Change the future 25
「よし!今日はここまでとしようか?」
掛けられた家康の言葉に、俺は手にしていたペンを置いた。
今日は家康先生による薬学講座の日だ。
常日頃は政務で忙しい家康だが、手の空いた時に俺の為に実演も交えた講義をしてくれる。
今日も珍しく時間が取れたのか、薬研や乳鉢・石臼を持ち出してきては、様々な薬効のある生薬を自ら調合してくれた。
まあ、現代でいう所の漢方的なものだろうか。
でも漢方の生薬的なものだけでなく、忍達が突発的に使用する事もある一種の薬草的なものにまで造詣が深いってのは流石としか思えない。
俺も一日も早くその知識を身に着けたい所だ。
俺は後片付けをし始めた家康を手伝いながら礼を述べる。
「今日もありがとう家康。いつも忙しいのに俺の為に時間を割いてもらって……感謝してる。」
「何を言う。お前だってワシに色々教えてくれているだろう?それと同じ事だ。気にする事は無いさ。」
「けど……俺と違って家康は休む間も無いっていうのに…。」
「何だ?ワシを心配してくれているのか?」
「当たり前だろう。」
「ふふっ…そうか。だがワシなら大丈夫だ。こうしてと共に語り合っているのもいい気晴らしになるしな。」
「それならいいんだが……。」
「それにさっきも言ったが、ワシも感謝しているんだ。にはワシらの知らない様々な事を教えてもらっているしな。おかげで三河は疫病などの病も減っているし、石高も上がり、民が穏やかに暮らせるようになってきている。」
そう言って嬉しそうに笑う家康。
確かにここ最近、国内の様子が以前に比べて良くなってきているというのは噂で耳にしてはいたが。
でもそれと俺の話とが結びつくってのがよく分からない。
俺は家康の言葉に首を傾げるしかなかった。
「何の事か分からんという顔をしているな?」
「あ、ああ……。」
「以前にに灌漑や治水について色々教えてもらっただろう?それをワシらなりに作り替えて出来る事を行ってみたんだ。おかげで河川の氾濫も減り、農地へ安定して水を行き渡らせる事が出来るようになってきてな。今年はこのまま行けば豊作だろうと皆喜んでいる。」
ああ……そういえば以前家康に尋ねられた時に、灌漑設備や治水事業についての話をした事があったっけ。
勿論、現代社会の技術力があればこそ…という事も多かったが、いくつかの参考程度にはなったのかもしれない。
「それにな?衛生管理…というのだったか?それも出来得る限りさせるようにし始めたら、流行病が減ったと報告も入っている。」
「生水ではなく1度煮沸させた水を使うだけでも大分違うし、適度に手を洗う事を心掛けるだけで感染症予防にも繋がる。調和の取れた食生活を送るだけで心身を健康に保つ事も出来る。病も適切な対応をすれば大事になる前に回復させる事も可能だ…………これらは全て、何気ない事の繰り返しなんだがな。」
「だがそれをワシらは知らなかった。によってワシらは少しずつだが豊かな生活を……穏やかで健康な日々が送れるようになってきているんだ。今や民達は、神子殿のお導きだとを讃えている程だぞ。」
まるで自分の事のように嬉しそうに表情を緩めて家康は民の俺に対する評価を口にする。
それに毎度の事ながら照れずにはいられなくなって。
俺は熱くなりつつある頬を自覚しながら、にっこりと笑みを浮かべる家康から目を逸らした。
勿論、国の隅々まで…というのはまだまだ難しいだろうが、少なくとも家康の周囲だけでも良くなっていっているのなら話をした甲斐があったというものだ。
しかし、俺はあくまでも意見を求められただけで、実際にそれを行って国内を発展させているのは家康自身だ。
いくら俺があれこれ言った所で、それを受け入れられなければ何にもならない。
どんな高価な物でも価値を認められなければ意味は無いし、宝の持ち腐れだ。
だからこの評価は家康にこそ与えられるべきものなのに。
「実際に灌漑設備を作り、治水工事を行って民を救っているのは家康じゃないか。俺はその切っ掛けを与えただけに過ぎない。」
「でもそれをが教えてくれなければ、ワシもそれらを成す事は出来なかった。だからのおかげだろう?」
…………………これじゃいつまで経っても同じことの繰り返しになりそうだ。
俺は何を言っているんだと言わんばかりの家康の表情に苦笑しつつ頷くしかなかった。
こうなったらありがたく高評価を受け入れて、その代わりもっと民の為に三河の為に……そして家康の為になるような事をしていけばいい。
恩や評価に対する礼は別の形で返していけばいいのだ。
それを俺はこちらにきてから学んだような気がする。
「分かった……ありがたくその評価は受け取っておく。その代わりと言っては何だが…。」
「ん?何だ??」
「上手くいくかどうかはともかく、話というか…一つ提案があるんだが。」
「何だ?の話は為になるからな!謹んで拝聴しよう!!」
興味津々といった様子の家康に姿勢を正してそう言われると流石に…。
大した事ではないのにそう反応されるとな。
些か緊張と羞恥が入り混じった状態で頭を掻いて、俺は小さく咳払いした。
「養蜂は……三河でもしてるのか?」
「ふむ……養蜂という程のものではないかもしれんが、村ごとに独自に山から得てはいるんじゃないか?時折献上されてくる事もあるぞ?」
「でもそれは自然の物を手に入れているんじゃないのか?」
「かもしれん。だが少なからずそれを生業にしている者もおるかもしれん。」
「だったら養蜂を本格的に始めるのはどうだろう?本当はサトウキビや甜菜を栽培して砂糖を作りたい所だが、サトウキビも甜菜もこの三河での栽培に適しているとは言い難いからな。養蜂なら少なからず三河でも出来るだろう。」
暑さに弱く寒冷地向けの甜菜や、日照時間が多く暖かな地方での栽培に向いているサトウキビは、流石にこの三河で栽培を成功させるのは至難の技だろう。
しかしミツバチならこの三河にも居るし、自然に任せるのではなく、きちんとした養蜂をすれば定期的に蜂蜜を手に入れる事が出来る。
蜂蜜は甘味料としてだけでなく、ビタミンやミネラルといった豊富な栄養素を含んだサプリメントでもあり、又抗菌作用もある為薬としても使われる事がある。
他にも二日酔い防止に効くとか、肌荒れに効く、保湿効果がある、整腸効果がある、疲労回復に効果があるなど…あげたらキリが無い位蜂蜜の効能は多岐に渡る。
それに様々な草花や木から蜂蜜が取れる事を考えれば、土地に合わない物を栽培するより遥かにメリットがあると言えるだろう。
そもそも大規模に行おうとしている訳ではないのだし。
そう言えば、家康はその大きな目を更に見開いて驚いた顔をしてみせた。
「蜂蜜とはそのように沢山の効能をもっているのか?!」
「ああ。勿論何の花から採れたものなのかによって多少は違いがあるかもしれないが。でも蜂蜜が身体に良いのは確かだからな。薬としても効果を発揮するし、滋養強壮や栄養補給・疲労回復にも使えるとなれば…民の為にも取り組んでみる価値はあると思うんだが………どうだ?」
今の状態でも蜂蜜の採取は出来なくはないだろうが、その度に蜂の巣を壊していては効率も良くない。
自然に作られた蜂の巣を壊すようなやり方では無く、巣箱を作ってそこにミツバチの巣を作らせる現代的養蜂をここでもする事が出来れば、その恩恵を少なからず三河の民も受けられるんじゃないだろうか。
そうする事は民の為でもあるが…民が潤い、国が発展し、結果それを家康が喜んでくれるのなら、俺にとってそれが一番だ。
俺は簡単に養蜂のシステムを説明して、手元の紙に必要となるであろうものを書き記していった。
正直な事を言えば、養蜂が上手くいってくれれば甘味料としても手に入りやすくなるかもしれないなんて個人的な目論みも無い訳じゃなかったが。
蜂蜜一つあれば様々な料理や菓子に使えるし、蜂蜜漬けや紅茶などの甘味料としても使えるからな。
少し位自分にメリットがあっても許されるだろう?
内心で自己弁護しつつ目の前の家康を見やれば、まるで子供の様に目を輝かせて俺を見詰める家康の姿があって。
その視線の熱さに俺はピクリ――と肩を跳ね上らせた。
な、何でそんな目で俺を見るんだ?!
「い、いえや…す?何か……あったか?」
家康の視線を一身に受けながら、俺は戸惑いがちに視線を彷徨わせる。
どうしたら良いか分からなくなった次の瞬間、ガバリ――と勢いよく家康が俺を抱き込んだ。
「う―――っ?!ぇ?」
「!!お前はやはり凄いな!!」
「な、何?!」
「本当にワシの神子は凄い!!」
「ちょ――ッ?!一体何が――」
「こんなにも博識で、その上先見の明を持つ者が他に居るか?!お前はワシの宝……そして三河の宝だ!!!」
言葉と共に俺をぎゅっと抱きしめる家康。
どこか興奮気味のその様子に、俺はそれ以上の言葉を失った。
いや、だって……ここまでテンション高い状態でこうまで言われると、否定するのも躊躇われるというか…。
しかし…それにしても、俺の事あまりに持ち上げすぎじゃないか?!
だってよりにもよって『宝』だぞ?!
もう恥ずかしいとかそういったのを通り越す勢いの扱われ方じゃないか。
「宝だなんて……いくら何でも言い過ぎだぞ……。」
擦り寄る様に俺を抱きしめて離そうとしない家康に、戸惑いがちにそう答えれば。
小さな子が駄々をこねるようにふるふると頭を振る家康。
そしてそのまま興奮気味な表情を崩す事無く、更に強く俺をその両腕に抱き込んだ。
その俺を離そうとしない家康の姿に、何だか妙に可愛い――なんて思ってしまって。
俺は抱き着かれたままの状態で小さく苦笑する。
何というか……少年らしいというか。
ああ、あえていうなら『竹千代』らしいとでも言えばいいのか。
目を輝かせるその様は、己の思いを押さえ込み国主の仮面を被る以前の家康のようで、俺は思わず表情を緩めてしまう。
普段見せないその姿が愛おしくて堪らなくなってしまったんだ。
「何を言う!そんな事は無いぞ!お前はまさに至高の宝だ!その宝が我が手に在る……ワシは何と果報者か…!」
「家康………。」
「…ワシの宝よ………お前が傍に居てくれればワシはこれからも歩いて行ける…!」
だからどうかワシの傍を離れないでくれ――そう言って家康は縋るように俺の肩口に顔を埋めた。
まったく……今更何を言っているんだか。
そんなの、言われるまでも無い事なんだが。
それに、どちらかといえば俺が家康に飽きられる事はあっても、その逆はある筈がないのだし。
俺は小さく笑うと、静かに家康の背に腕を回して、宥めるようにその大きな背を撫で擦った。
「心配いらない………俺はアンタの神子なんだから。」
「ワシの?」
「そう、アンタだけの。言っただろう俺の全てをアンタの為に捧げるって。」
「……。」
「アンタが俺を必要としなくても、俺はアンタ以外の奴のものにはならない。神子としても、1人の人間としても。だから心配しなくていい。俺は何処にも行かない。アンタだけのものだ――」
「―――ッ!……ワシはこんなに恵まれていいのだろうか……。」
まるで怯えるようなその言葉に、俺は家康の顔を覗き込む。
深い琥珀色の瞳が戸惑いに揺れていて、俺は堪らず家康の頬に手を伸ばした。
ああ、この感じ………俺にも憶えがある。
あれは失う事を恐れる目だ。
一度得たものを失う怖さ。
それは、それを得た事のある者でなければ分からない。
家康は俺を失う事を恐れているのか?
それとも―――
「……?」
「え?」
じっと家康の琥珀の瞳を見詰めていた俺は、不意に家康に呼ばれてハタ――と我に返る。
無意識の内に俺は自身の思考の世界に沈んでいたらしい。
「そんなに見詰めんでくれ。お前にそうまで見詰められるとワシは自分を保てなくなってしまう。」
いつの間にかその精悍な顔を微かに赤らめていた家康が、そう言って口元を覆う。
そしてそのまま俺からそっと視線を外した。
「お前の瞳にはワシを惑わす力でもあるのか……。」
「まさか…そんな訳…。」
「お前のその美しい瞳に見詰められるだけで、吸い込まれそうな錯覚を覚える………、お前は本当に神の御使いではないのか――?」
軽く頬を染めたまま、どこか眩しい物でも見るように目を細めて家康が小さく息を漏らす。
その内容に俺は絶句するしかなかった。
いやいやいや!だって俺の瞳が美しいとか……ありえないだろう?!
家康の、あの琥珀の輝きを宿す瞳なら分からなくもない。
でも俺の何が『美しい』と表現されるのか?!
家康による過剰なほどの高評価も、そういうものだと半ば言い聞かせるようにして慣れてきた部分もあるが、いくら何でもこれはありえなさ過ぎる。
家康に何か変なフィルターでも掛かってるんじゃないのか?!
「家康、さっきから何をバカな事言って……アンタ、最近少しおかしいぞ?!俺を過大評価するにも程がある!」
「何が過大評価なんだ?ワシは本当の事しか言っておらんぞ?」
「何がって………俺の目が美しいとか…ッ!」
「本当の事だぞ?誰よりも聡く優しく美しい…ワシの神子……、お前の瞳はワシをこうして惑わせる。」
「~~~~~~~ッ!」
ダメだ……………これは本気で言ってる……。
勿論俺を評価してくれるのは変わらず嬉しい事だけれど、これは何か違わないか?!
でも厄介な事に、家康は本気でそう思っているらしい。
本気である以上何を言っても俺の言葉を理解してくれるとは思えない。
「家康………とりあえず、そういう事は他の人の前では言うなよ?」
あまりの事に片手で頭を抱えつつ、俺は一つ大きな溜息を漏らす。
もうこうなったら致し方ない。
いくら俺が家康におかしいと、有り得ないと説いても納得はしてくれないだろう。
少なくとも家康が内心でそう思っているだけなら特に問題も害も無い…………………………筈だ。
有り得ない賛辞というこの羞恥に、向けられている俺だけが耐えればいいだけだから。
ただ、うっかり家康が他の人に言おうものなら、俺が恥ずかしい思いをするだけでなく、家康自身の感性も疑われる事にもなりかねないからな。
家康の名誉の為にも、それだけは避けさせないと。
そしてそれが何よりも一番難しい問題点なわけだが。
「それは何とも保証出来んな。」
「な?!」
「致し方なかろう?お前が控えろと言うなら気を付けはするが…誰かに問われれば答えざるを得んし…。」
そう答える家康に、俺は更にガックリと項垂れ頭を抱える。
こういうのを恋は盲目と言うのかもしれないが…他人事ならともかく、その対象が自分ともなれば笑ってもいられない。
俺は改めて大きな溜息を吐くと、訝しげに俺を見詰める家康の頭を撫でる事しか出来なかった。
この特殊な存在に、ごく平均的な…至って一般的な感性というものを教え込み理解させるのは大変そうだ…。
しかし、何でこうなってしまったのやら………。
今は亡き『麻呂』の所で幼少期を過ごしたのが原因だったとしたら………麻呂の奴、恨むぞ。