Change the future 12
「それで、殿……わしはこの小田原を守る為にどうしたら良いんぢゃ?」
何処か吹っ切れた様子の北条殿が、考え込むような素振りでそう俺に声を掛けてくる。
その言葉に背後に控えていた風魔がうんうんと頷くような素振りを見せる。
つまりは具体的な今後の対応と対策という訳だ。
その二人の疑問に、俺は考えてきていた一つの方法を提示する。
「風魔殿の情報収集により、豊臣の小田原侵攻はほぼ確実と言って良いでしょう。後は如何にこちらの犠牲を減らすかですが、その点においてまずは北条殿に覚えておいて頂きたい事があるのです。」
「ほう?覚えておいてほしい事とは?」
「攻め込んでくる豊臣ですが、傘下には数多の武将が居ります。その中で黒田官兵衛殿、かの御仁との仲を良好にして頂きたいのです。官兵衛殿は豊臣傘下の中では些か変わった御仁ではありますが、北条殿を滅ぼそうとまではなさらない方です。恐らく豊臣傘下の中で家康を除いて唯一の光明と言える相手でしょう。官兵衛殿との繋がりを持てるかどうかが、今後の北条殿の命運を左右すると言っても過言ではありません。ですからもし豊臣が攻め込んで来た時、交渉相手が官兵衛殿となったら、官兵衛殿と真摯に向かい合って頂きたいのです。そして官兵衛殿の提案を良くお考え頂きたいのです……この小田原と北条家を守る為に。」
史実でも黒田官兵衛の小田原城無血開城はあったし、確かアクションゲームの中でもそのようなニュアンスを含ませた記述もあったはずだ。
だから、官兵衛が早い内から動いて無血開城に漕ぎ着けられれば、小田原の北条の損害は軽微なものとなる。
そして後は北条殿の処遇を上手い事纏められれば、北条殿が小田原の地を治めたままに出来る筈。
これは決して出来ない事じゃない。
「黒田官兵衛……、お前官兵衛の事まで知っているのだな?」
それまで無言で俺達の話を聞いていた家康が、ポツリと呟くように言葉を漏らす。
それに片目を瞑ってみせて俺は口の端を持ち上げた。
「今更何を言っているんだ家康。俺は先見の神子だぞ?それ位は当然だ。ああ、家康は面識があるのだったな。」
「ああ…確かに変わった男だが、あの豊臣に在ってなかなかに異彩を放っている男だ。官兵衛なら犠牲を払わずにこの小田原城を落とす策を講じてもおかしくはない。」
豊臣傘下である家康の言葉に、当の北条殿は大きな溜息をつく。
それしか道は無いとはいえ、負け戦の為の話を進めなくてはならない現状に、溜息も出ようというものだろう。
俺は些か申し訳ない気持ちで北条殿に向き直るとそっと目を伏せた。
「申し訳ありません北条殿。私の力が及ばず、このような形でしかお力になれず……。」
「よいよい。本来なら殿はこのようにわしらに手を差し伸べねばならん謂れもないんぢゃ。それを、この小田原を守る為にわざわざ来てくれたんぢゃ。この老いぼれ、老い先短いが生涯この恩は忘れんぞぃ。」
そう言って北条殿は俺の頭に手を乗せる。
そしてそのままわしわしと俺の髪を掻き混ぜた。
しわしわで肉付きも決して良いとは言えない年季を重ねたその手。
もしかしたらこの人は自分が命を落とす事も覚悟の上で、俺の話すこの道を歩こうとしてくれているのかもしれない。
それは国主としての覚悟なのか、それとも半ば諦めの境地なのか。
俺にはその本意は分からないが、でも俺を見るその瞳は確かに強い意志のようなものが垣間見えて。
俺は何も言えずにそのままその手の感触を受け入れていた。
『先見の神子、幻術を用いての対応方法を聞きたい。』
俯き加減に北条殿の手を受け入れていた俺の肩をトントンと叩く気配がして顔をあげれば、目前に広げられた巻物が。
その言葉に、俺はゆっくりと頷いて風魔へ視線を向ける。
「上手くいくとは限らない事を承知の上で参考までに聞いてくれ。豊臣はこの堅牢な城を落とす為にあらゆる策を講じてくるだろう。先程言った黒田官兵衛の機略もそのうちの一つだ。だが豊臣には官兵衛以外にも一癖も二癖もある軍師が複数居る。その者達は北条殿の戦力を削ぎ落とす為に姦計も用いてくるだろう。そこが彼らの最も恐ろしい所だ。だから端から真っ当に相手をする事を避けるべきと考える。」
『それが幻術と何の関わりが?』
「つまり、こちらは端からその姦計に引っかかった振りをすればいいんだ。この場合、姦計にはまって多大な犠牲を払い戦力が著しく低下した……そう見せかければいい。」
『幻術でか?』
「如何にも。これは予め色々仕込んでおかなくてはならないし、向こうの忍が投入されている所では向かない作戦だが、それを上手く調節すれば効力を発揮するだろう。」
当然の事ながら同じ忍であれば、幻術を見破る者も出てくるだろうし、そうなればこの作戦は意味を成さない。
だが、これが侍などの一団だけの戦場であれば、効果は期待出来る。
相手を数多く屠ったと思わせられれば、それを声高に上層部に報告する者も出るだろう。
己の戦果を報告する際には些か誇張したがる者もいる筈だ。
自分の功績を主張する為に必要以上に過大な報告をするかもしれない。
そうなればこちらのものだ。
「ただこれを成すには優れた幻術の力と、相手に姦計にはまったと信じさせるだけの様々な事象等が必要となってくる。なかなか難しいことではあるが……試してみる価値はあると思う。」
『可能性はあるのか?』
「ああ、この小田原城を取り囲む豊臣傘下の武将の中には、まだ可能性の段階ではあるが……官兵衛殿や家康を除けば加藤清正・福島正則・大谷吉継・石田三成などの子飼いの武将の他にも立花・長曾我部・真田・上杉・前田といった諸将も組み込まれる可能性がある。その中で忍の居ない所であればあるいは…。」
「元親や真田、利家や軍神殿までもがこの小田原へ攻め込むというのか?!」
驚愕という言葉では言い表せない程の困惑と混乱を混ぜ合わせた表情を浮かべ、家康が前のめりに身を乗り出す。
それを制して俺は風魔へ視線を戻した。
「先刻から言っているように、未来は幾重にも枝分かれしている。俺の見える未来の内、最も最悪な未来では豊臣に従う形でこれらの諸将が小田原へ兵を進める可能性があるというだけだ。だが、これは恐らくかなり可能性の低い未来だろう。それも又、今後の情報収集によって変わってくるがな。まあ、今の所は長曾我部・真田・前田・上杉・立花の諸将の事は考えなくても良いだろう。だが、豊臣子飼いの武将達は間違いなく参陣するだろうからな。ああ、もしかしたら石田配下の島左近あたりも居るかな。」
『そこへ雑賀も加わるのだな?』
「恐らくは。そうならない事を祈りたいが……既に豊臣から雑賀へ話は出ているだろう。そこら辺は風魔殿に調べてもらった方が早いかもしれないな。」
『承知した。ではそれも探りつつ対応しよう。』
「そうだ風魔殿、一つ提案だ。少しずつで良い、北条に戦力が増えている旨の噂を流布させる事を提案する。これは表向き甲斐の武田や真田、越後の上杉・下野の宇都宮・常陸の佐竹に対する防衛の為と思わせられれば尚良い。今の北条の矛先は近隣諸国である…と。」
「それは噂だけで良いのかのぅ?」
「良いのです北条殿。目的は北条の戦力が実際よりも上回っていると思わせる事。その為の虚構に過ぎないのです。ですから実際に戦力を増やす必要は無い。実際より多い戦力を有していると思わせられれば、小田原に攻め込まれた時、その虚構の兵力分が犠牲となったように偽装出来る。つまり元から持っている戦力が大きく変わる事がなくとも、表向き北条は大打撃を受けた事に出来るのです。」
それだけの犠牲を払った――つまり北条は戦力ダウンして衰退する…そう思わせる事が俺の提案の目的だ。
勿論、実際の所は無血開城なり、犠牲が少ない状況なりに出来れば…という前提条件はあるし、実際の戦力が変動しないならそこそこの兵力が残っているのは事実だが、人というものは絶対数が多い所からある程度の数量が減ると、著しくマイナスに感じる生き物だ。
そう、例えば1Lのペットボトルが500mlになったら、半分も無くなってしまったと思うが、500mlのペットボトルを一口二口飲んだ程度ならまだ殆ど残っている――そう思う。
実際には1Lから500mlになった方が残っている絶対的数量は多いにも関わらず、減った数量の少ない500mlペットボトルの方が安心感をもたらす。
その心理的作用を用いて、北条の打撃を実際より多く感じさせたいのだ。
まあ、竹中半兵衛・黒田官兵衛・大谷吉継ら稀代の天才軍師達がワラワラ居るのだから、そんな安直な幻想など打ち砕かれるかもしれないが。
だからと言って何もせずにいるよりは幾らでも布石は打っておくに限る。
布石は多くて悪い事は一つも無いのだ。
どこかで打った布石の波紋が、いずれ何処かで活かされる事もあるかもしれないのだし。
俺は今考え得る出来るだけの事を北条殿と風魔に伝える事を決めて俺の考えを述べた。
「なるほどのぅ…殿は軍略は不慣れと言っておったが、いやはやなかなかどうして…軍師の器を持っておるわい。」
「いえ、そんな事は…。」
「徳川の、お主…良い軍師に恵まれたのぅ。」
ほっほっほ――そう笑う北条殿。
それに対して俺は返す言葉を失う。
軍師だなんてあまりに持ち上げられ過ぎだ。
俺のは策略でも何でもなくただのペテンの一種だ。
俺には知識も軍略も何も無いのだから。
あえて言うなら、情報と歴史的事実を活用する手段程度だろうか。
実際俺自身の手では何も出来ない。
誰かの力を借りて、誰かによって得られた何かを運用する…ただそれだけの事なのだ。
「北条殿、私のような者が軍師だなどと…。私は己が未熟である事を存じております。ですからこうして皆様のお力をお借りするしかないのです。」
「分かっておる、分かっておる。ぢゃがのぅ…お主はもう少し自身の事を信じてやっても良いと思うぞぃ。お主はお主の持ち得る全てを以って事にあたっておる。それは間違いなく他の者には出来ぬ事ぢゃ。」
それは北条殿にも風魔にも家康にも出来ない事。
それが出来ている以上、その事に対しては胸を張れ――そう言って北条殿はその皺の刻まれた顔を緩めた。
「して、この小田原が豊臣の手に落ちた際には、誰がこの小田原を統べるのかのぅ?」
「いくつかの可能性の一つですが……家康に任せられる可能性もあります。」
「ワシが?!ワシがこの小田原を?!」
「いや、あくまでも可能性の一つだと言っただろう。その前にどうなるか…それはまだ分からないのだから。」
どうなるか………それは家康の『選択』が――だ。
俺の知る複数の可能性では、小田原征伐の際のあまりの豊臣勢のやり方に、反旗を翻す覚悟をした家康も居る。
勿論、史実同様に豊臣傘下で北条を滅ぼす選択をする家康も居るだろう。
もしかしたらその前に豊臣を離脱する道を選ぶ家康も。
俺としては出来れば3つ目あたりを選んでもらえると良いとは思うが、そうなると今度は豊臣の手に落ちた小田原を誰が治めるか――という事が問題になってくる。
出来れば、無血開城もしくは戦の早い段階での決着に献した――という事で黒田官兵衛あたりが入ってくれると助かるのだが。
どちらにしても、家康が選ぶ道は家康自身が決める事。
俺には道を切り拓き、複数の可能性を提示して、家康にとってより良い未来への先導となる事しか出来ないのだから。
「家康は家康の道を進めばいい。あまりにかけ離れた道を行きそうな時は、俺が襟首引っ掴んで引き戻してやるから。アンタは良く考えて己の道を進んでくれ。」
どこか不安げにも見える家康の表情。
流石にこの話は三河に居た時もしていなかったからな。
混乱するのも困惑するのも致し方ないだろう。
だが、そこから進む道を定めるのは家康自身なのだ。
「ほっほっほ!ほんに得難い逸材を得たもんぢゃ!国主冥利につきるぞぃ徳川の!!」
「北条殿………ワシは…ワシはを家臣とは思っておらんのです。」
「ほう?このような逸材を臣下とせんとは…。」
「ワシにとっては友なのです。何よりも大事な友なのです。」
「家康………。」
「ワシの為には自ら苦難の道へ進んでくれた。ワシを助ける為に生きる事を選んでくれた。ワシはそんなと対等な友でありたいのです。」
その言葉に――俺は一瞬違和感を感じた。
いや、勿論そう言ってくれる家康の言葉は嬉しいし、家康が少なからず俺の事も思ってくれているのは事実だろう。
でもそれは忠勝や他の家臣の人達と同じように大切な身内の一人という感じではないのだろうか。
確かに俺は家康を主君と思っている訳ではないし、家康も俺に臣下たらんとさせはしなかった。
友として――一個人として家康の友となれるのは嬉しい事だろう。
でも……家康が対等な友として求めているのは本当に俺なのだろうか?
『友』という言葉の奥深く、その先に見えているのは本当に俺の姿なのだろうか?
家康が求めているのは―――もっと他の別の誰かなのではないのか?
だって俺は知っているのだ。
対等な立場での同盟をもぎ取り、常に肩を並べて立つ事を許された誇り高い隻眼の竜を。
己の命を投げ出してまでその怒りを家康に受け止めてもらった懐深く情の深い隻眼の鬼を。
そして、己の信念の為に戦う道を選ばざるをえなかった…そんな友を己の手によって失い慟哭する――家康にそうさせる程の美しく孤高の魂を持つ豊臣の左腕たる青年を。
家康は彼らをこそ求めているのではないか?
俺は代替品でしかないのではないのか?
その想いは俺の中で大きく膨れ上がり、深く胸を抉る。
『どうした先見の神子?』
家康と北条殿が言葉を交わしているのを横目で見ていた風魔が巻物を広げて問いかける。
それに無言で首を振ってみせて、俺は自身の思考を振り払った。
「いや…何でもない。」
家康がどのような思いでいようとも、俺は俺の道を進むだけだ。
家康が悲しまないなら、苦しまないなら代替品だって構わないじゃないか。
その為にこそ俺は新たな道を切り拓くと決意したのだから。
俺の真の目的は家康が本当に笑える未来を招く事。
それが求める友との未来であるなら、それをこそ俺は全力で勝ち取る必要があるのだ。
その為に俺は持ち得る全ての力を注ぎ込み、その力を以ってして歴史の神の襟首を引っ掴んでこちらへ引きずり出してやるのだ。
俺はどこか心配そうに俺の顔を覗き込んでくる風魔に小さく笑うと、城主2人の方へ視線を向けた。
「いずれにしても、私の言葉を少しでも信じて頂けるなら、今よりその運命の日を迎えるまで、出来得る限りの対策をお願い致します。」
「うむ、分かったぞぃの。早速明日にも家臣を集めて準備をさせるとするわぃ。」
「ありがとうございます、北条殿。」
「そうと決まったら今日の内はこの見事な桜を愛でて、明日からの英気としようかのぅ。どうぢゃ?徳川の、の??」
折角の南蛮菓子と満開の桜、このままにするにはちと勿体ない――そう言って北条殿は風魔に何か一言二言何かを告げる。
次の瞬間、風魔はいつものように黒い羽を撒き散らしてその姿を消した。
そして数瞬の後再び姿を現すと、その両手には盆に乗った4つの茶碗と、ういろうらしき物がのった小皿が4つ。
それを風魔から受け取ると、北条殿はしわくちゃな顔を更に和ませて俺達にそれらを差し出した。
「若いもんは色々悩む事も多いぢゃろうがの。ぢゃが、その事ばかりに目を向けて視野を狭めてしまうのは実に勿体ないもんぢゃ!」
「北条殿……。」
「ほれ、周りを見てみい。例えわしらがこの先を悲観して嘆いた所で今すぐこの景色は変わらん。悩んで下を向こうが、空を見上げようがこの風景は変わらずここにあるんぢゃよ。その中でわしらは生きてゆくんぢゃ。」
「………………………生きて…いく……。」
「そうぢゃ!悩んでも悔やんでも、それでも明日は来る。それならば、成せる事を成した己を誇って胸を張れば良いとわしは思うぞぃ。のう、徳川の?の?」
「………………………はい。」
「…………そう…ですね。」
「ふぉっふぉっふぉ!老いぼれの口喧しい説教ぢゃて!さて、せっかくの南蛮菓子、早速楽しませてもらうとするかのぅ。こりゃ風魔!お主もこちらへ来んか!」
少し離れた所で控えている風魔を呼びつけて、北条殿は俺の渡したフィナンシェの入った箱を風魔へ手渡す。
そんな孫と祖父のようにも見えるその姿に僅かばかりの微笑ましさや和やかさを垣間見て、俺は隣に立つ家康へ横目で視線を流す。
そうだ、色々思う所があるのは皆同じだ。
北条殿も家康も、そしてこの俺も。
でも、己に出来得る全てを成すしかないのだ。
どんな未来が待っていようとも、どんな想いが交錯しようとも、己の思いが遂げられなくとも、満たされなくとも、そんな世界で皆生きていくのだ。
この先も何度も思い悩み立ち止まろうとも、俺はやはり家康の笑顔を消さない為に生きよう。
俺にとって最早ただの『友』ではなくなった大切な存在の為に。
徳川家康という名の太陽の為に。