アナタと一緒に笑いたい 3
出水の所から戻った次の日。
俺はとあるホテルのロビーに来ていた。
今日は兄貴に俺の彼女を紹介すると言っていた日なので、ホテルのレストランで食事でも…なんて流れになっていたんだが。
「はぁ………。」
覚悟していたとはいえ、やっぱり気が重い。
咄嗟とはいえ兄貴に嘘をついてしまった訳だし、それを謝罪してから俺の気持ちを理解してもらおうとするのは、なかなかに厳しいと言わざるをえない。
特に兄貴が俺の事を思って…心配して言ってくれていると分かるから余計にだ。
俺は考えれば考える程に沈み込みそうになる意識を振り払うように、再度その場に似つかわしくない盛大な溜息を吐いた。
「!」
不意にポン――と肩を叩かれ、俺はビクリとその場で飛び上がる。
振り返った俺の瞳に映ったのは、紺色のスーツに身を包んで柔らかに目を細めた兄貴の姿だった。
「兄貴!!」
「すまんな、少し遅れたか?」
「いや、そんな事ないって。」
そう言って左手の腕時計に目を落とす兄貴にブンブンと勢いよく首を振ってみせる。
真面目で規律正しい兄貴が、約束の時間に遅刻するなんてありえねぇし。
実際今日だってこうして時間5分前には待ち合わせ場所に来てる訳だしな。
こういった所が俺と本当に兄弟か?と疑問に思う所だ。
俺なんか結構ダラダラしてて、気付いたら時間ギリギリなんて事もある位だから。
「そうか。ならお前の彼女を待たせずに済んだな。」
「あー………兄貴、その事なんだけど……。」
笑顔でレストランのある方へ歩き出した兄貴に、戸惑いがちに声を掛けたその時だった。
「さん―――ッ!!」
女性としてはかなり低めの――しかしよく通る耳に心地いい声が俺の名を呼んで。
何事かと振り返った俺の視界に、明るい髪色の艶やかな女性が映る。
その次の瞬間、その女性は華が咲いたように笑うと、俺に向かって駆け寄ると勢いよく俺の腕の中へ飛び込んできた。
「わっと…ッ!!!」
咄嗟に抱き留めた身体は思いのほかガッチリとしていて、俺は一瞬何が起こったのか分からず目を白黒させる。
え?これってもしかして………………………男なんじゃねぇか?
そう思ってもおかしく無い程、目の前の女性はしっかりとした体つきをしていて。
でも何処をどう見ても艶やかな雰囲気の美人な女性にしか見えず、俺は目の前の女性と、俺と同じく驚いたように目を見開いている兄貴とを交互に見やるしかなかった。
何が何だかよく分からないが、とにかく今は目の前のこの女性を落ち着かせないと!
そう思って抱き着いている身体をそっと引き離し、彼女の顔を覗き込む。
その顔を見て、俺は心臓が口から飛び出すかと思った。
「いッ?!出水ィっっ?!?!?!」
間違いない。
確かにパッと見じゃすぐに出水だとは気付かないかもしれないが…この目元、綺麗なブラウンの瞳………間違いなく出水だ!
「流石さん!気付いてくれたんだ?」
「おま…ッ?!何てカッコして…っ?!?!」
「どう?さんの為にしてみたんだ。」
「だってお前、あんなに嫌がって……それに、どうやってここが?」
「宇佐美に調べてもらったんだ。今日さんがここに来るって。」
そう言って笑う出水は、確かに凄ぇ美人に化けていた。
そりゃ街中ですれ違ったら間違いなく振り返る位には。
確かに女装して彼女の代役を頼んだのは俺だが、まさか出水がこんな美人になるなんて――!
出水は元がイイから分からなくはないけど、流石にコレはビックリだ。
「……………………何で来たんだよ?」
「だから言ってるでしょ?さんの為だって。」
「嫌がってただろ……。」
「……さん、聞いてくれる?」
そう言って俺の両頬に手を添えると、出水はその切れ長の目をふわりと緩めて俺の顔をじっと覗き込む。
そして――そのまま俺の瞳を見据えると、囁くように言葉を紡ぎ出した。
「アナタを守りたいんだ…この手で。」
「出水………。」
「まだまだ未熟でさんには全然及ばないけど……でもアナタを助けたい、守りたい、支えたい、役に立ちたい。他の誰にもこの役目を渡したくないんだ。」
俺の頬に触れる手が、愛おしそうにするすると頬を擦っていく。
艶やかな美女然とした姿の出水の、隠しきれない男らしいその手がゆっくりと頬から耳元に流れ、そして又優しく俺の頬を掠めながら唇に触れてくる。
その視線と柔らかな触れ方に――。
俺の鼓動がドクリ――と大きく跳ね上がる。
何て表情して笑うんだよ出水!
そんな顔されたら………………期待しちまうじゃねぇか。
出水が俺の事を特別に思ってくれているって。
「バカ…!そんな事言うなよ!」
「何で?」
「何でって…………その……期待……しちまうだろ…ッ!」
出水は優しいから。
俺が見合いさせられそうだって聞いて、助けようとしてくれたに過ぎないのに。
俺が助けてくれって泣きついたから来てくれただけなのに。
そうでなけりゃ、わざわざ嫌がってた女装なんてしてくれる訳ない。
別に俺の事を一人の人間として特別視してくれてる訳じゃない筈なんだ。
同じ仲間として――ボーダーの仲間として俺を守りたいって思ってくれたに過ぎないんだ。
そうに決まってる。
こんな風に優しく出水が俺に触れてくれるなんて………………そんなの………。
情けなく顔を歪ませて顔を背けると、不意に目の前で小さく笑う気配がして。
俺は眉尻を下げたまま目の前の出水に視線を戻す。
「い………出水……??」
「期待?して欲しいんだけどな。」
「ちょ…ッ…出水…………何言って…?」
「だからさ、期待……してよ?その代わり、こっちも期待…………させてもらうから。」
「え?」
「好きなんだ……さん……。」
「出水……。」
まるで秘密を打ち明けようとするような、そんな小さな囁きに。
俺はまるで身体中の血が沸騰したかのようになって。
次の瞬間一気に顔に熱が集中する。
確かに今俺に熱烈な言葉を投げ掛けているのは、誰もが振り向かずにはいられない程の美女だけど。
でもこれは間違いなく出水の言葉なんだ。
『彼女(仮)』の演技じゃない。
出水が俺――に向けてぶつけてきている想いなんだ。
柔らかではあるけれど、決して逸らす事を許さない真剣な瞳がじっと俺を見詰めているのを感じながら、俺はあわあわと口元を戦慄かせる。
だってどう答えたらいいのか分からない。
こんな情熱的な言葉を、それも出水に向けられるなんて思ってもみなかったんだ。
「いつも笑っててほしい。アナタとずっと一緒に笑っていたいんだ……さん。」
「ほ、本気…………かよ?出水?」
「こんな事、ふざけて言えると思う?こんなカッコまでして、こんな所にまで押しかけて?」
どこか悪戯っぽく笑ってそう言うと、出水は片目を瞑ってみせる。
そ、そうだよな…………いくら『彼女(仮)』役を引き受けてくれたのだとしても、ここまでする必要なんかどこにもない。
そこまでして出水は俺の事を――。
本当なら困らなきゃいけない筈なのに。
何言ってるんだって笑い飛ばさなきゃいけないのに。
でも俺は何故か少しもそんな気になれなかった。
それどころが、出水が俺を特別に想ってくれているという、その事に歓喜している自分が居て。
俺は、出水の為にも拒まなければいけないと思う理性と、その歓喜との狭間で戸惑わずにはいられなかった。
「あー………取り込み中の所すまんが………。」
戸惑いながらも出水の手を受け入れていた俺に、背後からコホン――という小さい咳払いが聞こえて。
俺はハタ――と我に返る。
……………………………………俺、今兄貴と一緒だったよな?
兄貴に事の説明をする為に、ホテルのロビーに居た筈だよな?
という事は…………………?
「――――ッ?!」
しまった!!!
あまりの事に頭がパンク状態で、目の前の事にしか意識が向いていなくてすっかり忘れてたけど、ホテルのロビーという事は他人の目が複数ある場所だという事で。
そして目の前には事情を説明しないといけない筈の……そしてすっかり置いてきぼりの兄貴が居る訳で。
俺は衆人環視の中、そんな事も忘れて出水とうっかりラブシーンもどきを繰り広げてしまったという訳か?!
「あっ!兄貴ッ!あの……ッ!これは……その……っ!!」
この状況を、出水の事をどう説明したらいいのか分からなくて、俺はその場で動転したままワタワタと取り乱す。
「……少しは落ち着け。」
「あ………ぅ………はい………。」
「さて……『いずみ』さん……かな?」
「え?……………はい。」
「君がの紹介したがっていた人のようだね?」
「…………………………。」
「どうしたんだい?」
「多分………違います。」
「しかし、私の目には2人はとても睦まじく見えたが?」
兄貴の言葉に少し考える素振りを見せた出水は、1度俺を見ると小さく息をつく。
そしてそのまま俺の兄貴に視線を向けると、その意志の強そうな瞳でじっと兄貴を見据えて口を開いた。
「さんが誰を選ぶかは、さん次第です。でも自分は……………自分はこれからもさんを守りたい。」
「君は………ボーダーの人なのかな?」
「はい。戦闘員をしています。」
「成程。そうか………いつも君達が私達を…私達の生活を守ってくれているんだね。ありがとう。」
「いえ、それはさんが居てくれるからです。自分達戦闘員はボーダーを代表する一部でしかありません。さんのようなオペレーターや技術者…沢山の人達に支えてもらって戦闘員は戦う事が出来る。だから、さんのような人がこれからもボーダーには必要なんです……絶対。」
「出水……。」
「だから、たとえさんが誰を選んだとしても、どんな道を進んだとしても……自分は自分の全力でさんを――さんの笑顔を守ると……そう決めました。今日はそれを伝えたくて……。」
そう言って出水は俺を見ると、あの柔らかで鮮やかな笑みを向けた。
ったく………………何て顔してくれんだよ……。
いっちょまえにカッコイイ事言いやがって。
俺の心臓壊すつもりかっての。
ホント、こんなんじゃ心臓がいくつあっても足りやしない。
俺は真っ赤になっているであろう自身の顔を自覚しつつ、ふい――と目を伏せた。
「そうか………………………………!」
「ぅえ?!な、何だよ兄貴?!」
「お前…………………ここまで言わせておいて、お前はどうなんだ?」
「え?俺ッ?!」
どう……っていわれても…ッ!
何て答えればいいんだ?!
このまま、ただ兄貴をやり過ごす為だけなら、出水が彼女でいずれは結婚するかも――なんてことを匂わせておけばいいのかもしれないけど。
でも出水は本気で俺に向かい合ってくれているんだ。
だから俺も本気で応えなきゃならない。
そう――俺は…………出水を――――
「俺…………俺も出水を守りたい。俺は出水みたいに戦う事も、実際守ってやる事も出来ないけど………でも………。」
「………さん……?」
「お前の弾除けの一つにすらなってやれない俺だけど………でも、俺も俺の出来る事でお前を守りたいんだ出水。俺もお前と一緒に笑って、泣いて、もっともっと沢山一緒に居たいんだ…………出水……。」
これが俺の本当の想い。
お前が俺にこうしてぶつかって来てくれなかったら、きっと自覚すら出来なかったかもしれないけど。
でも俺はやっぱりお前と一緒に居たいんだ。
これからも笑いあって、そしてずっとお前の幸せに笑う顔を見続けていたい。
俺の為にこんな事までしてくれて、俺の為に覚悟を決めてくれた出水……お前と。
たとえこれがお前の一時の気の迷いだとしても。
お前に他に大切な人が現れる日が来るのだとしても。
でも少なくとも俺は――。
その日が来るまではお前の一番の特別で居たいから。
だから俺は差し出してくれた、この暖かくて頼れるこの手と共に歩いて行きたい。
「俺の特別に…………………なってくれるか……出水?」
俺の言葉に照れくさそうにはにかんだ出水が、無言のまま俺の掌を握りしめる。
それがアイツの答えだった。