にーちゃんと俺 7.5
が姿を消した。
当初は又どこぞの忍にでも攫われたのか?!と館中が一時騒然となったけど、それはすぐに杞憂だと分かった。
の使用していた部屋から旦那とお館様宛の置手紙が見つかったからだ。
まだぎこちない筆遣いの上、所々間違ってもいるそれは間違いなくが自身でしたためたもので。
そこに記されていた内容に俺様と旦那、そしてお館様は呆然と顔を見合わせてしまったんだよね。
そう、何の事は無い。
は自分の意志でここ――躑躅ヶ崎館を出て行ったってオチ。
所謂、家出ってやつ。
攫われた訳ではないと分かってホッとしたのは事実だけど、でも…何かイマイチ釈然としないんだけど。
だってさ、何で旦那やお館様には文を残してて俺様には一切無い訳?!
を拾ったのは俺様でしょ?!
その上、の事実上の保護者だって俺様がしてるのに、何で旦那とお館様にだけ文を残して俺様には一言も無いのよ?!
ぎこちなさの垣間見える文を前に、ちょっとばかり腹が立った。
――んだけど…………………ハタと気付く。
あー……そういや俺様、出掛ける前にとちょっと一悶着あったっけ。
もしかしてこの家出も俺様に対する意趣返しなんじゃないの?
妙な所で肝の座った、豪胆な子だからねぇは。
「いっいいいいいッ如何致しましょうお館様ぁぁぁぁぁっ!!!!!が家出をぉぉぉぉぉっっっ!!!」
「騒ぐでない幸村ぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
…………っていうか、騒いでるのはお館様も同じなんですけど?
いやいやいや!何で拳握りしめあってんの?!アンタら?!
それどころじゃないでしょーが!
あーもー……一体どこからツッコんだらいいわけ?俺様。
いやいや!ツッコミはこの際置いておいて。
今は一刻も早くの行方を探さないと。
いくらパッと見が俺様達とあまり変わらないように見えても、あの子はまだ元服もしてない子供。
それに、この戦絶えない世界とは違う所からここへ迷い込んできたって話だから、そこらの農村の子供よりも世情に疎い。
知らず知らずの内に危険な事に巻き込まれないとも限らない。
それより何よりあの子、この躑躅ヶ崎館内でも迷子になる位だから、何処へ行くか分かったもんじゃないしねぇ。
俺様は狼狽えて右往左往している上司二人を目の端に止めて溜息をつくと、やれやれと肩を竦めた。
「ちょっとは落ち着いて下さいって大将も旦那も。そんな事してる間にが危険な目に遭ってたらどうすんですか!」
「うおぉぉぉぉぉっ!!今助けに行くぞーーーーーーー!!!」
「ちょっ!?何処行くの旦那?!が何処に居るか分からないってのに!!」
今にも槍を持って駆け出しそうな旦那を宥めて、俺様はお館様に視線を向ける。
俺様だって一刻も早くを探しに行きたいのはやまやまなんだからね!
けど、自分の感情だけで勝手に飛び出せないのが忍ってもんで。
今は何よりお館様に探索の命を貰うのが最優先。
そんな俺様の思いが伝わったのか、お館様は大きく頷くと俺様をじっと見据える。
「佐助、急ぎの行方を探りその身を保護するのじゃ。」
「はっ!」
「先日の織田の件もある。がこの甲斐の子であると知れれば否が応にも危険に巻き込まれよう。一刻も早くの身の安全をはかるのじゃ。良いな?」
「承知!!」
そう――もう『』という人間はこの甲斐の国の人間として諸国にその存在が伝わっているだろう。
先日を襲って攫った忍が織田の放った忍だった事から考えても、は既に人質として充分役立つ人間だと認識されている筈だし。
あまり館の外に出る事が無かったから姿形までが知れ渡っている訳ではないのが唯一の救いって所かな。
でも真田幸村が齢14の子供を拾って小姓にし、その後見人を甲斐の虎、武田信玄がつとめている――というまことしやかな噂が広がっているっていうのは否定出来ない事実だからね。
その素性が知れて危険に巻き込まれる前に一刻も早くを見つけないと。
まったく……本当にあの子、どれだけ俺様の寿命を減らせば気が済むんだか。
「くれぐれも頼むぞ佐助!!」
「はいはい!だーいじょぶだって旦那。俺様が絶対を連れて帰るから。」
だってあの子は俺様達の可愛い弟分なんだからさ。
それに、俺様前にと約束したんだよね。
たとえ迷子になったって攫われたって俺様が絶対に見つけるって。
どんなに遠く離れても、何度俺様の前から姿を消しても必ずの事を見つけてみせるって。
だから、俺様は絶対にを連れて戻らなきゃいけないんだ。
が大好きだと言い、己の帰る場所だと言った、あの子にとっての家であるこの場所に。
挨拶もそこそこに俺様は旦那とお館様の御前を辞すると、急いで配下の忍を招集しての情報を集めるよう指示を出した。
意外と人目を惹く子だから、目撃情報はあるだろう。
一方で、人目を惹くって事は他国の忍の目にも触れやすいって事で。
その分危険度も増してるって事になる。
さて、どうやって探すのが手っ取り早いかと眉をしかめた時だった。
「あら猿飛様!お久しゅうございます。」
掛けられた声に振り返れば、旦那行きつけの茶屋の女将が風呂敷包みを手に笑顔を浮かべている。
へぇ?普段店からあまり出ない女将が珍しい。
不思議に思いはしたものの、女将にだって用事の一つや二つあるだろうと思い、俺様は女将に小さく笑みを向けた。
「女将!珍しいねこんな所で会うなんて。」
「ええ。この先にお得意様がございまして、こうして定期的に品をお届けしております。」
「へぇ?女将自ら届けてくれんの?なら俺様も頼みたいねぇ。そしたら俺様の仕事も減るってもんだし。」
女将の言葉に肩を竦めてそう答えると、どこか楽しそうに笑って女将は躑躅ヶ崎館の方へ目を向けた。
「でしたら先日お越しになられたお使いの方にお頼みされればよろしいでしょうに。」
「お使いの方??」
「ええ。とても明るくて元気なお方がいらっしゃるではございませんか。ほら、先日うちへお越しになられてその際にどこぞの不逞の輩に連れ去られた……。」
そこまで言われて俺様はハタ――と思い出す。
そういえばが織田の忍に攫われた時、その場に出くわしたのがこの女将だった。
女将が急いで躑躅ヶ崎館にが襲われたことを知らせてくれて、目撃情報を事細かに教えてくれたからこそ、早い段階でを助け出す事が出来たんだった。
「ああの事ね。」
「その後はお元気でいらっしゃいますか?」
「ま、まあね。」
「又店にお越し下さるようお伝え下さいませ。楽しみにお待ち申し上げております…と。」
勿論真田様か猿飛様とご一緒にですけれど――そう言ってくすくすと笑う女将に俺は貼り付けた笑顔を向ける。
今ここでが姿を消した事を告げるべきじゃない。
そして俺達がの行方を血眼で探し回ってるって事も。
勿論女将を信用してない訳じゃないけど、どこからその話が漏れないとも限らないしね。
「伝えておくよ。とは言っても今は私用で暫く出てるから戻ってからになるけどね。」
「まぁ!もしや旅にでもお出になられたのでは?」
「え?何でそう思うの?」
「いえ、先日この先の質屋の前でお見かけしたものですから……その時は何か大事があって質入れに来られたのかと思ったのですが、その後旅の行商人達とご一緒の所をお見かけしましたので……。」
何だって?!が質屋に?!
ちょっとちょっと!いきなり有力情報じゃないの!!
いくら人目を惹く子とはいっても、ごまんと居る領民の内のたった一人の事を突き止めるにはある程度の時間を要する――そう思っていただけに俺様は女将の言葉に一筋の光明を見た気がした。
もうこうなったら危険だ何だと言ってられない。
俺様は女将に掴み掛らんばかりに駆け寄ると、を見た時の事を問いただした。
「それっていつの話?!」
「あ、あれは……5日程前でしたでしょうか……。」
「で、行商人と一緒だったってのは?」
「3日前でございます。」
間違いない。
女将が見たのは間違いなく本人だろう。
俺様とが揉めたのがちょうど7日前。
で、俺様が仕事に出たのが次の日だから、今から6日前になる。
その次の日には質屋に出掛けて路銀を作ったは3日前にここを離れた…と。
やれやれ――俺様は繋ぎ合わされていく状況に小さくため息をつくしかなかった。
間の悪い事にちょうど3日前は俺様も旦那も、お館様すら館を開けていての行動には誰も気付く事が出来なかった。
結局、が姿を消した事に気付いたのは昨日真っ先に戻った俺様で、慌てて思い当たる所を探し回ってはみたものの、どこを探してもの姿は見つからなくて。
そうこうしている内にお館様と旦那がの不在を聞きつけて館に戻ってきて、冒頭の大騒ぎになったんだよねぇ。
まったく!俺様達にこんなに心配かけて一体どこに行ったんだかあの子は!
無事に見つけたらキツーイお仕置きしないとね!
とはいえ、今はこの情報をもとに一刻も早くの行先を探らないと。
俺様は礼もそこそこに、を見たという質屋へと向かった。
「それでの足取りは掴めたのか?」
一通りの情報収集を終えた俺様は、一旦配下の忍達からの報告を受けるとすぐに旦那の元に戻った。
「当然でしょ。俺様給料分の仕事はきっちりとこなす男よ?」
「茶化すな!……それで、は?」
「どうやらもうこの国には居ないみたいだね。」
「何と?!それはどういう事なのだ佐助?!」
「前にが俺様の代わりに甘味の買い出しにいった事があっただろ?例の織田の忍に攫われた時に出掛けた…。」
「おお!あの茶屋か?」
「そ。そこの女将がたまたま数日前にを見掛けててね。質屋で見かけた数日後にが旅姿で旅の行商人達と一緒に居る所を見てる。それが3日前。」
「では今頃は………。」
「方向にもよるだろうけど、順調にいってれば今頃どこかの国境を過ぎた頃だろうね。」
子供とはいえ、は体つきも大分大きいから旅慣れしている行商人達と共に行動する事も可能だろう。
となると、大人の足で行ける距離を考えると既に国境を越えた頃だと考えるのが妥当だ。
「いったいは何処へ向かったのだ……。」
選択肢は、越後の上杉・奥州の伊達・三河の徳川・小田原の北条・駿河の今川・加賀の前田・尾張の織田。
確かにここからなら何処へ向かう事も出来るから本来なら行先を絞り込むのは難しい。
でも、今回は楽にの行先を絞り込むことが出来た。
「大丈夫だよ旦那。の向かった方向はおよそ見当ついてるから。」
「どういう事だ佐助?!」
「、質屋に顔出してるって話しただろ?だからちょっとばかり探りに行ってきたのよ俺様。そしたら、、面白いものを質入れしててね。」
「面白いもの…?」
「これなんだけどね……。」
首を傾げる旦那に、懐から一枚の小さな紙を取り出す。
それは色鮮やかな彩色の施された見た事も無い紙だった。
「これは?」
「『かあど』とかいうらしい。南蛮で使われる遊戯に使う紙の一枚だって言ってたらしいよ。」
「これをが?」
「そう。南蛮のものとなればかなり珍しいものだからね。店の主人もの事ははっきり覚えてた。で、これと引きかえに路銀を稼いだって事は………。」
「……その先の路銀を稼ぐのに、何処かで又質入れするやもしれぬ…と?」
「ご名答!には他に路銀を稼ぐ方法があるとは思えないからねぇ。」
あの子が他に路銀を稼げるような手に職を持っているとは到底思えないし。
そうなれば定期的に路銀を稼ぐために又質屋に顔を出す可能性は高くなる。
だったら、宿場町ごとに質屋を探ってみれば、の進んだ方向が分かるかもしれないって寸法だ。
で、まずは一番近いそれぞれの宿場町を探らせてみたら、ものの見事に奥州方面に続く宿場町での足跡が見つかった。
こうなったらこの足跡を辿るのがを見つける上で一番最短の方法だって嫌でも分かるでしょ。
俺様は手にした『かあど』という名の紙をヒラヒラと振ってみせて、表情を明るくした旦那に片目を瞑ってみせた。
「よし!では急ぎ事の仔細をお館様へご報告致し、奥州の政宗殿に書状を送らねば!!」
「旦那!!ちょっと待った!」
障子戸を蹴破りそうな勢いで部屋を出ていこうとする旦那を、目前に立ち塞がる事で止める。
ちょっとちょっと!それじゃ何の解決にもならないじゃないのさ!
「何故止める佐助?!の行方が分かった以上、一刻も早くを迎えに行かねば!」
「だから少しは落ち着いて考えてくれよ旦那!確かに奥州方面に向かってる節はあるけど、竜の旦那の所に向かってるとは限らないんだぜ?!途中で越後の方へ行き先を変えるかもしれないし、最北端へ向かってるのかもしれない。」
「であれば、必ず政宗殿の治めておられる奥州へは必ず足を踏み入れるという事ではないか!」
「そりゃそうだけど何て書状をしたためるつもりさ?!『うちの子が家を飛び出したから保護してくれ』とでも言うつもり?!そんな事したら益々の身が危険に晒されるでしょーが!相手は同盟国とはいえ、少し前まで戦をしてた相手なんだよ?!を人質にでも取られて同盟破棄でもされたらどうすんの?!」
「政宗殿はそのような事をなさるような御仁ではない!!」
「独眼竜や竜の右目がそうでも、その配下の中には機があれば竜の足元を掬おうって輩が居ないとも限らないでしょうが!奥州は今は独眼竜の力で平定されてるけど、元は伊達に対抗してた勢力だってあるんだからね!!」
今はあの独眼竜の力で抑え込まれているとはいえ、いつ何時その均衡が破られないとも限らない。
伊達に平定された勢力にしてみれば、この機にを人質に取り同盟を破棄させて戦に持ち込み、伊達が疲弊した所で自分達が伊達にとって代われば然程労力もいらずに奥州の実権を握る事が出来る。
そんな事にでもなったらの身の安全は殆ど絶望的だ。
だから、無闇にを探している事を口外するべきじゃないってのに!
「ではどうしろというのだ?!いつが危険な目に遭うか分からぬというのに、このまま指を咥えて待てと申すのか?!」
握っていた手を胸元でグッと強く握りしめて旦那が苦しそうに眉根を寄せる。
そのいつにない姿に、俺様の頭の中が急激に落ち着きを取り戻していく。
あー…そうだよねぇ…旦那だっての事心配で心配でたまらないんだよねぇ。
だから何も出来ずにいる自分に焦りもする。
一刻も早くあの子の無事な姿を見たいと思うのは皆同じなんだ。
やれやれ…猿飛佐助ともあろう者が、ちょっとばっかり冷静さを失っちまってたかな?
「……だからさ、こんな時こそ俺様の出番でしょ?」
「佐助??」
「俺様が奥州に潜入しての足取りを追う。俺様だったらたとえ見つかっても逃げ切ってみせるし、奥州で色々嗅ぎまわってても通常の諜報活動の一環だって思わせる事も可能だ。だからさ、旦那はが安心して戻れるようにここで待っててやってよ?あの子、ここが帰る家なんだって言ってたんだからさ。もし何かの入れ違いでが戻って来た時に旦那も俺様も居ないんじゃ、寂しがるだろ?」
お館様は明日から対織田の布陣を敷くべく越後の軍神の元へ向かう手筈になっている。
その上で俺様と旦那がここを離れたら――。
本当にがここに戻ってきても迎えてやれる誰も居ないって事になっちまう。
それに、もしお館様の不在を狙って周辺諸国が兵を挙げでもしたら、いくら山本様や内藤様・山県様といった重臣の方々がお館様の留守を預かっているとはいえひとたまりも無いだろう。
だから旦那にはここでの帰るべき場所を守っていてもらわないとね。
「…………あい分かった。某はいつが戻っても良いよう、ここでの好きな水菓子を用意して待つ。佐助、必ずやを見つけ出し、連れ帰るのだぞ?」
「お任せあれ!」
少しは落ち着いたのか、険しかった旦那の表情が僅かばかりでも緩んだのを見て、俺様は内心で胸を撫で下ろす。
正直、旦那がここまでアッサリと引いてくれるとは思わなかった。
の事は本当に実の弟のように可愛がっていたから、俺様の制止を振り切ってでも飛び出しかねないと思ってた位だし。
「しっかし……ここまで旦那が動揺するなんてねー。を拾った時には想像もつかなかったけど。」
まぁ、あの子は本当に素直でいい子だし、何にでも一生懸命でまっすぐだから構いたくなる気持ちも分からないでもないけどね。
でもお館様以外の人間の事でここまで狼狽える旦那を見る事になろうとは思いもしなかった。
そう思ってやれやれと肩を竦めてみせれば、何故か驚いたように旦那が目を見開いている。
「何を言っておるのだ佐助?それはお主の方だろう?」
「は?!」
「某、これほどまでに動揺しておる佐助を見たのは初めてだぞ?」
「え?俺様が………動揺?」
思いもしなかった言葉に目を瞬かせると、どこか嬉しそうに旦那が表情を和らげる。
「何だ?流石の佐助も己の事は分からんと見えるな。」
「ちょ…ッ!本当に?!俺様、そんなに動揺してるように見えるわけ?!」
何それ?!俺様が動揺って……嘘でしょ?!
そりゃは俺様達の可愛い弟分なんだから心配はしてたけど、旦那が気付く程そんなに狼狽えてたっての俺様?!
それって忍としてはマズイんじゃないの?!
「我らの誰よりもの事を案じて居るのが分かるからこそ、佐助にを任せるのだ。でなければ、例え佐助が止めたとて某がを迎えに行っている所だ。」
そう言って笑う旦那の顔は、いつになく頼もしく見えた。