Change the future 19
次の日の朝、俺は大阪に来て初めて家康と1日行動を共にする時間を取る事が出来た。
勿論前日の夜から一緒の部屋で休んでいる訳だから長い事一緒に居ると言われればそれはそうかもしれないが。
でもやっぱり意識がある状態で相手と共に居るというのは、それだけで特別な事で。
俺は珍しく目覚ましのアラームが鳴る前に目が覚めたのをいい事に、未だ眠りの淵に居るであろう家康の、目を閉じているとどこかあどけなさを感じさせる顔をじっくりと観察する所から1日を始めていた。
まあ、すぐに俺の視線に気付いて家康も目を覚ましてしまったけれど。
「おはよう………。」
寝起きの少し掠れた低い声が俺の鼓膜を打つ。
すぐ近くで家康の顔を覗き込んでいた俺は、その無駄にセクシーな声音に、朝っぱらから鼓動を跳ね上らせる。
確かに元からイイ声だが、何というかハスキーさがプラスされているというか何というか。
俺は、俺を瞳に映したまま柔らかに微笑む家康の差し伸ばす手に誘われるようにして家康に近付くと、朝の挨拶と言わんばかりの口付けを瞼に受けた。
当然俺もやられっぱなしじゃいられないので、同じように家康の髪に、額に、瞼に唇を落とす。
少しばかりくすぐったそうに笑みを深めると、家康は身体を横たえたまま静かに俺をその腕の中に抱き込んだ。
「今日は早いな?眠れていないのか?」
「そんな事ないさ。今日は何か早く目が覚めて。」
「そうか?ならいいんだが…。」
「そういう家康はどうなんだ?連日大阪城でバタバタしてたみたいだし…今日はゆっくり休まなくていいのか?」
「何を言ってるんだ。今日はに付き合うと言っただろう?」
「そうだけど……でも無理はさせたくないし…。俺なら大丈夫だから少しは休んだ方がいいんじゃないか?」
確かに家康と一緒に居られる方がいいに決まってるけど、だからといってただでさえ無理を重ねがちな家康に更に負担を掛けさせたくはない。
俺は家康の今は降ろされている前髪を掻き上げると、短く切り揃えられた髪をそっと撫でた。
「以前も言っただろう?と共に在る事がワシにとって苦となる訳もない――と。」
そう言って笑う家康は確かに穏やかな表情をしている。
それに甘えてしまってもいいのかと思いつつも、俺自身やっぱり気心の知れた人間が傍に居てくれた方が、相手との話や交渉も上手くいくような気がするのも確かで。
申し訳ない気持ちはあるものの、俺はなんだかんだ言いつつも最終的には家康の言葉に甘える事にしてしまった。
その後起床した俺と家康は、朝餉を取ってから孫市の元へと向かう準備に取り掛かった。
流石にいきなり雑賀孫市の所に乗り込むのも不躾だろうという事で、昨日の内に家康に孫市が逗留している宿に伺いたい旨を記した書状を出してもらっておいたが、それ以外の事は何もしていなかったのだ。
手土産の一つも必要とは思ったのだが、昨日の佐助の騒動もあってそれらしい物の用意すら出来ていなかった。
現代で言う所の手土産の菓子折り的な物も勿論の事だが、俺が考えていたのは俺が自分の世界から持ち込んできた物の中で、何を手土産としたら良いか――だ。
どちらかといえば菓子折り的な物よりも、そちらの方が孫市――いや、雑賀衆の頭領には効果的なような気がしたからだ。
とはいえ、三河の城なら持ち込んできたアレコレから絞り込む事も出来ただろうが、如何せんここは大阪。
勿論持ってきた物も限られている。
その中から孫市への土産に出来そうなものを選ぶのに、俺と家康はかなりの時間額を突き合わせる事になってしまったのだった。
そして約束の刻限。
俺と家康、そして警備のお庭番の忍数名は、雑賀衆が逗留先としている宿へ足を踏み入れていた。
「徳川、よく来たな。我らは来訪を歓迎しよう。」
「やあ孫市!急な訪問を受け入れてくれて感謝する!」
「構わん。物資の調達まではまだ数日はかかるからな。その間、我らもここへ足止めという訳だ。流石に我らとて、無い袖は振れんからな。」
「ははは…っ!相変わらずだな。」
「それで?そちらが書状にあったか?」
家康との挨拶を済ませた雑賀孫市が、その切れ長の理知的な瞳をこちらに向ける。
「ああそうだ!紹介する、孫市。ワシの友、だ。」
家康に誘われるようにして前に進み出た俺は、見定めるように向けられた孫市の視線に微かに笑みを浮かべる。
そしてそのままぺこりと頭を下げると、右手を差し出した。
「お初にお目に掛かります雑賀孫市殿。ご紹介に与りましたと申します。どうぞお見知りおきを。」
「ああ、よく来た。我らは誇り高き雑賀衆。此度の訪問、徳川より聞いている。」
「ご多忙の所、お時間を割いて頂いて感謝致します。」
差し出した俺の手に、一瞬目を見開いた孫市だったが、すぐにいつもの冷静な表情で俺の手を握り返してくる。
握手に応えてくれた事に驚きと共に安心して、俺は内心で胸を撫で下ろしながら、もう一方の左手も添えて孫市の手をもう一度そっと握った。
この戦国の世で相手の手を握るという事は重要な意味を持つ。
相手の懐近くに入り込む行為な訳だし、自分にも相手にも危険が伴う行動な訳だ。
握った手の反対に武器を隠し持っていたら、その武器で命を狙われる事だって考えられるのだから。
そういえば確か似たような話が黒田官兵衛の逸話とされていたはずだ。
東軍戦力として関ヶ原で奮戦した黒田官兵衛の息子、長政が官兵衛に『家康が自らの手を握って奮闘を讃えてくれた』と話した時に『何故空いている方の手で家康を討たなかったのだ?!』と官兵衛が言ったとか言わなかったとか。
まあ、それ位に握手をするって事は重要な意味を持つと言えるだろう。
その行為に応えるという事もまた然り。
それに孫市が応えてくれたのが俺にとっては驚きであり、そして喜びでもあった。
たとえ、その裏に何かしらの意図があったのだとしても。
少なくとも、俺が武器を持っていないという事を、表面上だけでも受け入れてくれたという事だろうから。
雑賀孫市…なかなかにカッコイイ女性のようだ。
「立ち話もなんだからな、こちらへ来るといい。我らが扱うのは武器のみでは無い事を証明しよう。」
そう言って俺達を座敷の方へと誘う孫市に従って、俺と家康は案内された、宿で最も景観の良いであろう部屋へと足を踏み入れる。
通された部屋は、派手さは無いものの、庭の景観とも相まって雰囲気の良さを感じさせる落ち着きのある空間になっていて。
そのおかげで俺は少し緊張気味だった肩の力を僅かだけ緩める事が出来た。
「そうだ孫市!ワシとからの手土産だ。良かったらおさめてくれ。」
「ほう?我らに対して手土産とは…そのような物で我らが懐柔されると思われているとはな。」
「お気を悪くされたのなら申し訳ありません。これは私が家康に申し出た事なのです。ですからどうか家康まで責めないでやって下さい。」
「?!」
「……お前が?」
「はい。ですが雑賀殿を懐柔しようとしての事ではない事だけはご理解下さい。私はただこれからお話をさせて頂くに当たり、美味しい茶と菓子があれば心穏やかな時間が過ごせると思っただけなのです。」
そう言って俺は家康から受け取った持参してきた包みを差し出す。
孫市に告げた通り、この包みの中は茶菓子と俺の持参してきた紅茶の茶葉だった。
茶菓子は流石に向こうの世界の物を持ってくる事は出来なかったので、大阪でも人気との噂の菓子をお庭番の忍に買いに走ってもらった物だ。
「茶菓子……だと?」
「ええ。私は外つ国の茶を好んでおりまして。よく家康とも時間を見つけては一服しております。それがとても心地良いものでして。ですので雑賀殿とも出来ればそのような時間を過ごせればと思い、持参した次第です。正直な所を申し上げれば、私もこの茶菓子を口に出来るのを期待しておる所でして。」
「、お前は我らと茶飲み話がしたくて来た――そう言うのか?」
「はい。その通りです。」
にっこりと笑ってそう答えれば、孫市の瞳が驚きに見開かれる。
流石の雑賀孫市も、俺が茶飲み友達になりたくて来たなどと言うなんて思いもしなかったんだろう。
わざわざ家康を通して連絡をしてきた位だから、何かしらの政治的な話や取り引き、駆け引きがあると踏んでいたに違いない。
それが、まずは茶飲み友達からね!――なんて言われたのだ。
そりゃあ面食らいもするだろう。
俺は僅かに苦笑しながらすぐ傍の家康を見上げる。
その俺の視線に気付いたのか、家康も苦笑いを浮かべながら己の短く刈り上げられた髪をガシガシと掻き混ぜた。
「すまん孫市。何か気を揉ませてしまったようだが、ワシらは雑賀衆と駆け引きしようと思って来た訳ではないんだ。どちらかというと相談というか…助けてもらいたいと思ってな。それで、頼み事をするなり話を聞いてもらうなりするんだから…とと相談してな。それならば、今大阪で人気だという菓子でも食しながら話が出来れば――と、そう思ってなぁ。」
俺達二人揃って苦笑いしながら孫市を見やれば。
どこか呆れたように眉尻を下げる孫市の姿が目に映る。
「このからすどもが…………。」
盛大な溜息と共に、孫市が俺の差し出している包みを受け取る。
その姿に俺と家康はもう一度顔を見合わせるとお互いに表情を明るくした。
これは完全に孫市が俺達を警戒せずに受け入れてくれたと見ていいんだろう。
まるで悪戯な弟達を呆れ半分に見詰める姉のような表情で孫市は俺達を見ると、襖を開けて部下を呼び、手にしていた包みを渡して指示を出している。
「―――それと、警備の忍には隣室にて待機してもらえ。こちらの警備もいらん。」
「よろしいのですか?」
孫市の言葉に、部下の1人がそう問い掛けている。
それに小さく笑うと、孫市はこちらに向かって聞こえるように言葉を発した。
「構わん。茶飲み話に何の危険が生じる?それに我らはあのような腑抜けたからすどもに後れを取るほど間抜けでは無い。」
その明らかに俺達に向けられた言葉に。
俺と家康は再度苦笑いで顔を見合わせる。
何というか……孫市は頭の上がらない姉といった感じだ。
「それで?我らに相談とはどのようなものだ?」
部下への指示を終え俺達の方へ戻ってきた孫市が、俺達に腰を下ろすように勧めながらそう問うてくる。
それに従いその場に腰を下ろすと、俺と家康はお互いに頷いてから孫市へと向き直った。
「まず最初にお願いが。これからの話は雑賀衆の頭領たるお方との取引でも何でもなく、雑賀孫市殿…あなたに個人的にお話をさせて頂きたい事なので、これからあなたの事を孫市殿と呼ばせて頂く事をお許し下さい。」
「いいだろう。茶飲み話とは個人的に他愛もない事を話すものだからな。」
「ありがとうございます孫市殿。」
「それで?個人的な相談とは?」
「はい、いくつかありますが、まずは私個人の事についてご相談があるのです。」
そう言って俺は背負っていたディパックを背中から降ろす。
これから話す事に使う可能性がある為、いつでも使用出来るように手元に取ったものだが、一瞬孫市の目が眇められたのを俺は見逃さなかった。
警戒――させてしまうのは本意ではない。
俺は微かに笑みを浮かべて両手をディパックから離して両手を上げると他意が無い事を示して見せる。
「相談をさせて頂くに当たり、まずは私の事をお話しなくてはなりません。」
「自身の事か……それは確かに興味深い。」
「え?」
「徳川に最近姿を見せるようになった神子とはどのような者か、我ら雑賀衆としても私個人としても気になる所ではある。」
そう言ってゆったりと口の端を持ち上げてみせる孫市に、俺は思わずぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
いや確かに俺自身、先見の神子としての風聞を上手く利用しようとしていた位だし、実際虚像としての先見の神子の噂をばらまいていたのも事実だが。
既に雑賀衆の頭領の耳にまで届く程に噂が広まっているとは思わなかった。
いや、いくら何でもそれは有り得ない。
まだそこまで社会的に俺の情報は広がっている筈はない。
「何を驚く事がある?我らが扱うのは武器のみでは無いと先刻も言ったはずだが?」
「流石です………雑賀衆の情報網はそこまで網羅しているのですね……。」
「ふ……当然だ。」
いやはや…本当に恐れ入った。
これなら、これから提案しようとしている雑賀衆とお庭番との共同情報網の作成についても話がしやすい。
俺は心の底から感銘して孫市の聡明な瞳を見返した。
そして俺は、俺の身に起こった事を孫市に語って聞かせた。
己は数百年後の未来に生きていた事、自分の生きていた世界と僅かにこの世界が違う事、元の世界に戻れそうも無い事――分かりうる事の内、話しても支障の無い事全てを俺は孫市に話していた。
アクションゲームの世界観と同じ世界…という事は流石に伏せたが。
そして、俺はそれらの話を証明するものとして、ディパックからいくつか取り出して見せる。
スマホに時計・オイルライター・メモ帳にペン・眼鏡・キャンディー・ミントタブレット・歯ブラシに歯磨き粉…他にもいくつかあったが、明らかにこの世界では手に入れられない物――いや、この世界には存在しえない物を見せて、俺は自身がこことは違う世界から来たのだという事を説明してみせる。
最初の内こそ俺を疑いの眼差しで見ていた孫市も、流石にそれらの物を目にしてからは納得せざるを得ないといった様子に変わっていった。
「成程な………先見の神子とは先の世の人間という訳か。」
はぁ――と盛大な溜息をついて、孫市は身体の前で腕を組む。
そんな孫市に大きく頷いてみせて、家康は俺を一瞥してから孫市に向き直った。
「そういう訳では元の世界に戻る事が出来なくなってしまってな。今はワシの元に居る訳だが…孫市、何かこの手の事について心当たりでもないか?どんな些細な事でもいい。知っていたら教えてもらえないだろうか?」
「………………神隠し……とも違うようだしな。」
「そうだな。だが確かに神隠しに近いものなのだろう。どこかで神隠しに遭ったとか神隠しから戻った者が居るとかいう話を聞いたりはしないか?」
「行方をくらませた者が居るという話は多く聞くが、単純に村を離れただけの者も居れば、山中で獣に襲われたり道に迷った者も居るだろう。中にはお家騒動で消された者も居る。神隠しに近い者を探すとなるとなかなかに困難と言わざるをえんな。」
「そうか………情報収集にも長けている雑賀の力をもってしても難しいか……。」
「………消えた者を識別するのは難しいが、戻った者を探すのはそう難しい事でもないだろう。契約では無い以上、その為だけに人員を割く訳にはいかんが、そういった者が居ないか、そんな話を聞いた事が無いか気に掛けておこう。何か分かれば徳川、お前の元へ報せを寄越そう。」
「すまない孫市。まずは感謝を!」
「それは何かしらの情報を掴んでから貰うとしよう。」
そう言って笑う孫市。
ちょうどその言葉が途切れた次の瞬間、襖の向こうから声が掛けられる。
その声に応えた孫市の声に反応して開かれた襖の向こうには、先刻の孫市の部下が宿屋の仲居さんらしき女性を伴って控えていた。
「ああ、ちょうど良い所だ。、お前所望の菓子を持って来させた。それと、我らの用意した物もな。これでようやく茶飲み話の形式が整った…という訳だな。」
そう言って口元を緩める孫市に、俺と家康は揃って笑みを深めたのだった。