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さっぽろ市営バス情報館トップページ札幌市営バス路線データファイル>(南92)滝野線
札幌市営バス路線データファイル

(南92)滝野線 旧番号:(67)滝野線
平成12(2000)年3月31日移行

昭和50年5月時点 平成12年3月31日移行時点
真駒内駅前…クリスタルタウン
|     マルイストア真駒内店
南町3丁目

駒岡入口

精進川

駒岡下区

駒岡1区

駒岡小学校前

駒岡中区

小島水源地

婦人ホーム前

真駒内2団

真駒内3団

器械場入口

滝野峠

厚別の滝…青少年自然の村・滝野自然学園

滝野13番

滝野22番

滝野25番

滝野







真駒内駅前…ミュークリスタル
|     マルイストア真駒内店
南町3丁目

南町6丁目

南町7丁目

駒岡清掃工場前

保養センター駒岡

駒岡1区

駒岡小学校前

駒岡団地

駒岡小学校前

駒岡中区

小島水源地

恵開拓記念碑前

真駒内2団

真駒内3団

器械場入口

滝野峠…真駒内滝野霊園

厚別の滝…青少年自然の村・滝野自然学園

滝野13番

滝野22番

滝野25番

滝野
※すずらん公園前発着便は、
 「駒岡団地」は経由しません。

札幌市内を走るバス路線で、運営主体が3度変わったという、この路線ほど奥深い路線はないでしょう。
昭和47(1972)年に市営バスが運行する前は、定鉄バス(定山渓鉄道)がこの路線を運行し、平成12(2000)年からは北海道中央バスに
移譲されました。

この路線は、駒岡地区と滝野地区の住民の足の確保が主な目的ですが、市街化調整区域が多いためにあまり便数も少なければ、車内放送
案内テープにスポンサーもつかないという、数ある市営バス路線の中では影が薄い路線です。しかし、市営バス唯一のフリー乗降区間制
度を導入しており、市営交通のパンフレットなどで目にされたことも多いことでしょう。

特に、滝野地区の歴史は大変古く、明治12(1879)年に開拓使の札幌本府建設のため、大量の木材搬出が必要となったことから、「官営水車器械場」が
設けられました。中島公園にある「豊平館」の柱に使われているのも、ここ滝野の地から切り出した木材です。
この器械場は、厚別(アシリベツ)の滝上の動力を利用した製材所で、たった10年余りで閉鎖されてしまったのですが、開拓精神を色濃く残す
停留所として「器械場入口」や「厚別の滝」の名が今も残されているのは感慨深い気持ちにさせられます。
その後、明治33(1900)年に、阿部 仁太郎氏が耕作を始めます。木炭生産や製材所再開設をしながら山林を開いたり、大豆、きび・えんどうを耕作し
ました。しかしながら、冷害に悩まされ、札幌の中心部から遠隔であったことで、離農は後を絶ちませんでした。
戦後、昭和28(1953)年には、滝野地区にアメリカ軍が進駐し、演習場用地として接収。それまで何とか頑張ってきた50戸の農家は離農せざるを
得なくなります。
その後、幾人かの農家が戻り、現在の滝野すずらん丘陵公園付近を中心に「パイロット・ファーム」として農耕を再開しますが、昭和40年代の
高度経済成長時代に入ると再び多くの住民は滝野を離れ、少子化が進行したことで、滝野小学校も昭和46(1971)年に閉校し、常盤小学校と統合される
こととなります。
札幌市は、その後、小学校と近隣用地含めて340haを買収し、青少年自然の村・滝野自然学園として再整備し、現在に至ります。

続いて、駒岡地区の歴史を紐解いてみましょう。
駒岡地区の開拓は戦後になってからで、戦前は真駒内種畜場の放牧地でした。
現在も「真駒内2団」「真駒内3団」という停留所がありますが、これは5つあった当時の開拓団の名称です。
昭和22(1947)年、駒岡地区に満州や樺太からの引揚団16戸、戦災による東京からの移民18戸が開拓団として、はるばる駒岡の地にやってきました。
生死をかけた苦境をさまよい、命からがらやってきた安住の地がこの駒岡だったのです。
配給の食器、2人に1枚の布団、ゴザ3枚だけという、厳しい環境からのスタート。開拓地に対しては「開拓地成功検査」が行われましたが、
配当地の60%以上開墾により認められ、かつ5年以内という期限つきの大変厳しい条件付き。
開拓団は必死になって、夜暗くなっても、開墾に精を出したといいます。
その甲斐あってほとんどの開拓民が家族総出で2年ほどで入植が完了しましたが、子供たちは、石山や常盤、滝野の各小学校へ通わねばならず、
特に冬期間の通学は大変な困難を極めました。
開拓団の団長だった唐木田 眞氏が農林省(現:農林水産省)に直訴し、「開拓モデル小学校」の認定を受け、予算が工面できたことから、
当時の豊平町がようやく、昭和24(1949)年に駒岡小学校を開校させました。この駒岡小学校、少子化の影響で、駒岡地区から通う子供は減りましたが、
今でも札幌市の特認校として、緑豊かな自然環境を生かした授業に取り組む姿勢が評価され、市内各地から子供たちがやってくる学校になっています。

さて、バスは、昭和38(1963)年、折しもの観光ブームで厚別の滝へ行く行楽客を運ぶ為、札幌駅前から(豊平駅前、真駒内駅経由)定鉄バスが滝野線の
運行を開始します。その後、地下鉄開業による定鉄バス吸収で、昭和47(1972)年5月から市営バスに一部路線が譲渡されることとなり、その一環で
滝野線も運行が市営バス(真駒内駅〜滝野、真駒内駅〜婦人ホーム前)に変わります。
昭和58(1983)年に、前述のパイロット・ファームの跡地に、国設滝野すずらん公園が造成され、一部開園したことから、市営バスも、昭和59年5月1日
からは、滝野発着便、婦人ホーム前発着便に加え、日祝日に「滝野すずらん公園前」発着便ができました。
また、矢継ぎ早に昭和61(1986)年、札幌市保養センター駒岡がオープン。11月10日からは、市営バスにも「保養センター駒岡」発着便が新設
(昭和62年夏ダイヤからは「駒岡中区」まで延長)されます。
その後、婦人ホームが火災で焼失。このため、平成3(1991)年4月から、婦人ホーム停留所を「駒岡開拓記念碑前」に改称。平成4(1992)年からは、
現行の「恵開拓記念碑前」に変更されました。
そして、長年の地元町内会からの陳情がかない、平成10(1998)年4月には市営バスの「駒岡団地」乗り入れが実現しました。団地の高齢者は、それまで
坂の下にある「駒岡小学校前」でバスの乗り降りをしていただけに大変利便性が向上しました。

しかし、平成12(2000)年4月、市営バスは、民営バス並行路線を移譲していく施策の一環で、この滝野線もその対象となり、北海道中央バスに移譲
されます。移譲後数年間のサービス維持は義務付けられましたが、赤字路線であることには変わりなく、残念ながら、平成19(2007)年3月、恵開拓
記念碑以南の滝野・滝野すずらん公園発着便を廃止し、残された「恵開拓記念碑前」発着便に関しても、利用者が極端に少ないことから一部便を残し、
駒岡小学校前発着に改めました。駒岡小学校に通う児童がいる限り、この路線は残るものと確信してはいますが、この地区を開拓した人々の努力を
決して忘れてはならないように思います。

★参考資料

移譲後のようす
(左)真駒内駅で発車を待つ「滝野」行のバス
(右)滝野終点の回転所

(記載内容は平成24年7月現在、画像は平成18年12月撮影)

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