Change the future 18
「あ、あの………。」
「何?」
「もしかして……怪我をなさっておいで……ですか?」
段々と血の気を無くしていく佐助に耐えられなくなって、俺は思い切ってそう声を掛けてみた。
これはいくら何でも流石にヤバイだろう。
いくら俺がただの一般人でも、流石に普通じゃない事位分かる。
それ程に今の佐助は尋常じゃない状態になっているんだ。
どれだけ佐助が平気な振りを装ったとしても隠しきれない程に。
「それが何?いくら手負いでもアンタを始末する位は造作もないよ。逃げようなんて思わない事だね。」
「違いますよ!私はこのまま大人しくしてさえいれば何れは解放して頂けるんでしょう?それなのにわざわざ逃げるなんて危ない橋を渡るような真似は致しません!それよりもあなたのお怪我の事です!」
「別に俺様が怪我してたってアンタには何の問題も無いでしょ。」
「それはそうですが……大分顔色がお悪いですよ。怪我をされておいでならせめて手当てをされた方が…。」
行動を制限されてる俺がこんなこと言うのもおかしな話かもしれないが、それ程に佐助の状態は芳しくないという事だ。
正直な所、佐助がこれほどまでに重傷だとは思っていなかったから、お庭番の忍達を戦力になるように外へ出してしまったが、こうなってくると忍達を外に出さない方が良かったのかもしれない。
そうしたら薬問屋の跡取りだ…とでも言って薬を出しつつ、忍達に治療を頼む事も出来たかもしれないが。
如何せん俺じゃこの状況下では何の役にも立ちそうにない。
「余計な心配するより、自分の身を案じてた方がいいんじゃないの?」
「ですが本当にお顔の色が悪いんですよ!このままでは取り返しのつかない事に…!」
「……………………アンタ変な人だね。アンタ今俺様に拘束されてるんだぜ?俺様がこのままぶっ倒れた方がアンタにとっては都合いいでしょうに。」
確かに佐助の言う通りではあるが…それは相手に命の危険が無い場合においてだ。
このまま放っておいて死なれでもしたら寝覚めが悪い所の騒ぎじゃない。
現代日本に生まれ育った人間としては、目前で命の危険がある人が居たらとりあえずは救命処置…ってのがセオリーだろう。
流石に『敵だから』とか『忍だから』と割り切って目の前の命の灯が消えるのを待っていられる程、俺の心臓に毛は生えていないし、そうなれる程この世界の考え方にも染まりきっていないつもりだ。
俺はせめて何か出来ないかと、自分達の持ち込んできた荷物をゴソゴソと探り始めた。
「何するつもり?」
「いえ、何か……手当てに使える物が無いかと……。」
俺のじゃないけど、荷物の中に包帯代わりに使えそうな晒がいくつかある。
後はせめて傷に効くような薬があればいいんだろうが、流石にここにはそんな物無いし。
もしかしたらこの荷物の中に薬草的な物とかあるのかもしれないが、こちらでの薬物的な事がさっぱりな俺には何が何やら分からない。
いや、それ以前に傷を見ていないから何とも言えないが、もしかしたら傷を縫い合わせたりとかしないといけないレベルの怪我かもしれない。
となると、まずは外科的処置から始めないといけないんじゃないだろうか。
とはいえ、手術的な事になったとしても俺にそんな技術は無いし、麻酔薬や消毒薬・点滴のようなものは当然ながら無い訳で。
俺があと用意出来るとしたら、せいぜいが向こうの世界から持ってきた鎮痛剤とか、後はビタミン剤とかを出してやる事くらいか。
とはいえ、佐助が素直に飲んでくれるとも思えんし。
一体どうしたらいいんだ?!
そうこうしている内にも佐助の容体は刻一刻と悪くなっていって。
とうとう俺の前で苦無を握る事も出来ずに壁に身体を預けたまま動かなくなってしまった。
「しっかりしろ!!おい!!!」
流石に青ざめた俺は、すっかり演技の事など忘れて素のまま動かなくなった佐助を抱きかかえる。
血の気を失った白い顔。
零れるのは細い息だけ。
「どうすればいいんだ?!」
死という現実にぶち当たって、俺はこの世界に来て初めて全身が震えた。
何も出来ない無力さに、ただただ絶望するしか出来ないのか?!
俺は情けなくも佐助の身体を引き寄せたまま身動き一つ取れなかった。
「様!!」
どれだけの時間が流れたのか。
不意に聞き覚えのある声が聞こえて顔をあげると、外へ送り出した筈の喜助役の忍が忍装束の姿で部屋に現れた。
そしてその後を追うようにして、くノ一と風魔を呼びに行ったもう一人の使用人役の忍の姿も。
その後ろには風魔の姿もある。
俺は頼もしいその姿にホッと胸を撫で下ろすと、駆け寄ってきた忍達に微かに笑みを向けた。
「ご無事ですか様?!」
「ああ、俺は大丈夫だ。しかしコイツが……。」
「先ほどの……。」
「ああ、どうやら相当深手を負っているらしくて意識を失った。悪いが手当てをしてやってくれないか?」
「な…っ?!他国の忍を助けると仰るのですか?!」
「そうだ。俺では助けてやれそうもないんでな。すまないが頼めないだろうか?」
「様は、こ奴が何者かご存知ない故、そのような事を仰るのです。こ奴は――」
「知っているさ。甲斐・武田の忍、猿飛佐助だろう?」
そう答えれば驚いたように全員の目が見開かれる。
確かに面識もない筈の忍の事をサラッと答えたら驚くのも分からなくはないが。
「何を驚く事がある?俺は先見の神子だぞ?面識はなくともそれ位は分かるさ。」
そう言えば、なるほど――というように忍達の表情が緩む。
それを確認して、俺は改めて忍達に佐助の治療を願い出た。
「色々思う所もあると思うが、俺を助けると思って頼めないだろうか?」
「様……。」
「因果応報というだろう?ここで猿飛を助ける事が必ずしも悪い結果をもたらすとは言えないのではないか?俺はその先の未来こそが我々にとって善き未来となると…そう信じている。」
平和ボケした現代育ちの温い考え方なのかもしれないけれど。
でも家康ならきっと俺のこの考えを理解してくれると思うんだ。
不必要に武力を振り翳さず、力では無く人々のお互いを想い合う絆の力で世を統べようとしている家康なら、他国の忍だとか敵だからとかいう理由で人を区別したりせず、共に歩む未来を選ぶんじゃないだろうか。
善き事には善き事が、想いには想いが、優しさには優しさが返ってくる。
その事を家康自身が体現して行っているように俺には思えてならないんだ。
だから俺も己が信じるこの選択を貫きたい。
俺は戸惑いがちな表情を崩さない忍達に、もう一度ペコリと頭を下げた。
「それで?結局猿飛はどうなったんだ?」
大阪に来て二日目の夜。
俺は昨晩と同じように、家康とその日にあった出来事を話し合っていた。
風魔と落ち合う前に起こった蕎麦屋での出来事を話していた俺に、表情を厳しくして家康がそう問いかける。
それに頷いてから俺は再び口を開く。
「ああ、風魔のおかげで何とか命は取り留めた。」
「風魔のおかげ??」
「ああ、その場に居合わせた風魔がな、真っ先に手当てをしてくれてな。」
俺の言葉に訝しげに眉を寄せる家康。
それに小さく笑って俺は事の詳細を家康へと語って聞かせた。
俺が手当てを頼むと頭を下げたあの時、真っ先にに動いてくれたのは誰あろう風魔小太郎だったのだ。
頭を下げた俺に近付き一度だけ俺の肩をポンと叩くと、驚いて顔をあげた俺と視線を合わせて無言のままこっくりと頷く。
たったそれだけの事だったが、俺は風魔が俺の願いを聞き届けてくれたのだと分かった。
風魔はすぐにぐったりとした佐助の武装を解くと、手慣れた動きで手早く佐助の治療を始めていく。
それに触発されたのか、それとも俺の頼みを仕方がないと受け入れてくれたのか、お庭番の忍達も風魔に続くようにして荷物の中から怪我に効く薬草やら晒やら煎じ薬やらを用意してくれた。
本当は輸血をしてやれれば一番なのかもしれないが、この時代・この世界に輸血に使えそうな器具一式などある訳も無く、又そんな知識も浸透してはいない為、輸血という方法はとる事が出来ない。
出来る事といったら、せいぜいが増血効果のある物を摂取させる位。
俺はすぐに風魔を呼びに行ってくれた年若い忍を呼び寄せ、携帯用の筆を取り出して紙に幾つか書き込むと金子と共にそのメモ書きを忍に手渡した。
その紙を見た忍は訝しげな表情を浮かべていたが、俺がその書き出したものを使って行おうとしている事を話すと、すぐに納得してその場を離れた。
そう、俺が金子と共に渡した紙に書かれていたのは一種の買い物メモだ。
点滴が出来ないなら、本人の生命力の強さに賭けるしかない訳だが、それを手助けする為に出来る事はやってみる価値はある。
だから俺はこの世界でも手に入りそうな増血効果のある食べ物を買いに行ってもらったのだ。
この世界では高価な物もあるかもしれないが、命には代えられない。
あるかどうかも分からない物もあったが、手に入る物は全て買ってもらって、宿とさせてもらっている大店と下の蕎麦屋に頼んで一種の流動食を作る事にしたのだ。
一番手に入れて欲しかったのは、ほうれん草やレバーなどの類だったが、それがダメな時の為にイワシや牡蠣・シジミ・カツオ・干しひじき・ウナギなど、タンパク質やビタミン・鉄が多く含まれるであろう品を思いつくだけ書き出した。
こんな時ほど、学生時代に栄養素についてのレポートを書かされた事を感謝する事はないだろう。
まあ、ほうれん草も確か室町時代から江戸時代には渡来していた筈だから、物が無いって事は無いだろうけど。
そんなこんなで風魔をはじめ3人がかりで佐助の治療をしてもらう傍ら、年若い忍に大阪の市場のような所を駆け回ってもらい、それを使ったレシピを大店と蕎麦屋に渡して流動食を作ってもらったという訳だ。
「、『りゅうどうしょく』というのは?」
「ああ、噛み砕かなくても呑み込むことが出来る物を言うんだが…重湯や葛湯のような物だと思ってもらえればいい。」
「普通の重湯では駄目なのか?」
「そうだな。重湯は消化吸収の面においては良いのかもしれないが、猿飛の場合は増血効果と体力回復、滋養強壮を最も重要視しているから…。血を作るのに向いている食材を摂取させるべきだったんだ。」
「なるほど……はそんな事まで心得ているのか……凄いな!」
感心したようにそう言う家康が満面の笑みで俺をギュッと抱き寄せる。
何やら最近こうした時にスキンシップが激しくなってきているような気がするんだが気のせいだろうか?
まあ、俺自身それが嫌だと思えないのだからタチが悪いのかもしれない。
「しかしワシには揃えた食材で何をどうすればいいのかさっぱりだが……一体何を作ったんだ?」
俺を腕の中に抱えたままそう言って家康は首を傾げる。
それに暫し考え込んでから、俺は佐助の為に作った流動食のレシピを語って聞かせた。
今回作ったのはレバーペースト風な流動食だった。
ありがたい事に鶏レバーやほうれん草などの書き出した食材は殆ど手に入ったので、まずは鶏レバーを酒と水に浸し臭みを取ってから、菜種油を使ってほうれん草やニンニクなどの食材と共に炒めて更に酒を加え出汁と塩などを加えて、最後にそれらをすり鉢ですり潰し、何とか口に入れられるレベルの物に仕上げたのだ。
正直、レバーの臭み消しに牛乳が無いだとか、生クリームが入れられないだとか、フードプロセッサーが無い為滑らかにならないだとかで、食材やら味付けやらはレバーペーストには程遠いものになってしまったが、今は味よりも手元にある食材で如何に効果の高い流動食を作れるか――だ。
他にもイワシや牡蠣・ウナギやシジミ・ニンジンや大豆などを使って複数の流動食を作り、お庭番達に怪我の治療と共に半分意識混濁状態の佐助にそれを摂取させてもらった。
俺はその後場所を変えて風魔と雑賀の件や風魔が俺に聞きたがっていた事を打ち合わせしていたので、佐助がどうなったのかは正直分からないが…だが、渡しておいた鎮痛剤やビタミン剤、風魔の用意してくれた薬湯やお庭番達の薬草で、少なくとも悪化はしていないと思いたい。
「本当にはワシの思いもよらない事を沢山知っているな。」
「そうでもないぞ?それに薬に関してはアンタの方が上だろう?」
「何で知っているんだ?ワシ、に話した事があったか?」
「そりゃアンタの手の治療の事を考えれば誰でも分かるさ。それに俺の居た世界ではアンタは薬学に精通していていたと伝えられているしな。俺としては色々と教えを乞いたい所だ。」
「ふふふ…っ!ワシがに教えられる事があるとはな。ワシで良ければ三河に戻ったらいくらでも付き合うぞ?」
「それは助かる!今回の事で俺がいかに役立たずかを自覚したからな。少しでも役に立てるよう学びたい。」
そう言うと、僅かに家康の眉が寄せられる。
ああ、以前言っていた己を貶めるな――というやつだろうか。
だがこれは己を卑下してる訳でも何でも無く、あのような緊急事態に対応出来る力が無かったという事実に対して、少しでも前向きに対応したいという現れなのだから、家康が顔を顰めるような事じゃないと思うんだが。
抱き込まれている家康の腕の中から振り返り、僅かに皺を寄せた家康の眉間に手を伸ばしてそう答えると、数回目を瞬かせてから家康はふぅ――と小さく溜息をついた。
「純粋に学びたい――という事なんだな??」
「ああ、その通りだ。そうする事で俺も少しは自信が持てるようになるかもしれないし。」
「分かった。なら三河へ戻ったら早速始めようか。」
「よろしく頼む、家康先生。」
「うむ!任せておいてくれ!」
ペコリと頭を下げると、楽しそうに表情を緩めて家康が己の胸を軽く叩いてみせる。
そしてすぐに小さく笑うと俺の額に唇を落とした。
「い、家康っ!」
「まあ、それまではワシはの師匠ではないからな。少しはこうしていても良いだろう?」
「ったく……。」
そうは言うものの、この腕の中も触れられる家康の熱も心地良いんだから、抵抗なんて出来る訳もない。
俺は呆れ半分というように笑いながらも、自らも家康の頬へ唇を寄せた。
「そういえば、風魔に孫市の逗留場所は聞けたのか?」
「ああ。明日にでも訪ねようかと思ってるんだが……家康は明日も大阪城か?」
「いや、一通りの事は済んだからな。ワシも明日は共に行こう。」
「そうか!良かった!!」
「………ワシと離れているのは寂しいか??」
以前俺が家康に聞いたのと同じ問い。
それを返されて俺は一瞬言葉に詰まった。
俺、そんなに分かりやすい反応をしていたんだろうか?
そりゃ土地勘も無い、見知った顔も少ないこの大阪では不安じゃないと言ったら嘘になるし、俺だって家康の事を少なからず特別に思っているんだから一緒に居たくない訳がない。
でも俺だって一応はれっきとした男なわけだし、1日位別行動した位で寂しがってるなんて答えるのは流石に引かれるだろうか?
でも俺自身が家康に『気持ちを抑えるな、素直に感情を表せ』と言っている以上、偽らざる気持ちを家康に返すべき――とも思うし。
そう、たとえ俺達がお互いを特別に感じていなかったとしても、普通に仲のいいダチが体調悪くて1日学校休んだ位でも、やっぱりつまんねーなー、寂しいなー…なんて思うだろう?
それと同じで結局の所、俺は家康とどんな関係であっても、一緒に居られる方がいいに決まってるんだ。
俺はじっと俺を見下ろしてくる家康の首に腕を絡ませると、そのまま家康の力強い鼓動が響く胸元にそっと頬を寄せて呟く。
「寂しいに決まってるだろ。俺だってアンタが思っている以上にアンタと一緒に居たいんだからな。」