Change the future 24







俺が自分の世界に戻れなくなって数ヶ月が経った。
それは、この戦国の世に取り残されてからそれだけの期間が過ぎ去ったという事であり、又俺がこの世界に溶け込み始めて数ヶ月になったという事でもある。
正直最初の内は事態の把握とこの世界に順応する為の努力に費やされていたので、落ち着かない日々が続いていたが。
しかしここ暫くは、ようやっと日々の生活も恙なくおくれるようになり、俺は今まで目を向けていなかった新たな事を始めようとしていた。
それは本来ならこの戦国の世で生きていく為には何よりも必須事項だった筈なのだが、如何せん今までが今までだっただけに、ようやっとそこへ手を伸ばす事が出来るようになった…という感じだ。
つまり――


「神子殿、準備はよろしいですか?」

「あ、はい!よろしくお願いします!!」

そう…俺が始めたのは己の身を守る事を第一の目的としての鍛錬を始めたのだ。
忠勝に乗せてもらった時にあっさり気を失ったり、大阪では終始お庭番達に守られっぱなしだったりと、自分の身一つマトモに守れないような自分自身がどうにも情けなく許せなくて。
俺はせめて皆の足を引っ張らずに自分の身を守れるくらいにはなりたいと思い、お庭番衆の忍達や忠勝・井伊直政殿や榊原康政殿に、僅かでもいいから鍛えてもらいたいと願い出たのだ。
勿論、彼等にだって仕事ややらなければならない事が山ほどあるのだから、俺なんかに構っている暇は無い筈なのだが。
それでも彼らは俺の願いを聞き入れてくれて、多忙な時間の合間を縫ってはこうして俺に手解きをしてくれる。
本当に彼らには感謝するしかない。
幸いにして俺はお庭番衆の頭領という立場以外に何か役職がある訳でも無いので、その件以外に特にしなければならない雑務もそうそう無く、他の人達に比べ時間だけは有り余っていて。
俺はそんなこんなで、その有り余る時間を有効活用して、日々鍛錬を繰り返していった。

正直言えば社会人になってからはジムに通って鍛える以外には特にスポーツらしいスポーツもしていなかったし、学生時代のように部活やサークルなどで毎日のように身体を酷使するような事はしていなかったので、この鈍った身体でどれだけ彼らの指導に着いて行けるか心配だったのだが…。
いざ鍛錬を始めてみれば、不思議な事にまるで中高生の頃のように身体は軽く、教えられる事に対する吸収も驚く程早かった。
本当に中高生の頃の肉体に戻ったような感覚だ。
よくは分からないが、もしかしたら俺の世界とこちらの世界で流れる時間が違う事や、俺の分からない何かの力が影響してこんな結果を生んでいるんだろうか?
まあ真実は闇の中だが、そのおかげで俺は自分が思っていたよりも順調なペースで身体を作り上げていく事が出来、今では稀にだが組手の時にお庭番衆の忍達から1本取れるまでになっていた。
勿論家康や忠勝をはじめ徳川の主だった武将達からしてみれば、俺なんてまだまだひよっこで、赤子の手を捻る様にいとも簡単に俺なんか押さえ込めるのかもしれないけど。
でも少なくとも危機管理意識や、咄嗟の対応については及第点をもらえる位には上達したと言えるんじゃないだろうか。


!頑張っているようだな!!」


10本組手を終えて流れた汗を拭っていると、聞きなれた――そして耳に心地よい低音が俺の鼓膜を揺さぶる。
振り返らずとも分かるこの穏やかな声音。
俺は掛けられた声に振り返ると、向けられた笑みに応えて同じように笑みを浮かべた。

「家康!仕事は終わったのか?」
「ああ、今日は思ったより早く仕事が片付いてな。」
「そうか…なら良かった。いつも色々と忙しいんだ。たまにはそんな日がないとな。」
「はは…っ!たまにはな。………それで?は今日も鍛錬か?」
「まあ…な。今ちょうど10本組手を終えた所だ。」

「ほう?それで勝敗は?」

俺の言葉を受けて、家康が傍で控えていたお庭番衆の忍に視線を向ける。
それに答えるように、忍は跪いたまま1度頭を下げると、家康の問いに答えて口を開いた。

「――は。10本中、7本を神子殿がお取りになられております。」
「何と?!そうか!!凄いじゃないか!!忍相手に既に7割勝ち越すとは!」

忍の言葉に、家康が満面の笑顔で俺に向き直る。
一瞬、その勢いで抱き込まれるかと思ったが、家康は俺の両肩を掴んで揺さぶるに留めた。
しかしその過剰な位の反応に俺は困ったように笑うしか出来ない。
だってそうだろう?
これが家康や忠勝相手に…っていうなら分かるが、いくら忍とはいえ隊長クラスの1人にマグレで勝ったかもしれないっていうのに。
それに、もしかしたら手を抜いて闘ってくれていたのかもしれないし。
教えを乞うている今は立場が逆転してはいるが、俺はまがりなりにも立場的には彼の上司にあたる訳なんだから。
そう考えれば手放しで勝利を喜べるような状況じゃ無いとしか思えない。

「何言ってるんだ家康。俺が勝てたのは、たまたまだ。」
「そんな事は無いと思うがなぁ?」
「きっと俺の為に力を抜いて闘ってくれたんだよ。そうでなけりゃまだまだ未熟な俺程度の力で勝てる訳がない。」
「うーん………………………そうなのか?」

俺の言葉に納得出来ないといった様子の家康が、眉を寄せて足元で跪いている忍に問いを向ける。

「いえ。我が身の力全てでお相手させて頂いております。」
「ほらな?やはりは確実に力を着けているんだ。」
「いや……今回はたまたまこの状況が俺に有利だっただけだと思うが……。それに、これが戦場だったら立場は違っていた筈だ。」


だって俺がしていたのは組手だ。
限られた場所、限られた条件の中で闘うのと、何が起こるか分からない戦場という環境で命を懸けて戦うのとでは全然違う。
俺はスポーツであれば勝つのかもしれないが、命懸けのサバイバルでは死んでいる筈だ。
実際組手で10本中3本は取られている……つまりこれが戦場で忍が本気で俺の命を狙ってきていたのなら3回は確実に死んでるって事になる訳だし。
勿論全然成長していない訳ではないと思うが、俺のこの短い期間での成長は、あくまでもその程度の成長でしかない。


…謙虚なのは悪い事ではないが、少しは自身の成長を認めてやってもいいんじゃないか?第一、お前がそんな風に言っては、お前に負け越した者はどうなる?お前が自分の力が大した事は無いと言えば、そのお前に負けた者は更に力が無い…と言われているようなものだぞ?」

「そ、それは………。」
「たとえたまたま勝利を掴んだのであっても、負けた者の為にも勝ったお前は胸を張るべきではないか?」


そう言って家康は、その琥珀色の瞳で俺をじっと見据える。
その家康の言葉に俺は返す言葉も無かった。
負けた者の為に己の力を誇り、胸を張る。
俺は今までそんな風に考えた事など一度も無かった。
俺は良くも悪くも平均的現代日本人の思考をしているのだと思う。
だから何かを勝ち取ったり評価されても、謙虚に自らを律する言葉を紡ぐ…それが普通で至極当然の事だと思っていた。
そしてそうやって生きてきた。
そんな俺に家康は新しい世界を見せてくれた。
俺の知らない新しい価値観を教えてくれた。
本当に……家康はやっぱり凄い。

「それにな?もしお前の力が伸びていないというのなら、お前を鍛えていた者達の力すらも疑われる事となる。、お前がここまで成長したのはお前を鍛え導いてくれた者達の力が優れていたからだ――そう思う事は出来んか?」

家康はそう言うと、俺を見据えていた瞳をそっと細めて俺の俺の肩をポン――と叩いてみせる。
まるで幼子に言い聞かせるかのようなその素振りに俺はゆっくりと頷く事しか出来なかった。
そうだ。家康の言う通りじゃないか。
俺がここまで成長出来たのは、鍛えてくれた皆の能力が高いから。
教え方が上手いから。
だから俺は自分が思っていたよりも早く成長出来たのだ。
俺が中高生の頃のように吸収が早いと思ったのは、俺が不思議な力を授かったからでも、何かしらの不思議な力が働いた為でもない。
俺を鍛え、指導してくれた人達の力が優れていたから、そんな最高級の環境に身を置く事が出来たからこそ俺の成長は予想以上に早いものとなったのだ。
こんな良い環境だったら、俺でなくとも誰だって急成長出来るに決まってる。
だというのに、それを…俺は何を思い違いをしていたんだ。


「そう………だな。うん、そうだと思う。」

「な?そう考えれば…お前が人よりも多少なりと成長が早い事も、力が優れている事も…きちんと認めてやれるだろう?」

だから自身の力と努力と成長をきちんと評価してやってくれ――そう言って家康は太陽のような笑みを俺に向けてくれる。
ああ………家康はどうしてこんなに大きいのだろう?
どうしてこんなにも懐深く暖かいのだろう?
俺はどうにも堪らなくなって目の前の家康へ近付くと、その鍛えられた肩口に額を擦り付ける。
何と言えばいいのか、どう笑えばいいのか分からなかった。
俺はどうも家康の前では酷く弱くなる自覚がある。
それは俺の知らない俺を家康が教えてくれるから。
俺の自覚のない俺を家康が高く評価してくれるから。
俺を真っ直ぐに見てくれるから。
そして誰よりも俺を深く暖かく包み込んでくれるから。
だから俺は家康の前では酷く脆く弱くなってしまうような気がする。

「どうした?」

「………どうしたんだろう………急にアンタに甘えたくなった……。」
「そうか……。」


力を抜いて家康に身体を委ねている俺に、小さく笑う声がする。
けれど家康はそんな俺を撥ね退ける事はせず、そのまま片腕で俺の肩を抱き寄せると、まるで宥めるようにポンポンと俺の後頭部を軽く叩いた。
その心地良さに、はふり――と小さく息が漏れる。
正直、俺がこんなにも家康にのめり込んでしまう日が来るなんて想像も出来なかった。
俺は自分の認識では比較的他人に対しては淡泊な方だったと思うのだが。
しかし、今のこの俺の有り様はどうだ?
本当に家康に骨抜きにされていると言っても過言ではないんじゃないだろうか?
でもそれが嫌でないあたり、俺も大概救いようがないのかもしれないが。
俺はそのまま目の前の家康の首元に腕を滑らせると、太く逞しい襟足に己が両腕を絡めた。

?こら!あまりワシを煽るな。」
「え?」
「このまま攫ってしまいそうになるだろう?」
「攫って……って?」
「お前がいいならワシは構わんがな?」

まだする事があるのではないのか?――そう言ってくすくすと耳元で笑う家康に、俺は訝しげに顔をあげる。
その俺の視線を受けた家康は悪戯っぽい笑みを浮かべると、俺を抱き込んでいる反対側の手でちょいちょいと下を指差して見せた。
途端に目に飛び込んでくるお庭番衆の忍の姿。
次の瞬間、俺は全身の血が沸騰したかのような感覚を覚えてビクリと飛び上がった。
まるで爆発したかのように顔や身体が熱くなっていく。
2人だけの所だったのならいざ知らず、俺はお庭番衆の忍が居る事も忘れて、人目も憚らず家康に擦り寄っていたのか?!
俺は有り得ない状況に慌てて家康から身を離すと、首元に掛けていた手拭いで口元を覆った。


「わ?!わわわわッ?!」

「ふふ…っ!大丈夫か??」
「だ、大丈夫な訳――ッ!」
「だからきちんと止めただろう?ワシとしては少々残念ではあるがな。」
「残念…って?!」

「この続きは今宵な?さて!今はお前も鍛錬の途中だろう?………邪魔をしてすまなかったな。」

何だか妙に楽しそうな家康はそう言って笑うと、家康が来てから変わらずに足元で跪いていた忍に視線を向けて鍛錬を中断させた事を詫びる。
それに俯いたまま(いら)えを返した忍は一体何を思っているやら…。
俺は恥ずかしいやら申し訳ないやらで、家康のように声を掛ける事すら出来なかった。


「そうだ!せっかくだからワシも少し汗を流していくとしようか!ワシも参加させてもらって構わんか?」

「え?!お、俺は別に………構わないが…。」
「お前はどうだ?」
「――は。畏まりましてございます。」
「よし!では次はワシと組手をしよう!!」

「な―――ッ?!家康と?!」

「何だ?ワシとは嫌か?」
「嫌じゃないけど…っ!」


だって家康相手じゃ、そもそも組手にすらならないんじゃないか?
あまりに実力の差がありすぎる。
俺が組手を出来るのはせいぜいが隊長クラスのレベルの人位なんだし。
家康と組手なんかしたら俺……死ぬとしか思えないんだが…。
一打の重みがどう考えたって桁違いだろう?!


「あー…組手をするのはいいが…………その……手加減………お願いします……。」

「………………っぷ!はははははははは!!!」


「家康!!」


俺の言葉に一瞬きょとんとした表情を浮かべた家康が、次の瞬間耐えきれないといったように吹き出す。
そしてそのまま可笑しそうに大笑いし始める。
それに不満顔で睨んで見せれば、家康は困ったように眉尻を下げると小さく頬を掻いた。

「ああ、すまんすまん!分かった、お前の力に合わせるから心配するな。」
「……………。」
「だがなぁ?そこまで心配するほどの事ではないと思うぞ?」
「何を根拠に……。俺は命が掛かってるんだぞ?一撃であの世行きはごめんこうむる。」
「先刻から言っているだろう?は目を見張る程の成長を見せているんだと。多少なりと力を加減するかもしれんが、一般兵よりは力を着けているんだ…が心配するような事にはならんさ。ワシを信じろ。これでもワシは人を見る目はあるんだぞ?」

そう言って片目を瞑ってみせる家康は、俺を安心させるように背中をポン――と叩く。
相変わらずの高評価はありがたいが、本当に俺がそれだけの力を持っているならいいが……。
まあ流石に家康もそこまでフルパワーで俺を相手するとも思えんか。
些か納得しがたい思いはあるが、俺は家康の言葉に頷く。
ああ…そうだ、ものは考えようだ。
以前から俺も武器ではなく無手による攻撃の回避が出来ないものかと思っていたから、今回の事は家康の動きや対応を学ぶいいチャンスだと思えばいい。
それに家康相手に一撃で吹っ飛ばない程度になれれば、少なくとも以前のように守られるだけの状態からは脱したと思う事が出来るだろうし。
それに……………………家康の期待にも(こた)えたいって気持ちも大きいから。
ここまで過大評価してもらっているのに、更に家康に認めてもらいたい――って……俺もどれだけ家康好きなんだか。
確実に俺も、過剰な位に家康を慕っている三河武士達の仲間入りが出来ている気がする。


「……………ご指南、よろしくお願い致します。」


覚悟を決めた俺がそう言って頭を下げると、家康がニッと笑って己が胸を叩いてみせる。


「任せてくれ!!」


その力強く頼もしい姿に少しでも近付ければ。
今はまだまだ遠いけれど。
でもいつかアンタが背中を預けてもいいと思ってもらえるようになれたら。
そう簡単な願いではないけれど、その為に進むのは決して苦ではないから。
























「忠勝!!はいつの間にあんなに強くなったんだ?!」
「???」
「今日と組手をしたんだがな。途中1度だけだが…追い詰められてワシ、思わず耐心磐石出しそうになってしまったんだ。」
「……………。」
「いや流石に出してはおらんぞ!」
「―――!!!」
「そうか……は、未だ自分は未熟だから手加減してくれと言っていたんだが……やはりそれ程に成長して居ったという訳だな。」
「!!!!!」
「はははっ!教え子の成長が嬉しいか忠勝?」




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