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荒井山線−盤渓発着便(あらいやません−ばんけいはっちゃくびん)▲このページのトップへ戻る
現:ばんけい観光バスが運行する路線。路線番号は(西14)。
かつては、旧市営バスにより運行しており、旧番号(45)荒井山線。
市営バス時刻表には「ばんけい観光西14 荒井山線」と、なぜか市営バス以外の時刻表が掲載されていた(平成15年4月に琴似営業所がジェイ・ア
ール北海道バス移行されてからは1年間のみ掲載された。現在の同社の時刻表には掲載されていない。)。
この路線はそもそも、市営バス路線として昭和52年まで運行され、平日7往復・日祝日10往復で円山公園(のちに同駅前)〜盤渓を結んでいたが、
1日当たりの乗客は定期券利用客を含め約100人、昭和50年度は740万円の赤字を出し、中央区内の路線なのに、国・北海道からの地方バス
路線維持補助を受けるほどの過疎地域並みの不採算路線だった。
当時、「ばんけい観光」が「スキー場、レジャー施設利用者のサービスとして同じ経路で無料バスを運行しており、肩代わり経営したい。」と、
市交通局に申し入れた。交通局も地区住民も受け入れ、昭和51年2月、札幌陸運局(当時)に市営バス路線廃止と6月からのばんけい観光の営業認
可を申請するも、認可が得られず1年延期してばんけい観光による運行開始となった。
時代は平成に変わっても、時刻表に掲載されていたことが、市営バス路線だった名残となっていた。
企業名入り停留所(きぎょうめいいりていりゅうじょ)▲このページのトップへ戻る
「雪印乳業前」「ネージュ石鹸前」「宝酒造前」……企業名を冠した市営バスの停留所のこと。
昭和40年代半ばまでは、札幌市はさほど市域も広くなく住居表示も「〜番地」が多く、中心部を除き、市営バス停留所名には「■■○条○」とい
ったものはほとんどなく、むしろ「文化通り」や「農本北」など曖昧な物が多く見受けられ、分かりやすいよう近くの企業・工場の名称を停留所名
にした上記のようなものもあった。
この「企業名入り停留所」が転機となったのは昭和46年。当時、ワンマン運行系統が多くなり、停留所案内テープ放送に広告料を徴収して「●●商
店へお越しの方はこちらで降りられると便利です」というように放送されるようになり、企業名が冠されていない他の停留所のスポンサーから、不
公平ではないか?という声が上がったため、昭和47年5月より、停留所から企業名を外し(一部 明治乳業前、札劇前、聯合紙器、予備校前、札幌
酒精前を除く)「条丁目」の住居表示に改めた。現在は、更に減少し、残っているのは「札幌酒精前」(平成15年よりジェイ・アール北海道バスに移
行)のみとなった。
共通乗車カード(きょうつうじょうしゃかーど)▲このページのトップへ戻る
札幌市営交通(地下鉄・市営バス・電車)と、北海道中央バスの3路線とJR北海道バス(当時)のうち市内線の乗降に利用できるプリペイドカード。
平成4年のウィズユーカード導入から2年経過した、平成6年10月14日の地下鉄東豊線延長開業時(豊水すすきの〜福住間)より利用出来るようにな
った。また、同日から市営バスから移譲となった、北海道中央バスの3路線(西岡線、西岡環状線、下西岡線)利用者は、基本的には、共通乗車カー
ドの利用にならざるを得なかったが、市営バスのサービス維持策として、毎月5日と20日のさわやかノーカーデーには、市営交通同様「エコキッ
プ」の利用ができたほか、割引率のある市営交通回数券(紙片)に関しては、平成16年3月31日の市営バス事業廃止までその使用が認められていた
(電車・バス昼間割引乗車券を除く)。
かねてから市民から要望の強かった「直接方式」がようやく実現したが、地下鉄と市営バス・市電で同日から同様に直接方式で利用可能となった
ウィズユーカードには10〜15%のプレミアムが付与されていたにも関わらず、「共通乗車カード」にはプレミアムが一切なく、特に市営バスが走っ
ていない民営バス運行エリアから地下鉄に乗り継ぐ必要のある市民からは不公平であると不満も寄せられることもあった。
このため、共通乗車カードの発売は2年半の短命のうちに終了し、平成9年4月からは、市営交通とJR北海道バス以外にも、北海道中央バスの
市内全線、じょうてつバスの市内区間でも利用できる「共通ウィズユーカード」が発売され、現在に至っている。
共通乗車カード(3000円券)
旧路線番号(きゅうろせんばんごう)▲このページのトップへ戻る
通称。市営バスで、昭和51年6月まで用いられた「数字だけ」の路線番号のこと。
昭和5年、市営バスは3路線で運行を開始して以来、市域の拡大とともに、市営バス路線をどんどん増設していき、昭和50年には、路線番号も「1
番」から「104番」までになり、煩雑さが増大するものとなった。これら路線番号は、一部はまとまりのあるもの(例:1番台は「(各方面への)基幹」
で、50番台は「新琴似ターミナル」接続系統、60番台は「旧定鉄バス移譲路線」、100番台は「都心系統」など)もあったが、利用者にとっては、分か
りにくさが際立つ番号体系になっていた。
そこで、札幌市交通局は、昭和51年6月の地下鉄東西線開業(琴似〜白石)に伴うバス路線再編成に合わせ、市営バスの路線番号を、「東西南北」方
面別と行政区の「白石区」の「白」を取り、環状路線を「環」と分類し、番号を再構成することとなった。
これを期に、長らく使われた「数字だけの旧路線番号」は姿を消した。
昭和50年12月時点の旧路線番号
番号 | 路線名 | 番号 | 路線名 | 番号 | 路線名 | 番号 | 路線名 | 番号 | 路線名 | 番号 | 路線名 | 番号 | 路線名 |
(1) | 丘珠 | (11) | 東16丁目 | (21) | 厚別 | (31) | ふしこ団地 | (44) | 本郷 | (61) | 西岡 | (102) | 中央環状 |
(2) | 鉄北 | (12) | 札苗 | (22) | 米里 | (32) | 元町環状 | (45) | 荒井山 | (62) | 下西岡 | (104) | 北3条 |
(3) | 苗穂 | (13) | 旭水 | (23) | 新川 | (33) | 幌北 | (46) | 北の沢 | (63) | 平岸東 | ||
(4) | 北郷 | (14) | 東札幌 | (24) | 白石平岸 | (36) | 桑園中央 | (47) | 南の沢 | (64) | 美園 | ||
(5) | 啓明 | (15) | 真駒内 | (25) | 旭山公園 | (37) | 西25丁目 | (48) | 藻岩山手 | (65) | 定山渓 | ||
(6) | 桑園発寒 | (16) | 動物園 | (26) | 発寒 | (38) | 北都 | (51) | 北34条 | (66) | 澄川苗穂 | ||
(7) | 山鼻環状 | (17) | 北光 | (27) | 篠路 | (39) | 工業団地 | (52) | 新琴似中央 | (67) | 滝野 | ||
(8) | 藻岩 | (18) | 中の島 | (28) | 山の手 | (40) | 北桑園 | (53) | 鉄北西5丁目 | (80) | 円山 | ||
(9) | 琴似 | (19) | 東環状 | (29) | 琴似5条 | (42) | 川下 | (55) | 山本 | (100) | 都心循環 | ||
(10) | 西野 | (20) | 宮の森 | (30) | ロープウェー | (43) | 啓明西 | (60) | 平岸 | (101) | 北5条 |
時刻表(じこくひょう)▲このページのトップへ戻る
材質は紙。市民の利便性を高めるために配布された時刻表。
「配布時刻表」と「冊子時刻表」があり、一般に「冊子時刻表」は表紙がカラー印刷となっている。表紙にはだいたい市営バスのイラストや写真が描かれ
時代考証に役立つ。
昭和40年代までは運行系統図や料金区界表などが綴じこまれており、貴重な資料となり得るが、外れやすい代物で、
きちんとした完全美品で保管されているものは少ない。
バブル期までは「配布時刻表」と「冊子時刻表」の両方に広告が掲載されていた。貴重な広告媒体として重宝され、テレビ放送局、製薬会社、サウナ、
結婚式場、建築会社など多岐にわたる広告が掲載されたが、バブル期以降は景気の低迷により、NTTのポケットベルやムーバ携帯電話の広告が掲載
されたのを最後に広告は姿を消し、市営バスの営業案内や交通事業振興公社の案内広告が掲載されるにとどまった。
「配布時刻表」は、1枚もので、無料でもらうことができた。通常のダイヤ改正時期以外に時刻が変更されたその場合は、冊子時刻表の発行はされず、
配布時刻表のみしか発行されなかった。
「冊子時刻表」は、札幌市交通局福利厚生会が一部地下鉄駅に併設されていた「バス案内所」や定期券発売所にて販売(後に、札幌市交通局が無料
配布)し、時代により、その頒布料金が異なる(下図参照)。
年 |
頒価 |
年 |
頒価 |
年 |
頒価 |
昭和39 | 20円 | 昭和51 | 100円 | 昭和61 | 150円 |
昭和45 | 20円 | 昭和54 | 100円 | 昭和63 | 150円 |
昭和47 | 30円 | 昭和57 | 130円 | 平成3 | 無料 |
昭和49 | 50円 | 昭和59 | 150円 | 平成5 | 無料 |
自衛隊構内乗り入れ(じえいたいこうないのりいれ)▲このページのトップへ戻る
旧市営バス真駒内線(15:旧番号)にあった「南町4丁目〜自衛隊前駅」系統。
昭和49年12月10日に運行開始され、1日26便運行された。
バスが自衛隊構内に乗り入れる都度、自衛隊の歩哨(ほしょう)隊員がゲートのチェーンを外し、挙手の礼をするというなかなかお目にかかれない
光景が注目を浴びた系統でもあった。
市交通局は、真駒内本町地区住民から地下鉄への交通が不便だからという意見で開設したもので、当初、1日400人の利用を見込んだが、南町
4丁目(〜泉町中央間)から乗車した大半の乗客は「真駒内駅前」で降り、地下鉄を利用する客が多く、昭和50年になると自衛隊北門〜自衛隊前駅
を利用する客は1便当たり2〜3人となることが多くなり、空気輸送と指摘されるほどになった。
様々な理由で、自衛隊構内には停留所がなく、最たる理由として、1.2キロの「自衛隊北門〜自衛隊前駅」の区間設定が良くないという意見も
あった。
昭和51年6月の東西線開業(琴似〜白石)によるバス路線再編成を機に、「南町4丁目〜自衛隊前駅」系統は姿を消した。
この他、自衛隊駐屯地内を経由する路線は北海道中央バスの千歳市内線にあるとのことです。
定山渓線(じょうざんけいせん)▲このページのトップへ戻る
現:じょうてつバス(12)定山渓線(真駒内駅−定山渓車庫前)。平成12年4月より、定山渓発着便、啓北商業前発着便を旧市営バスから移譲を受ける。
平成15年3月より、(南93)藤野線(真駒内駅前−藤野3条2)を旧市営バスから移譲を受ける。
旧市営バス路線(南93)定山渓線(真駒内駅前−定山渓)としては、昭和47年5月から平成12年3月まで市営バスが運行。
競合するじょうてつバス(12:真駒内駅−藤野3条11・旧道錦橋−定山渓温泉)とは経路が異なっていた。
昭和44年、定山渓鉄道(豊平−定山渓)が廃止され、鉄路に沿って走っていた旧国道経由の旧定鉄バスが、国道230号線新道の開通と相まって、大
部分の便が新道経由になり、旧道上の「簾舞農協(農協は昭和49年に南区藤野に移転、現:簾舞小学校)」始発便は2時間以上の間隔で運行され、交
通の要所だったはずの、旧道沿線はすっかり僻地となった。
特に、鉄道・旧道沿線の国立療養所札幌南病院(現:独立行政法人国立病院機構札幌南病院)からは「(来院する人々の中には)肺機能の低下した歩行
困難な病弱者が国道230号線(新道)の(バス)停留所を利用するには病院から約800mの距離があり、道のりを往復するのは全く不可能であります…
(中略)…市営バス定山渓線の乗り入れに際しては是非旧国道経由に」といった内容の要望書が昭和46年には札幌市長など宛に出され、ようやく市営バ
ス乗り入れ当初から「旧国道経由」が実現した。
この要望が出されて約30年、市営バスが運行した路線をじょうてつバスが引き継ぎ、運行してきたが、平成22年に病院が国立西病院と統廃合され、
病院はなくなってしまった。しかし、現在でも旧道沿線住民の大切な足であることには変わりない。
テープデッキ(てーぷでっき)▲このページのトップへ戻る
市営バスの車内放送に使用された放送機器。「次停留所案内放送」を、車掌が肉声で案内していたものを、昭和40年代からのワンマン化に伴い、テ
ープデッキを用いて、テープ放送されるようになったもの。テープ放送は、市営バス移行直前に音声合成放送装置への転換が行われた為、平成15年12
月頃(一部車両は平成16年3月)迄行われ、市営バスでは、実に30年以上もテープ放送がなされたことになる。
市営バスでは、このテープには、「案内放送」以外の目的もあった。昭和57年から稼動している「バス接近表示システム(バスロケーションシステ
ム)」にも機能を果たし、テープに信号音を入力することで、システム運用区間の「開始」と「終了」を、バス上部のアンテナから発信していた。
昭和60年頃迄は、「車内テープ」と、「車外テープ」の2種類が存在した。「車内」テープは、「次は、大通西1丁目、マルサ前…」といった車内
スピーカーでの「次停留所案内放送」を主として行い、「車外」テープは、「美園線 札幌駅前行です、札幌駅前行です…」といった入口に据え付け
られた車外スピーカーから、バスに乗り込む乗客への行先案内を行う為のものとして、セットで使用された。その後は、一本化され、テープ1本で「車
内」向けと「車外」向けの内容がカバーされ、より効率的な放送装置を目指すべく、音声合成化へと至った。
(協力:AGS様)
都心内100円バス(としんないひゃくえんばす)▲このページのトップへ戻る
北海道中央バスとじょうてつバス、ジェイ・アール北海道バスの都心区間が100円で利用できる(一部除外路線あり・現金支払のみ適用)制度。
札幌市都心交通対策実行委員会 都心部交通実験プロジェクト」が推進している事業である。
かつて、平成9年〜11年度、都心部への車の乗り入れを抑制するため運行した「都心循環バス」がこのプロジェクトの原点。市営バスが運行し、
藻岩営業所や琴似営業所などの車両が運用されたが、あまり実績は振るわなかった。
その後、平成12年・13年・14年6月迄の民営バスの協力のもと、実験運行を経て、平成14年7月から本格的に「100円」とし、現在に至る。
しかし、平成12年当初から「市営バス」路線は割引対象外で、実質市営バスとしては一切このプロジェクトに関わっていない。
平成16年時点で、札幌駅前・JR札幌駅〜サッポロファクトリー間で比較してみると、ジェイ・アール北海道バス「JR札幌駅〜サッポロファクト
リー」間は都心内100円バス区間で100円だが、旧市営バス(環88)で「札幌駅前〜サッポロファクトリー」間では200円となった。
だが、平成15年まで市営バス路線だった、ジェイ・アール北海道バスの(西31)(西53)「大通西4→北1西7」間・(西53)「JR札幌駅〜北1西7」
間が、民営事業者移行後に「100円区間」に変更されたという事例もある。
薬局で定期券(やっきょくでていきけん)▲このページのトップへ戻る
近くの商店や薬局で市営バスや電車の定期券を買えたという時期があった。
札幌市交通局は、昭和43年10月頃から「市営バス・電車定期券無料取次所」を市内5ヶ所に設け、午前中に定期券購入を申し込むと、午後には出来上
がった定期券が受け取れるというもので、利用者への利便を図っていた。
取次所は、その後は市内全域に広がることなく、特にこの後の地下鉄の開業により、定期券発売所が駅に設けられたことから、これ以上増えることは
なかったようである。(写真は、昭和45年の取次所に関する記載)
米里線−大麻12丁目発着便(よねさとせん−おおあさ12ちょうめはっちゃくびん)▲このページのトップへ戻る
昭和45年5月に運行開始し、昭和55年5月に休止となった、(白7:旧22番)米里線のうち、バスセンターと江別市の大麻12丁目を結んだ便のこと。
札幌市営バスの定期路線で最初で最後の「行政区域外」乗り入れ路線である。運行開始に至るまでに、既に江別の大麻団地へ乗り入れていた国鉄バス
(現:ジェイ・アール北海道バス)との競合で、札幌陸運局(当時)から路線申請に対する認可がなかなかおりず、紆余曲折を経たのちに誕生した路線で
あった。
しかし、当時、札幌へ通勤する人々のベッドタウンとして飛躍していた大麻団地の人口増に、既存バス路線だけでは対応しきれなかったことから、
国鉄バスが国道12号線経由がメインだったのに対し、運行当初より「米里経由」だった市営バスは「早く(札幌)都心へ到着できる」ことからも、好評
であり、当初は朝に「バスセンター」行の急行2便も設定されるほどだった(下表参照)。
だが、この好評ぶりも長く続かず、運行休止前の最後のダイヤとなった「昭和54年11月改正ダイヤ」では、計8便までに減少。昭和55年5月より
運休した。
・昭和45年5月1日運行開始時の時刻表
(22)米里線(大麻12丁目発着便) |
||
行先/ 時刻 |
バスセンター |
大麻12丁目 |
6時 | 53 | 58 |
7時 | 15 急行40 | |
8時 | 25 | 急行0 |
9時 | 55 | 16 |
10時 | 55 | 45 |
11時 | 55 | 45 |
12時 | 57 | 45 |
13時 | 50 | 47 |
14時 | 41 | |
15時 | 50 | 31 |
16時 | 21 | 40 |
17時 | 急行45 | 18 |
18時 | 22 | 36 |
19時 | 44 | 19 |
20時 | 30 | 34 |
21時 | 55 | |
赤色時刻は、日祝日運休。 |
−参考リンク−
・時刻表調査室 (昭和45年5月/11月・昭和54年11月時刻表データ)
・「各駅停車の資材倉庫」へ(昭和48年11月10日改正 市営バス時刻表を展示中!!)
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