にーちゃんと俺 9.5
「ダメぇーーーーーーーーーーーー!!!!!」
独眼竜の旦那の刀が振り上げられた瞬間、聞きなれた…それでいて今まで耳にした事も無い位に切羽詰った声が聞こえて。
次の瞬間、胸元に軽い衝撃を受ける。
それが、俺を庇うようにして懐に飛び込んできただと気付くのにそう時間はかからなかった。
だってそうでしょ?
あれだけ心配して、これだけ必死になって探してきた可愛い弟分だよ?
いくら躑躅ヶ崎館に居た時と違う格好してるからって俺様が見間違う筈もないし。
それに、この見慣れない着物姿のも、さっきまで潜んでいた天井裏で確認してた訳だしね。
しっかし、この子…ホント紅も藍も似合う子だねぇ…。
「…ッ?!」
「な―――ッ?!斬り合いに飛び込んでくるなんざ正気か?!」
振り下ろされた独眼竜の刀が、寸での所で止められる。
いや、元から独眼竜が俺様を斬る気なんざ更々無かったってのは分かってた事だけど。
この人もウチの真田の旦那と同じで、力ある相手とやりあうのを楽しむような所があるからねぇ。
だからこうしての背に触れるか触れないかの所で振り下ろした刀を寸止め出来てる訳だけど。
でもはそうじゃなかったみたいで。
本当に俺様が独眼竜の刀の錆になっちまうとでも思ったんだろう。
まるで、俺様を独眼竜の刃から守ろうとするように身体を張って俺様にしがみついている。
そりゃもう、これでもかって位ぎゅっとね。
驚かないって言ったら嘘になるけど、そのあまりの必死な姿に俺は、思わず口元を緩ませちまった。
おおっと!いかんいかん!勝手に館を飛び出して心配掛けた事、しっっっかりとお説教しないとって思ってたってのに、これじゃ絆されちまいそうだわ。
「お願い政にーちゃん!佐助兄を斬らないで!!俺、何でもするから!!だからお願い!!佐助兄を斬らないで!!!!」
大きな瞳にいっぱい涙を溜めて、でも決して泣くものかと言わんばかりにぐっと唇を噛みしめる。
相変わらず俺様の胸元にしがみついたまま、でも背後の独眼竜をまるで睨むかのように見上げるその瞳には強い光が宿っていて。
ほんの数日とはいえ、暫く会わない間にの中で何かが変わったんだと気付く。
涙脆いのはそうそう変わるものじゃないみたいだけど、でも確かにこの僅かな間には変わった。
少なくとも、まだ力無いその手で俺様を守ろうと決意する位には。
「―――はぁ…。分かった分かった。斬りゃしねぇよ。ちっとばかし手荒い歓迎ってやつだ。だからそんなに睨むな。」
「ホント??」
「本当だ。だからいい加減泣きそうな顔で睨むな。俺が苛めてるみたいじゃねぇか…ったく。」
やれやれといったように頭を掻いて大きな溜息をつくと、独眼竜は刀を鞘に納める。
………………………えー?ちょっとー……何なのコレ??
あの奥州の独眼竜ともあろう者が、餓鬼に涙目で睨まれた位であっさりと引き下がるなんて!
それどころかの誤解を解こうと必死になってるみたいな?!
いやいや!まさかとは思うけど…独眼竜のこの態度、明らかにに絆されてるよね?!
確かには元から人懐こくて素直だから警戒されにくいとは思ってはいたけど。
でも、この独眼竜の態度は流石にそういうのを超えちゃってる感じでしょー?!
そういや、さっきは独眼竜の事『政にーちゃん』って呼んでなかった?!
ちょっとちょっと!
いつの間に俺様や真田の旦那以外に兄貴分を作っちゃったの?!?!
あれ?そういや、さっきから右目の旦那も再三に渡っての頭撫でてない?!
それも、あの強面が見る影も無い位緩んでるとかさぁ!ちょっと嘘でしょ?!
あー……………………もしかして、奥州の双竜をこの短期間で虜にしちまった……とか?
一体どうやってあの双竜をタラシ込んだの?!?!
驚愕の思いで腕の中のを見下ろすと、俺様の視線に気付いたのかの濡れた瞳が独眼竜からこちらへと向けられる。
ぐ…ッ!ああ、もう!なんて表情してんのさ!この子は!
「……。」
「佐助兄…ッ!大丈夫?!怪我とかしてない?!」
「あ、ああ…平気平気…。」
「ホントに?!」
「……大丈夫だって!ほら、どこも怪我なんてしてないだろ?」
「良かった…!」
「俺様の事より、の方でしょうが!剣戟の中に飛び込んで来るなんて!独眼竜の旦那が本気じゃ無かったから良かったものの、これが本気の斬り合いだったら今頃三途の川を渡っててもおかしくないんだよ?!」
「…………………ごめんなさい……。」
「まったく…俺様、に寿命縮められっぱなしよ?ホント…。」
しゅんと俯いてしまったの頭をそっと肩口に引き寄せて大きく溜息をつく。
「でも…俺様の事助けようとしてくれたんだよね??」
「佐助兄??」
「ありがとね。」
そう言って笑ってみせると、潤んでいた瞳が大きく見開かれる。
次の瞬間、くしゃりとその表情が歪んで、今にも溢れんばかりだった涙が堰を切ったようにボロボロと零れ落ちた。
「ごめんなさい…ッ!ごめんなさい佐助兄ッッ!!!」
「もういいって。でも次からは剣戟の中に飛び込むなんて危ない事、しちゃ駄目だぜ?」
「違うのッ!そうじゃないの!」
拭っても拭っても次々零れ落ちていく涙を、指先で――そして唇で何度も拭い取ってやりながらそう呟くと、ふるふるとが頭を振る。
「俺…ッ!俺が勝手に飛び出してきたから佐助兄は探しに来てくれたんだよね?俺が政にーちゃんの所に来なければここに来なくても良かったんだよね?俺を助けようとしなければ政にーちゃんに刀向けられなくて済んだんだよね?!俺が…俺が佐助兄を困らせて…ッ!俺のせいで佐助兄が危険な目に――!俺が!俺が!俺が―――ッ!!!!」
まるで――まるで慟哭のようなその叫びに。
俺はそれ以上言葉を失った。
ああ、ちゃんとこの子は分かってるんだ。
自分の起こした行動がどういう結果を招いたのか。
そしてそれが全て己のせいだとひたすらに己を責めている。
だからこんなにも絶望にも似た表情を浮かべるのだ。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい――!!!」
まるでそれしか言葉を知らないかのように何度も何度も謝罪の言葉を口にする。
ああもう!そんな顔されちゃったらキツイお仕置きなんて出来る訳ないじゃないのさ。
きっと俺様が思っていた以上には追い詰められていたんだろう。
そうでなけりゃ、こんなにも苦しげな表情を未だ幼いこの子が浮かべるだなんて…とても考えられない。
そんな追い詰められてると言っても過言ではないに、これ以上追い打ちを掛けるなんて真似、俺様に出来る訳ないでしょうが。
やれやれ…俺様も大概甘いと思わざるを得ないけど、とにかく今は自責の念と絶望に打ちひしがれている可愛い弟分の涙を止めて、思う存分構い倒して甘やかしてやるのが先決…ってね。
独眼竜や右目の旦那の事はこの際後回しだよ!
「もういいから。謝らなくていいから、こっち向きな?」
「……………………………。」
「ん。いい子だ。」
無言のまま見上げてくるの泣き濡れた頬を懐から出した手拭いで拭ってやると、の唇が僅かに戦慄く。
「何?どした?」
「――――っ!」
音にならない声。
の唇が『佐助兄』とだけ動いたのを俺は見逃さなかった。
くぅ~~~~ッ!可愛い弟分が俺様の事を呼んで、求めてくれるってのがさぁ!
今なら俺様、顔面土砂崩れになってる自信あるね!
独眼竜が妙なものでも見るような目してこっち見てるけど、そんなの今はどうでもいいよ!
「もう泣かなくていい。謝らなくていい。何も心配しなくていいんだよ。」
肩口に引き寄せたの短い髪をそっと撫でながら小さく囁くと、それに反応するように顔をあげたの瞳が僅かに揺れる。
「…………さす……にぃ…ッ!怒って………ない?」
「怒ってない。」
「けーべつ……。」
「してない。」
「失望……。」
「してないよ。」
「俺の事ッ…嫌いに………。」
「なる訳ないでしょーが。なってたら、わざわざこんな奥州くんだりまで来る訳ないって。」
「佐助ッ…兄ぃ……。」
しゃくりあげる未だ震えを帯びたままのの手が、きゅっと俺様の戦装束を握りしめる。
全く何をそんなに心配してるんだか。
俺様も真田の旦那も大将も、心配こそすれ軽蔑したり失望したり――ましてや嫌いになるなんて事ありゃしないってのに。
でも今のはただひたすら怯えるばかり。
俺様達にどう思われているのか、不安で不安で確認せずにはいられないんだ。
怒ってないか?
軽蔑されてないか?
失望してないか?
己の事を嫌ってはいないか――?
一つ一つ消していってもらいたいのだ――この愛しい弟分は。
だったら何度でも俺様は答え続けるよ。
が安心出来るまで何度だって、どんな事にだって答え続けるからさ。
だってそれは、が俺様達の事を特別だと思ってくれてるから――嫌われたくないって思ってくれてるから――なんだよね?
にとって自分達が特別な存在になれている――たったそれだけの事が俺様達にとってどれだけ嬉しい事か、きっとこの子には分からないだろう。
「、誰もの事嫌ったり怒ったり失望したりなんかしてないぜ?真田の旦那なんかが何処に居るのかも分からないってのに1人で探しに行こうとした位だし、お館様だってずっとの事心配してる。だからそんなに不安になる事なんて無い。皆、の事大好きなんだからさ。」
「……………………………佐助兄は?」
「―――――ッ?!」
「佐助…兄…は?」
ただそれだけ言って、は目を伏せる。
どこか憂いを帯びたその表情は、何よりもそれが一番問題なのだとでも言いたげで。
俺様は思わず言葉を失ってしまった。
ねぇ?
俺様、ちょっと自惚れてもいいわけ?
にとって俺様は一番の兄貴分なんだってさ――。
「…………………ああ、もう!大好きに決まってんでしょーが!」
耐えきれなくなって腕の中のをぎゅっと抱き寄せる。
大事な大事な、俺様達の可愛い弟分。
俺様がの事どう思ってるのかって?
そんなの、うっかり潜伏先の城で気配漏らしちまう位、忍らしくも無く真田の旦那に動揺っぷりを指摘されちまう位に、大事で大切で――大好きに決まってるじゃないか。
の兄貴分とは言っても、真田の旦那やうちの大将・独眼竜や右目の旦那と違って、忍である己には身分など無いに等しい。
それどころか、この戦国の世において俺達忍は足軽や町人・農民以下の存在と言ってもいい。
血に汚れた使い捨ての人ならざる道具。
忌み嫌われる殺戮の為の人形。
決して人らしいとも言えないこの身を――。
そんな己を無条件に兄として慕い、躊躇う事無くこの汚れた身に触れ、これ以上ない笑顔と好意を向けてくれるを、どうやったら好きにならずにいられるってのさ。
「………佐助兄、あのね…?」
「ん?」
俺様の言葉に僅かばかりの覚悟を決めたのか、まるで秘密を打ち明けようとするかのような小さな声でがこそりと俺様を呼ぶ。
見上げてくるその瞳は未だ潤んではいるけれど、先刻までのような悲壮感に満ちた陰りはもうどこにも見られない。
その様子に内心でホッと胸を撫で下ろしながら、俺はの濡れた大きな瞳を覗き込んだ。
うん、泣いてるってのも悪かないけど、やっぱりこの子には泣き顔より笑顔でいてもらいたいもんね。
絶望や不安に染まった瞳を見せられるより、太陽のような笑顔と光の宿ったまっすぐで柔らかな眼差しを向けて欲しいに決まってる。
まあ、他の色んな表情も見せて欲しいと思わないと言ったら嘘になるけど、それは追々ね。
今はこうして俺様に弱い所を見せてくれるだけで充分と思う事にしようか。
「んと……。」
「どした?」
「ええとね……。」
「うん?」
「あのね…ッ」
「??????」
もごもごと躊躇いながら口籠るの様子にコトリと首を傾げれば。
俺の視線に耐えきれなくなったのか、は覚悟を決めた様子ですーっと息を吸うと、ぎゅっと目を閉じた。
「俺もッ!俺もね、佐助兄の事……だいすき。世界でいっちばん大好きだよ!」
その照れくさそうな、まだあどけない顔に。
へにゃりと緩んだ赤みを帯びた頬に。
柄にもなく赤面しそうになったのは――
絶対!隠しきってみせないと!!
真田忍隊の長として!
ああああぁぁぁぁあぁあああぁあぁぁあああああ!!!
頼むから今はそんな表情して俺様の顔覗き込んだりしないで!