さっぽろ市営バス情報館トップページ>札幌市営バス路線データファイル>(北73)新琴似2条線 |
(環100)都心環状線 | 旧番号:(100)都心循環線 |
昭和52(1977)年5月廃止 |
(環100)都心環状線 | ||
昭和50年5月時点 | ||
札幌駅前…五番舘、ミドリヤ | 北4西1(北3西3) | 北2西1(北1西3) | バスセンター…札幌市役所、市民会館、さっぽろテレビ塔 | 丸井今井札幌本店、三越デパート、池内 南1西1…狸小路、金市舘、長崎屋札幌店 | 南4西2…アオキボウル | すすきの駅前…松坂屋デパート | 南4西6 | 南4西8 | 南4西10 | 中央区役所前…中央区民センター | 南1西11 | 北1条裁判所前…札幌高裁、札幌地裁、厚生年金会館 | 北3西11 | 北5西11…市民生協本部生協 | 中央郵便局前 | 札幌駅前…五番舘、ミドリヤ |
この路線は、札幌都心を平日、土曜日に限って、ぐるりと循環するもので、全区間均一料金で運行する形式の路線でした。
使用されていた車両は、ベージュにライトグリーンのしましまの模様の中型バスで、バス停留所も一般の市営バス停留所と
異なるタイプの独自なものが用いられました。
この路線が走り始めたのは、昭和50年4月のこと。起終点である札幌駅前では、まだ雪のちらつく中での試乗会や、交通局
職員の手によって「都心循環バス運行開始を知らせるチラシ」を道ゆく市民に配ったり、小さな子どもには風船を配るなど、
PRに余念がありませんでした。当時のHBCテレビや、新聞紙上でもこの話題が大きく取り上げられたものでした。
それでは、なぜ、ここまで力を入れていたのでしょうか。当時、札幌駅前通や北5条通などを通る市電は地下鉄建設の為に、
姿を消し、市営バスによる代替輸送が行われていましたが、モータリゼーション化の進行により、市営交通の利用者は減少
するばかりで、より利用実態にあった公共交通体系が求められ、その体系も大きく見直しを迫られるようになりました。
また、昭和40年代に急速に住宅団地が郊外に整備されたため、バス路線体系も郊外へぐんぐんと広がり、他都市同様にドー
ナツ化現象が急速進行していきました。この影響で、かえって都心に近い地域に住む人がちょっとバスに乗ろうものなら、
郊外から都心めがけてやってくる満員バスを利用せざるを得ない状況となりました。そのため、ちょっとしたショッピング
やビジネスにおいて、都心間で移動することも容易ではなかったことも、この路線が生まれた背景にあります。
しかし、この路線も地下鉄東西線の開業により利用者が激減して、ほとんどの便が空気輸送となった結果、都心環状線に次
いで開設された(環200)中央環状線よりも一足早く、昭和52年5月のダイヤ改正に伴い、路線廃止に至りました。
その後、都心内へのマイカーの乗り入れや、中心部の賑わいを取り戻すため、札幌市に都心交通対策実行委員会が設けら
れ、都心部交通実験プロジェクトの一環として、平成9年には「都心循環バス」が実験運行され、その時にはかつての
「都心循環線」をなぞるようにその路線が設けられ、再び市営バスが都心の停留所をこまめに停まる光景が見られました。
★関連情報
(100)都心循環線パンフレット 画像(提供:各駅停車様)
都心循環線用停留所標柱 (喫茶 市バス停)市営バス用品庫
★参考リンク
各駅停車様の「各駅倉庫」所蔵の
該当路線時刻表画像ページへジャンプします。
昭和50年5月改正
昭和50年8月改正 【平日】 【日・祝日】
昭和50年12月20日改正
昭和51年6月10日改正
昭和51年12月改正
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