巡り合いの夜



 長い髪を二つの束ねた女の子が、嬉しそうに父親らしい男性に駆け寄った。女の子の右手には、よくある、お菓子の詰め合わせが入った赤い長靴が掲げられている。
 街は今、クリスマスシーズン真っ盛りだ。延々クリスマスソングが流れ、公園には飾り付けられたツリー、サンタやトナカイのイルミネーションが、夜の街を照らしていた。店もクリスマスに乗じて売り上げを伸ばそうと、サンタの格好をした店員が呼び込みをしたり、子どもたちにふうせんを渡したりしている。
 あのふうせん、昔は嬉しかったな、と、思い出す。クリスマスにもらった、数少ない物だから。
「それで結衣、明日はどうするつもりなの?」
 友人の大塚真理子が、カプチーノ入りのカップを片手にきいて来る。
 オープンカフェ〈ホワイトスター〉の客も、ほとんどが家族連れか、カップルだった。あたしたちのような、女同士の姿は少ない。
「いつもなら仕事だけど、今年は珍しく、休みが取れたの。だから、たまにはクリスマスらしいムードを味わうつもり」
 今まで、クリスマスらしいクリスマスを過ごしたことはなかった。ここ数年は仕事が忙しかったというのもあるけど、それだけじゃない。子どもの頃も、クリスマスケーキやプレゼントとも無縁だった。――あたしは、孤児だから。
 クリスマスを一緒に祝う家族、プレゼントをくれる親もいない。赤ん坊のとき、道端で名前も知らない誰かに拾われ、施設に預けられた。ただ、赤川結衣という、服に書かれていた名前だけが、親からの贈りもの。
「マリコは、どうするつもり?」
 家族も、今のところ彼氏もいないあたしにとって、一緒に過ごせる相手は数少ない友だちだけだ。
 しかし、半分予想していたことだけど――真理子は申し訳なさそうに首を振る。
「ゴメン、明日は2人だけで展望台のレストランで夜景を見ようって、前から約束してて……
「ああ、いいの、邪魔する気はないから」
 やっぱり、クリスマス・イヴは彼氏と過ごすんだ。ちょっとだけうらやましい。
 まあ、今まで一緒に遊べるような人を作らなかったあたしが悪いんだし、仕方がないか。
「彼氏と、楽しんできてね」
 明日は何とか、一人でもクリスマスムードを楽しめるよう考えよう……そう思いながら、マリコと別れた。

 アパートの部屋に戻った頃には、11時を過ぎていた。
 テレビをつけ、丁度やっていたニュースを見ると、明日は記録的な寒波が押し寄せ、滅多に雪など降らないこの辺りでもホワイトクリスマスになりそうだという。雪が降るというだけでも、少しはクリスマスムードが味わえるかもしれない。
 妙に楽しい気分で、100円ショップで買ってきた小さなクリスマスツリーに飾りをつける。いつも、クリスマスの時期に施設の周りの家の子が、浮き浮きした様子で歩いていた。そのときの彼らが、こういう気分だったのだろう。
 バッグを机に置いて、そろそろ着替えて寝ようとしたとき、机の横の小さな本棚に、アルバムが見えた。
 何気なく、赤い表紙のそれを手にとって見る。あたしの写っている写真は少ない。この一冊の、半分を少し過ぎているくらいまでしか埋まっていない。
 最初のページをめくってみた。まだ、赤ん坊のあたしが写っている。
 一体、両親は、家族は、どういう人たちだったのだろう。あたしを捨てた人たちは。
 親がいればもっと楽だったろうとか、もう少しいいものが食べられたかもとか思ったことはあるものの、恨み、と言えるほどの感情は無かった。とにかく生きるのに必死で、恨んでいる余裕も無かった。
 今はただ、家族がどんな人なのかという、好奇心だけがある。でも、どうにしろ、どうしようもないことだ。
 無駄な考えを断ち切って、あたしはアルバムを閉じた。

 クリスマス・イヴの日。
 昼は珍しく外食して、クリスマスソングの響く街を歩き回る。
 結局、あたしが思いついた「クリスマスムードを味わう方法」なんていうのは、クリスマスを盛り上げる演出がされた街を歩くぐらいのものだった。でも、これもそんなに悪くない。クリスマスに弾んだ気分を表わす人々の顔を見るだけで、こっちも少しは明るい気持ちになる。
 昔は、他人の笑顔がただうらやましいだけのときもあった。今、素直に他人の喜びを分かち合えるようになった、そのことが嬉しい。
 買い物は荷物が増えるので後回しにして、あたしは、とにかく脇にイルミネーションの並ぶ道を歩き続けた。いつの間にか商店街を外れ、クリスマスソングも遠のくが、氷のキャンドルが綺麗で、それが並んだ先に足を進める。
 ――気がつけば、あたしは、病院の前にいた。キャンドルは、病院の関係者か入院患者が作ったものだったらしい。
 クリスマスなんて関係なく、病と闘う人、働く人もいる。現実に引き戻されたような気分で、白い建物を見る。
 しかし、今はクリスマスムードを楽しむために街に出てきたんだ。
 引き返しかけたあたしの耳に、病院からの放送が聞こえてきた。
『こちらは、総合病院です。現在、ABのRH-型の血液が足りません。該当する方は総合病院に来ていただけるようお願いします』
 放送は、町内全域にされているらしい。でも、珍しい血液型なので、そうそういないだろう。
 どうするべきか、あたしは迷った。あたしは、『該当する方』に当てはまるからだ。でも、今日はほとんど初めての、クリスマスらしいクリスマスにするはずなのに。
 まあ、夜まで時間をくうわけじゃない。クリスマスに人助けをするのも悪くないか。
 少し考えて結論を出すと、あたしは駐車場を横切って病院に入り、受付に申し出た。

 血液が足りなくなったのは、事故で運ばれた五〇代くらいの女性だった。その夫らしい男性と、息子らしい二〇代の男性が、付き添いできていた。
 輸血が終わると、二人の男性は深々と頭を下げる。
「本当に、ありがとうございました。お時間があれば、あとでお礼がしたいのですが……
 あたしは少し迷う。でも、クリスマスムードを味わうのは、一人だけでなければならない、ということはない。
「今夜は時間がありますので、少しなら」
「よかった。きちんと礼をしなければ、うちのも気がすまないでしょう。礼、と言っても、食事をするくらいですが」
 看護師が、廊下のあたしたちのところにやってくる。どうやら、処置が終わったらしい。
 あたしも二人のあとについて、部屋に入った。出血は多かったらしいが、左腕を吊るした女性は顔色もよく、思ったより元気そうだ。
「あなたが、血を分けてくれたんですね。本当に助かったわ」
「いいえ。たまたま近くにいたものですから」
「珍しい血液型だものね。ところで、お名前を伺ってよろしいかしら? 是非、お礼をしたいの」
 問われて、あたしは、素直に名のる。
「あたしは、赤川結衣といいます」
 そう言った瞬間、三人の顔色が一変した。
 まるで、時が止まったように、目を見開いてこちらを見る。どう反応していいかわからず、あたしも黙ったまま、次の一言を待つだけだ。
 何か、まずいことでも言ったのだろうか。
 内心少し心配になってきたとき、年配のほうの男性が口を開く。
「失礼なことをおききしますが……あなたのご両親はご健在ですか?」
 まさか、という予感があった。
 頭の片隅で、そんなはずはない、でももしかして、と自問自答を繰り返しながら、ほとんど無意識のうちに答える。
「あたしは孤児で……近くの坂の家の人に拾われて……
 いつもならこんなこと、会ったばかりの人には言わない。
 ベッドに座って目を丸くしていた女性が、何度も口を開いては閉じ、ようやく声を絞り出した。
「23年前……車から、粗大ゴミの段ボール箱の中にまぎれ込んだ赤ん坊を、知らずに路上に置いて……その赤ん坊の服に、赤川結衣って名前を書いてあって……
 何かの冗談かと思った。
 でも、彼女の涙は、二人の男性の表情は、演技には見えない。今日はエイプリルフールじゃない。クリスマスだ。
 これは……現実?
「何度か捜したけど、見つからなかった。今まで、見つけられなくてごめんね」
 遠のいていた現実感が戻ってくる。
 信じられない気持ちで、室内を見回す。そこに確かに、あたしの母親らしい人と、父親らしい人と、弟らしい人の姿が並んでいる。
 あたしは、街に出て、誰彼かまわず「ありがとう」を言いたいような気分になった。
 クリスマスムードも、もうどうでもいい。しかし、いつもよりはずっと、クリスマスらしいクリスマスにを過ごすことになるだろう――家族と一緒に。


  FIN.