にーちゃんと俺 9
結局あれから政にーちゃんに2日の猶予を貰った俺は、緊張感から解放された反動か俺用にと通された客間で半ば気絶するようにして眠りについた。
こじゅ兄から幾つか注意事項を受けた事は覚えてるけど、半分寝ぼけていたせいであまり内容は覚えてない。
ただ、ボンヤリしていた俺の頭をこじゅ兄が困ったような顔で数回撫でていった事だけは朧げに記憶に残っている。
でも、その時の俺はもう何も考えられない位頭の中がいっぱいいっぱいで。
だからこれからの事を考える余裕なんてどこにもなかったんだ。
で、現在に至る訳だけど――
一夜明けて、たっぷり寝たお陰で頭もスッキリしたし、今までの疲れも大分とれたけど。
けど、正直……これからの事はまだ決められそうも無い。
タイムリミットはもう間近に迫ってはいるって分かってるけど、どうしても決められないんだ。
このまま伊達軍に入って奥州で暮らすのか、帰る覚悟が出来るまでの間だけここでお世話になるのか。
本当なら、こんな僅かな時間ですら猶予は無い筈なのに、ほんの少しでも考える時間を――考えて自分で決める機会を与えてくれた政にーちゃん。
その政にーちゃんに迷惑かけない為にも、少しでも早く決めなくちゃいけないって分かってるのに。
でも、ヘタレな俺はいつまでたっても覚悟も決断も出来ずにいる。
すげぇ情けねーよな俺。
「本当にこれからどうすればいいんだろ……。」
政にーちゃんとこじゅ兄に言ったように、躑躅ヶ崎館に――大好きなあの場所に帰れるなら帰りたい。
だってあそこは俺にとって帰るべき家だから。
大好きな人達が居る、暖かい場所だから。
でも、我が儘で勝手に飛び出してきた俺には、もうあの暖かな場所に帰る資格なんかないんだ。
そして――それ以上に俺には大好きな人達の顔を見る勇気が無い。
母さん以外に初めて出来た俺の家族。
血は繋がってないけど本当の弟や子供みたいに俺を可愛がってくれた大切な人達。
そんな人達の俺を見る目が失望に染まっているのを見たら、俺きっと耐えられない。
俺が俺で居られなくなるような――俺という存在が壊れて保てなくなるような気がして。
だからどうしても決断できないんだ。
「どっちにしても明日にはきちんと決めなくちゃいけないんだ!しっかりしろ!!」
俺は頭の中のモヤモヤを吹き飛ばすようにブンブンと勢いよく頭を振ると、気合を込める為に自分の頬をパシン――と軽く叩く。
さっき俺を呼びに来た女中さんから、政にーちゃんの部屋に行くようにって言われてたんだ。
いつまでもグズグズとしていられない!
大きく息を吐き出して気合いを入れ直すと、俺は必要最低限の物だけ身に着けて廊下に飛び出した。
「おっと!!!」
「ひゃう――っ?!」
飛び出した瞬間、ばふっ――という音と共に目の前の何かに勢いよくぶつかる。
その勢いで俺は弾き飛ばされるような形でその場に尻餅をついてしまった。
ってゆーか鼻打ったぁぁ!痛ぇぇぇ~~~~~~~~~~~!!!!
「わりぃ!!大丈夫か?!」
驚いたような声に鼻を押さえたまま顔をあげれば。
「あ……れ?政……にーちゃん??」
心配そうに俺の顔を覗き込んでくるその顔に、違和感を感じる。
だってさ、昨日見た政にーちゃんと何か雰囲気違う気がするんだけど??
鎧じゃないとかそういうんじゃなくてさ。
「ああ、違う違う!俺は梵じゃないって!」
「梵??」
「俺達の殿の事だよ。俺は伊達成実。殿の従兄弟なんだ。」
「従兄弟?!」
ほぇえ……だからこんなにそっくりなんだ。
でも良く見れば成実さんは政にーちゃんより少し大きいし、眼帯もしてない。
確かにどことなく政にーちゃんに似てるけど、この感じは――この雰囲気はどちらかというと佐助兄に似てる気がする。
「お前、梵を助けたっていうだろ?」
「ふぇ?何で俺の名前……?」
「小十郎に聞いた。で、お前を呼んでくるように言われてさ。お前を迎えに来たんだよ。梵が部屋で待ってる。」
そ、そうだ!俺、政にーちゃんの所に行かないといけないんだった!
慌てて立ち上がろうとする俺に、成実さんが手を差し出してくれる。
「あ、ありがと……。」
差し出された手を握ると、予想以上に力強い手が俺を引き上げてくれる。
うわぁ……成実さんって見た感じより凄い力持ちなのかも!!
だって俺の事、片腕でひょい――って持ち上げたよ?!
俺、歳の割にはデカい方だから、結構重いと思うんだけど?!
………あれ?でもそういや俺、良く考えたら佐助兄や幸にーちゃんにも同じように軽くあしらわれてたような??
ちょっとー…軽くショックなんですけど。
「いいってこれ位。俺が吹っ飛ばしちまったみたいだしな。大丈夫だったか?」
「うん……。」
「そっか。なら良かった!じゃ梵の所に行くか。こっちだぜ。」
そう言って成実さんはにっこり笑うと、握ったままだった俺の手を引いて歩き出す。
え、ええと………手を引かれながら廊下を歩くって何か……ちょっと恥ずかしいんですけど……。
そりゃ躑躅ヶ崎館でもこーゆー事無かった訳じゃないけど、初めての所で初対面のおにーさんに手ぇ引かれて歩くって……流石にさぁ!
ほら!すれ違う人達が俺らの事驚いたように見てるじゃんか!!
でも………俺は何故か繋がれた手を振りほどく事が出来なかった。
だってさ………………何だか成実さんの手が思った以上に大きくてあったかくて。
全然違うって分かってるけど、佐助兄に似た雰囲気の明るい笑顔の成実さんを見てたら佐助兄の手の感触を思い出してしまったんだ。
優しくて暖かくて大きな佐助兄の手を。
「梵ーーー!連れてきたぞーー!!」
手を繋がれたまま長い廊下をぐるぐると歩いていると。
不意に目の前がひらけて、広い中庭のような空間が広がる。
なんていうか、お館様の部屋の前みたいなカンジ?
明らかに偉い人の部屋の前ってカンジのする立派な庭、それを横目に見ながら進んだ奥まった部屋の前で、成実さんが大声で政にーちゃんを呼んだ。
「成実か?いいぜ入れ。」
政にーちゃんの声がして、スッと障子戸が中から開けられる。
自動ドアじゃあるまいし…と思って部屋の中に視線を向ければ、障子戸のすぐ傍にこじゅ兄が座っていて。
見下ろした俺に無言のまま小さく頷いてくれる。
そのこじゅ兄に促されて部屋の中に足を踏み入れた瞬間、俺はふとその場にピタリと立ち止ってしまった。
何ていうか……その………部屋に入った瞬間急に懐かしい感じがしたというか何というか。
いや、別に部屋の雰囲気がどうとか、見覚えがあるとかそういうんじゃなくて。
部屋に入った瞬間、覚えのある何かが俺を包み込んだ気がしたんだ。
「どうした?」
部屋に一歩足を踏み入れた状態で固まってしまった俺に、こじゅ兄が訝しげな視線を向けてくる。
「え……あ、ううん!何でもない!!」
慌ててブンブンと首を振って、俺は先に部屋に入った成実さんの後を追い掛けた。
「Good morning。よく眠れたか?」
「おはよう政にーちゃん。うん、女中さんに起こされるまで爆睡しちゃった。」
「Ha!そりゃ良かったな。」
白い着物に藍色の袴というスタイルの政にーちゃんがニヤリと口の端を持ち上げて笑う。
そのまま政にーちゃんの前に座るように促されて、俺はペタリとその場に腰を下ろした。
正座とか出来ないので胡坐でごめんなさい。
「ええと何かお話??政にーちゃん?」
「ああ、少しばかり確認しておきたい事があってな。」
「確認したい事??」
「…………………………………お前、何モンだ?」
「は?」
思いもしなかった政にーちゃんの言葉に、俺は思わずポカンと口を開けてしまう。
だってさ、何者?!とか言われても何て返したらいいか分からないじゃんか。
俺、政にーちゃんの言いたい事がよく分からないよ。
俺にはって名前があって、甲斐から来たんだって事は政にーちゃんもこじゅ兄も分かってる筈なのに。
何でいきなりこんな事聞かれんの??
「お前が甲斐の虎のおっさんの所から来たって事も、真田幸村に拾われたって事も知ってるがな。お前…………ただのそこいらの餓鬼じゃねぇだろ?」
「ど、どーゆー事??」
「そのまんまの意味だ。少なくとも普通のchildじゃねぇ。」
「俺が子供だって嘘ついてるって言うの?!」
「――ソレだ。」
「え?」
「…………お前、何で俺の言葉を理解出来んだ?」
手にしていた扇をパシン――と閉じてそれを俺の目の前に突き付ける政にーちゃん。
その言葉の意味が分からなくて俺は目を瞬かせる。
「分からねぇか?『何で俺の話す南蛮語を理解してるんだ?』って聞いてんだよ。」
…………………………………………あ。
そうだった。ここはまだ英語とか分からないのが当たり前なんだった。
佐助兄や幸にーちゃん達には俺が未来から来たかもしれないって話はしたけど、政にーちゃん達にはそんな話してないし。
政にーちゃん達にしてみれば俺は甲斐の国の人間だから、政にーちゃんの話す英語…じゃなかったここでは南蛮語って呼ばれてるんだっけ。
それを俺が理解出来る事はおかしな事なんだ。
何か当たり前のように聞き流しちゃってたけど、普通は意味が分からない筈なんだよね。
「あ、えっと…それは……ッ!」
「甲斐にって名の餓鬼が居て、真田幸村の元で甲斐の虎に後見されてるってのは確かな情報で、お前が真田の家紋入りの懐刀を持ってたってのは事実だがな。だからってお前がだって証は無ぇ。」
「政にーちゃん、何言って――」
「つまりだ、になりすました間者って可能性もあるってこった。誰も本物のを知らねぇんだからな。」
そう言って立ち上がると政にーちゃんは後ろに飾られてた一振りの刀を手に取る。
そして、そのまま俺を見定めようとするかのようにスッと目を眇めると、その刀に手を掛けた。
え…………?何……コレ?どういう事なの?
「え……俺、偽者じゃ……ッ!」
「第一、庇護されてる筈の餓鬼が国境をうろついてるってのも解せねぇ。お前が餓鬼を演じてるって可能性だって捨てきれねぇ。いや、その方が合点がいく……そーゆーこった。―――Did you understand(理解したか)?」
「ま、政にー…ちゃ………ん……。」
政にーちゃんのその言葉は――俺には最後通告のように感じられた。
「正体を現しな!!!」
音も無く抜き放たれた刀身が放つ鈍い光と共に、空を切る音と政にーちゃんの声が重なって―――
次の瞬間、ギィィィィィイン!という激しい金属音と火花が、座ったままの俺の上から降り注いだ。
「Ha!やっと姿を現しやがったな!侵入者さんよぉ!!」
「あーれま!気付かれてたってわけ?人が悪いねぇ独眼竜の旦那!!」
「が来た途端に気配がダダ漏れたぁ、忍としちゃお粗末だな!」
「肝に銘じておきますよ…っと!!」
「………………佐助………兄……?」
何……………コレ………?
どうしてココに佐助兄が居るの??
俺がここに居るって知ってたの?
何で俺の事庇って政にーちゃんの刀受け止めてんの?
勝手に飛び出してきたのは俺なのに、どうして俺の事助けてくれんの?
色んな事が頭の中をグルグルしてて、もう何が何だか分からないよ!!
「真田幸村って訳にゃいかねぇだろうが、少しは俺を楽しませてくれよ?――真田の忍?」
「いやいや俺様そんな事の為に来た訳じゃありませんし!」
「遠慮すんな!折角来たんだから楽しんでけよ!!!」
「だから遠慮させてもらいますって!!」
目の前で起こっている鍔迫り合いを見ながら俺はただ呆然とその場に座り続ける。
そんな俺にほんの一瞬視線を向けた政にーちゃんは、次の瞬間勢いよく佐助兄の苦無を弾き返すと後方へ飛び退る。
「Ha!その様子じゃ、コイツが件のに間違いはねぇってこったな。」
「またまたー独眼竜の旦那ってば、最初からの事疑ってなかったクセにー。」
「え?」
ど、どういう事?!
俺…偽者だと疑われて斬られそうになってたんじゃないの?!
何が何だか分からなくなってゆうるりと首を巡らすと、こじゅ兄と視線が合う。
じっと見上げるとこじゅ兄は静かに頷くと、俺の傍に来て呆然と座り込む俺の頭をゆっくりと撫でた。
「大丈夫か??」
「……………俺…疑われてたんじゃ……ないの…??」
「ああ、確かにいくつか解せねぇ事もあるのは確かだが、政宗様はお前を間者だとは疑っちゃいねぇ。」
「じゃあどうして…ッ?!」
「見て分かっただろう?侵入者が居る事が分かってな。だがそいつが誰で何処のやつなのか、情けない話だがうちの忍にゃあ掴めなかったんでな。どうしたもんかと思っていた矢先にお前がここへ来て、その途端にアイツは一気に気配を漏らしやがった。こいつは絡みの侵入者だと政宗様はすぐにお気付きになったのさ。だが、そう簡単に奴が姿を現す訳はねぇ。そこで政宗様はお前に刃を向けてアイツを引きずり出した…って訳だ。」
「俺はエサだったって事??」
「まぁそういう事になるな。」
悪かったな――そう言ってこじゅ兄は微かに口元を綻ばせた。
疑われてなかった…それは確かに良かったけど。
でも、今の俺にはそんな事はもうどうでも良かった。
だって俺のせいで佐助兄はこうしておびき出されて、政にーちゃんに刀を向けられてしまっているって事だろ?!
俺を助けようとしなければ、佐助兄はこんな所で姿を晒す事も無かったのに。
俺が―――俺が佐助兄を危険に晒した。
俺が佐助兄を危険な目にあわせた。
俺がここに居なければ
俺が、俺が、俺が、俺が――
俺―――が―――――
徐々に壁際に追い詰められていく佐助兄。
そして政にーちゃんの刀が高く振り上げられる。
「もらったぜ…ッ!!!!」
「――――――――ッ?!」
あがった政にーちゃんの言葉に。
俺はあらんかぎりの力でその場を飛び出していた。