#DOWN

異変 ―闇に堕ちる〈星〉―(2)

「どうだ、見つかったかい? 憧れの人は」
 憧れの人。
 その単語を聞くと、少女の眉が少しだけ、ピクリと持ち上がる。
 情報屋ジルも長い間追いかけている、リルの憧れの人物。あらゆるワールドに精通し、殿堂入りした十人の内の一人。その中でも最年少の人物が、クレアトール、と名のる少年だった。
 その正体は、ルシフェルなどと同様にハッカーとして有名な者のご他聞に洩れず、政府が組織した特殊治安部隊の仮想現実のスペシャリストだと噂されていた。
「何か、わかったの?」
 さして期待は見せず、リルは視線を向ける。
 コップを回して氷の音を鳴らしながら、男は小さく笑みを浮かべた。
「大したことじゃないけどな……最近、あちこちが騒がしい。どうやら、お前さんの目標の人物も、動き出すみたいだぜ」
「そう……」
「仇討ち、か。お前も、意外に執念深いな」
 仇討ち。そのことばに、少女は目を伏せる。
「そんなんじゃない。あなたには関係ないことよ」
「つれないね。ずいぶんご執心のようだから、こんな情報でもデートの一回分の価値はあるかもしれないと思ってたんだけどな」
 何かを期待するようなにやついた笑みを浮かべて〈銀の妖精〉を見るジルに、少女は、冷めた目を向ける。
「護身術の実践相手にならなってもいいわよ」
「よ、よしてくれよ……オレは貧弱なんだぜ」
 焦ったように言って、男はコップの中の液体を一気に飲み干す。
「おい、オヤジ、つけといてくれよ」
「コラッ、いくらたまってると思ってるんだ?」
 奥からマスターが怒鳴るが、ジルは聞いていない。耳に届いているのに聞こえないふりをして、逃げるように店を出て行く。
 しばらくして、盆に料理を載せたマスターが厨房を出てきた。
「まったく、しょうがないヤツだ。情報屋としての腕は確かなんだが」
「あの様子だと、他に目新しい情報はなさそうね」
 リルはフォークを取り、グラタンを食べ始める。完食できた者は数少ない、激辛のグラタンだ。これが彼女の一番の好物だと、一目で見抜ける者はいない。
 彼女はそれを、黙々と食べ終えた。表面からして真っ赤な、見るからに辛そうなグラタンがどんどん少女の小さな唇の奥に消えていくのを、マスターは、何かおぞましいものを見るような目で見守った。
「味は落ちてなかったか?」
 少女が食器を返すと、彼は恐る恐る問う。
「おいしかった」
 無愛想な、その一言で、マスターは満面の笑みを浮かべる。
「まだ、わたしの腕も落ちていない……もとい、記憶も薄れていないようだね」
 盆にすっかり空になった食器を載せ、彼は厨房に戻る。
 その背中を眺めながら、リルは宙に視線を漂わせていた。だが、目が何も映していない間も、その耳が周囲の会話を捉えている。
「知ってるか? またルシフェルがクラッカーをコテンパンにしたらしいぜ」
「政府が作っといたサイバーフォースの特殊部隊だって話もあるけどな。セルサスは知らないと言ってる……しらばっくれてんのかどうだか」
「ま、おかげでワールドが破綻しなくて済んでんだ、ありがたいことだよ」
 となりのテーブルの男たちが話しながら、ビールのジョッキを傾けた。
 会話がひと段落したとき、また新しい客が入ってきたらしく、バタン、と少々乱暴な調子の音が聞こえてくる。
 ぼうっと宙を眺めていたリルは、それにつられて、後ろを向いた。
 どういうわけか、木製のドアの前に、人垣ができている。
 立ち上がってざわめいている客たちの中心にいるのは、黒目黒髪の少年だった。年の頃は、一七、八程度。リルよりいくつか上といったところか。
 リルが彼のほうを振り向くなり、目が合う。すると彼女は、急に視界のなかで少年の顔がズームアップされたような気がした。手首を握られる感触で、それが気のせいではなく、実際に少年が目の前に迫って来たことに気づく。
 少年は、まだあどけなさの残る顔に真剣な表情を浮かべ、じっとリルの目を見つめると、意を決したように口を開いた。
「お嬢さん……結婚してください!」
 キメの顔で、勢いよく告白する。
 突然のことに、リルは不思議そうに首をかしげた。それでも、その表情に動揺は少ないが、少年の後ろの客たちは、しばらく口をぽかんと開けている。
 やがて、少年に怒声が浴びせられた。
「お前、何しに来た!」
「銀の妖精に気安く何言ってんだ!」
「オレたちのアイドルにふざけたこと言うな!」
 酔っ払いの投げた空の紙コップが、少年の後頭部に当たった。それでも、少年は微動だにしない。
 リルは、他の客から妙なことばを聞いた気がしながら、それを自分の中で、なかったことにした。

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