Change the future 17







官兵衛との交渉を無事終えた次の日。
俺、は、昨日に引き続き大阪城へ向かった家康と忠勝を見送ってから身支度を整えると、風魔と落ち合う予定の茶屋へと向かっていた。
俺1人でふらふらしていると危険だし、下手な詮索をされても困るので、新しく編成した忍集団『お庭番』の中のくノ一にも付き合ってもらって、今は旅の若夫婦を演じている。
で、ついでに大店の跡取り息子の若旦那という設定も付けて、使用人役として2人の男性の忍にもついてもらった。
これで俺の護衛の為に3人の忍が着いてくれたことになる。
正直、お偉いさんでも何でもない俺にこれだけの手間を割かせるのは申し訳なかったが、如何せん俺程度じゃ襲われた時に何の対処も出来そうにないので、許してもらうしかない。
しかし、そう言ったら服部半蔵殿はじめ、お庭番の忍達に揃って呆れたような顔をされてしまった。
曰く、『先見(さきみ)の神子殿であり、我らがお庭番衆の頭領でもあり、家康様の伴侶たられるお方をお守りするのは当然の事』だそうで。
更には『少しはご自身のお立場をご自覚下さい!』と諌められる始末。
ええと…家康の伴侶云々に対するツッコミは置いておくとして、立場を自覚しろってのは少しは上役らしくしろ――という事なんだろうか?
俺自身ただの一般市民でしかないから、お偉いさんらしくするっていうのがイマイチ上手く出来そうにない。
申し訳ないと頭を下げたら『忍にそう簡単に頭を下げるものではない』と更に大きな溜息を吐かれてしまった。
そんなこんなで茶屋へ向かっていた俺達一行は、如何にも観光客です…ってな雰囲気を醸し出す為に、予定時刻よりも早い時間に宿としている大店を出て、行きがけに1件の蕎麦屋に立ち寄った。


「若旦那様、お座敷を整えて下さったそうです。」

使用人役の忍の1人が、店の主からの言伝(ことづて)だと言って2階へと上がる階段を指差す。
どうやらいい所の若旦那ならばと、座敷を用意してくれたらしい。
俺自身、別に下で町民達と一緒に蕎麦を啜る位何て事ないんだが…。
もしかしてお庭番の忍が気を利かしてそれらしい素振りをしたんだろうか?
どちらにしても折角座敷を用意してくれたんなら無下にする訳にもいかない。
俺は愛想良さげに店の主人らしい男性に会釈をすると、使用人役の忍に従って2階への階段を上った。

2階は決して豪華な造りでは無かったが、確かに要人や何処ぞのいいトコの坊ちゃん・お嬢さんが立ち寄るにはうってつけの座敷の様相を呈していた。
もしかして密談とか密会とか、そういったのにも使われてるんじゃないだろうか。
そう考えると、風魔との話はここでした方が都合が良いような気がする。
俺は同行してくれている忍達にそれを問うてみる事にした。

「この座敷……もしかして密会用とかに造られてないか?」
「はっ!流石は様、仰る通りでございます。ここは我等忍とて容易に入り込めぬ造りとなっております。」
「なら、風魔とはここで話す方が良くないか?」
「その方がよろしいかと。ですが風魔とはこの先の茶屋にて落ち合う手筈では?」
「そうなんだ………何とか風魔にこちらへ来てもらう事は出来ないかな?」
「……でしたら私が風魔を連れて参りましょう。」

使用人役の忍の内の1人、先刻ここの蕎麦屋の主と話をしていた方ではないもう一人の忍がそう言ってその場に立ち上がる。
この中で一番年若く見えるその忍は、身の回りの世話をする、家康で言う所の小姓のような立場の使用人を演じてくれている。
まあ、いわゆる丁稚というやつだ。
それを見て、俺は暫し考えを巡らせた。


「分かった。頼む…風魔をここへ連れてきてくれ。」
「承知致しました!」

「ただ、風魔も急に落ち合う場所が変わったとなれば当然警戒するだろう。そのまま行った所で聞いてもらえるとも思えない。そこでだ、風魔にこう言ってくれ『先日の外つ国の茶をもう一度馳走したい』と。そして……これを渡してくれ。」


俺は持っていた袋――流石に向こうの世界のバッグは持ち歩けなかったのでこちらで手に入れた巾着袋だった――の中からアールグレイのティーパックを1つ取り出す。
ティーパックではあるが、ベルガモットの香りがするので風魔にはすぐにあの時の茶の香りだと分かるだろう。
アールグレイを気に入ったと言ってくれた風魔なら、気付いてくれる筈――これを渡したのが俺であると。

「承知致しました。」
「この店の主人に何か聞かれたら『先刻若旦那が急に甘いものが食べたいと仰って、ひと足先に買いに走った者が居るので迎えに行く所だ』とでも言えばいいだろう。よろしく頼む。」

「は…っ!では!!」


俺の言葉に頭を下げると、年若い忍は急いで階段を駆け下りる。
そりゃそうか。普通に階段を上っていった大店の若旦那ご一行の内の1人が急に忍のように姿を消す訳にはいかないしな。
あくまでも俺達は旅の若旦那ご一行なんだから。
俺は改めて風魔の分も含めた5人分の蕎麦を残った忍に頼んでもらいながら、僅かに開け放たれた格子窓から、外に見える長屋風の屋根に視線を向けた。
と、不意にその格子窓の向こうに影が差す。
正直、格子窓の外を見ていなかったら全く気付く事も無かっただろうほんの僅かな影。
忍達ですら気付かなかったそれに違和感を覚えて、俺は荷物の中から巻物と携帯用の筆を取り出すと、無言のままその場に残った2人の忍を手招いた。
風魔のしていた筆談と同じように、巻物に外の状況を書き記してみせると、途端に2人の忍が懐に手を忍ばせる。
そして使用人役の忍がそっと外を伺うと、手にした苦無をそのままに、俺同様に巻物に筆を走らせた。


『外に忍が居ります。向こうは未だこちらには気付いてはおらぬようですがご注意を。』


どうやら俺を狙っている訳ではないようだが、何処の者かは分からない忍が潜んでいる事は事実らしい。
しかし参った。
これからここで風魔と話をしようと思っていたのに、これじゃここを使えそうにないじゃないか。
出来れば立ち去ってもらえると助かるんだが、どうにかならないものだろうか。
そう筆談で話せば、格子窓の傍で警戒し続けていた俺の嫁さん役のくノ一が何かに気付いたようにこちらに戻ってきた。

様、外の忍ですが恐らく手負いかと。』
『手負い?』
『僅かに血の匂いが致します。動けずにここへ辿り着いたかと。』

手負いとなると、この場から立ち去ってもらう事は難しいか。
俺は急いで思考を纏めると、2人の忍に事の詳細を伝える。
そして如何にもたった今ここへ入ってきましたとばかりにドカドカとした足音をたてると、格子戸を勢い良く開け放った。
さも呑気な言葉も付け加えて。


「さて、腹が減ったなぁ喜助。蕎麦はどれくらいで出来――」


言いながら視線を外に巡らしてみる。
と、バチン――という音がしそうな程しっかりとお互いの視線がぶつかった。
手負いの筈の忍――いや、これは……予想以上の忍が釣れてしまったらしい。
俺はあまりの事に思わず言い掛けた言葉を途中で途切れさせてしまう。
忍達2人は俺のわざとらしい演技だと思っただろうが、いやいやなかなかどうして演技なんてしていられる状況じゃ無くなった。
だってまさかこんな大物が引っ掛かるとは。
俺は呆然としながら目の前の迷彩柄の忍装束を纏った忍を見詰めるしかなかった。


「どうされました若旦那様?何か――」


固まったまま動かない演技――実際は本当に動けなかったのだが――の俺に合わせて、喜助という咄嗟に作った使用人役の忍がこちらに視線を向ける。
そして俺の嫁さん役のくノ一も。
そして次の瞬間、悲鳴を上げようとしたくノ一を、格子戸の外で潜んでいた手負いの忍――甲斐、武田の忍…猿飛佐助が咄嗟に飛び込んで来てその口を塞いだ。


「おっと!悪いけど少しの間静かにしててもらえるー?悪いようにはしないから。」

そう言って嫁さん役のくノ一に苦無を突き付ける。
しかし…正直そっちに行かれると些か困るんだがなぁ。
いくら演技とはいえ、歴戦の忍であるくノ一が怖がる演技はともかく、震える素振りとか固まって動けない素振りとか、ましてや冷や汗や涙なんて流せるとは思えんのだが。
そうなると俺達の正体に疑問を抱かれかねない。
だからこの中で最も一般人である俺が一番佐助に近付いたというのに。
なのに、よりにもよって俺よりも遠い位置に居た嫁さん役のくノ一の方に真っ先に行くとは。
確かに悲鳴を上げられたら困るからそっちを先に止めたのかもしれないが。
俺は内心で溜息を吐くと、ぐっと手を握りしめた。


「お初!!お初を離してくれ!!」

「大人しくしててくれたら傷付けたりはしないよ。」
「私がお初の代わりになる!だからお初を離してやってくれ!頼む!!」
「だから大人しくしててくれれば何もしないって。ここで騒がれるとちょっとこっちも困るんでね。」

「お初のお腹の中には私の子がいるんだ!!このままじゃお腹の子は――!!」

「―――ッ?!」


俺の言葉に佐助が一瞬目を見開く。
それに気付いたのか、それとも俺の演技に合わせてくれただけなのかは分からないが、お初という嫁役のくノ一が片手で腹を抱え、もう片方の手をこちらへ差し伸ばす。


「お前様!!!」
「お初!!!今助けるからな、頑張ってくれ!!」


そう言ってお初役のくノ一を拘束している佐助に視線を向ける。

「頼む!!お初を…お初と私の子を……!!」

「………………………分かったよ。その代わりアンタ、大人しくしててよ?」

仕方ないというように溜息を吐くと、佐助はお初役のくノ一を片手で拘束したまま俺の方へ向けて反対側の手に握られている苦無を突き付けてくる。
それに無言で頷くと俺は静かに二人の方へ近付いた。


「若旦那様!!」

「私なら大丈夫だ。お初とお腹の子を連れて宿へ。喜助…『後の事は頼む』。」
「ですが…っ!!」
「そんな!お前様を残して私だけ!!」

「『頼んだ』ぞ?」


そう言って俺は佐助の苦無が届く位置で止まった。
お初役のくノ一と視線を合わせるとそのまま無言で頷いてみせる。
そしてくノ一が解放された瞬間、俺の身は佐助の腕の中に拘束されていた。



「行け喜助!!『後は頼んだ』ぞ!」



倒れ込むような形で解放されたお初役のくノ一を支えた喜助役の忍が大きく頷く。
そして、くノ一を支えるようにして2人は階段を駆け下りて行った。
さて、後は彼らが風魔を迎えに行った忍と風魔の2人に無事合流してくれればいいんだが。
うっかりこのままの状況の所に風魔なんかが来てしまった日には、俺は一体何者だ――ってな事になりかねないからな。
その前に2人を外に出せて良かった。
後は合流した皆がこちらの正体がばれないような形で何とかしてくれる事を祈るばかりだ。
その忍達が戻る間、俺は本当の一般人の怯えってやつをリアルに披露していればいい。
そうしたら何れ時が来れば佐助は俺を開放するだろう。
だってそうでも無かったら『少しの間静かにしていろ』なんて言う筈ない。
俺達が本当にただの一般人だったとしても、その場で俺達を切り刻む事だって出来た筈だ。
でもそれをしなかったという事は、佐助は端から俺達を手にかけるつもりは無かったって事だし、単純に時間稼ぎをしたかったって事になる。
多分佐助は何者かに追われていたんだ。
通常なら逃げ切れたのかもしれないが、傷を負っているとなるとそのまま振り切るのは難しい。
となれば追手が追跡を諦めるか、自分が問題無く動けるようになるまで身を潜めるしかない。
だからこの蕎麦屋の屋根上という比較的死角になる場所で時間を稼いでいたんだろう。
俺は喉元に突き付けられている苦無の冷たさを感じながら、何処か他人事のようにそう考えていた。


「悪いね、もう暫く俺様に付き合って。大人しくしててくれたらそのまま出て行くからさ。」
「……………お、追われて……る…んですか……?」
「んー?まあね。ちょっとヘマしちゃてね。」
「もしかして……豊臣様のお城へ……?」
「ま、そんなとこ。」
「じゃあ、他国の……方……なんで……す…ね?」
「そういうアンタもこの辺の人じゃないんじゃない?話し方が違うし?」
「関八州の方……から……参り……ました。」
「やっぱりね。災難だったと思うけど、もう暫く大人しくしててよ。」


やっぱり俺の予想した通りだ。
俺は内心で頷く。
となると、やっぱりこのままここで風魔との話をするのは本格的に難しくなってきたかもしれない。

「あの……っ!に、逃げませんから……その…これを降ろして……頂けません…か…ッ!」

いや流石に本物の苦無を当てられっぱなしってのは堪える。
リアルに冷や汗が出てきたのも事実だ。
まあ、これで一般人だと思ってくれる確率はかなり上がっただろうけど……。


「……………本当に下手な素振り見せたら殺すよ?」

「はい………。」


確かに一般人の俺程度なら、いくら手負いの佐助でも苦無一つ投げつければそれで終わりに出来るだろう。
まあ、だから俺も無理に動こうなんて思ってはいない。
時間さえ経てばこの現状から解放されるんだから。
しかし……突き付けられていた苦無が降ろされ、拘束が緩んで初めてマトモに佐助の顔を見たが……佐助、大丈夫なんだろうか?
素人の俺が見ても、かなり顔色が悪いように見えるんだが。
嫁さん役のくノ一も言っていたように、身動きが取れない位の深手を負っているんだろうか?
さっきまでは俺も緊張と興奮で目の前の事しか見えていなかったから分からなかったが…確かに鉄っぽい臭いもする。
俺が気付く程の出血をしてるって事なんだろうか…。
喋り方が至って普通だったから、そこまで重傷だとは想像もしていなかった。
でも確かにこれは……ちょっと……シャレにならない状態のような気がする。
俺は、段々と色を無くしていく佐助の顔色を横目に見ながら、今出来る最善をシュミレートする事しか出来ない自分に内心で溜息を吐くしかなかった。




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