「よう来たのぅ徳川の!待っておったぞぃ。」


小田原城に着いた俺達を迎えてくれたのは北条氏政殿と一面に咲き誇る桜だった。









Change the future 11







あれから暫しの休憩の後、再び俺と家康そして忠勝の3人は北条殿の待つ小田原へ向かっていた。
途中で再び現れた風魔に、ありがたい事に苦~い薬湯をご馳走になった結果、俺の体調も更に良くなり。
俺達3人は無事小田原の北条殿の所へ辿り着いた。


「ご無沙汰しておりました北条殿。此度は我が儘をお聞き入れ頂いて感謝しております!」

「おお、おお、何の何の!わしも珍しい南蛮の甘味を食せると聞いて、楽しみにしておったわい。」
「そう言って頂けるとありがたい。ワシも小田原のこの見事な桜を再び愛でる事が出来て嬉しく思っております。」
「そうじゃろう、そうじゃろう!我が北条の桜は何処にも負けんわい!存分に楽しんでいっとくれぃ。して、そちらの御仁が例の…?」


城主様同士の挨拶を忠勝と一緒に後ろで聞いていた俺に、北条殿の興味深げな視線が向けられる。
それに頷くと、家康は俺を近くへと手招いた。

「如何にも。我が三河へ神託の為に来られた先見(さきみ)の神子、です。」
「お初にお目に掛かります北条氏政殿。ご紹介に与りましたと申します。本日は我が友、徳川家康と共にこの日ノ本一見事な桜を拝見しに伺いました。若輩者ですが、どうぞ家康共々良しなに。」
「おお!若いのに分かっとるのぅ。流石は徳川の賓客ぢゃ!」
「いえ、私など名君の誉れ高い北条殿に比べればひよっこも同然。それに今回はこちらからの我が儘でお邪魔させて頂いたにもかかわらず、ご迷惑もお掛けし申し訳ございません。風魔殿にはお手数もお掛けしてしまいましたし。ですが流石は天下に名高い北条殿の抱えていらっしゃる忍衆ですね。おかげさまですっかり身体も楽になりました。」

「そうかそうか!風魔の薬が少しでも役に立ったのなら良かったぞぃ。しかし、先見の神子殿はほんによう分かった御仁ぢゃわい!その若さでそこまで出来た者はなかなかおらんぞぃ!なかなか見所のある御仁ぢゃ!うむ、気に入った!!今日はたっぷりとこの桜を楽しんでいくと良いわぃ!」

「お心遣い、感謝致します。」


そう言って頭を下げると、北条殿は満足そうにうんうんと頷いてみせる。
その表情は何とも嬉しそうで俺としても悪い気はしない。
何というか、久しぶりに会った祖父さんが俺と話が盛り上がった時に見せるようなまるで子供の様な表情に、俺は自然と表情が和らいでいくのを感じていた。
そんな俺を隣に立つ家康が何とも柔らかな表情で見詰めていて。
俺は一瞬ドキリ――と鼓動を跳ね上らせる。
そんなに穏やかで優しげな眼差しを向けられるとどうして良いか分からなくなるじゃないか。
何でアンタはそんな顔して俺を見るんだ?
どこかいたたまれない心境になって、俺は背負っていたデイパックから持参してきた風呂敷包みを取り出す。
この中には今日の為の口実となった南蛮菓子――その実態はただの貰い物のフィナンシェだ――が入っている。
まあ、南蛮菓子ってのはあながち間違いじゃないから嘘はついていないと言いたい所だ。
それを北条殿に差し出して、俺は今日の目的を果たすべく口を開いた。

「北条殿、お口に合うか分かりませんが、南蛮のフィナンシェという甘味をお持ちしました。よろしければご賞味下さい。」
「ほう!!噂の南蛮菓子ぢゃな?!それは楽しみぢゃ!!よし!では茶でも淹れさせようかのぅ。あちらに一席設けてあるわい。こっちぢゃ!!」

今にもスキップしそうな勢いの――流石にそれはあり得ないと分かってはいるが――北条殿が、嬉々として俺達3人を先導して歩きはじめる。
その僅かに腰の曲がった後ろ姿に、俺と家康は顔を見合わせて苦笑すると、北条殿の後を追って歩き出した。
栄光門と呼ばれる見上げる程大きな正門を抜けて城の奥へと向かって歩いて行く間、すれ違う家臣や女中、下男にお抱えの商人や指南役など、沢山の人達がすれ違う北条殿に笑顔を向け微笑ましそうに頭を下げていく。
噂では過去の栄光に縋る力無き老人としてのイメージが強かったが、こうして見る北条殿はそういった一面も含めて、それでも領民や家臣達に慕われているように見える。
家康とは違った形だが、領民達が国主を認めているというのは三河と同じだと思う。
まあ『しかたないなあお祖父ちゃんは。俺達が守ってやんないと』って感じが強いような気がしないでもないが、それが国を上手く纏めているならそれが一番だ。
少なくとも悪い人じゃない――個人的な感覚でしかないが、俺は北条殿の後ろ姿を見てそう思っていた。




「着いたぞぃ!ここがわしの自慢の場所ぢゃ!!」

その言葉に違わぬ一面の景色に俺は一瞬息が止まる。
まるでそこだけ切り取られた写真のように、一面の桜と舞い散る桜の花びら。
こんな光景が現実に存在するなんて。
俺は思わず呆然とその場に立ち尽くしてしまう。
そんな俺の肩にそっと手を触れる家康。
無言のまま隣の家康を見上げると、家康は目を細めてゆっくりと頷いた。



「やっぱり………この美しく素晴らしい景色を戦火に散らせたくはない………。」



思わず漏れた呟きに。
流石に北条殿が訝しげな視線を向けてくる。
それに小さく頷いて、俺は促された緋毛氈の上に腰を下ろすと、一度だけ家康に視線を向けてから目の前の小田原の城主に頭を下げた。


「これからお話しする事は北条殿にとって滑稽で非常識な話となるかもしれません。ですが私は誓ってこの小田原の民と北条殿の害となるような事は致しません。真摯にこの相模の国と、そして我が友徳川家康の治める三河が…そしてこの日ノ本が穏やかであるよう願っております。その点ご理解頂きたく。」

「ふむ…………此度の事、何やら事情があるようぢゃのぅ。よかろう!!話を聞くぞぃ!」
「ありがとうございます。」


北条殿はそう言うと国主としての表情に変わって俺を見定めるように見つめる。
ああ、この人も家康同様国主なのだ。
個人としては些か緩い好々爺といった雰囲気の北条殿だが、長い年月この小田原の地を、そして相模の国に住まう領民達を守ってきたれっきとした国主様なのだ。
俺は改めて北条殿へ視線を向けると、今回の真の目的である未来への布石の為の一端を説明すべく口を開いた。


「家康から幾ばくかのお話はお聞きの事と思いますが、私はこの世の行く末を垣間見る事の出来る先見(さきみ)の力を持っております。そしてその為に此度は我が友、徳川家康の力を借りこちらへ伺わせて頂いた次第です。」
「先見と言うと、伊予の女巫殿が居るが……。」
「彼女とは恐らく違う力ですが、私にも先の世が見えるのです。そして、その先の世においてこの小田原に看過出来ぬ程の災厄が訪れる事を知り、それを回避させたく思い今日こうして北条殿にお目に掛かる機会を作って頂きました。」

「災厄…とな?」
「はい………風魔殿には先日三河にお越しになられた時に軽くお話致しましたが…。」

「ほう?風魔にのぅ?珍しいのぅ風魔が耳を貸すとは。どれ、ならば風魔も同席させ方が良いかもしれんの。こりゃ風魔!風魔~~~!!!」


俺の口から風魔の名が出た事で幾ばくか表情を穏やかにした北条殿が、風魔の名を呼ぶ。
それに応えるように小さなつむじ風が巻き起こる。
次の瞬間、漆黒の羽を撒き散らして風魔がその姿を現した。

「これ風魔、お主殿からこの小田原を襲う災厄について話を聞いておるんぢゃな?」

北条殿の問いに風魔は無言のままこっくりと頷いてみせる。
それを見て北条殿は長く伸びた仙人のような顎鬚を擦るとこちらに向き直った。


「なるほどのぅ……それでここ最近風魔があちこち警戒をしておったんぢゃな?」

「風魔殿、もう既に動いてくれているのか?」


北条殿の言葉に驚いて風魔を見やれば、俺の言葉に戸惑いがちに頷く風魔。
確かに何かしらの動きを見せてくれたらいいとは思っていたが、まさかこんなに早く、それも北条殿すら不思議に思う程の動きをしてくれていたとは。
俺は、俺の言葉を少なからず受け入れてくれたらしい風魔に感謝の為にぺこりと頭を下げる。
正直心の片隅にでも留めておいてくれれば御の字だと思っていたので、この風魔の対応は俺にとって嬉しい方向での予想外の展開だった。


「それで、この小田原を襲う災厄とは一体何なんぢゃ?」
「はい……そう遠くない未来にこの小田原に攻め込んでくる者がおります。」
「何と!それは何処の罰当たりどもぢゃ?!」
「大阪に拠点を置く豊臣です。」

「なんぢゃと?!豊臣ぢゃと?!」


驚きのあまり声をあげる北条殿。
その北条殿に勝るとも劣らない驚愕の表情を浮かべているのは、誰でもない徳川家康その人だった。


「豊臣が挙兵すると言うのか?!」

「ああ、そう遠くない未来に。」
「まさか…………豊臣はまだ西方の平定が………。」

「ああ、だから西方一帯の平定が済んだ暁にはこの東国を――北条殿の治めておられるこの相模の国を平定しにくる筈だ。そして、その際には家康、アンタもその軍列に。」

「何だって?!」


寝耳に水といった様子の家康が腰を上げているのを宥めて、俺はその場に腰を下ろすように促す。
正直この話はまだまだ先があるのだ。
今から右往左往していては話が先に進まない。
それにまだこの事自体が決定事項と言えるだけの情報がないのだ。
それもきちんと話しておかなければ対策の取りようもない。
俺はもう一度驚きに目を見開いている家康と、怒りと困惑をない交ぜにした北条殿へ視線を向けると小さく息を吐き出した。


「風魔殿にも言った事ですが、未来と言うのは可能性が複数あるのです。今日この日から幾重にも枝分かれした沢山の未来がある。その内の一つが豊臣によって北条が滅ぼされる未来。私は、それを避けたいのです。そしてその戦で先鋒を任せられてしまうかもしれない家康の未来も。徳川と北条にはお互い手を取り合ってもらいたい。それが私の願いなのです。」

「ワシらが手を…?」
「ああ、北条殿、風魔殿、そして小田原の兵士達…皆が家康の力となってくれる筈だ。」
「わしらが徳川の為の力となるというのかのぅ?」

「はい。私の力は先見の力。その真たる未来では、この徳川家康が天下を平定致します。それまでの道のりは先ほども申しあげたように枝分かれし、その進む道は不確かな物ですが、東照権現たる徳川家康が歴史の寵児たる事は事実。その歴史の正道を歩む家康を、どうか北条殿のお力で助けて頂きたいのです。」


そう言って頭を下げる俺に、戸惑いがちな2対の視線が向けられる。
風魔は以前に話をしているから、この困惑気味な視線は家康と北条殿のものだ。
致し方ない事なのは充分理解出来る。
俺の事を知っている筈の家康ですらこの状態なのだ、今日初めて会ったばかりの北条殿にしてみれば理解出来ないような話だろう。


「信じられないとお思いのなのは存じ上げております。ですが、お考え下さい。何故風魔殿が私の話を聞いた後に警備を強化し、豊臣の襲撃に備えて動きはじめられたのかを。そこに何か既に動きが見え始めたからではありませんか?」


下げていた頭を上げ、北条殿の背後に控えていた風魔に視線を向ける。
その俺の視線に釣られるようにして北条殿と家康が同じように風魔へと視線を向けた。
その複数の視線を動じることなく受け止めた風魔は、まるでそう言われる事が分かっていたかのように手元にあった巻物を広げてみせる。
俺との筆談の時にも使っていた、あの巻物だ。
その巻物に目を向けると、達筆な文字が。

『豊臣傘下の大谷吉継配下の忍が動いている』

その言葉に真っ先に反応したのは家康だった。


「刑部が?!それは本当か?!」


信じられないといった様子の家康に、風魔は再び巻物に筆を走らせる。
そしてサラサラと何かを走り書くと家康に向けてその巻物を広げた。
曰く『既に数名捕らえている』。
そしてその動きを察知して、俺の言葉を信じる気になったのだと。
風魔は驚いている国主2人を横目に俺に向き直ると、再び筆を執り俺へ問いを向けてくる。


『豊臣の挙兵は時間の問題だろう。こちらで今出来る対策は無いか?』

「対策…か。正直俺は戦術などの軍務については知識が無いのでな。ただ、一つ言えるとすれば豊臣は小田原の北条殿を甘くは見ていない。あらゆる戦力を投入してくるだろう。その中には………傭兵集団である雑賀衆も含まれている。雑賀は傭兵とはいえその戦力は強大だ。銃器や罠、補給や情報操作、攪乱……あらゆる面においてその力を過小評価する訳にはいかない。その上、もしも家康達も駆り出されるとすれば……強固な栄光門を持ち優秀な忍集団を持つとはいえ、その損害は計り知れないだろう。」


だからこそ、そうならないようにしたいのだが…この様子では些か難しそうな展開だ。
俺よりも優秀な忍の情報網を持つ風魔がこれだけの情報を得ているのだ。
ここからそれをひっくり返すのはほぼ無理と言わざるを得ない。

『雑賀が相手と知れただけでも大分違う。感謝する。』
「いや、この程度の事…。ただ、銃火器を駆使する雑賀に正面切って向かうのは意味が無いと言わざるを得ない。だから、俺が言えるとすれば……幻術を使ってもらうのが良いと思う。」
『幻術?』
「ああ、正面切って戦っても犠牲が多くなるだけだ。だったら犠牲を出来るだけ抑えて、後日に備えるべきだと思う。」

「後日があると……そうお主は言うんぢゃな?」


今まで黙っていた北条殿が、ふと口を挟む。
その表情は未だ強張っているし、困惑の色は瞳から消えはしないものの、それでもこの老齢の国主は俺と風魔の会話から未来への道を探ろうとしているようだった。

「はい。そしてその先の未来で家康の力となって頂きたい。その為に北条殿には生き永らえてこの小田原を守り続けて頂きたいのです。この美しい景色を戦火で散らす事無く後世に残して頂きたいのです。」

「この美しい景色を…のぅ……。」
「その為にどうか、少しでも多くの兵士を、民を、家臣の方々をお守り下さい。少しでも犠牲が少なくなるようお力をお貸し下さい。」

そこまで言って俺は深々と頭を下げる。
頼み事をするからにはそれなりの誠意と態度を見せなければ。
ただでさえ俺は得体の知れない不審者なのだ。
少しでも俺の言葉を信じて貰う為には出来る限りの事をするしかない。
そうでなければ人の心など動かせないし、俺の言葉に信じさせるだけの重みを持たせる事も出来ないだろう。


「ふむ………風魔よ、お主は殿の話を信じておるんぢゃな?」
『真の先見の神子殿とお見受けしております。』
「そうか………風魔がそうまで言うんぢゃ、殿…お主の言葉は(まこと)、先見の神子殿の神託なんぢゃろうのぅ……。」
「北条殿……。」

「わしはご先祖様から受け継いだこの国を…小田原を、民達を守らねばならん。その為には一時の苦痛にも耐えねばならん事も知っておる。徳川のに力添えした先に北条と我が相模の国の繁栄があるならば、わしはその為にに力をつくすぞぃ。」


それがわしの国主としての役目ぢゃからのぅ――そう言って北条殿はその些か丸くなり始めた背中を精一杯伸ばして胸を張ってみせる。
それが国主としての責任というものなんだろうか?
それとも矜持と言うべきだろうか?
だとしたら家康も又同じように領民を守る為に辛く難しい決断を迫られるのだろう。
そして恐らくこの調子で行けば、そう遠くない先にその選択を迫られる時が来てしまうのかもしれない。
小田原征伐への参陣という形において。
だからこそ、俺はそんな時が来てしまった時を想定して、最悪の事態を想定してあらゆる手段を講じておくのだ。
それが家康の道を切り開くと決めた俺に出来る――いや、俺にしか出来ない事なのだから。



「ご英断、深く感謝致します。これよりこの、相模と三河の両国主殿へ私が持てる全ての力を以ってお力になる事をお約束致します。」



そう告げた俺の瞳に映ったのは、どこか優しく目を細めた北条殿と、対照的に戸惑いから抜け出せないでいる家康の困惑に揺れる瞳だった。




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