絶叫とも取れる官兵衛の言葉に、俺と家康は苦笑しながらお互いの顔を見合わせた。
Change the future 15
俺と家康が小田原から三河へ戻って10日程の時が流れた。
以前に家康が言っていた通り、家康はかねてから豊臣の本拠である大阪へ向かう手筈となっており、俺はそれに便乗する形で黒田官兵衛との接触を図るべくその大阪行きにに同行していた。
今回は他国への出兵の為に招集された訳ではない為、俺と家康は又しても忠勝に乗っての移動となったが、前回の教訓が活かされてか家康も忠勝も俺に負担が掛からないスピードで飛行してくれていた。
恐らくその為に日程も緩やかなものとなっていたに違いない。
いつも通り、もっと早く飛行すれば色々と時間を取られずに済む事を考えると、申し訳ないやらありがたいやらだが、こればっかりは極々平凡な人間としては如何ともしがたい所なので勘弁してもらうしかない。
そんなこんなで大阪へと無事辿り着いた俺は、家康の馴染みの店だという現代で言うなら割烹か料亭のような佇まいの大店へと足を踏み入れていた。
家康曰く、ここなら人の目にも触れず、情報が漏れる事も無い――だそうだが…。
もしかしたらここは三河の息の掛かった店なのかもしれない。
そうでもなければ、予め集められていた忍達があっという間に敷地の警備に散っていく事など出来なかっただろう。
流石にそこまでは確認していなかったので、後で時間が出来たら半蔵殿に詳細を聞いておく事にしよう。
そうして本来の目的を果たす為に忠勝と共に大阪城へ向かった家康を見送ると、1人残された俺はこの後の為の準備を進めながら家康と官兵衛の戻りを待ったのだった。
そして陽が傾き夜の帳が降り始めた頃になって、ようやっと家康と、家康に連れられた官兵衛がこの店の戸を潜った。
そして話は冒頭に戻る訳だが。
2人の到着を今や遅しと待っていた俺の居る部屋に意気揚々とやって来た黒田官兵衛は、部屋の中で待っていた俺の姿を見るや否や瞬時に背後の家康を振り返って叫んだのだ。
自分を謀ったのか――と。
「申し訳ありません黒田官兵衛殿。家康を責めないでやって下さい。この一切を仕組んだのは私なのですから。家康は私に言われるがまま動いてくれたに過ぎないのです。」
そう言って深々と頭を下げる。
実際、家康は俺が指示した通りに動いただけなのだ。
疑り深い官兵衛が、そう簡単に俺と会ってなくれないだろうと踏んだ俺は一計を案じ、家康に一通の文と来る途中に手に入れた藤の花の一枝を託した。
そして、家康に官兵衛へ『官兵衛に会いたがっている者が居る』と伝えてもらったのだ。
文の中身は、まあ一種のラブレターのようなもので、一度直接お会いしたいとだけ記しておいた。
ただ今回の文において最も重要なのは中の内容ではなく、それを記す紙と一緒に添える花の方にあった。
文に使用した和紙は女性を匂わすような柔らかな色合いの物を選び、中の一筆は忍集団の中でも特に女性らしい美しい字を書く者に代筆を頼み、どこからどう見ても女性からの恋文を装った。
そして最後のトドメに黒田の家紋である藤巴に掛けて、藤の花の一枝を添える。
つまりは、どこぞの名家の女性がお慕いしている官兵衛様への恋文を家康に託した――という設定だったのだ。
正直、男臭い官兵衛にそう言って言い寄る女性は少ないだろうと踏んでの事だったのだが、どうやらそれが功を奏したらしい。
「お前さんが?小生に一体何の用だ?」
とりあえず座るよう促せば、少々不満げではあるものの、俺の言葉に従って俺の前に腰を下ろしてくれる。
それを確認した家康は、俺の隣に腰を下ろして同じく官兵衛の方へ向き直った。
「まずはご挨拶を。私はと申します。今は我が友、徳川家康の元で世話になっております。」
「ほう?そのとやらが、小生に一体何の用かね?わざわざこんな事を仕組んでまで小生をここに呼びつけたんだ。士官の道を探してるという訳でもあるまい?」
「はい……官兵衛殿、あなたと交渉をしたくお呼び立て致しました。」
「交渉?交渉というからには小生にとって何かしらの利益はあるんだろうな?」
「ええ勿論。あなたの未来を左右する事ですから。」
そこまで言うと、俺はニヤリ――と人の悪い笑みを浮かべて見せる。
それに微かに驚いたような表情を浮かべて官兵衛は無精髭の生えた顎を擦ってみせた。
「ほぅ…未来……ねぇ?」
「信じられないとお思いなのは百も承知で申し上げますが、私には世の行く末を垣間見る事の出来る先見の力があるのです。ですからこの先官兵衛殿がどのような道を辿られるのか…私には全て分かります。」
「悪いが、伊予河野の女巫のようなものだったら他を当たってくれ。小生は忙しいんだ。」
先見の神子としての話を始めると、途端に胡散臭そうな表情を浮かべて、官兵衛は立ち上がる。
その官兵衛の動きに即座に反応したのは家康だった。
しかし俺は無言のまま片手を上げて、官兵衛の動きに釣られて立ち上がりかけたその家康の動きを制する。
こういった交渉時は先に引いた方が負けなのだ。
確かにこちらから接触を求めはしたが、こちらが何とかして引き留めるような素振りを見せてしまっては、対等な交渉は望めない。
先に下手に出て譲歩してしまっては負けなのだ。
「そうですか……残念ですが致し方ありません。では別の方と交渉する事に致しましょう。しかし残念です………これから後、どうぞお気を落とされる事などありませんよう。」
「な…っ?!」
「行こう家康。これ以上はどうにもお助けする事は出来ない……残念だが……。」
「そうか………分かった。致し方ないな。」
俺の素振りに何かを感じ取ってくれたのか、家康が咄嗟に俺の演技に乗って、さも残念そうに表情を暗くしてみせる。
そしてダメ押しに家康が官兵衛の肩をポンと叩くと、それだけでもう充分だった。
官兵衛を残して部屋を出ようとした俺と家康が襖を開けた瞬間、バン――という音が部屋に響く。
振り返らなくても分かる。
官兵衛が『落ちた』瞬間だった。
「ま、待ってくれ!!助けるって……小生の身に何か起こるのか?!」
慌てたように俺と家康の傍に駆け寄ると、些か不安そうな顔で俺達二人を交互に見やる。
ああ、そういえばこの官兵衛は手枷が無いのだった。
俺の知るアクションゲームの世界の黒田官兵衛は大谷吉継だか石田三成だかに手枷をされ、鉄球に繋がれた不便な生活を送っている男だったが、どうやらそれはまだこの世界では起きていないらしい。
しかし、恐らくそう遠くない内にそれは官兵衛の身に降りかかるだろうし、それは官兵衛にとっては最大の災厄だろう。
であれば、いくらでも官兵衛との交渉は有利に運ぶ事が出来る。
「………私の事を煙たがっておられるのでは?」
「いや、その…何だ………別にお前さんの事をどうこうって訳じゃない。」
「私は先見の神子です。あなたのおっしゃる伊予河野の姫巫女殿と大差は無いかもしれませんが?」
「まあ、神子と言ってもお前さんはそこらの胡散臭い連中とは違うようだしな。話くらいは聞いておいてもいいだろうさ。小生はそこら辺も寛大なんだよ。」
「流石は稀代の天才軍師と誉れ高い黒田官兵衛殿です。私のような者の言葉にまで耳を傾けて頂けるとは……感謝致します。」
そう言って俺はもう一度官兵衛に座るよう促して、横に立つ家康に頷いてみせた。
「それで?小生を助けるとか言ってたが、お前さんは小生の何を知っているんだ。」
「それをお話しする前に、お約束頂きたいのです。私の事も、私の力も一切他言なさらない――と。家臣の方やご家族は勿論、他国の方々……たとえ豊臣の方々であっても。もしそれを破られた暁には……………私はあなたをこの先見の力をもってして抹殺せねばなりません。」
「抹殺…?!い、いや、他言しなけりゃいいんだろう?!なら問題ない!!」
「よろしいのですね?ではお話致します。官兵衛殿の身に何が起こり、何故私達がこちらへ足を運ぶ事になったのかを。」
如何にも仰々しい素振りでそう言ってみせると、官兵衛の喉がゴクリと波打つ。
これで舞台は整った。
後は如何に官兵衛を取り込む事が出来るかだ。
俺は官兵衛に気付かれないように家康と、そして警備を兼ねて潜んでいる半蔵殿直属の忍にだけ分かるように合図を送る。
さあ、大舞台の始まりだ!
「先ほども申し上げましたが、私は先見の力を持っております。それ故、官兵衛殿の身に降りかかる災厄も予見出来るのですが…そう遠くない未来、官兵衛殿は豊臣の何れの方かの陰謀で遠く九州へと追いやられる事になるでしょう。播磨の地へは恐らくお戻りになる事は叶わないかと。」
「ん…なっ?!…………何だって~~~~?!?!?!?」
「それだけに止まらず、官兵衛殿のお力と才知を妬んでか、官兵衛殿の御身は拘束され、自由も奪われる事となりましょう。それを我が友家康に伝えた所、才知溢れる官兵衛殿の才をそんな事で埋もれさせる訳にはいかぬと申しまして。それをお助けする事は出来ぬものかと頼まれ、こうしてお会い出来る機会を作って頂いた次第です。」
そう言って隣に座る家康を指差せば、途端に家康の肩がピクリと跳ねた。
まあ、流石に自分に話が振られるとは思っていなかっただろうから無理もない。
だがすぐに俺の話に合わせて神妙そうな表情を作ると無言のまま官兵衛に向かって頷いてみせた。
いや流石な対応だな。
グッジョブだ家康。
「どいつだ?!どいつが小生を貶めようとしてるんだ?!」
「それについては今お答えする事は出来ません。何故ならそれをお伝えした後の官兵衛殿は、その方の元へ向かわれ、結果的に最悪な末路が待っておられるのです。官兵衛殿をそのような目に遭わせる訳には参りませんので。どうぞご理解頂きたく。」
「ぐぬぬぬぬぬぬ~~~!」
「ですが、たとえ望まぬ未来が訪れたとしてもご心配は無用です。その為に私と家康はこちらへ伺ったのですから。」
「その為だと?お前さん達は小生と取引したくて来たんじゃないのかね?」
「ですから、官兵衛殿に降りかかる災厄を少しでも減らす為にお手伝いをさせて頂きたく。その代わりと言っては何ですが、こちらの要望もお聞き入れ頂きたいのです。」
「成る程ねぇ………助けてやるから、こっちの言う事も聞け――って事か?」
「如何にも。私は官兵衛殿こそこの戦国の世に名高い誉れ高き軍師とお見受けしております。ですからこうしてお話をさせて頂いているのです。誰よりも聡明な官兵衛殿であれば、何を取捨選択するのが一番か…お分かりになる筈。」
じっと官兵衛を見上げれば、前髪の向こうに隠された瞳がまるでこちらを探る様にして俺を見据えている。
「…………………それで?小生にどうしろというんだお前さんは?」
「要望はたった一つ。徳川に対する策謀には一切加担しないで頂きたいのです。」
「徳川に対する策謀??」
「はい。どなたかによるものかはお答え出来ませんが、何れ家康を貶めようとする者が居ります。その策謀に加担される事がないようお願いしたいのです。」
「策謀…ねぇ。そんな事考える奴は限られてるが……。」
「それをお約束頂けるなら、後日官兵衛殿に降り掛かるであろう災厄、それからお助けする方法をお教え致します。如何でしょう?」
そこまで言って俺は官兵衛の顔を見詰めた。
これはあくまでも交渉だ。
こちらの言い分を飲むのなら助けてやる――あくまでもそういったスタイルでなければ、こちらが優位に話を進める事など出来はしない。
そして、こちらが優位である事を官兵衛に自覚させなければ、こちらの話を軽視されかねない。
それではこの交渉は意味を成さないのだ。
だからあくまでも俺は官兵衛が自分から進んでこちらとの取引を望むかどうかをハッキリとさせておきたいんだ。
そしてそれを官兵衛に自覚させる。
自分の身を守る為にはこちらの言い分を飲むしかない、俺達との交渉に乗るしかない――と。
「………分かった。約束する。そうせんと、小生は災厄から逃れられんのだろう?」
「流石は天下の名軍師、黒田官兵衛殿。ご英断と存じます。」
「それで?小生はこれからどうすればいいんだ?」
「はい。表向きは今まで通りにお過ごし頂いて問題ありません。ただ、少なからず準備はなされていた方がよろしいかと。」
「九州へ飛ばされるのをか?」
「ええ。それと、一つご提案が。何かの機会で小田原の北条殿と関わる機会がありましたら、是非とも北条殿をお助け下さい。それが後々、官兵衛殿を助ける力となります。」
これは決して嘘ではない。
もし官兵衛が豊臣のくびきから逃れる時が来たら、その時彼を受け入れてくれる者は限られてくる。
たとえ小田原の無血開城がならなかったとしても、少なからず北条を助け恩を売っておけば、それは後々官兵衛が九州を離れる選択をした時に返ってくる筈なのだ。
官兵衛を助ける為に差し伸べられる手となって。
そして、官兵衛が北条を助ける事で北条が生き延びる可能性が大きくなり、東軍戦力が増え、そして更には上手くすれば西軍戦力から黒田の戦力を外す事が出来るかもしれない。
そうすれば後日の関ヶ原の合戦の時に家康を助ける力が更に増える筈。
官兵衛も豊臣の下で虐げられ続け、策謀に加担して自責の念にかられ続けるよりも、遥かに良い選択となるのではないだろうか。
「よし分かった!北条殿を助ければいいんだな?それから?!」
「申し訳ありませんが、今はこれ以上お話は出来ません。」
「何だって~?!」
「ですが、北条殿をお助けする事が官兵衛殿が災厄から逃れる為の第一歩なのです。その道を進まれれば、官兵衛殿は災厄から解き放たれるでしょう。そして、お忘れなきよう、私との交渉を。決して徳川に対する策謀に加担される事などありませんように。それが守られた時にこそ、この、我が力の全てをもって官兵衛殿をお助けする事をお誓い致します。」
そう言って俺は床の間に飾られていた、官兵衛への文に添えた藤と色違いの藤の枝を差し出す。
黒田家の藤巴に掛けた、この藤の花に誓って――と。
「………分かった。小生も腹を括る事にする。お前さんとの約束は守るさ。」
はあ――と盛大な溜息が官兵衛の口から零れ落ちる。
それを見て、俺の隣で成り行きを見守っていた家康がポン――と手を叩いた。
「これで一安心だな官兵衛!だから言っただろう?来て間違いはないと。」
「権現………悪かったな、色々と小生の為に。恩に着る。」
「いや、官兵衛を助ける為の手立ては全てが教えてくれたものだ。それはに言ってやってくれ。」
「そうか?いや、それにしても…お前さんなかなかの才を持ってるようだが、小生の元へ来る気はないかね?お前さんが居てくれれば何かと役に立ってくれそうだ。」
「な――ッ?!官兵衛何を…っ?!」
「ありがとうございます官兵衛殿。ですが申し訳ありません、私は三河を……家康の元を離れるつもりはないのです。せっかくのありがたいお話ですが…。」
「何だ?別に権現とは主従って訳じゃないんだろう?なら小生の元で士官出来ないって訳でもなかろう?」
そう言って首を傾げる官兵衛に、俺は苦笑で応える。
まあ確かに俺は家康の家臣ではないから仕官しようと思えば何処でも仕官出来るし、俺を評価してくれるのは純粋に嬉しいけれど。
でも俺は家康の覇道の為にこの身を捧げると決めたから。
だからありがたい話だが、官兵衛の誘いに乗る事は出来ないんだ。
「すまないが官兵衛、はワシの大事な友なんだ。そのをいくら官兵衛の元とはいえ、他国で仕官させるというのは流石にな…。万一の時、ワシは友に刃を向けるような事にはなってほしくは無いんだ。それにも三河を離れるつもりはないと言っているし…すまんな。」
「折角の優秀な人材なんだがな……まあ致し方ない。」
「…………よし!では全て話が纏まったようだし、ワシは見送りと手土産の準備をさせるとしよう。もう暫く待っていてくれるか官兵衛?」
「あ?ああそうだな、すまんな権現。ならお言葉に甘えるとしようかね。」
家康の言葉に素直に頷く官兵衛。
それに笑みを浮かべると、家康は俺と官兵衛を部屋に残し、一人官兵衛への手土産を準備させる為に部屋を出た。
よし!いよいよここが最終局面だ。
俺は天井裏に潜んでいる忍に最終確認の合図を送ると、用意されていた幾分冷めた茶を啜っている官兵衛に向き直ると重々しく口を開く。
「官兵衛殿、最後にもう一度確認させて頂きますが……くれぐれも私との約束をお忘れなきよう。どうぞ『官兵衛殿の知略を妬み貶めようとする輩の陰謀や脅しに屈し我が友家康への恩を仇で返される事無く、ご自身の本当に望まれる道をお進み下さい』……でなければ――――」
そこまで言って俺は天井裏の忍にだけ分かる合図を送る。
すると部屋を照らしていた灯りが途端にフッと音も無く消えた。
灯りが消えた事を確認した俺は、突然の出来事に周囲を警戒している官兵衛を横目に、左手を高く掲げるとパチン――と1回指を鳴らす。
その音と同時に、掲げた俺の左手が青白い光を放ち始めると、それを目にした官兵衛の顔が暗闇の中驚愕に歪んだ。
「んな…ッ?!」
「そうでなければ官兵衛殿、あなたの未来はこうなるでしょう……。」
掲げていた左手を、まるで術を掛けるかのような素振りで白い塗り壁に向かって振り下ろす。
と、次の瞬間その壁一面に映像が映し出される。
アクションゲームのプレイ動画からダウンロードしていた黒田官兵衛の討死のシーン――断末魔とも言えるような官兵衛の叫びと、地面に倒れ落ちるその映像が、まるで映画の上映のように暗闇の中映し出されていた。
そして―――
「ぎぃやぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁあぁあぁあ!!!!!!!」
暗闇の中、官兵衛の絶叫が木霊したのだった。