の様子がどこかいつもとは違うと思ってはいたけれど。
俺は思いつめたような表情で夜着を握りしめる家康の手にそっと手を伸ばすと、横たえていた身体を起こして家康の傍へ身体を寄せた。


「ああ。以前が言っていた小田原への出兵が決まった。ワシも手勢を率いて出陣する事になるだろう。」

「そうか……。」
「秀吉殿や半兵衛殿に別の道を模索出来ないか進言してみたのだがな…。」
「『もうその時では無い』とでも言われたか?」

「ははっ………流石は先見の神子殿だな。……………ああ、もう出兵は止められないと言われたよ。」


苦笑気味にそう言って、家康はそっと目を伏せる。
その琥珀色の瞳の奥にはどこか自嘲気味な色が伺えて。
俺は思わず傷の多く刻まれた家康の手を握りしめていた。

「出来得る事は全て試みたんだろう?」
「ああ、だが…………ワシは…やはり無力だな……。」

「そんな事は無い。家康は出来る限りの事はした。そしてその事で何かが必ず変わっている筈だ。たとえ今はそれが形となって現れなくとも、その波紋がいつか別の形で戻ってくる事もある。」
……。」

「それに北条殿にも言われただろう?自分の持ち得る全てを以って事にあたっているのなら、成せる事を成した己を誇って胸を張れ…って。だからこの結果について家康がこれ以上心を痛める事はないさ。だってどうにもならない事なんて世の中に溢れているんだから。その中で精一杯の事をしたなら…家康、顔をあげてくれ。そして先を見よう。この先にだって出来る事は沢山ある筈だ。」


そう、家康がこの結果を悔いるのだとしたら、俺はどうなる?
俺はこの結果を予見していながら、それを防ぐ事すら出来なかったじゃないか。
それに比べれば家康は精一杯の事をしてきている。
そう告げれば、家康の瞳が大きく見開かれる。
そして握りしめていた俺の手を握り返すと、そっと目を細めた。


「……………そうだな。まだこの先どうなるかは分からんしな。たとえこのまま小田原に向かう事になったとしても、ワシが北条と豊臣の仲立ちをする事が出来るかもしれん。」

「そうだ。家康には家康にしか出来ない事がある。それを探そう家康。」

家康がその道を選ぶのなら、俺はそれに着いて行くから。
アンタの選んだ道を信じるから。
その道の先が少しでもアンタに優しい世界になるよう俺も出来得る限りの事はするから。
だからどうか自分を責めないで。
1人で抱え込んで苦しんだりしないで。
苦しむなら俺にその苦しみを少しでも分けて欲しいんだ。
俺はやっぱりアンタに1人で抱え込ませたくないんだよ。
泣くのも、苦しむのも……………どうか俺の腕の中でして。
アンタが俺を支えてくれるように、俺もアンタを少しでも支えたいから。


?」

「ん?」

「ワシは進む。皆が笑って過ごせる世の為に――先へ。」
「ああ……。」


静かに言葉を紡ぐ家康の瞳には――。
強い決意と覚悟の光が確かに宿っていた。


















家康が挙兵した豊臣の軍勢と共に小田原へ向かってから幾ばくかの時が流れた。
留守を守ってくれ――という家康の言葉に納得した訳では無かったが、未だ戦場では足手纏いにしかならないであろう自身の力量に、反論するだけの余地が無かった俺は、致し方なく家康の言葉に従い三河に留まっている。
アクションゲームの世界では小田原征伐はハッキリとした形で描かれている所が少ない為、情報不足の俺が現場に赴いても家康の役に立てそうも無かったというのもあった。
だから俺はこうしてここで家康が無事に帰還する事を祈る事しか出来ずにいるのだ。
そう――いくら家康が婆娑羅者と言われるこの世界でも特異な存在であるとはいえ、その身が人である事には変わらない。
いつ何時、命を落とすか分かりはしないのだ。

「家族を戦場に送り出す人達はいつもこんな思いをしているんだな……。」

夫を兵士として徴兵される妻。
戦場へ向かう父を見送る事しか出来ない子供達。
働き盛りの息子を戦場へ送り出さなければならない年老いた親。
彼らは常に、いつ家族が命を落とすかもしれないという不安と心配を抱えて生きているのだ。
勿論家康は婆娑羅者であるが故に優れた力を持っているし、忠勝もついているから余程の事が無ければ命を落とすような事は無いだろうけれど。
でもやはりその無事な姿を目にするまでは心配と不安は消える事は無い。
情報収集の為に放っているお庭番から随時戦況は報告されているし、その際に家康が無事である事は知らされているけれど、だからといってこの先も必ず無事である保証など何処にも無いのだ。
幸いにして、今の所小田原城では大きな戦は殆ど起こっておらず、小田原周辺の北条支城でいくつかの軍事行動が起こったのみらしい事だけが唯一の救いだろう。
確かに北条支城での小競り合いによって、北条に仕える忍達が命を落とす結果になってしまった事は口惜しい事だが。
それでもやはり俺は家康の無事を最優先に考えてしまう。
ここまで長い事家康と離れている事が無かったからか、傍に居ないというだけで俺の中をえもいわれぬ不安が渦巻いているんだ。
出来れば一刻も早く、俺の知る史実通りに無血開城なりに漕ぎ着けてくれるといいんだが。
腹の中に溜まったモヤモヤを吐き出すように大きく溜息を吐いた時だった。


様、家康様がご帰還なされました。」


不意に部屋の外の気配が揺らいで、お庭番の忍がこちらへと声を掛ける。
その言葉の示す内容に驚いて、俺は机を蹴倒す勢いでその場に立ち上がると、目の前の障子戸を勢い良く開け放った。



「家康!!!」



庭先で、傍に立つ忠勝を労わるように忠勝の装甲を軽く叩いている家康の姿。
こちらで声をあげた俺に気付いて振り返ると、家康は俺の姿を視界に捉えるとふわりとその相好を崩した。

!今戻ったぞ!!」

その出立前と変わらぬ無事な姿に、俺は思わずその場を飛び出して素足のまま家康の傍に駆け寄ると、勢い良く家康の肩口に飛び付いた。


「おっと!!」


飛び付いた俺を咄嗟に受け止めた家康の力強い腕。
僅かに硝煙や草木の匂い、そして土埃を感じるものの、家康の身には大きな負傷などは無いようで俺はホッと胸を撫で下ろす。
こうして無事な姿を目の当たりにし、直接身体に触れる事で、ようやっと家康が無事に帰還したのだという実感を得る事が出来た。


「おかえり家康!!無事で良かった!」

「ああ、ただいま。…………心配を掛けたな、。」
「………本当に無事に戻ってくれて良かった。お庭番からは無事だと聞かされてはいたが、やっぱりこうして直接会うまでは心配は拭えなくてな。本当に………心配した………。」
「すまんな……不安にさせたかもしれんが、ワシはこの通り無事だ。」

柔らかに笑んでみせる家康が、そっと俺の肩を抱き込む。
未だ戦装束のままではあるものの、家康の暖かな感触が伝わってきて俺は大きく息を吐き出した。
俺を抱きしめる家康の腕の力強さ。
そして家康の背に回した腕に伝わる熱。
触れた所から感じる鼓動の音。
耳元で感じられるしっかりとした呼吸音。
その全てが家康が生きていると――無事に俺の前に戻って来てくれたのだと教えてくれる。
俺は先刻まで自身を苛んでいた不安と心配とが霧散していくのを感じながら、家康をより深く感じようと静かに目を閉じて抱き締める腕に力を込めた。

「やっと………アンタに触れられた……。」
……。」
「アンタが生きているって、俺の傍に居てくれるって……やっと実感出来た。」
「ふふ……心配もさる事ながら、寂しい思いもさせてしまったようだな。」
「当然だろう?アンタ俺を何だと思ってるんだ?俺だって大切な人と共に在りたいと思う感覚位持ってるぞ?!」
「そうだな……ワシも同じだ。一刻も早くお前の顔を見たくて、忠勝に無理を言ってしまった。」
「無理?」
「実はな、我が軍の本隊は未だ三河への帰路の途中なんだ。」

「え?じゃあどうしてアンタはここに…?」

そういえば、余りに急な帰還の報だったような気がする。
普通ならいつ現地を出立したとか、今はどのあたりだとか、あとどれ位で帰還するとかいった情報が随時もたらされて、それに合わせて出迎えの準備やら用意がなされるだろうに。
でもそんな報告は一切無かった。
確かにお庭番衆の忍からは戦は終結しそうだというのは報告を受けていたが、まさかこんなに早く家康が帰還するなんて思ってもいなかったんだ。
だからこそ俺の中で不安が募ってもいた訳だが。
だというのに、家康はこうして今俺の目の前にいる。
情報にはタイムラグがあるとはいえ…俺は状況が理解出来ずに首を傾げるしかなかった。


「本当ならワシも皆と共に戻るべきだったのだが………直政や康政がな、送り出してくれたんだ。後の事は自分達に任せて、一刻も早く無事な姿をに見せてやれ……と、そう言ってくれてな。」
「井伊直政殿や榊原康政殿が?」
「見破られておったのだろうなぁ。ワシが一刻も早く、お前に会いたがっていた事を……。」
「家康……。」
「それで忠勝に無理を言って、ひと足先にこうして戻らせてもらったという訳だ。」

そう言って苦笑すると、家康はすぐ傍で俺達を暖かく見守っていた忠勝に視線を向ける。
その家康の視線に釣られるようにして見上げた忠勝の瞳は、どこか柔らかく細められていて。
俺は家康から身を離すと、忠勝の固い装甲に包まれた身体へ両腕を伸ばした。

「おかえり忠勝!!忠勝も怪我とかしていないか?」

巨体を見上げてそう問えば、小さな機械音と共に小さく頷いてくれる。
そのまま忠勝は、俺の手に応えて膝を折ってくれた。
すぐ触れられる所まで近付いた忠勝との距離に、俺は笑みを浮かべる。
そして俺は、忠勝の装甲に包まれた首元に腕を伸ばして、両腕でその固い装甲に抱き着いた。


「!!!」

「忠勝も無事で良かった。」
「――――。」

「家康を守ってくれて、こうして早く俺の元に連れ帰ってくれて…ありがとう。」


そう言えば、再び小さな機械音がして、俺の背に硬い金属がそっと触れた。
そしてそのまま静かに背中を撫でていく硬い感触。
その素振りにすぐ傍の忠勝を見上げれば、その口元が微かに緩められていて。
言葉は無いが、忠勝の大きな手が俺の背を静かに撫でていく度に、忠勝の感情が流れ込んでくるような気がした。
感情の種類や方向性は違えども、お互い家康を大切に思っている事には変わらない。
そんな同士とも呼べるような気さえする忠勝が、俺の感謝の気持ちに応えてくれた。
この忠勝の行為や仕草は、俺にはそう思えてならなかった。

「ふふっ!少し妬けるな2人とも。」

俺達を静かに見守っていた家康が不意にそう言って悪戯っぽく笑う。
その家康の言葉に、俺と忠勝は目を見合わせてきょとりと2人揃って首を傾げる。
だって妬けるとか……何でそういう話になるんだ?
俺は忠勝の無事を喜んで、家康を守ってくれた事を感謝しているだけだし、忠勝はその俺に応えてくれただけなのに。


「ワシの前で仲睦まじい所を見せられては、ワシは一体どちらに嫉妬すれば良いのか分からんぞ?」


楽しそうに笑いながらそう答える家康に、俺と忠勝は苦笑するしかない。
まったく……うちのお殿様は!


「よく言う。俺だっていつも忠勝と一緒の時は入り込めない雰囲気を感じてるってのに。」
「―――!」

「何だ?忠勝もの味方か?」
「当然だろう?俺達は同士みたいなものなんだからな。」

な――?と同意を求めて忠勝を見上げれば、ギュイン――という音と共に忠勝が頷いてくれる。
それに心底嬉しそうに笑って家康は俺と忠勝に両手を伸ばすと、左の腕の中に俺を抱き込み、右腕で忠勝の装甲に覆われた腕を抱え込んだ。


「家康?」

「本当にお前達はワシの宝だ。」
「……………。」

「ワシの大切な者達がこうして睦まじく居てくれるというのは……嬉しいものだな。」
「それは家康が居てくれるからこそ…だろ?」
「そうか?そう言ってくれるとワシも嬉しい。ワシは本当に果報者だな。」
「――――!」

「忠勝もそう思ってくれるか。こうした絆こそが徳川を支え、三河をより繁栄させる礎となる……ワシはそう思っているんだ。」
「絆……か。」
「このような絆を日ノ本中に広める事が出来れば……。」

「出来るさ、家康なら。俺が――アンタの先見の神子が保証する。」
………。」


だって俺は知ってる。
アンタが誰よりも家臣や民の事を、この日ノ本の事を思っているって。
日ノ本中の幸せを願っているって。
そんな奴がこんなにこの世界の為に頑張っているんだ。
その願いが叶わない訳がない。
いや、叶えられないなんて俺がさせない。
家康……民が笑顔で暮らせるのがアンタの望みであり幸せであるのなら、アンタが笑って暮らせる世界をこの世界に築けるよう、少しでもアンタの力になれるよう俺も精一杯の事をするから。
だってそうだろう?
俺達がアンタの宝なら、アンタはこの日ノ本に安寧を導く日ノ本の宝なんだから。

俺は幸せそうに表情を和らげる家康の、逞しい背中にもう一度腕を回すと、その背を強く抱きしめた。




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