#DOWN

決意 ―背神者たちの〈追走〉― (6)

 彼の両手が、扉の表面に触れた途端――
『やっときたか』
 男の声が、どこかから響いた。
 それぞれが、反射的に武器に手をやる。ステラも目を覚まし、即座に周囲を見回した。どこにも、声の主らしい姿はない。
『来るべくして来た、運命に導かれし五人……いや、四人、のようだな。変わった者たちだ』
「誰だ!」
 周囲の気配を探りながら、クレオは叫ぶ。
 落ち着いた、少し年季を感じさせる男の声は、塔の内部から響いているようにも思えた。だが、それはあくまで感覚のみの印象で、音声は伴っていない。頭の中に、直接ことばを伝えているかのようだ。
『わたしは読唇者。ここで奇妙なことが行われるようなので、潜入した。しかし、ここはどうやら、きみたちが最上階に辿り着かなければ、展開しないらしい』
 読唇者、と聞いて、ステラ以外の顔色が変わる。
 有名なハッカーにして、ワールド殿堂入り十人のうちの一人。普通の冒険者はとてもかなわないような相手だ。
 一瞬怯みかけて、クレオは気力を奮い立たせ、剣の柄を握る手に力を込める。
 それをどこかから見て、読唇者が伝えたのは、控えめな笑い声だった。
『きみたちの邪魔をする気はない。おそらく、システムの異状の原因となった者たちは、なかのほうだろうからな。ただ、ダンジョン攻略は早く頼むよ。異状が悪化すれば、わたしがこうして潜むことも難しくなるかも知れんからな』
「ご注文通り、攻略できるといいのですけどね」
 のんびりした口調で注文をつける相手に、シータが苦笑交じりにつぶやく。
 どうやら、それを最後に、読唇者との交信は切れたらしい。なかに魔物の気配も感じられなかったので、クレオが改めて、扉を押し開く。
 一見、以前目にしたままのと同じ光景が広がった。部屋の奥の左右に階段があり、上に続いている。壁には、左右にそれぞれ海と山を表わす絵がかけられていた。床には、茶色く汚れ、半ば色あせた絨毯が敷かれている。
 壊れた、それでも上で数十本のローソクの火が揺れているシャンデリアを吊った高い天井を見上げ、ルチルが油断なくナイフを手にしたまま、うなずいた。
「魔物もいないし、罠もなさそう。一階は、今まで通りだね」
「気をつけるのは、二階からか」
 全員が部屋の中心に集まると、ルチルが適当に、右の階段を選んで顔を向ける。
 リル一人でステラの車椅子を持ち上げ、長い階段を登るのは大変なので、クレオとシータが左右から車椅子に手をかける。
 そうして、視線が下に向いた瞬間、彼らは車椅子の影が揺れ動いているのに気づいた。
 車椅子の周囲にいる三人が、同時に天井を見上げ――
「逃げろ!」
 男性陣がステラの車椅子を持ち上げ、リルとともにシャンデリアの下から脱出する。
 階段の一段目に足をかけていたルチルが驚いて振り返るそこに、大量のガラスが砕け散る騒々しい音を響かせ、シャンデリアが落下した。
「大丈夫?」
 飛び散る破片を身を引いて避けながら、階段をさらに登って、シーフマスターは全員の無事を確認する。
 周囲に逃げた四人の姿の中央に、半分以上が粉々に砕け、ほとんど原形を留めていないシャンデリアが横たわっていた。ローソクの火はほとんど消えているが、火が残っていたいくつかから、絨毯に引火していた。
「アクアブレス」
 放っておいてもそのうち消えそうな程度の火だったが、念を入れ、リルがステッキを振ってシャンデリアを示した。すると、冷たいシャワーが噴射され、燃えていた火のすべてを吹き消す。
 ほっと溜め息を洩らし、その場を離れようとした彼女は、シャンデリアの破片の中に、赤いものが見えるのに気づいた。
 しゃがみこんで、ステッキで破片をよけ、赤い何かの全体を露出させる。
「どうしました?」
 首をかしげるシータの前に、彼女は、小さな赤い箱を持ち上げる。宝石箱のような、シンプルな装飾が施された箱は、蓋に鍵穴が空いていた。
「たっ宝箱!」
 階段の手すりにもたれて様子を見ていたルチルが、一気に駆け寄る。初対面の美しい少女を見たときの、クレオの反応に劣らぬ速度で。
 思わずリルが差し出した箱を、シーフマスターは目を輝かせて、横から上下、裏表までじっくりと眺め回す。
「ル、ルチルちゃん?」
 どうやら、今の彼女には、クレオの声も聞こえないらしい。
 おもむろに盗賊七つ道具の一つ、針金を取り出すと、それで箱の鍵穴をいじり始める。鍵開けは、盗賊系クラスの主な技能の一つだ。
 ルチルが針金を動かし始めて、ほんの数秒後。
 ガチャリ。
 何かが外れる音をたてて、あっけなく、蓋が開く。少し引き気味で成り行きを見守っていた他の四人も、何が入っているのか興味津々でのぞき込む。

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