例えどれほど気乗りをしない事柄であっても、付き合い上仕方なく参加せざるを得ないという事もある。
宮本武士にとって、今回の“集い”はまさにそういったものだった。
事の起こりは――そう、朝練前に部室のロッカールームで着替えている時に、親友にしてキャプテンでもある吉岡が漏らした一言からだった。
『……聞いてくれよ。昨日スゲぇ動画拾ったんだ』
にんまりと、女子の前では決して見せない類のスケベ顔で、吉岡はひそひそとそんな事を耳打ちしてきたのだ。
『今日の帰り、ウチに寄れよ。見せてやるから』
どこか誇らしげに言う親友の誘いを、武士は渋々ながらも受けた。本音を言えば、その“スゲェ動画”とやらに関する興味はゼロだった。
(……どうせどこかのサイトで拾ってきた、エロ動画だろ)
吉岡とは間違いなく親友ではあるのだが、その“趣味”に関しては些か隔たりがあることを武士は認めざるを得なかった。ハッキリ言ってしまえば、吉岡は自他共に認める助平であり、どちらかといえばそういった方向には淡泊な武士としては、時折ついていけないものを感じるのだ。
吉岡の方も、互いの趣味にそういった違いがある事は解っている様だった。にもかかわらずこうして誘いを持ちかけてくるのは、偏に『宮本武士はもっと助平になるべきだ』というなんともはた迷惑な生き甲斐を感じてしまっているからに他ならない。
(……今更、知らない女の裸なんか見ても……な)
一昔前であれば、或いは単純な興味本位で見てみたいと思う事もあったかもしれない。しかし今は――ただ一人の女性の裸以外に武士は興味を感じなかった。
吉岡の誘いを受けたのは、どうやら武士だけではないらしかった。チームのメンバーの中では吉岡に勝るとも劣らない助平の小野と、同じくメンバーではあるが補欠の宍戸の二人を加えた四人が、馴染みのラーメン屋で夕食を食べた後、吉岡の部屋へと集まった。
「待ってろよ、ほんとスゲぇから」
にやけ顔を押さえきれないといった具合で、吉岡がパソコンを起動させる。“スゲェ動画”に比較的心を動かされているらしい二人とは対照的に、武士は一歩引いてベッドに腰掛け、その様子を後方から眺めていた。肝心要のディスプレイ画面が宍戸の背中によって完全に隠れてしまっていたのだが、別にどうという事はない。武士の頭の中は、既に家から帰った後にかけるであろう円香へのラブコールの内容を吟味する作業で忙しかったからだ。
「おいおい……マジかよ」
「モザイクズレまくりじゃねえか」
どうやら、“スゲェ動画”とやらの再生が始まったらしい。食い入るようにして覗き込んでいた二人が感嘆の声を上げる。
「おい、武士も見てみろよ。すっげぇぜ」
なにやら興奮した様子の小野に促されて、武士は渋々立ち上がるとディスプレイ画面の方へと目をやった。全画面で再生されているそれには案の定男女の絡みのシーンが映し出されていた。
『ちょっと、撮るなんて聞いてないわよ!』
スピーカーから、酷く真に迫ったような女性の声が聞こえた。素のままの声ではない、何か機械を通して少し暈かしたような声だった。撮影は固定カメラではなく、ハンディカムのようなものでされているらしく、画面は絶えず揺れ続けていた。
恐らく市販のAV等ではなく、何処かの誰かが自画撮りをしたものなのだろう。画面を見る限り、女性の他に少なくとも二人の男が参加しているらしかった。女性の悲痛めいた声に被さるように終始男達の下卑た笑い声が木霊していて、武士は一見しただけでひどく不快感を憶えた。
(……こんな物の一体何が凄いんだよ)
別に、純愛AVならば良い――というわけではないのだが、だからといって陵辱風AVが好きかと言われれば首を縦に振ることはできない。
『やだ……止めて、顔は撮らないで……』
抵抗をしていた女が諦めたような声で呟いた。しかし、顔だけは撮らせまいとするように両腕で隠すように交差する。だが、女を組み敷いている男がその腕を掴み、無理矢理にカメラの前に顔を晒した。
「…………っ……」
一瞬、ざわりと。何かが胸の内側に沸くのを感じた。晒された顔にはモザイク処理が施されており――無論、押し倒されている女にはその事は解らないのだろうが――それを見たからといって何処の誰だと解るわけではない。
だが、しかし……この胸のザワつきは何なのだろうか。
『やっ……ちょ、止めっ……んんんンッッ!!』
女を組み敷いている男が被さるようにして、強引に唇を奪いにかかる。女の方は必死に首を捻り、それから逃げようとするが、しかし男の腕によって頭を固定されてしまい、無理矢理唇を奪われる。男の汚らしい舌がナメクジのように光沢を残してはい回るのが、モザイク越しでも見て取れた。
「なぁ……ヨッシィ、この制服……」
「だろ? 間違いねぇよ」
ぼそぼそと、武士以外の三人が囁き頷き合う。三人が一体何の事を言っているのか、武士にも十分に理解できた。
動画に出てくる女が着ている制服――それは紛れもない、姉の由梨子のそれと同じデザインなのだ。ただ、学年の違いを示すリボンの色だけが違う。
(まさか……)
武士はいつしか、食い入るようにして動画を凝視していた。画面では男二人分の手で強引に制服が脱がされ、下着までもが露わになりつつあった。
『手……離してよ、自分で脱ぐから……』
女が怒りを含んだ声で言い、男の方がやや怯んだ様にして手を離す。渋々といった具合に女が脱衣を始めるが、肩口まで完全に覆い隠している男の顔のモザイクとは違い、女の体にかけられているモザイクはひどく小さなものだった。
至極、身動きするたびにちらちらと秘部や目元、口元が見えてしまう。これは、態とではないか――武士にはそのように思えた。
「なぁ、ヨッシィ……これどこで手にいれたんだ?」
鼻息を荒くしながら呟いたのは小野だった。宍戸も小野に比べれば平生を保っているが、その視線はやはり画面に釘付けだった。
「何処、って言われても困るけどな。少し前にどっかの個人サイトで有料配布されて騒がれた物らしいんだが、そのサイト自体がすぐに消えちまっててさ。んでちょっとネットの深いトコ色々見て回ってたら、偶然拾ったってワケ」
「マジかよ……いいなぁ、俺もパソコン買おうかなぁ」
「言うのが少し遅ぇよ。もう少し前なら、古くなったノートをタダでやったのに。なぁ、宍戸?」
「あ、あぁ……そうだな」
「それに、パソコンがあっても、ある程度詳しくなきゃこんなの見つからねぇよ。素人が手ぇ出した所でワケわかんねーサイトたらい回しにされた挙げ句、ウイルス入りの糞動画掴まされるのがオチだぜ?」
「バカ、その辺はお前が俺にしっかりレクチャーするんだろうが」
肩を小突きあうようにして喋る三人を尻目に、武士は動画に見入っていた。画面一杯に男の汚い尻が映り、ぜえぜえという息づかいと共に尻肉がぷるぷると揺れていた。
『ううぅ……ヤベェ……出る!』
バーカ、早ぇよ――そう突っ込んだのは、恐らくカメラを持っている男だろう。途端、女が激しく抵抗を始める。
『ちょっ……ヤダ、待ってよ、本当に中に――やっ……イヤァァァァッ!!!』
男は暴れる女の体を抱きしめるようにして密着すると、ぶるりと体を震わせた。ふぅぅ……そんななんとも満足げな吐息を吐いて、男は程なく身を起こした。
『おい、本当に中に出したのかよ』
聞いたのは、カメラを持つ男の方だった。画面に映っている男はモザイク越しに下卑た笑みを浮かべると、全てを諦めたように脱力している女の両膝を後ろから抱えるようにして、カメラの前に差し出した。
『おほーっ、すげぇ、すげぇ! ドロッて出てきたぜ』
『次、お前が犯るんだろ? カメラ寄こ――』
そこで、唐突に音声が途切れた。否、正確には動画そのものの再生が止められた。
「えっ……なんだ……」
突然の事に、吉岡が慌ててキーボードを操作する。が、すぐに根本の原因はそんな事ではないと気がついたらしかった。
「た、武士! お前、いきなり何すんだよ!」
「うるせぇな。胸糞悪ぃもん見せんなよ」
武士は乱暴に引き抜いたPCのコンセントを床に投げつけると、そのまま思いきり部屋のゴミ箱を蹴り飛ばした。
「気分悪ぃから帰る」
「お、おい! 武士、待てよ!」
小野の止める声も聞かず、武士は一人、吉岡邸を後にした。
「……何だよ、アイツ」
「ほっとけよ。……そういや、武士って結構潔癖なトコあっかんな……こういうのは向いて無かったか」
ため息混じりに吉岡はコンセントを差し直し、PCを再起動させる。
「つっても、いきなりコンセントぶっこ抜くのは勘弁して欲しいぜ。……イカレてなきゃいいが」
慎重な面持ちで画面を見守る三人の前で、いくつかのエラーメッセージを出しながらもどうにかPCは通常通りに起動し、吉岡は安堵の息をつく。
「……にしても、アイツのキレ方、ちょっと異常だった気がするけどな」
腑に落ちない、という顔をするのは小野だった。
「案外、動画に出てたのはアイツの姉ちゃんだったりしてな」
「いや、それはねぇよ。あいつの姉ちゃんってまだ一年だろ? でも動画の女は三年だ。リボンの色で解る」
「でも、ただ胸くそ悪い動画ってだけで、あそこまでキレるか? ぶっちゃけ、俺武士があそこまでキレたの初めて見たぜ?」
「うーん……まぁ、アイツは俺たちと違って彼女持ちらしいからな。今更エロ動画なんか見た所でどうでもいいって事なのかも――」
「なぁ、吉岡」
一人、沈黙を守り続けていた宍戸が、不意に吉岡の肩を叩いた。
「さっきの動画って、アレ一個しかねぇの?」
「ん、あぁ……いや、他にもいくつか拾ったな。女はいつも同じっぽいけど、出てる野郎はバラバラっぽかったな。中には下の毛剃ったりするやつもあったぜ」
「マジかよ! おい、ちょっとそれ見せろよ!」
「待て待て、あわてんなよ。見せてやるのはかまわねーけど、解ってんな?」
「ラーメンでもなんでも奢ってやっから、さっさと見せろって」
盛りのついた雄犬のように鼻息を荒くするチームメイトに苦笑して、吉岡は動画ファイルを開く。
『やだっ、ちょっ……何する気なのよ……止めなさいよ!』
途端、耳を劈くような女の悲鳴。画面には、暴れている女のスカートから下がアップになる形で映し出されていた。
『おいっ、そっちちゃんと押さえてろ』
『センパイ、あんま手ぇかけさせんなよ』
ゲラゲラとなんとも下品な笑い声が木霊する。画質が悪いせいでハッキリとはしないが女と男達が居るのは浴室らしい場所だった。
『はーい、それじゃあマドカちゃん、脱ぎ脱ぎちまちょうね〜』
男の一人がふざけた口調でそう良いながら、女の下着を下ろしていく。無論、女はそれなりに抵抗をするが、他にも押さえつけている男が居て、下着はすぐに下ろされてしまった。
動画を見ながら、吉岡は思った。先にこちらを見せなくて良かった、と。何故なら、いくつかある動画の中でも、恐らくこの動画が尤も“胸くそ悪い”であろうから。
(……武士にこんなもん見せたら、画面に蹴り入れられてたかもしれねーな)
何故なら、吉岡自身でさえ、この動画だけはどうにも受け付けられず、殆どまともにみてもいないのだ。尤も、端で見ている二人はそうではないらしく、目を血走らせて凝視していた。
画面では、スカートがまくしあげられ、女の下半身が男達の手で大股開きにされていた。
『いや……お願い……それだけはやめて……』
半ば涙声でそう言う女に、男達はゲラゲラと下品な笑い声を返すのみだ。やがてアップにされている女の秘部にたっぷりと剃毛クリームが塗られていく。
きひひ……と笑ったのは、カミソリを手にした男だろうか。じょり、じょりとひどくもったいぶった手つきで陰毛が剃られていく。
「う、お……すっげ……」
小野が鼻息荒く呟く。宍戸も、固唾を呑んで凝視していた。
程なく剃毛シーンが終わり、剃っていた男がクンニを始めると、小野は「もういい」とあっさり動画の終了を促してきた。
「すっげぇなぁ……俺もやってみてぇ……彼女が出来たらぜってーやってやる」
「…………一発でフラれるぞ、お前」
苦笑する吉岡の肩を、再度宍戸が叩いた。
「……なぁ、吉岡。これCDかDVDに焼けね?」
「焼けるけど……でも、持って帰りたいんなら、フラッシュメモリ貸すぜ?」
「いや、CDかDVDがいい。俺、メモリとかUSBとかよくわかんねぇから……」
「そっか。解った……んじゃちょっと待ってろよ」
「良いなぁ……俺、マジでパソコン欲しくなってきたわ」
「三年後でよけりゃ、このPCやるぜ?」
「卒業後かよ!」
一人大げさなモーションでツッコミをする小野に対し、吉岡と宍戸は沈黙をもって返した。
「……で、焼くのはこの動画だけでいいのか?」
「いや、出来れば……」
「全部だな、解った」
友人のいわんとする所を察し、吉岡は動画の総容量を調べ、ドライブに空のDVDをセットする。
「宍戸、一応言っとくけど……あくまでお前個人で楽しむだけにしろよ? あんま人に見せたりすっと、面倒な事になっかもしれねーからな」
「解ってる」
「家族とかにもみつかんなよ?」
「……妹も弟もパソコンなんか使える年じゃねえよ」
言われて、吉岡は思い出した。そうなのだ、宍戸の家は――。
「……悪ぃ。とりあえず、急いだ方が良いな」
「助かる」
程なく、焼き終わったDVDを受け取って宍戸が帰り、しばらく談笑した後小野も帰った。
部屋で一人になるなり、吉岡はふと先ほどまで見ていた動画を再生させた。動画自体を見たい――と思ったわけではなかった。ただ、少し気になった事があったからだ。
バーで再生ポイントを調節し、目当ての瞬間を見つけるのはそう難しい事ではなかった。そして、吉岡はハッキリと聞いた。
『はーい、それじゃあマドカちゃん、脱ぎ脱ぎちまちょうね〜』
何度かその部分だけを繰り返して聞いて、今度は他の動画を開いた。そしてそれらしい部分の音声を聞くも、男或いは女の個人名が入ってると思われる場所ではピーという、放送禁止用語などで使われるような音で上書きされていた。
つまり、この部分だけ消し忘れたという事なのだろう。モザイクのかけ方から動画の編集の仕方まで、どれをとっても杜撰極まりない事を考えれば、十分に考えられる事だった
(……待てよ、確か――)
前に、武士が不意に漏らした彼女の名前――それが確か、“マドカ”ではなかったか。
無論、宮本武士は自分に彼女が出来た事を自慢したりするような性格ではない。武士が彼女持ちであるという事すら、本人からの報告ではなく、回りが勝手に推測しているに過ぎないのだ。しかし、武士の立ち振る舞いを見れば、女が出来たというのは明らかだった。事実、女連れの武士を街で見た――という報告も部員の中でチラホラ上がっていた。
何より決定的だったのは、休みの日に武士に遊びの誘いをかけた時だの事だ。今日はマドカさんと会うから――武士は間違いなくそう言った。言った武士自身、しまったと受話器の向こうで口を押さえたのが吉岡にも解った。
なるほど、“彼女”の名はマドカというのか――その時はニヤリ、とほくそ笑んだりしたものだが、すぐに記憶の彼方へと消えた。
しかし――。
(……まさか、な)
脇の下に、嫌な汗が滲んだ。ひょっとしたら、自分は取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。何より、“そう”だと考えれば、全てに納得がいくのだ。武士のあの怒りようも、当然であると。
「……っ……」
吉岡は“マドカ”が出ているであろう動画ファイルを全てゴミ箱へと移動し、さらにゴミ箱の中身自体を空にした。厳密に言えば、そこまでやった状態でもファイル自体の復旧は不可能ではない事は吉岡自身よく知っていたが、無論復旧させる気など無かった。
深く傷ついたであろう親友に対し、吉岡が出来る事は謝罪ではなく、全てにおいて気がつかないフリをする事だけだった。
「たとえば……そう、これは例えばの話なんだけど」
円香はカラカラと、コップに半分ほど残っているアイスティーをストローでかき回し、物憂げに切り出した。
「例えば……武士くんの親友にさ、好きな人が出来たとするじゃない」
「うん」
「でも、その相手が見るからにロクでもなさそうな女の子……ああ、容姿がっていう意味じゃないのよ? なんていうか、男をダメにしそうな類の女の子だって解った場合……武士くんなら親友の恋を応援する? それとも邪魔する?」
「……難しい質問だね」
苦笑を一つ残して、武士は飲みかけのアップルティーに口をつける。
「俺だったら、応援するかどうかは……その親友次第かな」
「どういう事?」
「つまりさ、親友がその女の子のダメな部分を承知で惚れているのか、それとも騙されているだけなのか。前者なら応援するし、後者なら一応諭してみるって事」
「じゃあさ、仮に前者だとして……惚れているのは見え見えなんだけど、それを隠してる時。そして相手の女の子もそのことに気がついていない時……武士くんはどこまで介入する?」
「……うーん…………それはちょっと、実際そうなってみないと解らないよ」
そっかぁ――そんな呟きを漏らして、円香がストローに口を付ける。
休日の昼下がり。二人して映画などを見て、その感想がてらに喫茶店で小休止をとっていたのだが、それも徐々に話題が尽きてきた感が否めなかった。
「……武士くん、今日は随分大人しいね」
「そうかな」
「うん……だって、全然喋らないじゃない。さっきから私ばっかり喋ってる」
言われてみればそうかもしれない――武士は今日のデートでかわした会話を思い出した。その殆どが円香から話をふられ、自分はただそれに答えるだけというものだった。
「どうしたの? 何かあったの?」
「いや……別に……」
「私には言えないような悩みなの?」
「そういうんじゃないよ。もうすぐ期末テストだからさ……ちょっと憂鬱なだけ」
「あっ……そっか……そういえば、そろそろ期末の時期だもんね」
納得がいった、とばかりに円香が頷く。どうやら、“本当に憂鬱な理由”は悟られずに済んだらしいと、武士は密かに安堵した。
(……円香さんに、言えるわけない)
円香がかつて経験したであろう悪夢。その一部始終を記録したものが密かに出回っている事など、言えるわけがないのだ。
「じゃあさ、部活とかもテスト休みになるんじゃない?」
「そう……だね」
「そうなったらさ、私……武士くんの家庭教師やってあげようか?」
「えっ……円香さんが?」
「私、こう見えても結構勉強出来る方だったんだよ? 中学の勉強くらいならいくらでも教えてあげる」
「あっ……うん、それは……俺も嬉しいよ……円香さんが、家庭教師やってくれるんなら……勉強も、頑張れると思う」
嬉しい、それは事実だ。しかし、なんとも辿々しい答えになってしまうのは――偏に姉と円香との軋轢を懸念してしまうからだ。
家庭教師というからには、円香が家に来るという形になるに違いない。至極、姉と顔を合わせる機会も出てくる筈だ。
その時、一体何が起きるのか――武士には予想が出来ない。出来ないが、決して良い結果にはならないだろうと思えるのだ。
「……なんか、あんまり嬉しそうじゃないみたい」
じぃ……と、疑いの眼差しを向けられて武士は咄嗟に愛想笑いを浮かべた。
「そんな事ないよ。……たださ、円香さんと密室に二人きりで……勉強に集中できるかな、って思って」
「確かに……武士くんの部屋で二人きりとかになっちゃったら……絶対エッチなこと始めちゃうかもね」
「そうならない様、図書館とかで……とかなら俺も大歓迎だよ」
円香に話を合わせながら、武士は必死に平生を装った。そう、早く忘れるしかないのだ。それ以外に、何ら解決策などないのだから。
喫茶店を出た後は、何をするでもなくぶらぶらと歩きながら話をした。やはり、積極的に話し掛けてくるのは円香の方だったが、武士も出来るだけ意識して話題を振るように努めた。
その甲斐もあって、次第に“動画”の件は頭から薄れ、円香との会話に夢中になりつつあった。会話に夢中になる余り、気がつけば辺りは見慣れない町並みに変わってしまっていた。
(……あれ?)
今度は逆に円香の方の口数が減りつつあった。会話の間に不自然な間が空き、その度に妙にに慌てた円香が話題を逸らす――そんな事が三度ほど続いて漸く、武士もその理由に気がついた。
(やべ……ここって……)
見慣れないのも道理。今、自分達が居るのは地元の者なら誰もが知っている有名なラブホ地帯だった。
「ご、ごめん……円香さん。俺、そういうつもりじゃなくて――」
本当にただ歩いていたら迷い込んでしまっただけだと、円香に弁明せねばならないと思った。
しかし。
「……私は、いいよ」
ぎゅっ……と、円香が強く手を握ってくる。
「……入る?」
「でも……」
「大丈夫……お金なら、私がもってるから」
それに、と。円香が小声で言葉を付け足す。
「最近、あんまり逢えなかったから……私も凄く……したいの」
静かに身を寄せられ、俄に武士は逡巡した。好きな相手からこのように誘いをかけられ、悪い気がする筈もない――が、しかし二の足を踏んでしまうのは、間違いなく先日親友の家で見た動画の後遺症だった。
とはいえ、恥を忍んでモーションをかけているであろう円香の誘いを蹴ることなど出来るわけもない――そんな時だった。
「………宮本?」
意を決してホテルの入り口へと足を踏み出しかけた武士の背に、不意にそんな声が届いた。
慌てて振り返り、どきりと心臓が跳ねた。
「宍戸……」
自転車に跨り、呆気にとられたような顔をしているのは間違いない。先日共に吉岡の家に呼ばれた宍戸だった。武士は咄嗟に、円香を隠すようにその前に立つ。
「誰……その人、彼女?」
「……ん……まぁ、そんな感じ」
「そっか……だから部活休んだんだ」
別段、責めるような口調ではなかった。しかし、武士は胸に微かな痛みを憶えた。
「お前は……部活行かなかったのか?」
「……今、バイトの帰り。ここ抜けると近道なんだ」
「そうか……大変だな」
「まぁな。……んじゃ、次のバイトに遅れっから。邪魔して悪かったな」
宍戸はばつが悪そうに笑って、立ちこぎでその場を後にする。その後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、武士はふうと安堵の息をついた。
「円香さん……やっぱり、今日はやめない? なんていうか……その、うまく言えないけど……」
「うん……そうだね」
水を差された――と、恐らく円香は思っている事だろう。しかし武士としては、逆に助かったような心持ちだった。
(今……円香さんとシても……絶対、集中できない……)
動画の中の円香の悲痛な叫び声や、男達の下卑た笑い声までもが不意に蘇ってきて、武士は思わず舌打ちをしてしまいそうになる。
気にしてもしょうがない。忘れなければと何度思っても、フラッシュバックのように脳裏に蘇ってくるのだ。
「ねえ、武士くん。さっきの男の子ってサッカー部の友達?」
「うん……友達っていうか、知り合い……っていう方が正しいけど」
クラスも違えば、まともに会話をした記憶も殆ど無い。名字は知っていても下の名前は記憶にない――そんな程度の仲だった。
「あいつ、あんまり部活に来ないからさ。どういう奴かは良くしらないんだ」
「ふぅん……練習が嫌いなのかな?」
「いや……」
それは違う、と武士は否定せねばならなかった。
「部活は……サッカーは好きらしい。小学校の頃とかは巧い奴って事でそれなりに有名だったらしいんだ。だけど……なんか、親父さんの工場が倒産したとかでバイト始めてから、時間がとれなくなったらしい」
「そうなんだ……苦労してるんだね」
「うん……朝刊夕刊の配達やってるってのは知ってたけど、休みの日はまた違うバイトもやってるみたいだ」
朝刊配達が終わってから朝練に参加し、夕刊の配達を終えてから学校に戻って部活――その生活がどれほど大変か、武士は想像すらしたことなかった。至極、まともに練習など出来る筈もなく、入学当初こそ抜きん出ていたその実力もいつしか他のチームメイト達に追い越されていく事となった。
(悪い奴じゃないっていうのは知ってる……だけど、俺は苦手だ)
実際、名裏方としてキャプテンの吉岡あたりの信頼は厚い様だった。朝夕のバイトをこなし、練習後の後かたづけなども自ら進んで買って出る宍戸は、他のチームメンバーからの受けも良かった。尤も、大半のチームメイトは補欠が補欠なりにチームの役に立とうとしているんだろうとか、元々人が良いんだろうとか気楽にとらえている様だったが、武士はそのように安直には考えられなかった。
不平や不満を一切漏らさないのは、確かに対外的には受けが良いかもしれない。しかし口に出さないからといって、本当にそれらがゼロであると考えるのは安易極まりないのではないか。口から出ない分、見えない部分に溜まり、日に日に凝縮されたそれらがいつか弾けるのではないか――宍戸を見ていると、そんな得体の知れない不安に武士はかられるのだ。
何より、練習の合間――そして試合の応援の際などに宍戸が時折見せるあの目が、武士は苦手だった。そう、まるでどろりとした闇でも孕んでいるかのような――
「武士くん?」
「ぁ……いや、日も落ちてきたし、どこか店でも入ろうか」
よほど浮かない顔をしていたのだろう。円香の言葉に武士は顔を背けるようにして歩き出した。
(……あんまり、応援とか来ない様に……円香さんに言っておいたほうが良いかもしれない)
恐らく大丈夫だろう、とは思う。動画に出ていた頃と今とでは髪型も違う。荒いとはいえ顔にも一応モザイクはかかっていたし、個人名を呼んでいると思われる箇所にはピーという音が被せてあったから、名前もバレてはいない筈だった。
ならば、例え似ていると思われても他人のそら似でごまかせない事もない。――しかし、念には念を入れて、例の動画を見た可能性がある部員には極力円香を近づけない方が良いだろう。
(問題は……円香さんになんて言うか……だよな)
いきなり練習を見に来ないでくれと言って、円香が納得するとは思えなかった。何かそれらしい理由を考える必要があった。
(……円香さんには、もう辛い目に遭ってほしくない)
きっと、辛い記憶に違いないのだ。それらを彷彿とさせてしまうような事柄は極力円香から遠ざけたかった。
「ねえ武士くん……本当にどうしたの?」
「えっ……」
「折角の……久しぶりのデートなのに、なんだか武士くん……全然楽しくないみたい……ずっと上の空だし」
「……そんなことないよ。俺も、円香さんと会えて凄く嬉しいよ」
間違いなく本心――であるはずなのに、ひどく嘘っぽい響きになってしまうのは何故なのだろう。そしてそれは、円香にも伝わってしまったらしかった。
「………………私、今日はもう帰るね」
「えっ……そんな、円香さ――」
「ばいばい、武士くん。またメールするね」
武士の制止を振り切るようにして、円香は一目散に駆けていく。その後ろ姿を追いかけることができなくて、武士は一人――唇を噛みしめた。
大人気がないということは重々承知していた。もし何か揉めるような事があったとしても、自分の方が年上なのだから譲歩してあげなくてはならない――いつもそう思っていた。
そう、頭では解っているのだ。
それなのに。
(私のバカ……ほんと、バカ)
駆け足に近い足取りで家へと向かいながら、円香は自己嫌悪に陥っていた。
(勝手に期待して、勝手に失望して……勝手に怒って……)
本当に久しぶりのデートだったのだ。勿論、円香は夜も眠れないくらいに楽しみにしていたし、当然武士の方もそうに違いないと思いこんでいた。
今日のために服も新調したし、美容院にだって行った。香水もアクセサリーも、下着にまで拘って“とっておき”で固めてきたというのに、結局武士はそのどれにも触れてはくれなかった。
今までならば、髪を切れば髪を切ったのかと聞いてくれた。香水を変えれば、香水変えたんだねと言ってくれた。
でも、今日は。
「………………っ……」
自宅まであと五百メートルと迫った辺りで、不意に円香は駆け足を緩めた。そして、無駄とは思いつつも振り返って――武士が追いかけてきてくれていないことを確認してしまった。
(……武士くん……女の子の気持ち、解ってないよ)
追いかけてきて欲しかった。そして抱きしめて欲しかった。『ごめん、円香さん』――優しく囁かれて、そして仲直りのキスをしたかった。
独りよがり――ただの我が儘だという事も解っている。それでも、そうされたいという欲求に、円香は抗えなかった。
(本当にバカだ……私……武士くんの事も考えないで、自分の事ばかり……)
武士の様子がおかしいのは朝から分かり切っていた。気になって尋ねてもみた。一応それらしい答えは返っては来たが、多分嘘ではないかと円香は思う。決して長い付き合いとは言えないが、円香なりに武士の癖のようなものは知っていた。それらと照らし合わせれば、間違いなく武士は自分に対して気を遣って嘘をついていると、そう思えるのだ。
それが、円香には堪らなく悲しかった。
(私にも言えないような悩みなの? 私は……武士くんの“彼女”じゃないの?)
重大な悩みであればある程、真っ先に相談して欲しいと円香は思っていた。それ故に、嘘をつかれたというのが悲しいのだ。
勿論、重大ではあるが“他人”には言えない類の悩みという可能性もある。しかし、それならば――せめてデートをしている間だけでも悩みを忘れて欲しい、純粋に楽しんで欲しいと、円香は思う。
(……ううん、違う……こんなの、八つ当たりと同じよ……)
武士とのデートが失敗してしまった原因を自分以外の“何か”に被せてしまいたくて、思考が迷走しているだけだ。
(武士くんに……謝らなきゃ……)
携帯を取り出し、アドレス帳から武士の番号を呼び出すが、そこからさきの手順を勧める勇気が足りなくて、円香は静かに携帯を仕舞った。
とぼとぼと歩いて、自宅の門の前に着いたときにはすっかり日が暮れてしまっていた。奇妙な違和感を憶えて、円香はしばし門扉に手をかけたまま立ちつくしてしまった。
違和感の正体は、すぐに分かった。武士とのデートの後で、武士に家の前まで送ってもらわなかったのはこれが始めての事だったのだ。
「…………?」
不意に、奇妙な視線を感じて、円香は背後を振り返った。しかし、どこにも人影らしいものは無い。何となく気味が悪いものを感じて、円香は足早に門扉を潜り、家の中へと駆け込んだ。
駆け込んだ後で、ひょっとして武士だったのではないかと思って、すぐに否定した。視線が気のせいにしろ、誰かに向けられたものにしろ、それは間違いなく武士ではない。それだけは間違いがなかった。
何故なら、その視線にはおよそ愛情などとはほど遠い――悪意とも呼ぶべきものを感じたからだ。
家の外で、コジローが絶えず吠えていたが、円香にはその対象が“何”であるのか、確認を取ることが出来なかった。
気まずい思いをしたまま、数日が過ぎた。相変わらず武士とはメールのやりとりはしているものの、声を聞くのが恐くて電話は掛けられない――そんなモヤモヤした毎日だった。
デートの帰りに感じた視線が気がかりで、ほとんど塞ぎ込むように家から出なかった。しかし次第に人恋しさが募り、とうとう堪えられなくなった円香は夕方、コジローを連れて散歩に出かけた。
数日ぶりの散歩であるというのに、コジローは別段喜ぶ素振りを見せなかった。それで円香には何となく察しがついてしまった。今出かけても、妙子にはきっと会えないのだろうと。
それでも僅かな可能性にかけていつもの通り、いつもの公園で妙子を待ったが、しかし結局出会う事は出来なかった。
(……そっか、私……妙子ちゃんの家も、携帯の番号も知らないんだ)
何度か会って話はしたが、互いのプライベートな部分は全く知らない間柄。それを望んだのは間違いなく自分自身だというのに、後悔が募った。
(日が落ちる前に……帰ろう)
武士の部活を見に行こうかとも思ったが、会わせる顔がなくて断念した。もう歩くのも面倒くさい、という顔でアクビをしているコジローを無理矢理引っ張るようにして、円香は家路を辿る。
自然と早足になったのは、また例の視線を感じたからだ。しかし、振り返る勇気はなかった。恐い目に遭う前に、一刻も早く自宅に駆け込もうと、円香は殆ど走るようにして自宅の門にたどり着いた。
その時だった。
「“マドカさん”」
それは、とても奇妙な声――に聞こえた。およそ、人の名前を呼ぶような発音ではない。まるで何かを確認するような、そんな声だった。
円香は、恐る恐る背後を見た。
「こんばんは。やっぱり、マドカさんっていうんだ」
「誰……?」
自転車に跨ったまま、無邪気な笑みを浮かべる少年を見るなり、円香はすぐさま記憶を探った。間違いなく見たことはある顔――だが、しかしすぐには思い出せなかった。
「部活の時とか、練習試合とかたまに見に来てたよね。てっきり誰かの姉ちゃんかと思ってたけど、宮本の彼女だったんだ」
「あっ……」
と、そこで円香は漸く思い出した。前回の武士とのデート、その帰り際に出会った男――確か名前は、宍戸といったか。
「宍戸……くん?」
「俺の名前も知ってるんだ。宮本から聞いたの?」
少年――宍戸は自転車から降りると、そのまま円香の居る門前へと歩いてくる。反射的に、円香は数歩後ずさり、塀に背中を擦りつけるようにして距離をとった。
「へぇ……随分大きな家だね。マドカさんの家って金持ちなんだ」
「別に……そんな事……」
「何怖がってるの? 別に俺は何もしないよ」
なんとも人の良さそうな笑顔を浮かべて、宥めるように言う――が、それが逆に円香には恐ろしかった。
そもそも、一体何故自分はこの少年に声をかけられたのだろうか。数日前に一度すれ違っただけの間柄だというのに、何故名前まで知られているのだろうか。
(武士くんは……そんなに親しい友達じゃないって言ってたのに……)
眼前に居るのが武士の親友というのならば、名前を知られていてもおかしくはない。武士が決して口が軽い方ではない事は円香も知っているし、軽はずみに自分の彼女を見せびらかすような真似が嫌いだという事も知っていた。
だからこそ、円香は恐いと感じてしまうのだ。武士とさして親しくもないこの少年が、自分の名を知っている事を。
「そうそう、マドカさんに渡さなきゃいけないものがあったんだ」
宍戸はさも今思いだした、といった仕草でポケットからCDケースのようなものを取り出す。
「いつ会えるか解らないから、ずっと持ち歩いてたんだ。……マドカさんの家って、パソコンある?」
「ある、けど……」
「良かった。無かったらどうしようって思ってた」
はにかみながら、宍戸はCDケースを差し出してくる。しかし、円香は受け取らない。受け取るのが、恐くてたまらなかった。
「……中身、見ておいたほうが良いと思うけどなぁ」
「……っ……何が、入ってるの……?」
「それは見てのお楽しみって事で。きっと気に入ると思うよ」
宍戸は円香の手を取ると強引にCDケースを握らせ、踵を返した。
「じゃあね、マドカさん」
そのまま自転車に跨り、軽く手を振って宍戸は走り去った。後に一人残されたマドカは、しばらくその場に立ちつくした。
一体、何だったというのか。このCDケースの中には一体何が入っているというのか――。
コジローを犬小屋の側に繋ぎ、魂が抜けたような足取りで円香は家の中へと入った。幸い――というべきか、家政婦は買い物にでも行っているらしく、留守の様だった。
念のため家政婦の靴を調べ、間違いなく外出しているのを確認してから、二階の自室ではなく、父親の書斎へと足を踏み入れた。家の中でパソコンがあるのは、父親の部屋だけだったからだ。
電源を入れ、パソコンが起動するまでの間、円香は思案した。一体、このCDケースの中身――どうやらCDではなく、DVDの様だが――は何だというのか。
きっと、愉快なものではない――そのように感じた。何故なら、先ほどあの少年から向けられた視線、笑顔ではあるが、ねっとりと体に絡みつくようなあの視線は、凡そ好意とはかけ離れたものだったからだ。
「……っ……」
本当なら、こんな気味の悪い物すぐに捨ててしまいたかった。しかし、どうしてもそれが出来ない。円香はCDケースを開け、ドライブへとDVDをセットし、その中身を見た。
中には、動画ファイルが五つほど入っていた。“M−01”から“M−05”までのファイルのうち、円香は03のファイルを選び、再生させた。
まず、黒い画面が十秒ほど続いた。そして、“それ”は唐突に始まった。
『んぷ……んっ……ンく……んむっ……』
いきなり画面一杯にモザイクの入った女の顔が映し出された。その口元には――これもモザイクがはいっているが――男性器がしっかりと咥えこまされていた。
「えっ……」
冷たい手で、心臓を鷲づかみにされたような気分だった。円香が言葉を失っている間にも動画の再生は進み、カメラが次第にズームアウトしていく。
『あーっ……すっげっ……先輩のフェラ、マジ気持ちいい…………』
女の髪に手を沿え、はしたなく腰を振る男――その声に、円香は覚えがあった。
『んっ、……ふっ……ちょっ……撮るの止めてって言ってるでしょ……』
『良いだろ別に。センパイも撮られてたほうが興奮すんだろ?』
『そんなわけ……』
『演出だよ、演出。後でちゃんと消すからいいだろ? 文句はいいからさっさとしゃぶれよ』
ぐい、と男が女の頬に男性器を塗りつけるようにしておしつけ、女が渋々といった感じでそれを口に入れる。
『んぷっ……んぷ……んんっ……んっ……』
奉仕をしているというよりは、男が女の頭を両手で押さえつけ、好き放題に腰を振っているだけという行為だった。そして、男達の顔にかけられたそれに比べて、女の顔――目元の辺りにだけかけられたあまりに小さなモザイクはわざとらしいくらいにずれて、かかっていないも同然の扱いだった。
『はぁはぁ……あーっ……マジいいわ、……口に出すからな……全部飲めよ』
男が、ぐいと女の頭を引き寄せ、ぶるりと身を震わせる。――刹那、喉を男性器で塞がれた時のあの息苦しさと、“味”が口腔内に蘇ってきて、円香は咄嗟に口元を押さえた。
「うぐっ……」
急いでトイレへと駆け込み、こみ上げてきたものを全て吐き出した。
「うげぇっ……げぇっ……」
胃がひっくり返る様な痙攣に堪えながら、円香は便座の縁ではぁはぁと呼吸を整える。目尻に涙が滲んでいるのは、決して吐き気の為だけではなかった。
重い足取りで父の書斎に戻ると、画面の中では女が――かつての自分が男達に組み敷かれ、犯されていた。複数人がかりで手足を押さえつけられ、避妊すらしてもらえない。屈辱にまみれた顔はアップにされ、下卑た笑い声によってひどく滑稽な有様になっていた。
「っ……!」
円香は動画の再生を止めるのも忘れて、直接ドライブの取り出しボタンを押してディスクを取り出し、壁に向かって思いきり投げつけた。跳ね返ったディスクはコロコロと部屋の中を転がり、円香の足下へと戻ってきた。円香はさらにそれを摘み上げると、書斎の机の上にあったハサミで記録媒体となっている裏側をズタズタに切り刻んだ。
「うぐっ……ぇぐっ……ううぅっ……!」
手の甲に、大粒の涙がおちた。自分でも気がつかないうちに泣き出してしまっていた。
何故。どうしてこんなものが存在するのか。そして、それをあの少年が――宍戸が持っていたのか。
解らない事だらけだった。ただ一つ、確実な事は――あの少年は円香の忌まわしい過去を知っているということだ。
円香はズタズタに傷つけたディスクをさらにバラバラにたたき割り、ゴミ箱に捨てた。そんな事をした所で、宍戸が自分のパソコンに保存でもしていたら全く意味がない事なのだが、そうせずにはいられなかった。
勝手に使ったという事がバレぬ様、父親のパソコンの電源を落としたとき、円香は“それ”に気がついた。ディスクが収められていたケース、その表紙部分の裏側に携帯の番号らしき羅列が書かれていたのだ。
電話しろ――という事なのだと、すぐに解った。円香は躊躇い、迷った挙げ句、スカートのポケットから携帯電話を取り出した。
無視する事など出来なかった。何故なら、円香には相手が切ってきたカードに対抗できるようなものは何もないのだから。
震える手で掻かれている番号を打ち込み、円香は恐る恐る耳に当てた。数回の呼び出し音の後に聞こえてきたのは、ひどく無邪気な声だった。
『もしもし、動画見てくれた?』
円香に出来る事は、沈黙を持って肯定することのみだった。
翌日の夕方、円香は一人、河川敷を歩いていた。いつものようにコジローを連れての散歩ではない。正真正銘一人での散歩。そしてその向かう先は――。
(……ここだ)
河川敷沿いにある、廃工場――そういくつもはない。行けば必ず解ると言われた通り、それはすぐに見つかった。
辺りは、既に暗い。微かな街灯の明かりを頼りに、円香は×字の形に打ち付けられている古びた板を潜るようにして敷地内へと入る。工場の事務所らしき場所を探し、その中へと足を踏み入れた。全て、昨日電話で指示された事だった。この時間に、一人でここに来い――と。
「……っ……!?」
不意に、フラッシュでも炊かれたように視界が真っ白になる。誰かが部屋の明かりをつけたのだとすぐに解った。
「こんばんは、マドカさん」
雑然とした事務室――本来の配置とは思えない、バラバラに置かれた事務机の一つに腰掛け、宍戸は奇妙な笑みを浮かべていた。円香は返事はせず、ただ沈黙を持って返した。
「こんな所に呼び出しちゃって悪いね。辺りに人気が無くて邪魔が入らない場所って、ここくらいしか思いつかなかったんだ」
親父の工場だったんだ――と、宍戸は顔色一つ変えずに続ける。
「ま、御覧の通り潰れちまってるけどね。どういうわけか電気は来てるんだ。誰も電気代なんか払っちゃいないのにね」
「……用件は何?」
御託は良い、とばかりに円香は睨み付ける。
「私に用があるから……呼んだんでしょ」
「用……ね。用があるのはむしろそっちじゃないの?」
「……っ……」
「気になってるんじゃない? アレを何処で手にいれたのか」
「……どこで、てにいれたの」
消え入りそうな声で、円香は尋ねた。あの動画の入手経路など、本当は知りたくもない。しかし、聞かずにはいられなかった。
「ネットだよ」
「インターネット……?」
「そ。今はさ、ちょっと調べればああいったエロい動画とかって結構簡単に手に入ったりするんだよ。で、そういうのが落ちてるサイトでアレも拾った」
「じゃあ――」
「安心していいよ。マドカさんの身元つきで配布されてたワケじゃないから。あの動画にマドカさんが出てるって知ってるのは、多分俺だけ」
小さな……それは本当に小さな安堵だった。想定していた最悪のケースだけは避けられた――しかし、決して最良でもない。そんな、ささやかな安心感だった。
「ねえ、俺からも一つ聞きたいんだけど」
「……何?」
「宮本は知ってんの? マドカさんがああいうのに出てるってコト」
「っっ……あれは、あいつらが、勝手に……!」
「質問に答えてよ」
ひどく明るい――しかし、有無を言わさぬ口調。円香はぎゅうと、スカートを握りしめる。
「……知ってはいるわ。……でも――」
「動画そのものを見たことはない……って所かな」
円香は、頷く。そもそも、あのような忌まわしいものが存在している事自体、初耳だったのだ。
「ふぅん……じゃあさ、宮本にあの動画見られたら……マドカさん困るよね?」
「どういう意味?」
「…………鈍い人だなぁ」
宍戸はやれやれといった仕草で、右手を差し出す。
「財布出してよ」
「財布……?」
「持ってるでしょ、財布くらい」
口止め料だよ――苛立ったような口調で言われ、円香はびくりと体を震わせた。
「口止め……って」
「宮本にバレたら困るんだろ。いいから早く出せよ」
それまで被っていた好青年の仮面を脱ぎ捨てたような、露骨な変貌だった。荒々しい声で、それに負けないくらい乱暴な言葉遣いで、宍戸は円香に詰め寄ってくる。
その剣幕に押されるようにして、円香は恐る恐るスカートのポケットから財布を取り出した。すかさず、それが宍戸の手によって奪われる。
「やだっ、ちょっ――」
「へぇ……さすが金持ち。結構入ってんだ」
宍戸は円香の財布の中身を見るなり露骨に口元を歪ませ、全ての札を抜いて財布を円香の足下に投げ返した。
「三万六千円か……とりあえずこんだけ貰っとくよ。……次からは五万な」
「なっ……五万……って……そんな大金……」
「平気だろ、それくらい。アンタんち金持ちなんだから」
「別に……金持ちってワケじゃ――」
「……何、それ。嫌味? あんなデカイ家住んでて金持ちじゃないとかありえねーんだけど」
過分に妬みを含んだ物言いに、円香は唇を噛みしめた。昔から、この手の嫌味には辟易していた。
「嫌なら別に良いよ、持ってこなくても。そん時はマドカさんにあげた物と同じものを宮本にもプレゼントすっけど」
「……っっ…………」
それは、今の円香にとって何よりも耐え難い事だった。
確かに、口では――告白をした。過去に複数の男達に陵辱された――と。しかし、話に聞くのと実際にその様を見るのとでは大違いだ。
(イヤッ……あんなの、絶対武士くんに見られたくない……!)
動画に映し出されていた過去の自分の惨状を思い出して、円香は顔から血の気が引いた。例えどれほど宮本武士が寛容な精神の持ち主であっても、人である限り限度というものが在るはずだ。そして円香の目には、あの動画は純真な武士の心を粉々に打ち砕くだけの破壊力を十二分に秘めているように思えるのだ。
「警察とかに行っても同じだかんな。マスターデータは俺しか解らない所に隠してあるし、仮にそれが見つかっても、またネットから手に入れれば済む話だし。知ってる? マドカさんの動画って、ネット上じゃすげー大人気なんだぜ?」
「いや……止めて……聞きたくない!」
円香は両手で耳を塞ぐようにして後ずさる。
「いい加減解った? 自分の立場」
「…………お金なら、持ってくる、から……だから、お願い……武士くんにだけは……」
「あぁ、約束はちゃんと守ってやるよ」
宍戸のサディスティックな笑みから逃げるように円香は視線を逸らし、事務所の出口へと向かう。
「待てよ」
その足が、あまりにも絶対的な響きを含んだその声によって止められた。
「何、勝手に帰ろうとしてんの?」
「えっ……だって……」
「口止め料は五万。あと一万四千円たりねーんだけど?」
「そんな……それは、次からじゃ……」
「財布にこれだけしか入ってねーなら、現金はこれだけで良いって意味だよ」
「現金は……って……」
つまり、代わりのものを差し出せという事だ。そしてそれは――円香にもすぐに察しがついた。
宍戸が、下卑た笑みを浮かべる。そう、かつて円香を陵辱した五人と、同じ類の笑みだ。
「服、脱げよ」
「い、嫌ッ……止めて……お願い、お金なら、すぐに持ってくるから……」
「いいから、早く脱げよ!」
紳士ぶった態度から一転、宍戸は円香の手を掴むと強引に引き寄せ、上着を脱がせにかかってくる。円香は半狂乱になって抵抗し、思いきり宍戸の体を突き飛ばした。
「ッ……痛ってぇな……俺に逆らったらどうなるか解ってんの?」
「だから……お金なら、ちゃんと持ってくるって……言ってるじゃない……」
「あんな奴らに好き勝手ヤラせてた癖に、今更清純ぶんじゃねーよ」
「違うっ! 違うの……私はもう、昔とは……違うの……だから、お願い……」
円香は肩を抱くようにして、目尻に涙を浮かべながら懇願する。しかし円香のそんな必死の訴えさえ、宍戸は薄ら笑みを崩さない。
「へぇ……宮本と付き合ってるから、もう男遊びは止めたって、そういうコト?」
「……っ何とでも、言って……とにかく、もう……嫌なの……そういう事をするつもりなら、私は……警察に行くわ」
それは、今の円香に切れる最高のカードだった。どうやら宍戸は金が欲しいらしい、ならば、警察へ等行かれるのは百害あって一利なしの筈。
円香は、そう読んだ。
「じゃあ、行けよ」
しかし、宍戸は全くと言っていい程に動じなかった。
「こちとら、クソみてぇな毎日にウンザリしてんだ。破滅する覚悟なんてとっくに出来てる。勿論、その時はマドカさん、あんたにも道連れになってもらうけどな」
「そん、な……何を、言って――」
「信じらんねーかも知れないけど、俺……アンタのこと好きだったんだよね。一目惚れってヤツ?」
「嘘……そんなデタラメ――」
「本当だよ。ハッキリ言って、マドカさんってモロ俺の好みなんだよね。だから、あんな動画に出てたときはショックだったし、宮本の彼女だって知った時もショックだった」
「だったら……私の事、好きなら……こんな事……」
「マドカさんが宮本を振って俺と付き合ってくれるってんなら、さっきの話全部無かった事にしてもいいよ」
そんな話、たとえこの場逃れの嘘だとしても承諾するわけにはいかなかった。
「いいじゃん。アンタは警察に俺の事を言って、俺は例の動画をアンタのご近所さんや知り合いや親戚全員にバラ蒔いて捕まる。お互い破滅で、なんかちょっとした心中っぽいし。俺は構わないぜ?」
「……っ……」
「まあそうなったら当然宮本もとばっちり食らうだろうな。サッカー部の連中には宮本の彼女ってのがどんな女なのか、俺があの動画配りながら在ること無いこと吹き込んでやる。部に居られないようにしてやる」
「止めて! 武士くんは関係ないでしょ!」
「止めて欲しいなら、大人しく脱げよ」
円香は迷った。果たして宍戸の言っていることは“本気”なのかどうか。
(嘘とは……思えない……)
この少年は実際に円香を呼び出し、脅迫をかけているのだ。勿論、強気な態度はすべてハッタリで、本当は警察に行かれる事を懸念している可能性もある。その可能性は決してゼロではない。ゼロではない筈なのだが――円香にはどうしてもそうは思えないのだ。
眼前に居るのが、ただの年下の少年ではなく、そういう形をした怪物か何かのように思えた。この少年は、自分が体験したこともない、深い闇を知っていると――そのように感じた。
「…………っ……一つだけ、約束……して……」
「何をだよ」
「こういうのは……もう、これっきりにして。今日、この一回だけだって……約束して」
「……ああ、いいぜ。じゃあ、こっちに来いよ」
宍戸に腕を引かれるようにして、円香は工場の作業場を経由して休憩室のような場所へと連れてこられた。
「ちょっと埃っぽいけど、事務所や作業場よりマシだろ。畳もあるし」
八畳ほどの和室。壁には縦長い木製のテーブルが立てかけられており、色あせたスケジュール表らしきものがぺたぺたと張られていた。
「上がって、早く服を脱げよ。全部だぜ」
促されるままに円香は靴を脱いで畳の上に上がると、静かに脱衣を始めた。上着とセーターを脱ぎ、震える指でワンピースのボタンを外していく。
「…………っっ……」
ワンピースを脱ぎ終え、下着と靴下だけになるや、円香は肩を抱くようにしてその場にしゃがみ込んだ。とても昔のようには――男達に陵辱されるがままだった頃のようには――脱げなかった。
「お願い……やっぱり、こんなコト、止め――」
「嫌なら別に無理にとは言わねーよ。ただ、宮本に迷惑がかかるだけだ」
「っっっ……」
どうやら、宍戸も気づいたらしかった。単純に円香本人を脅すよりも、武士に迷惑をかける形で脅した方が効果的だという事に。
円香は涙を堪えながら、ゆっくりとブラを外し、脱いだ服の上に落とした。
「へぇ……マドカさんって着やせするタイプなんだ」
円香は答えない。ただ、作業じみた手つきで、淡々とショーツから足を抜き、ブラの上に重ねた。
「……手、どけろよ」
言われるままに、円香は胸元と秘部に沿えていた手をどける。途端、どろりとした視線が全身に絡みつくのを感じた。
(嫌っ……)
嫌悪感に鳥肌が立った。好きでもない男に肌を晒すという行為が、前にも増して辛く感じてしまうのは、それだけ武士の事が好きになったからだろうか。
「っ……!」
突然、むんずと胸を掴まれ、円香は身を強張らせた。
「へぇ……あの動画見た限りじゃ、特別巨乳って風にも見えなかったけど……すっげぇな、コレ」
宍戸は円香の胸をすくい上げるように掴み、たぷたぷと上下に揺らす。
「……遊んでないで、はやく……済ませてよ」
「焦んなよ。アンタは男遊びなんて飽きてるかも知れねーけど、一応こっちは女とヤるのなんざ初めてなんだよ」
宍戸はしばらくそうして胸を弄んだ後、唐突に背中に腕を回してきた。抱きしめるようにして、円香の唇を奪おうしてくる。
「やっ……!」
途端、円香は暴れた。裸を見られる事よりも、胸を触られる事よりも、キスをされる事に何倍もの嫌悪感を感じた。
「暴れんなよ!」
「嫌っ……イヤぁっ……キスなんて、しなくても……できる、でしょ……やっ……やめっ……〜〜〜〜〜〜っ!!!」
揉み合うようにして、円香は畳の上に押し倒され、そのまま強引に唇を奪われた。必死に閉じた唇の上を、宍戸の舌が舐める様に這い、全身に怖気が走った。
「おい、口開けろよ」
舐められた頬や唇に、はぁはぁと荒い吐息がかかる。円香は口を真一文字に結び、意地でも開くまいと必死に顔を逸らす。
が。
「開けろっつってんだよ!」
忽ち、頬に鋭い痛みが走った。合わせて、怒鳴りつけるようなその声に、一瞬怯えが走り、口元を緩めてしまった。
「んんっ……んんっ………………ぅぅぅ……!」
舌を入れられ、唇をしゃぶるようにしてキスをされた。無理矢理相手の唾液を飲まされ、屈服させられるような、乱暴極まりないキスだった。
あぁ……私はこれから汚されるんだ――裸を見られた時よりも、そして胸を触られた時よりも、それがより強い実感となって円香を襲った。
そして、全てを諦めたように――円香は抵抗を止めた。
顔を嘗め回され、胸を揉みくちゃにされ、秘部を弄り回される間、円香はただひたすら武士に詫び続けていた。
(ごめんね、武士くん……)
誰のせいでもない。他ならぬ自分が悪いのだ。過去の自分が背負った負債――それが形を変えて手元に戻ってきただけだ。
「何だよ、全然濡れてこねえな……」
宍戸が不満を漏らすが、円香には知ったことではなかった。気持ちが冷めたままのセックスでそもそも体が反応するわけがない。
「まぁいいか。ずっとイジッてりゃそのうち濡れてくんだろ」
「っ……」
宍戸の指が、円香の中へと入ってくる。ぐにぐにと、執拗に出し入れを繰り返されるうちに、次第に湿り気を帯びてくるのが円香にも解った。
(そういう仕組みなんだから……しょうがないわ)
刺激を受ければ、膣内に傷が付かない様に体が反応する――それはただの生理反応であって、宍戸の愛撫によって快感を得たからではない。
円香はあくまで冷静にそのことを受け止めた。
「なぁ、マドカさん。もう宮本とはヤッたの?」
円香は答えない。答えないが――その沈黙の仕方から、宍戸は当たりをつけたらしかった。
「アイツの粗チンじゃあ、全然気持ちよくなんかならなかったろ?」
円香は沈黙を守ったままだ。宍戸は、ひとりで言葉を続ける。
「合宿とかじゃあみんな一緒に風呂に入るからな。部の連中は全員知ってんだぜ。まあ、口には出さねーけどな」
「……だから、何?」
うんざりした、という口調で、円香は宍戸を睨む。
「俺のは、アイツよりはデケェって事。……ヒィヒィ言わせてやんよ」
宍戸が、かちゃかちゃとベルトを外し始める。ズボンを下ろし、下着も下ろして被さってくる――刹那、円香は思い出したように宍戸の体をはね除けた。
「ッ……なんだよ、いきなり」
「待って……ちゃんと、ゴムくらいつけて」
「持ってるわけねーだろ、そんなモン」
なっ、と円香は言葉を失った。この男は、避妊具も持たずに性交に入ろうとしていたのか。
「別にかまわねーだろ。動画の中でも好き勝手中出しさせてたじゃん」
「っ……全然良くないわよ! 避妊しないなら、絶対嫌っ!」
「最後だけ外に出してやるよ。だからさっさと足開けよ」
「い、嫌っ……絶対嫌ぁッ!」
足首を掴み、強引に足を開かせようとする宍戸に対し、円香は必死で抵抗を続けた。
「なぁ、アンタ……そんな態度に出ていいワケ?」
ぎろりと、地獄のそこから覗き見るような目で睨まれ、円香はひっ……と息を飲んだ。「なんなら、もっとムチャクチャにしてやってもいいんだぜ? アンタの人生がこの先どうなるか、全部俺の気分次第ってトコ、ちゃんと解ってんの?」
円香はただ、足を閉じ肩を抱いて宍戸の視線から顔を背ける事しか出来なかった。反論をした所で、この男に絶対的な弱みを握られているという事には代わりがないのだ。極力従順なフリをして、怒りを買わないようにするしか、円香には事態の悪化を防ぐ術が思いつかなかった。
「……足、開けよ」
円香は動かない。しかし、宍戸が再度足の間に割入ろうとしてきたとき、抵抗はしなかった。
ぐいと足が開かれ、宍戸の体が被さってくる。ぐい、と。秘部に何かが当たったと思った次の瞬間には、それが強引に円香のナカへと侵入してきた。
「……うっ」
敏感な部分に異物が侵入してくる感触に、円香は唇を噛みしめて堪える。快感など、微塵も感じなかった。
ただ、純粋に不快だと思った。
「ふぅぅ……これが、マドカさんのマンコの感触かぁ……ユルユルかと思ったら、しっかり締まるじゃん…………悪くねぇ……」
宍戸が満足げに息を吐きながら、さらに体を密着させてくる。ぐっ……と剛直がさらに奥まで侵入してくる。咄嗟に、円香は腰を引くようにして宍戸の剛直から逃げた。
「……何、腰引いてんの?」
宍戸は意地の悪い笑みを浮かべて腰を突き出すようにして根本まで埋没させてくる。ぁっ……と、弾かれたように声が出てしまい、円香は慌てて口を噤んだ。
「どう、マドカさん。俺のチンポ……宮本のより太くて長くて気持ちいいだろ?」
「……っ……」
円香は返事を返さなかった。そもそも、比べる気も起きなかった。
「へぇ、そういう態度とるんだ」
宍戸が乱暴に腰を使い始める。無理矢理円香に声を出させてやろうという意図が見え見えの動きだった。
無論、円香は唇を堅く結んだまま、呻き声ひとつ上げない。宍戸が舌打ちをして、ぎゅうと指の合間から肉が盛り上がるほどに強く胸を揉むが、円香は歯を食いしばって堪えた。
「うわっ、なんか出た」
宍戸が急に驚いたように円香の胸から手を離す。その掌には乳白色の液体が付着していた。
「何だよこれ……母乳……か……?」
「……堕胎……したからよ」
「堕胎……へぇ、マドカさん、あいつらの子供孕んだんだ」
一体何が嬉しいのかと聞き返したいくらい、宍戸は愉快そうな笑みを浮かべる。
「まぁ、あんだけ好き勝手中出しさせてたら妊娠もするか」
「ッ……好きで、させてたわけじゃ……ないわ」
円香は吐き捨てるように言い、宍戸の“笑顔”が視界に入らない様、顔を背ける。
「なぁ、聞かせてくれよ。何ヶ月くらいで堕ろしたんだ? 腹は膨らんだ?」
円香の腹部をなで回しながら、耳に息を吹きかけるようにして宍戸が囁いてくる。
「あんな奴らの子供でも、やっぱり堕ろすときは躊躇ったりしたの?」
「…………っっ……うるさいっ、黙って!」
円香はとうとう堪えきれず叫んだ。宍戸の言葉が、円香が最も触れて欲しくない領域に土足で踏み込んでくる。これは紛れもない、心へのレイプだった。
「黙れって言われても、気になるじゃん。俺は男だから解らねーんだよね。好きでもない男の子供を孕むってのが、どんな気分なのか」
「っっっ…………」
確かに、男には――特に、宍戸の様な男には絶対に理解出来ないだろう。それは、女として生まれてから味わったものの中で、限りなく最悪に近い類の気分なのだから。
「まぁ、マドカさんの顔を見てれば、“スゲー最悪な気分”ってのはよく分かるけどさ。……でもま、しょうがねえよな。あんだけ派手に遊んだんだから、自業自得だろ」
宍戸は笑いながら、ぎゅうっ……と、絞るように円香の乳を捏ねる。盛り上がった先端から、びゅるっ、と乳白色の液体が溢れ、宍戸の手を濡らした。
「巨乳になるわけだよな。中に母乳が溜まってんだから」
ぐに、ぐにと絞るように捏ねながら、宍戸は先端に口をつける。
「……うっ……」
じゅるっ……と胸の中にあるものが吸い上げられる感覚に、円香は堪らず呻き声を上げた。
「……あんま、美味いもんじゃねえな」
美味いものじゃない――そう良いながら、宍戸はもう片方の乳房をぐにぃと掴むと、その先端に食いつき、じゅるりと吸い上げる。
「止めっ……て、そんな……吸わ、ないで……」
「なんで? 別に痛くもなんともないだろ」
宍戸は再び唇をつけ、母乳を吸い上げる。本来の用途からはあまりに逸脱した吸引力に、円香は反射的に背を浮かしてしまった。
(やっ……違うっ……“これ”は……武士くんじゃ……ないのに……)
きゅうと、太股を閉じるような仕草――それでどうやら、宍戸にも感づかれてしまったらしかった。
「……何、マドカさん……胸弱いの?」
違う――そう否定しなければならなかった。少なくとも、前はそのような事はなかった。しかし、体がもう――覚え込んでしまっているのだ。
宮本武士と幾度となくかわした交接――武士が特に好きなのが、こうして交わりながら母乳を吸う事なのだ。だから、円香も自然と武士にそうされるのが好きになってしまった。
だから。
「……うっ……ッ……!」
母乳を吸われながら腰を使われ、円香は漏れそうになる声を必死に噛み殺した。“これ”は快感などではない。自分は、武士以外の相手に何をされても、そのようなものは感じないのだと、円香は己の内側に沸きつつある熱いものを必死に押し殺す。
「……なんか、マンコの中がスゲーぬるぬるしてきたんだけど。マドカさん、これって本気汁って奴じゃないの?」
視界の外で、宍戸が下卑た笑みを浮かべているのが解った。円香は唇を噛みしめるようにして、宍戸から目を逸らし続ける。
「……っ……! っ……ンッ…………っ……!」
女とするのは初めて、というのは恐らく嘘ではないのだろう。なんともぎこちない腰使いだった。しかしそんな拙い動きですら、円香は畳に爪を立ててしまう。
「何感じてないフリなんかしてんの? 気持ちいいんだろ? 彼氏でもない男のチンポが」
ぺろり、と円香の頬を舐め、宍戸は再度胸を掴み、その先端を吸う。吸いながら、動いてくる。
「ッ……くっ……ふっ…………ぅっ…………ンっ……」
執拗に続けられる胸元と秘部への刺激に荒い息を、食いしばった歯と唇の隙間から辛うじて逃がす。息が弾んでしまっている事すら、悟られたくはなかった。
心を冷やさなければならない――そう、あれほど好きだった武士と初めて結ばれた時ですら乾いてしまった、あの頃の様に。
(武士くん……ごめん……折角、武士くんが……)
氷のように冷めていた円香の心の基部を解かし、きちんと男性の愛撫で感じられる様になれたというのに。それが、今回は仇となった。
(でも、だからって……こんな奴に犯されて………………っ……)
武士相手ならばいざしらず、こんな人間の屑相手にどうして体が反応してしまうのだろうか。宍戸が言う様に、生殖器の形や大きさのせい等とは絶対に思いたくなかった。
(そうよ……そんなの、関係ない……気持ちの方が……大事……)
そう思っているのに、事実体は反応してしまう。ままならない自分の体に、涙すらにじむ。円香は脂汗すら滲ませながら、腰が勝手にうねってしまいそうになるのを必死に堪え、さも人形かなにかのように振る舞い続ける。
が、しかしそれも次第に巧く行かなくなる。執拗に繰り返される胸元と秘部への刺激に堪えきれず、円香の腰は円香の意志とは関係なく、ウネウネと動き出してしまう。
「はぁっ……はぁっ…………ンッ…………はぁっ、はぁっ…………」
剛直が出入りするたびに、角張ったカリによってこれでもかと膣壁が擦られ、何度も声が漏れそうになる。
「っ……ぅ、ンっ……ふぅ……ふぅ……い、イヤッ……もう、…………っ……ンッ…………」
己の中で頭を擡げる“何か”。それは円香の意志に反して無尽蔵に膨れあがり、体を内側から浸食していく。その事に恐怖すら感じて、円香は堪らず制止をせがんだ。
「いやっ……イヤッ…………ぁ、くっ……ぅ……〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!!」
とうとう“それ”堪えきれず、円香は慌てて唇を噛みしめた。辛うじて声だけは押し殺したものの、まるで痙攣でもするかのように腹部は跳ね、全身が紅潮しどっと汗が噴き出した。
勿論、宍戸が気がつかない筈がなかった。
「……マドカさん、今……イッたろ?」
円香は答えない。答えないが、屈辱と自己嫌悪で、その目尻には涙が浮かんだ。
「声出さなきゃバレないとでも思ったの? 腰ヒクヒクさせながらマンコでぎゅぅ〜って締め付けてきて……そんなに良かった?」
「……うるさい……黙って……」
「自分で言ってみろよ。“私は彼氏以外のチンポでもイく淫乱女です”って」
「うるさい!」
円香は半ば涙声で叫んだ。体ばかりか心まで犯そうとする眼前の男が憎くて堪らなかった。
そして何より、そんな男に抱かれて感じてしまう自分の体が大嫌いだった。
「ほら、マドカさん自分で解る? マドカさんのマンコ、一回イッてさらに具合が良くなったよ」
「っ……くっ…………ぅ……!」
宍戸がにやついた顔で大きく腰を使い始める。その腰使いが徐々に早く、ストロークが短く。はあはあと湿った吐息が、円香の首元にかかる。
「あぁっ……ほんとたまんね……マドカさんのトロトロのマンコ気持ちよすぎだよ。それに――」
宍戸は両手で円香の頭を掴み、強引に正面を向かせる。
「そうやって、必死に感じてないフリしてるマドカさんの顔、マジそそるんだよね」
「……っっ……!」
唾を吐きかけてやりたい気分だった。僅かな矜持、最後の一線だけは譲るまいと堪え忍んでも、それすらこの悪魔は嘲笑うのだ。
「すっげ……マジ気持ちいいわ……やべっ……そろそろ限界……」
「っっ……早く、抜いて…………ちょっ……やだ……!」
腰を引くどころか、逆に押し込むような動きに円香が声を荒げた刹那。その膣奥で、びくんと剛直が跳ねた。
「あぁーっ……あーっ…………中出し最高ッ……」
びゅぐりっ、びゅぐりと溢れる液体の熱さとは裏腹に、円香はさっと全身から血の気が引くのを感じた。
「い、嫌っ……抜いて……早く抜いてよぉ! 約束したでしょ!?」
「うるせぇな。中出しくらいでガタガタ言うんじゃねえよ」
暴れる円香を力ずくで押さえつけ、宍戸は最後の一滴まで射精する。
「中出し……くらいでって……妊娠、するかもしれないのよ……?」
眼前の男が発した信じられない言葉に、円香の声は震えた。
「デキたらデキたで、宮本との避妊が失敗した事にでもすりゃいいだろ。アイツ真面目だから、アンタがそう言えば、ぜってー信じるぜ」
「っっ……貴方……自分が何を言ってるのか解ってるの?」
「今更何言ってんだよ。“マトモな奴”がそもそもこんな脅しなんかかけるわけねーだろ」
「……とにかく、早く、抜いて……もう、気が済んだでしょ……」
話にならないとはこの事だった。とにかく、眼前の悪魔から一刻も早く離れたくて、円香は宍戸の肩を押しやる――が。
「……はぁ? 何勝手に終わったつもりになってんの?」
「え……だって……ぅっ……」
「誰が一回で止めるっつった? マドカさん、中学生の精力ナメてない?」
ぐっ、と。堅いままの剛直が蠢き、円香は咄嗟に唇を噛んだ。
「まぁ、宮本が相手じゃあ勘違いしてもしょうがないか。アイツこういうの興味なさそうだもんな。セックスしても、一回出して終わりとか、そんなんばっかなんだろ?」
「い、嫌っ……止めて……本当に嫌なのっ……!」
悪夢は終わったと思った。とにかくこれで家に帰れると。しかしそれは、乱暴な口づけによって甘い幻想に過ぎなかったのだと思い知らされた。
「……心配すんなよ。俺だって鬼じゃねぇんだから。日付が変わる前には家に帰してやるよ」
円香が帰宅したとき、自宅には一切の明かりが灯っていなかった。父も母もまだ帰っておらず、留守番役の家政婦はもう帰宅した後らしかった。思い出したように時計を見ると、午後九時を回っていた。
暗い屋内に入るなり、円香は明かりを付けるのも忘れて真っ先に脱衣所へと駆け込んだ。乱雑に衣類を脱ぎ捨て、浴室に飛び込むなり思いきり蛇口を捻り、頭からシャワーを浴びた。
本来ならば、湯が出るまでのシャワーなど浴びられたものではなかった。しかし、それよりもなによりも、体中に残る不快な残滓を洗い流したかった。
初めは氷の様だった水が、徐々に適温へと変わっていく。円香は一端湯を止めると、スポンジにボディソープを含ませ、一心不乱に体を洗った。しかし、どれほど丁寧に洗っても、“汚れ”が取れる気はしなかった。
円香はスポンジを置き、体中の泡を洗い流した。だが、体中に残る不快な感触は残ったままだ。
「…………っ……」
円香は思い出したように、秘部の辺りを指で探った。掻き出すようにして指を見ると、指の先には白く濁ったものが付着していた。
“汚れ”の証とも言えるその感触に、吐き気すら憶えた。円香は浴室の床にかがみ込み、全身にシャワーを浴び続けた。
夢だ。
これは全部夢だ――悪夢だ。
目を瞑り、祈るようにして何度も念じ、そっと眼を開けるが勿論そこは自室のベッドの上などではない。ただ無慈悲に浴室のタイルが見えるだけだ。
(……ごめんね、武士くん……私、また……汚されちゃった……)
暖かいお湯を全身に浴びているというのに、震えが止まらなかった。嗚咽を漏らしながら、円香は心の中で武士に詫び続ける。
変われたと、そう思っていた。もう、悪い男達にばかり引っかかっていたバカな自分とは違うのだと。人並みに一人の男性に恋をして、その間の距離の伸び縮みに一喜一憂する――そんな幸せを手にいれた筈だった。
しかし、それらは全て一人の少年の手によって粉々に打ち砕かれた。
(いやっ……イヤッ……思い出したくなんて、無い……)
ほんの十数分前まで続いていた悪夢――肌を這う舌の感触まで蘇ってきて、円香は肩に爪を立てるようにして身を縮まらせる。
後悔が、いくつも募った。もっと抵抗をするべきだったのではないか。否、そもそも頑健に要求を突っぱねるべきだったのでは――。
その時その時では最良に思えた選択が、今となっては全て最悪の選択肢だったように思えてくる。
(じゃあ……どうすれば……良かったの……?)
誰にでもなく、他ならぬ己自身に円香は問いかける。言うことを聞かねば、動画をバラ蒔く。宮本武士をも巻き込んで破滅させてやる――そう公言するあの少年に対し、一体自分が何を出来たか。
仮に今、廃工場に呼び出されたあの瞬間に戻れたとしても、結果は変わらないのではないかと円香は思う。
(ダメ……武士くんには……絶対に迷惑はかけられない……)
仮に、被害を受けるのが円香だけであれば、素直に警察に行くという手段もあった。しかし、その被害が武士にまで及ぶとなれば話は別だ。
一度は死を決意し、歩道橋から飛び降りようともした円香が今こうして生きて、人並みの幸せを感じられるようになったのは全て宮本武士のお陰なのだ。即ち、佐々木円香にとっての宮本武士の存在は愛しい恋人であり、同時に生きる理由でもあった。
その武士に迷惑がかかる――“噂”をバラ蒔き、部に居られなくしてやる。そう脅されては、円香にはもう一切の抵抗が出来なかった。命じられるままに体を開き、そして汚された。
「……ッ………………」
以前にも、複数人の男達によって陵辱を受けた。しかし、その時とは比較にならない程に心が痛んだ。途中、何度舌を噛もうと思った事か。円香はその都度、愛しい相手の笑顔を思い浮かべ、その腕に抱かれた時の事を思いだして、屈辱に耐えた。――だが、円香のそんな必死の努力すら、あの少年はあざ笑い、口汚く罵って円香の心までをも犯した。
(……痛い、よ……武士くん……)
外傷らしい外傷は何も負わされてはいない。しかし目には見えない無数の傷は耐え難い程に痛んだ。少しでもその痛みから逃れたくて、円香は無意識のうちに浴室のカミソリを手に取った。
震える手で、カミソリの刃を左の掌へと押しつけた。たちまち、カミソリと肌が触れ合った部分から赤いものが滲む。鋭い痛みに、円香は慌ててカミソリの刃を掌から離した。
そのまま、しばし掌から滲む赤を眺める。不意に、円香はカミソリの刃を左の手首の辺りへと沿えた。白い肌を通して薄く見える血管――カミソリの切れ味を持ってすれば、容易くそこへと到達できそうに思えた。
手首を切る時は、横ではなく縦に斬らなくてはダメ。そうしないとすぐに傷口が塞がってしまうから――そんな話をしていたのは誰だったか。元級友の誰かだったとは思うが、顔は思い出せなかった。
円香はしばし己の手首を見つめ、静かにカミソリを元あった場所に戻した。そう、今更命を絶つくらいなら、陵辱を受けたあの時点で舌をかみ切るべきなのだ。
(武士くんに……会いたい……)
汚れきった自分の体が、ひどく煩わしいものに円香には思えた。
“動画”の件は忘れるしかない――時間の経過と共に、それは徐々に実行に移されつつあった。。
(特に……円香さんには、絶対知られちゃだめだ)
恐らくは、そのような動画が存在する事自体、円香は知らないだろう。あれらは全て、円香にとって忘れてしまいたい過去そのものの筈だ。ならば、武士に出来る事は極力円香をそれらから遠ざけ、存在を隠す事のみだった。
幸い、吉岡の話では動画の出演者の身元に関する情報までは出回っていないらしい。無論、制服が映っている以上気は抜けないのだが、少なくとも吉岡や小野、宍戸が“身元”に気づいた素振りは皆無だった。
(……だいたい、俺が落ち込んでどうするんだ。一番辛いのは……あんな目に遭った円香さんなのに)
考えれば考える程に、先日のデートでの自分の態度に腹が立った。結局、あれから一度も円香と会っていなかった。何度かメールでとりとめのないやり取りをしたくらいで、詫びの電話すら掛けられなかった。
何か切っ掛けが欲しい――そんな事を考えながら、時間ばかりが経った。ひょっとしたら、円香の方から電話を掛けてきてくれるのではないか、或いはひょっこり会いに来てくれるのではないかという願いも空しく、一人寂しく帰宅する日々が続いた。
その“きっかけ”は唐突に訪れた。顧問の教師の都合で、突如部活がいつもより二時間早い切り上げとなったのだ。これは円香に声をかけるチャンスだと、武士は練習が終わるなり着替えるよりも先に円香の携帯にメールを送った。
返事のメールは、武士が丁度着替えを終えた頃に届いた。用事があるから、今日は無理――丁寧な文章で送られてきた返事は、大凡そのような内容だった。
武士はがっくりと肩を落とし、一人家路についた。まっすぐ帰らず、寄り道をしたのは少しでも悶々とした気分を晴らしたかったからだった。しかし、一人では何をやろうとも凡そ気は晴れず、再び悶々とした気持ちで家に帰ろうとした――その途中。
「あれ……?」
既に日が落ちかけ、視界は決して良好とは言えない。眼前の病院らしき建物から出てきた人影が見知った人のそれかどうか確信が持てなくて、武士は声をかけた。
人影は一瞬びくりと身構え、そして武士の方を見るなり構えを解いた。
「やっぱり、円香さんだ」
「武士、くん……」
ホッと、円香も安堵の表情を浮かべる。しかし、どこか憂いを帯びている様で、武士にはそれが気になった。
「用事って、病院の事だったんだ」
「う、うん……ごめんね、折角誘ってくれたのに」
円香がばつが悪そうに視線を逸らす。そこで、武士は始めて気がついた。円香が出てきたのは病院は病院でも産婦人科だったのだ。
「あ、あのね……ちょっと……生理痛とかひどくて……だから……」
「あっ……」
親しき仲にも礼儀あり――そんな言葉が頭に浮かんだ。
(俺のバカ……!)
女性のデリケートな部分に土足で踏み入るような己の所業に武士は怒りすら憶える。こんな様では前回の焼き直しではないか。
「ごめん……円香さん……俺、気がつかなくて……」
「ううん、武士くんが謝るような事なんて何もないよ。謝らなきゃいけないのは…………私の方、だよ」
「いや、俺の方だよ。この間の事も……本当にごめん!」
「そんな……」
円香が困ったような笑みを浮かべ、そして急に武士の手を掴み、ぐいと引いた。そのままぐいぐいと引かれるままに大通りに出る。何事かと思いつつも、武士は円香に腕をひかれるままにその後ろに続いた。
「あんまり……ああいう場所で話してると、変な目で見られるから……」
「あっ……」
円香の言う通りだと思った。若い男女が二人、産婦人科の前で立ち話というのは如何にも人目を引くだろう。
「ごめん……円香さん……」
そのことに先に気がつけなかった事が悔しくて、武士は唇を噛みしめた。
「そうだ……どこか店に入って飲み物でも飲まない? ちょっと、話したい事もあるし……」
一連の詫び――そんな高尚な理由ではなかった。純粋に、落ち着いた場所で円香ともっと話をしたかったから提案した事だった。
しかし。
「…………ごめんね、今日はママの帰りが早い日だから……家に居ないと……」
「ぁ……そっか……それじゃあ、しょうがないね」
家まで送るよ――落胆をなるべく表に出さないようにして、武士は先導するように歩き出した。
まさか、断られるとは思わなかった。きっと自分と同じく、円香も会えなかった時間の分想いが募っていたに違いないとそう思っていた。
しかしそれは、己の独りよがりな願望に過ぎなかったのではないか――そんな恐ろしい想像が、武士の頭をよぎった。
(もしかして……円香さん……他に好きな人が出来たんじゃ……)
年下の頼りにならない男ではやはりダメだ――そう思われているのではないか。そんな不安を表に出すまいとすればするほど、次第と早足になった。
至極、いくらもかからないうちに佐々木邸の前までたどり着いてしまう。
「じゃあ……武士くん……今日は本当にごめんね」
「ううん、俺は全然気にしてないから……またね、円香さん」
円香からの返事は無かった。ただ、困ったような笑顔を残して、まるで幽鬼のような足取りで門扉の中へと入っていった。
その後ろ姿が玄関のドアに消えても尚、武士はその場から動けなかった。
円香が再び廃工場へと足を踏み入れたのは、“あの日”から丁度十日後の事だった。勿論、宍戸に呼び出されたからに他ならなかった。
「金、持ってきた?」
円香は無言で、スカートのポケットから封筒を取り出し、宍戸に手渡した。宍戸は臆面もなく封筒を開き、中に入っていた万札の数を確認するとにこりともせずに無造作にポケットに仕舞った。
「随分簡単に持ってくるんだね。さすが金持ちのお嬢様」
「……っ……あんたが、持ってこいって……!」
「確かに言ったよ。だけど、普通は五万なんて大金、ほいほい用意できるもんじゃないんだけどね」
「……だって、持ってこなかったら……また…………」
ぎり、と円香は歯を食いしばる。思い出すだけで体中が震え、吐き気を催すような記憶――そんな目に遭うくらいならば、多少無理をしてでも金を用意したほうがましだった。
「何言ってんだよ。マドカさんもイヤイヤ言いながらスゲー感じてたじゃん」
「バカなこと言わないで。誰が……あんたなんかに……」
まるで合意のセックスだったかのように言われてはたまらなかった。事の最中で、そして終わった後も自分がどれほど心を痛めたのか、この男には解っていないのだ。
(そのせいで……っ…………)
あれほど恋いこがれた武士からの誘いですら、無碍に断ってしまった。何より、純粋な武士の目に、赤の他人の手によって無惨に汚されてしまった自分の体が映り込んでしまっていると考えただけで逃げ出したくなった。
「……とにかく、これでもう用はもう済んだでしょ。…………あんまり、頻繁に呼び出すのは止めて。私にだって我慢の限度があるんだから」
怒りを露わにして、円香は踵を返す――が、またしても。
「へぇ……堪忍袋の緒が切れるとどうなるの?」
「それは……私にも解らないわ。でも、とにかくそうなったら……私もあんたも破滅って事よ」
今更警察に行く、等と脅した所でこの男が屈するとは思えなかった。だからこそ、円香はあえて言葉を濁した。さも“考えがある”という風に。
(……こんな事、いつまでも続けさせるわけにはいかないわ)
何処かで断ち切らなければ、永遠に金をせびられかねない。その為にも、少しでも優位に立たなくてはならない――それが、今の円香に考えつく、最良の手段だった。
「ねえ、マドカさん」
しかし、眼前の男はそんな円香の胸中、目論見を全て見透かしているかのような――それでいて何も知らない童子のような笑みを浮かべる。
「また母乳飲ませてよ」
「……はぁ?」
円香は耳を疑った。一体この男は何を言っているのか。
「お金なら、ちゃんと渡したわよ」
「確かに貰ったよ。でもさ、ちょっと喉乾いたんだよね。まだ出るんでしょ? 母乳」
「外に出てジュースでも買って飲めば?」
子供の我が儘に付き合ってはいられないとばかりに円香は踵を返し、ドアノブに手を掛ける。
「何度も言うけどさ、俺とマドカさんって対等の立場じゃあないよね?」
およそ、四つも年下の少年が口にしたとは思えぬ程に冷徹な声だった。
「大人しく胸吸わせるのと、また無理矢理犯されるの、どっちがいい?」
「っっ……何を、言って……」
「前にも言ったよね。俺がその気になれば、もっとムチャクチャに出来るんだよ。でも、それじゃあマドカさんが可哀相だから、譲歩してあげてるだけなんだけど…………なんかマドカさん、ちょっと調子に乗ってるよね?」
宍戸がなにやら意味深な笑顔を浮かべ、徐に事務所の机へと向かう。そこには、黒く平べったいものが置かれていた。それがノートパソコンだと解った瞬間、円香は宍戸の元へと駆け戻っていた。
「待って、止めて!」
円香の制止を鼻で笑い飛ばすようにして、宍戸は淡々とノートパソコンを立ち上げる。そしてそのデスクトップ画面にあるファイルの一つを開く。
『やっ……何よあんた達……ちょっ、どこ入ってきて……やだっ、止め――』
たちまち、画面一杯に荒い画質の動画の再生が始まる。お世辞にも音質が良いとは言えないスピーカーから聞こえてくる“声”に円香はたちまち金縛りになった。
『小便したいんだろ? はやくしろよ、撮っててやるから』
ゲラゲラと下卑た笑い声が暗い事務所内に木霊する。画面では、一人の女が男達に無理矢理足を開かされる形で便座に座らされていた。
『ふざけないで! さっさと出て行きなさいよ、変態!』
画面の中では、顔の半分ほどをモザイクで隠された女が強気に喚いていた。その様を、円香は蒼白になりながら見つめていた。勿論円香は、この女がこのあと男達によってどういう目に遭わされるのかをよく知っていた。
だから。
「い、嫌……お願い、もう……止めて……」
涙をにじませながら、円香は懇願した。宍戸は無言で動画を終了させ、ノートパソコンの電源を落とした。
「……俺の言うこと、聞いてくれるよね?」
円香にはもう、頷くことしか出来なかった。
円香は上着を脱いで薄暗い事務室の机の上に腰掛け、背中のホックを外す。ブラや肌着ごとセーターを捲し上げ、胸元を宍戸の前に晒した。
「そうそう、最初からそうやって素直にしてれば良かったんだよ」
宍戸は円香の胸に手を沿えると、たぷ、たぷとまるで母乳の溜まり具合を確かめるように揺らす。
「スゴいね、重くないの?」
「……いいから、さっさと済ませて」
くだらないおしゃべりで時間を取られたくないと言外に言い含め、円香は眼前の男から視線を逸らした。
「んじゃ、遠慮無く……ン……」
「……っ……」
じゅるりと、内容物が吸われる感触に円香は机に爪を立てる。
「んー……なま暖かくて、なんか味も薄いし……やっぱりそんなに美味しくはないなぁ」
「だったら……飲まなきゃ……っ……!」
母乳を吸い上げられながら、くに、くにと舌先で先端を転がされ、円香は咄嗟に唇を噛みしめた。
(ダメッ……また……っっっ…………!)
違う、“これ”は武士ではないのだ。反応するのはおかしい――そう、頭では解っているのだ。
しかし。
「……っっっ……ぅぅぅぅぅ…………!!」
先端を舌先で転がされ、甘く噛まれ、円香は幾度となく声を漏らしそうになってしまう。慌てて左手で口を覆い、声を押し殺す。
(ただ、母乳を飲むだけなのに……どうして……っ……)
乳首を舌で転がす必要があるのかと、円香は問いただしたかった。だが、問いただした所でまっとうな返事が返ってくるとも思えず、今迂闊に口を開けばうっかり甘い声を漏らしてしまいそうで、円香はひたすらに唇を噛み続けた。
「ん……こっちも……」
「っ……そんな、まだ…………っっっ……!」
残る片方もくわえ込まれ、ちぅぅと吸い上げられる。
「ンっ……くっ…………ぅ…………!」
先ほどよりも強烈な吸飲に、円香はたまらず宍戸の後ろ髪に爪を立てる。食いしばった唇の隙間から、荒々しい息をそれとは解らぬ様慎重に吐きながら、桜色に染まった頬を見られじと身をよじる。
「…………ごちそうさま、マドカさん」
永遠とも思えた辱めは、喜色満面の宍戸の言葉によって唐突に終わった。円香はただ無言で衣類を正し、机から下りる――その背後から、唐突に抱きしめられた。
「やっ……い、一体何の真似よ! ちゃんと……言う通りにしたでしょ!?」
「ねぇ……マドカさん。母乳吸われて、感じてたでしょ?」
「……っ……!」
「ほら、図星だ。マドカさんって嘘下手だよね」
「違うわ……母乳……吸われると、胸がむずむずしてくすぐったいから、それを我慢してただけよ」
「へぇ……くすぐったいだけ?」
小馬鹿にしたような口調だった。同時に、しがみつくようにして胸元を撫でていた宍戸の手が、さわさわと下方へと延びてくる。
「や、止めてって……言ってるでしょ……」
「止めるよ。…………マドカさんが本当にくすぐったいだけだったって解ったらね」
「どういう……意味よ……」
宍戸の手によってロングスカートがまくしあげられていく。足首が、脹ら脛が、太股が、徐々に露わにされていく。
「下着……触ってみれば解るよね。マドカさんが感じてたかどうか」
「そんなっ……い、嫌っ……」
忽ち、円香は暴れ出す――が、それも長くは続かなかった。
「暴れるなよ、ただちょっと下着触るだけじゃん」
ぼそりと、怒りを含んだ声で囁かれ、円香はたちまち全身を強張らせた。そう、この男に、この声に逆らう事など出来ないのだと、頭よりも体が学習し始めていた。
宍戸の右手がスカートを離れ、太股を這うようにして円香の下着に触れる。おやぁ……?――そんな声が、円香の耳を汚した。
「どういう事、マドカさん……これ、湿ってるよね?」
「…………っっ……」
言葉を発さぬ円香を嬲るように、宍戸はしゅっ、しゅ……と下着の上から指を上下させる。
「おかしいなぁ……マドカさん、俺とセックスするの嫌いな筈なのに。どうして濡れてるんだろ?」
円香は答えない。自分でも、その答えが分からなかった。
「ねえマドカさん。マンコ濡れてるって事は、ようはチンポ欲しいって……そういう事だよね?」
「……っ……ち、違う……そんな、事……」
「欲しいんでしょ。宮本のより太くて長い俺のチンポが。だから濡れてきてるんじゃないの?」
「違うっ!」
円香には、否定の言葉しか言えなかった。
「お願い、もう……そんな風に言うのは止めて…………嬲らないで……」
体を汚される事よりも、心を汚される事の方が耐え難かった。円香は、涙声で懇願した。
「……じゃあさ、さっさと下着脱げよ」
しばしの沈黙の後、宍戸はあからさまな命令口調で言った。円香は拒絶の言葉を口にしかけて、それを途中で止める。どうせ宍戸の意向を拒むことなど出来ないのだ――円香は自らショーツに指をかけると膝の辺りまで下ろした。
「……自分で広げて、“チンポ挿れて下さい”って言え」
「そん、な……ひぃッ!」
異を唱えようとした瞬間、ぴしりと尻を叩かれた。
「物覚えの悪ぃ女だな。逆らっても無駄だってまだ解んねぇのかよ。ほら、言えよ」
「……っ……チンポ……挿れて、下さい…………」
渋々、円香は言われた通りに自らの尻肉を掴むようにして秘部を広げ、“おねだり”をする。――刹那、背後に立つ男の気配が露骨に変わるのを、円香は感じた。
「しょうがねえな……マドカさんがそこまで頼むなら……」
薄ら笑みを噛み殺したような声だった。程なく、広げた秘部に剛直の先端が宛われ、そのまま一気に突き入れられる。
「くっ……ぅっ…………!」
背後からぐいぐいと押し込まれ、円香はやむなく事務机の上に手を突いて体を支えねばならなかった。
「あぁ……すげー気持ちいい……やっぱマドカさんのマンコ最高っ」
宍戸は円香の腰に手を沿え、好き勝手に動き始める。まだ十分に準備の出来ていない粘膜を強引に擦り上げられ、円香は苦痛めいた声を漏らした。
「どう、マドカさん。前の時より良くなってるんじゃない?」
「……っ……」
「俺、あれから勉強したんだよ。マドカさんの動画見てさ……」
意味深に呟き、そして宍戸が不意に動きを止める。
「マドカさん、いつも冷めた感じで仕方なく相手してるって風だったけど……時々本気で感じて、イッたりしてたよね?」
そんな事はない――と、否定をしてやりたかった。しかし、舌を噛みそうな程に激しく背後から責め立てられている円香はやむなく反論を堪えた。
「こうされると、マドカさんすげー“良い”んでしょ?」
「っ……ッッ!!!」
ぐりんと宍戸が腰を捻り、剛直が円香のナカをかき回す。刹那、危うく声が漏れてしまいそうになるのを、円香は慌てて唇を噛んで堪えた。
「それから、こういう風にされた時も、良い声出してたよね」
「っっ……ぁくッ…………ぅうぅ…………!!」
一瞬、ほんの一瞬気を抜いた隙に、勝手に声が漏れてしまった。ほら、やっぱり感じてるんだ――そんな幻聴が聞こえた気がした。
「っ……はぁっ……はぁっ……も……いい、でしょ……早……く、終わりに……して……」
「何言ってんの。まだまだ全然だよ」
嘲笑を浮かべながら、宍戸は円香の腰を掴んで固定したまま、ぐりぐりと抉るように腰を動かしてくる。
「……ぅくッ……ンぅ……! ぁくっ………………!」
「なんか一気に濡れてきたね。そんなに“良い”んだ。こうされるの」
被さり、円香の耳の裏に囁くようにしながら、宍戸は両手で両胸をこね回す。
「っ……やっ……おね、が……も、止め……ぁあぁッ!!」
円香は必死に懇願をするが、勿論宍戸は聞く耳を持たない。はぁはぁと熱っぽい息を円香の耳の裏に吐きかけながら、両手はむぎゅむぎゅと乳房をこね回し、トロトロになってしまっている先端部を弄り続ける。
さらに。
「やっ、やっ……い、嫌っ………………〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!」
密着したまま宍戸にぐりぐり腰を使われ、円香はとうとう“それ”を堪えきれなくなった。必死に唇を噛みしめ、その衝撃に堪える。
「う、は……スゲッ……マドカさんもうイッたの?」
下半身がまるで別の生き物のように蠢き、円香の意志とは無関係に剛直を締め付ける。己の力ではどうにもならないその現象に、円香はただ涙をにじませ唇をかみ続ける事しか出来なかった。
「そんなに良かったんだ。ひょっとして……俺のチンポとマドカさんのマンコってスゲー相性良い?」
円香は力無く、ただ首を横に振ることで否定した。――ずんっ、と。それを嘲笑うかのように、膣奥が小突かれる。
「イッた癖に、なに惚けてんの?」
「……ッ……ぁあっ……ッ……」
もう宍戸は完全に円香の弱い部分を憶えたらしかった。円香がどれほど気持ちを冷まし、声を出すまいと構えても、沈黙を守り続けることは困難だった。
「ほら、声出ちまうくらい良いんだろ?」
円香は答えず、ただ首を振る。そんな円香の態度が気に入らないのか、宍戸がさらに躍起になって腰を動かし、体中をまさぐってくる。
「い、イヤッ……やっ……っ……くっ……んっ……んぅっ……ふぅ……ふぅ、んんんンッ……!!!」
円香はそれらの刺激に堪え、声を押し殺し続けた。まるで、永遠に思えたその時間。一時間か二時間くらいは経ったのだろうか。それとも十分も経っていないのだろうか。
何度も、何度も。下腹部に埋まる肉塊からの刺激に体が勝手に跳ね、そのたびに円香の矜持は浸食され、崩れていった。
「……悪いねマドカさんばっかりイかせちゃって。俺、どうやら遅漏ってやつみたいだ」
背後で、宍戸がニヤついた笑みを浮かべているのが、円香にも解った。
「そんな風に感じてないフリ続ける意味って何かあんの?。真っ白に濁った本気汁が足首まで垂れるくらいイきまくってる癖に。それで宮本に操立ててるつもり?」
円香は答えない。答えたところで、この男に理解できるとは思えないからだ。
「ほら、言えよ……宮本とするより良いって」
絶対言うものか――円香は歯を食いしばり、唇を真一文字に結ぶ。
「……言わねーと、また中に出すぞ」
しかし、宍戸の一言が、円香の心を大きく揺らした。同時に、前回の陵辱で受けた中出しの感触までもが蘇ってきて、全身から血の気が引いた。
勿論あの後すぐに処置はした。病院にも行き、念のためにピルも貰った。――だからといって、中出しをされて平気なわけがなかった。
「い、イヤ……っ……」
悪夢のような記憶が、円香の脳裏に蘇る。望まない妊娠――顔を思い浮かべただけで吐き気がするような男達の子を身籠もってしまったというその事実。そして、堕胎に伴った心の痛み――それらが、円香に気丈である事を許さない。
「止めて……中は……お願い……妊娠は、もうイヤなの……」
ガタガタと震えながら、円香は涙声で訴えかけた。
「だったらホラ、言えよ」
返事を促すように、膣奥にまで刺さった剛直がぐりぐりと押しつけられる。
「…………っっ…………ぅぅぅ……た、武士くん……の、より――」
これは、裏切りでも何でもない。強要されて無理矢理言わされているに過ぎない。本心とはなんら関係のない、ただの戯れ言だ。
「武士くんの……より…………良い…………です………………」
そう、強要されただけのただの戯れ言の筈――しかし、円香は己の瞳から涙がこぼれるのを堪えきれなかった。
ヒャハッ――そんな快哉が、背後で聞こえた。
「とうとう言いやがった! マドカさんさぁ、あんたもうダメだよ。宮本の事好きなんて言う資格ないよ。堕ちるトコまで堕ちたね」
宍戸の言葉が、容赦なく円香の心を切り刻む。そして不意に、下腹部を圧迫していたものがぬるりと引き抜かれた。
「まあでも、約束だから中に出すのは止めてやるよ」
宍戸が体を離すと同時に、円香は膝から崩れ落ちた。その髪がぐいと掴まれ、頬に剛直が押しつけられた。
「舐めろよ」
拒むことなど出来なかった。円香は従順な下僕のように剛直に舌を這わせ、先端を咥えこむ。
「宮本のをしゃぶってるつもりで、ちゃんと気ぃ入れて舐めろよ」
言われるままに、円香は唇を窄め、カリを引っ掻くようにして頭を前後させる。おおぉ……そんな声を上げて、宍戸が両手を円香の髪に沿えてきた。
「あー……スゲっ……他人の彼女にしゃぶらせてるって思うだけでスゲー良いわ……」
円香は事務的に――そう、かつて後輩達に強要された時のように、澱んだ瞳で口戯を続ける。
宍戸が遅漏というのは、どうやら本当らしかった。先ほどまであれほどやって、さらに顎が疲れる程にしゃぶらされて、漸く――。
「あーっ…………出るっ……口の中に出すからな……零すなよ」
剛直がぶるりと震え、口腔内に苦く生臭い体液が満ちる。円香は僅かに眉根を寄せながら、それらを受け止める。
「はぁ……はぁ……はぁ……すんっげぇ出る……ふぅぅ…………ちゃんと尿道に残ってるのも吸えよ……」
円香の頭をなで回しながら、宍戸は満足げに次の指示を出す。
「まだ飲むなよ……口の中に溜めて……そう、零さないように口を開けて見せてみろ」
円香は言われるままに口を開け、宍戸に見せる。
「よし、次は口の中でクチュクチュってかき回せ。よーく味わえよ」
一体何が愉快なのか、宍戸はひどく上機嫌だった。円香は言葉の通りに口の中で精液を混ぜ、そして宍戸の“飲め”という言葉にしたがって嚥下した。
「どう、マドカさん。美味しかった? 俺の精液」
はい、美味しかったです――人形のようにそう答えようとした矢先、不意にがくりと体が震えた。
「……うグ……ッ……」
まるで体が拒絶反応でも起こしたかのようだった。胃がひっくり返ったかと思うほどの痙攣と共に、円香はその場で激しく嘔吐した。
「うわっ、何吐いてんだよ……汚ぇな」
宍戸が驚いたように後ずさる。円香はその場に手を突き、胃がひっくり返ったような勢いで嘔吐を続けた。
「はーっ……はーっ……」
完全に出すものが無くなって尚止まらない胃の痙攣を堪えながら、円香は必死に呼吸を整える。
「おい、ちゃんとそれ掃除しとけよな」
そんな円香の背から降ってきたのは、人情味など欠片もない言葉だった。
「また次も最後は口でさせるからな。今度は吐くなよ。もし吐いたらお前の服で拭かせるからな」
冷徹な言葉を残して去っていく足音に対して、円香は感情のない声ではいと返事をした。
ひょっとして、自分は疎まれているのではないか――これまで毎日のようにかわしていた夜中の電話やメールのやりとりが目に見えて少なくなるにつれ、武士はそう感じ始めた。
そう、目に見えて少なくなったというのは正確ではない。そういったやりとりがすべて武士の側からのみとなってしまい、回数が減ったというのが正しい。そして、そうやって武士が電話を掛けても会話は決して弾まず、沈黙の時間ばかりが長くなり、最後はばつが悪くなって通話を終了する――そのような事が続いた。
一度や二度ならば、たまたま気分が悪かったりしただけという可能性もなくはない。しかし毎回となれば――やはり、としか思えなかった。
(……やっぱり、円香さん……他に好きな男ができたんだ)
認めたくはなかった。しかし、あらゆる状況がそうに違いないと武士に思わせた。
(仕方……ないよな。円香さんって綺麗だし…………俺、年下だし……)
もっと頼りがいのある、年上の男でも見つかったのかもしれない。それは、決して愉快な想像ではなかった。
(いっそ……きちんと聞いてみるか……)
フラれるにしても、このような自然消滅だけは嫌だった。きちんと円香の口からハッキリと答えを聞いてこそ、諦めもつくというものだ。――そうでなければ、きっと未練が残ってしまうに違いない。ひょっとしたら、全ては杞憂に過ぎないのではないかと。
武士は三日悩み、四日目の夜に意を決して円香の携帯に電話を掛けた。――が、繋がらず、留守電に切り替わった。武士は一度電話を切り、時間をおいて再びかけたが、またしても留守電に繋がってしまった。やむなく、“話したいことがあるから、留守電を聞いたら連絡して欲しい“――そんな旨の伝言を残して、武士は電話を切った。
しかし、翌日になっても、そしてその日の夜になっても、円香からの返事は来なかった。
円香の携帯に伝言を入れてから、一週間が過ぎた。その間、武士は表面上は普段通りに過ごしていた。朝起きて学校へ行き、朝練のあとは授業に出席し、部活を終えて家に帰る。誰の目にも何事も無かったかの様に見えるよう、そう振る舞い続けた。
「武士……ちょっといいか?」
だから授業が終わり、部室に行くその途中で吉岡に声をかけられた時、てっきり吉岡の側の相談事かと武士は思った。促されるままに部室棟の隅へと歩き、辺りに人気が無いのを確認してから、吉岡は武士の方へと向き直った。
「……なぁ、武士……何かあったのか?」
「…………俺か? 別に何もねえけど」
「何も無いわけねえだろ。最近お前変だぞ?」
「そうか?」
武士は如何にも在らぬ疑いをかけられて迷惑だという顔をする。
「……やっぱり、アレのせいなのか」
「アレ……?」
「惚けるなよ。俺が……あんなモン拾ってきたから……怒ってんだろ」
「…………動画の事か」
「俺……本当に知らなかったんだよ。まさか……動画に出てるのが……お前が付き合ってる相手だったなんて」
「…………っ……!」
「そうなんだろ? 武士。……だからお前、あの時もキレて帰ったんだろ」
「吉岡……お前、その事……いつから――」
「あの時、みんなを帰した後に気づいた。よくよく見りゃ、何処かで見た顔だったしな。そういや練習試合の時とか、お前と話してた女に似てるって思ったら、後はお前の怒り方で察しがついた」
「……誰かに、言ったか?」
「言うわけねえだろ。動画も……あの後すぐに消した。本当なら、俺も気づいてないフリしてようって思ったんだけどな……」
「そうか……」
親友の苦渋に満ちた顔で、武士には大凡の察しがついた。恐らくは、今までずっと良心の呵責に苦しんできたのだろう。度を超した助平ではあるが、そういった人の良さがあるからこそ、この親友がキャプテンに選ばれた事を他ならぬ武士自信が良く知っていた。
「……俺がどういう風に見えたか知らねーけど……別にお前のこと怒ってたわけじゃねえよ」
「……そうなのか?」
「ああ。確かに最近ちょっと調子悪いけどな……あの事は関係ない」
件の“彼女”にフラれかけてるとは言える筈もなかった。もしそんな事を言えば、この親友は自分のせいではないかと己を苛むに違いない。
「そうか……悪ぃ、俺はてっきり……」
「……それに、“ああいう事があった”ってのは円香さんから――あの人の名前なんだけどな、既に聞いてたから……お前が思ってるほどショックじゃない」
「……知ってて、付き合ってんのか」
まるで信じられない話でも聞いたかのように目を剥く親友の態度が、逆に武士には信じられなかった。
「別に驚くような事じゃないだろ? どんな過去があろうが、その人のことが本気で好きなら関係ねえよ」
「普通はなかなかそこまで割りきれねえよ。……多分、俺は無理だ」
それはお前が本気で人を好きになった事がないからだ――武士はそう口にしかけて、止めた。武士自身、そこまで大見得を切れる程に恋愛経験が豊富というわけでもない。それよりなにより、“惚気ている”とだけは受け取られたくなかった。
「武士……その人の事だが……あんまり部活とか練習試合とかには連れてこないほうが良いかもな。……あの動画、小野や宍戸も見てるし……」
「……そうだな」
元よりそのつもりだったが、そういった懸念すら懐く必要が無くなる可能性については、武士は口にしなかった。
「特に……宍戸には気を付けたほうが良いかもしれねぇな」
「宍戸に……? 何でだ?」
吉岡は、すぐには答えなかった。まるで、かつての失敗を恥じるように、苦々しく唇を噛んだ後、さも申し訳なさそうに切り出した。
「……あの動画のコピーを持ってんだ」
「……なッ……」
「仕方なかった、そん時はまだお前の彼女だなんて知らなかったし、DVDに焼いてくれって頼まれて、断る理由も無かった」
「……それ、何とか回収できないのか?」
「厳しいな……第一、なんて言うんだ? 変にしつこく迫ればアイツも気づくかもしれないんだぜ。アイツだって……お前の彼女が観客席に居る所を見てるかもしれないんだから」
「……っ…………」
確かに、吉岡が気づいた以上、宍戸が気づかないとも限らない。
(それに……アイツとは、一度顔を合わせてる……)
いつぞやのデートでの帰りの件を思い出して、武士は苦々しく歯ぎしりをする。あの時、宍戸はさも興味深そうに円香を見ていたが、果たしてそれは単純な興味だけだったのだろうか。“誰か”に似ていると、そういう目つきではなかったか。
「不幸中の幸いは……アイツん家のパソコンじゃあDVDもCDも焼けないって事だな。ネットも繋げねーから、アイツからさらにコピーが拡散する可能性はゼロだ」
俺があいつにパソコンをやったんだから間違いはないと、吉岡は頷く。
「だったら……吉岡、俺たちで何とか出来ないか?」
「つっても、やれる事っていやDVDを割るかパクるかくらいか。……ひょっとしたらノートの方にデータが残ってるかもしれんが、そっちは俺がなんとかしてもいい」
「……出来るなら頼む」
宍戸には悪いが、“芽”はつみ取らなければならない。とはいえ、まさか家に忍び込むわけにもいかないから、何か理由をつけて宍戸の家に行く必要があるだろう。
「そういや、アイツ今日は部活に来るのか?」
「いや、確かバイトがあるから休むって言ってたな」
「そうか、じゃあ――」
丁度その時だった。ポケットに入ったままの携帯が突如振動を始め、武士は一端会話を切って携帯を取り出した。
「えっ……」
そこには、この一週間待ち望んだ名前が表示されていた。武士は側に吉岡が居る事も忘れて、震える指で即座に通話ボタンを押した。
宮本武士との通話を終えるなり、円香はすぐに携帯の電源を切った。恐らく――否、間違いなくかかってくるであろう武士からの折り返しの電話を一方的に遮断する為だ。
上着を羽織り、ポシェットを手に円香は家を出た。既に日が落ち、夜の帳が下りようとしている最中、向かう先はいつもの場所――そう、宍戸から三度目の呼び出しがかかったのだ。
円香はずっと悩み、考え続けた。“最悪のケース”とは即ち何か――を。
宍戸によって件の動画がバラ蒔かれ、家族共々この町に住めなくなる事だろうか。それともこのままグダグダと脅迫され続け、身も心も汚れきってしまう事だろうか。
否。
円香にとって“最悪のケース”というのは、どのような形であれ武士に迷惑がかかってしまう事を意味していた。
宮本武士が付き合っている女は過去にこれこれこういう目にあって、その一部がネット上に流れているらしい――或いは、男グセの悪い女が今度は中学生にまで手を出した――そのくらい歪曲した言い方はされるかもしれない。
そういった事態だけは、絶対に避けねばならなかった。それが、身も心も汚された円香にとっての最後の防衛戦と言ってもいい。ならば、その為に自分が出来る事はなにか――そう考えたとき、円香は“答え”にたどり着いてしまった。
そう……武士に迷惑がかからぬ様にする為には、関係を無かった事にしてしまえば良いのだ。幸いなことに、円香と武士が付き合っている事を知っている者は宍戸を除けば誰もいない。少なくとも円香は誰にも漏らしてはいなかった。現状では武士以外での唯一の友人と言える妙子にさえ、武士の名前までは告げていない。
つまり、事が公になる前に武士との関係さえ切ってしまえば、最悪の場合でも武士までは被害が及ばないという事なのだ。――しかしこれは、円香にとっては身を切られるよりも辛い決断だった。
円香にとって、宮本武士の存在は単純な彼氏、恋人というものではない。生きる意味と言い換えても過言ではない程に大きなものだった。だからこそ、自分の失態で武士に迷惑をかけてしまうのがどうしようもないくらいに辛いのだ。それ故に、円香は武士からのメールや留守電に返事も返せない程に悩み続けた。
別れて欲しい――武士にそう告げて、警察へ行くのが一番なのだ。しかし恋人でもあり同時に命の恩人でもある武士にそのような事を言える筈が無かった。体を支える唯一の命綱を自ら手放すようなものだ。
“このまま”で良い筈がない。しかし、武士と別れる勇気も覚悟も無い。誰に相談する事も出来ず、円香は一人で悩み続け、そして一つの決心をした。
武士への電話はその準備の一つだった。武士が言うとおりにしてくれれば、例え何が起きても“最悪のケース”だけは免れるだろう。後は、宍戸がどう出るか――あの男の出方だけは、円香には読めなかった。
(ごめんね……武士くん……私、バカだから……こんな方法しか……)
円香はポシェットの中に手を忍ばせ、その手応えをしっかりと確かめる。二度も陵辱を受けた場所へと円香が待ち合わせの場所へと歩んでいけるのは偏にこの“切り札”が心の支えとなっているからだった。
人目を気にしながら、円香は裏口から工場の中――事務室へと入る。記憶を頼りに照明のスイッチを入れるや、円香はぎょっと身構えた。
「こんばんは、マドカさん」
声のした方に目をやると、事務机に脚を組んで腰掛けた宍戸がなんとも無邪気な笑みを浮かべていた。
「今日は随分早かったね。まだ時間まで十五分もあるよ?」
まるで実験動物でも観察するような目で円香を見る宍戸に気圧され、円香はさらに数歩後ずさった。
「ひょっとして……待ちきれなかったのかな。俺からの呼び出しが」
返事をする気も起きない――といった目で、円香は宍戸を睨み付ける。
「まぁいいや。とりあえず、金」
「……ねえ、いつまでこんな事続ける気なの?」
「知るかよ。飽きるまでだよ」
ニヤつきながら臆面もなく掌を差し出す宍戸を一瞥して、円香はポシェットを開けた。中からパンパンに膨らんだ封筒を一つ取り出し、宍戸の掌に乗せる。
「……ん?」
宍戸もすぐにその異質な重さに気がついたらしかった。首を捻りながら封筒の口を開き、そしてぎょっと目を剥いた。
「……何、これ」
「四十万円入ってるわ。それをあげるから、もう二度と呼び出したりしないで欲しいの」
「この金どうしたの?」
「お小遣いとか、お年玉とか……そういうのを貯めてた貯金を下ろしてきたのよ。お願い、これだけあれば欲しい物だって何だって買えるでしょ? だから――もう私には構わないで」
「……お小遣いやお年玉、ね」
苦笑混じりに、宍戸はテーブルから腰を下ろし、円香に詰め寄る。
「さすが金持ちのお嬢様だ。働きもしないで貯金が四十万かよ」
「……嫌味な言い方しないで。私はただ……無駄遣いしないだけよ」
「おい……本気で言ってんのか?」
いつになく乱暴な口調で宍戸が声を荒げる。円香は僅かに物怖じして後ずさりした。
「この四十万って金がどれだけの大金かアンタ解ってんのか?」
「何よ、人のこと脅迫してお金せびってる癖に説教するつもり?」
心外だとばかりに円香は反論した。この男はさも円香が簡単に四十万を用意してきたかのように言うが、そこに至るまでの苦悩などまるで解ってはいないのだ。
「言っておくけど、お金を渡すのはこれが最後よ。もしこの条件を飲まないのなら、私は警察に行くわ」
「警察? 今頃?」
鼻で笑うような口調だった。
「四十万やるからもう関わるな……か。らしいっていうかなんて言うか……相変わらずズレてるよなぁ」
宍戸はさも紙くずでも捨てるように、無造作に封筒を地面に捨てる。
「俺が本当に金が欲しくてマドカさんに脅しをかけたって、本気で思ってんの?」
「えっ……」
「別に何でも良かった。あんたに“死にたいくらい辛い”って思って貰えるなら、金じゃなくても何でも」
「何……言って……」
宍戸の言葉が理解し難くて、円香は軽い混乱に陥った。この男は、金が欲しくて脅しをかけていたのではないのか。そうだと思ったからこそ、円香は大金を用意し、それを条件に取引を持ちかけた。
しかし、それは無造作に投げ捨てられ、宍戸は訳の分からぬ事を言い出す始末。
「俺さぁ、金持ちって大嫌いなんだよね。特にアンタみたいに……親が金持ってるってだけで、人生得してるような奴が」
「得なんて……してないわ」
円香は吐き捨てる様に言った。家が裕福な者とそうでない者。どちらにも一長一短があるのだというのに、こうして片方の視点でのみ嫌味を言われる事には本当に嫌気が差していた。
「それに、何度も言うけど……私の家は貴方が思ってる程お金があるわけじゃないわ。……確かに、家は大きいけど、あれだってパパが無理してローン組んだだけで……」
「人が生活費稼ぐ為に汗水垂らしてバイトしてる最中に彼氏とデートして、ラブホに行く金までもらってる癖に、得なんかしてないって言うのか?」
「……そんなの、誰だってしてる……普通の事じゃない……自分の家が貧乏だからって、八つ当たりされたら堪らないわ」
そもそも、と円香は宍戸を睨み付ける。
「私の家が裕福なのと、あんたの家が貧乏なのは何も関係が無いじゃない。境遇に文句があるならまず自分の親に言いなさいよ」
「……親なんて居ねえよ」
えっ、と。円香は息を飲む。場がシンと静まりかえってしまうような、冷たさを含んだ声だった。
「親父は工場潰しちまった後、ガラの悪い借金取りに何処か連れて行かれて行方不明。お袋はその少し後に男と逃げた。俺と幼い弟たちを残してね」
「そんな……」
「親父からは、年一回手紙が届くけど、本当に親父が書いてるのかどうかは解らない。……“電話”じゃなくて“手紙”の時点でなんとなく察しはついちまってるけどな」
「……だ……だからって、そういう家庭環境だったからって……脅迫したりレイプしたりしていいとでも思ってるの?」
「まさか。真夜中に大人の怒鳴り声で眼を覚まして、尊敬してた親父が鼻水と涙で顔をグショグショにしながら借金取りに囲まれて土下座してる所を見ちまっても、性格が歪まない奴はいくらでも居るだろうしな」
「…………っ……」
「小学校の帰りにいきなり知らない大人に車の中に連れ込まれて、『言うこと聞かないとお父さん死んじゃうよ?』って脅されて、訳も分からないうちに注射で眠らされて、起きたら腎臓を片方取られたりしたヤツだって、日本中捜せば何人も居るだろうしなぁ」
「……なによ、それ……そんなの――」
「作り話だって言いたいの? なんならここで服脱いで手術の痕でも見せてやろうか?」
円香は黙って首を横に振る。
「ガキの内臓ってのは、なかなかいい値段で売れるらしいぜ? つっても、今となっちゃ、親父の借金ってのがいくらで、俺の腎臓がどれくらいそれを減らせたのか解んねーけどな」
腎臓片方で四十万くらいにはなったかな――そんな嫌味を呟いて、宍戸はどこか壊れた笑みを浮かべる。
「悪いね、マドカさん。この程度の不幸で性格歪んじまってさ。男数人にレイプされてその動画をネットに流されたり、そのことで脅されたりレイプされたりしてるマドカさんのほうが断然辛い目に遭ってるってのに」
「……っっっ……」
「ねぇ、マドカさん。知ってる? よく漫画とかで、一家心中しようとする家族が最後に贅沢な飯食いに行ったりするじゃん。でも、アレって間違ってるんだよね。実際は豪華な飯じゃなくて――」
「止めて! もう聞きたくない!」
宍戸の台詞を遮るように円香は叫んでいた。
「……まあ、それから“色々”あって今まではどうにかやってこれたけどさ。ハッキリ言ってもうほとほと嫌気が差してんだよね、人生ってやつに」
だから――と、宍戸はヘビのような目で円香を見る。
「警察に捕まる事なんて恐くも何ともない。本当の意味で、俺はマドカさんをムチャクチャに出来るんだよ」
「そんな……どうして……どうして私なのよ! 八つ当たりがしたいなら、別に私じゃなくったって……」
「その理由はもう言った筈だけどね。マドカさんは俺の初恋の相手で、そして大嫌いな金持ちのお嬢さんだ。……だから、メチャクチャに犯して、苛めてやりたい。納得してもらえた?」
「何よ……それ……い、嫌ぁッ!!」
気づかぬ間に間合いを詰められ、腕を掴まれる。円香は半狂乱になって腕を振って宍戸の手を振り解くと、数歩後ずさって壁に背をつけるようにして、ポシェットの中から“切り札”を取り出した。
「ち、近づかないで! それ以上近づいたら……本当に刺すわよ!」
震える手で果物ナイフを構え、宍戸の方へと向ける。
「何の真似? マドカさん」
「近づかないでって言ってるでしょ! 下がって、そして封筒を拾って、私にはもう関わらないで」
「嫌だって言ったら?」
円香の脅しなど眼中にないと言わんばかりに、宍戸は無防備に距離を詰めてくる。
「こ、来ないで! 本当に刺すわよ!」
円香は体の震えを堪えながら、懸命に刃を突き出した。この男は異常者だ。近づかせてはいけない、体に触れられるくらいなら、刺す――そう心に決めて、ポシェットに刃を忍ばせてきた。
もし、宍戸が金での談判に応じなかった場合――或いは応じても体を求めてきた時の為に、自衛の刃として使うつもりだった。いざとなれば、斬りつけることも厭わない――その覚悟は出来ていたと、そう思っていた。
「い、嫌っ……来ないで、近づかないで!」
宍戸が無防備に間合いに入っても、円香は刃を振るうことは出来なかった。刃物を握り、人に対して振るうという事は、想像していたよりもずっと恐ろしい事だった。
円香は恐怖の余り取りこぼしてしまいそうな果物ナイフを懸命に両手で握り、精一杯構え続ける――が。
「やっ……!」
手の上から宍戸に触れられただけで、円香はナイフを落としてしまった。そのまま、支えを失ったかのように、円香はその場に膝を突いてしまう。
「……俺を刺すんじゃなかったの? マドカさん」
「ぅ、ぅ……い、嫌……止めて……もう……レイプは嫌なの…………堪えられないの…………」
ナイフを手放すと同時に、心までもが折れてしまった。円香は泣きじゃくるようにして、宍戸に慈悲を求める。
「ダメだよ。俺はマドカさんとセックスしたい。マドカさんに中出しして、俺の子供を孕ませてみたい」
「な、中出し……ってっ…い、イヤぁ……妊娠は絶対嫌ァッ!! 」
薄ら笑みすら浮かべながら囁きかけてくる宍戸の言葉から逃げるように、円香は首を振って泣き叫ぶ。
「そんなに俺に犯されるのが嫌なんだ」
「あ、あたりまえ……じゃない……」
「じゃあさ、一つ俺の我が儘を聞いてよ。聞いてくれたら、もうそれ以上は何もしない」
「…………本当、に……?」
「うん、約束する。もうマドカさんを呼び出したりもしないし、動画も処分する。……マドカさんが我が儘聞いてくれたらね」
「……っ……解った、わ……何を……すればいいの……」
悪魔の囁きだと解っていても、円香には一縷の望みをかけて従うしか術が無かった。
部活を休む旨を吉岡に告げて、武士は急いで校門から飛び出した。走りながら幾度と無く円香の携帯へと電話を掛けたが、その努力は全て徒労に終わった。
武士は佐々木邸へと駆けながら、先ほどかかってきた円香からの電話の内容を反芻していた。
『……返事が遅れてごめんね、武士くん』
久方ぶりに聞いた円香の声は震えていた。
『ちょっと……いろいろ立て込んでたの。でも、それも多分……今日で終わるから』
えっ……と。そんな疑問符は返したかもしれない。円香はそのまま言葉を続けた。
『私なりに精一杯考えて……うまくやるつもりだけど……でも、もし……巧く行かなかったら、その時は武士くんの所に何か聞きに来る人が居るかもしれないの。そうなったら……“佐々木円香なんて女は知らない”って言い張って。それで……武士くんには迷惑はかからなくなる筈……だから』
円香の言っている事はまるで要領を得なかった。一体何の事を言っているのか――そう武士が尋ねようとした時。
『武士くん、今まで……本当に楽しかったよ。ありがとう』
円香からの最後の言葉と同時に電話は切られた。その後は、何度かけ直しても通じなかった。武士は矢も楯もたまらず、佐々木邸へと掛け出したのだった。
(一体何だよ……どういう事なんだよ、円香さん……)
様子が変だとは思っていた。それは他に好きな男が出来たからだと、そうだとばかり思っていた。
(馬鹿だ……俺は……っ……)
あれは円香からのSOSだったのだ。何故そうだと気がついてやれなかったのか。居るかどうかもわからない男の陰に恐々としながら電話を待つくらいなら、家を直接尋ねてでも真偽を聞き出すべきだったのだ。
(頼む……家に、居てくれ……!)
祈るような思いで、武士は佐々木邸の門扉へとやってきた。インターホンを押すが、反応は無い。武士は立て続けに何度も押すが、やはり反応はない。
円香の話では、家には両親は殆ど居らず、昼間は家政婦がいるとの事だったが、その家政婦も留守という事なのだろうか。
武士はしばし思案し、強引に邸内に入ってみる事にした。仰々しい鉄柵の門ではあったが、それ自体には鍵がかかっているわけではなく、邸内に入る事は難しくは無かった。
玄関の前までいき、直にドアをノックするがやはり反応がない。仕方なく家の回りを歩いて、窓から中の様子をうかがったりもしてみたが、人の気配らしきものは感じられなかった。
(円香さん……何処に居るんだ……)
出歩くのはあまり好きではないと、円香はそう言っていた。会いたくない人間が多いから、特に登下校の時間帯は極力外に出たくないと。だからこそ、今ならば家にいるのではないかと思ったのだが。
わうっ、と犬の声が耳に飛び込んできたのはその時だった。見ると、玄関脇に置いてある犬小屋の中から一頭の犬が寝ぼけ眼で顔を出していた。
武士と目が会うなり、もう一度わうっ、と犬は吠えた。円香が連れているのを何度か見たことがある犬だった。
(確か……コジロー……だったっけ)
見慣れない人間を見て興奮でもしているのか、コジローは舌を出したまま武士の周囲をぴょこぴょことはね回るようにして吠え続ける。犬に触るのは得意ではなかったが、武士はやむなくコジローを宥めるために膝を突き、顎や背中を撫でた。
「番犬……にはなれないな、お前」
“侵入者”が家の回りを一周して漸く昼寝から眼を覚ますような暢気者に武士は苦笑を禁じ得なかった。そもそも、体躯もさして大きいわけではなく、短い足を見る限り完全な愛玩用のペットなのだからしょうがないか、とも思う。
「コジロー、お前……お前の主人が何処に行ったか知らないか?」
撫でながら、何と馬鹿な事を言っているのだろうと武士は自嘲気味に笑った。犬に人の言葉が分かるわけがないではないか。
わうっ、とコジローはまるで返事でもするように吠えた。そう、それが本当に“返事”のように聞こえてしまう辺り、武士自身、己がどれほど円香に会いたくて参っているかを悟らされてしまった。
「……本当に解るのか?」
思わず、確認をとってしまう。コジローはわうっ、と返事をした。その目に、自信が漲っているように武士には見えた。
僅かな逡巡、しかし次の瞬間には武士はコジローを繋いでいるリードを外していた。外し終えるや否や、もう我慢出来ないとばかりにコジローが一直線に走り出し、武士は危うくリードを取りこぼしてしまいそうになった。
「こ、こらっ……」
恐らくは、コジローもまた動物的なカンの良さで主の危機を感じ取ったのだろう。信じられないような力でぐいぐいとリードを引くコジローを宥めながら、武士は佐々木邸の門を閉め、再び走り出した。
まだ、手遅れなどではない。きっと間に合う――そう信じて。
「あの動画見てさぁ……一度自分でやってみたかったんだよね」
「……っっ……」
「ほら、マドカさん。ちゃんと自分でスカート持っててよ。陰になって手元が見えなくなるから」
変なところ切っちゃったら困るでしょ?――薄ら笑み混じりにそんな事を言われ、円香は顔を背けながら言われるままにスカートを持ち上げる。
「……だめだな、やっぱり暗い。ちょっと待ってて」
宍戸は他の机の上から電気スタンドを持ってきて椅子の上に乗せ、スカートの中を照らし出した。さらに光が良く届くようにと、円香を事務机の上に半ば座らせるようにして足を開くよう命じた。
イヤ、止めて――その類の懇願は、宍戸が『下の毛を剃りたい』と言い出した時に散々した。しかし結局、円香には逆らう事ができなかった。この、今まで出会った誰よりも暗い目をした少年に。
「髭剃り用のだけど、別に問題はないよな」
秘部に、シェービングクリームのようなものが塗られ始める。ハッキリとそうだと解らないのは、円香はこの耐え難い光景を正視出来ず、ひたすら顔を背けているからだ。
「じゃあ、剃るよ。危ないから絶対動かないでね」
スカートの下から宍戸の声がして、同時にゾリ、ゾリと濁った音が響き出す。下の毛を剃られるのはこれで二度目だったが、何度やられても慣れるようなものではなかった。
「ぅ……く……っ……」
屈辱のあまり、涙が流れた。このような真似をされて尚、抵抗が出来ない自分の情けなさにも涙が溢れた。
「ねぇマドカさん、今……どんな気分?」
ゾリ、ゾリという音に紛れて、そんな雑音が円香の耳に届いた。
「恥ずかしい? それとも悔しい?」
円香は答えない。
「こんな事されたら、きっと一生忘れられないよね」
答えてはだめなのだ。返事を返せば返すほどに、宍戸は円香の心を土足で踏みにじってくる。だから、円香は答えない。
「でも、それって良いよね。マドカさんにそうやって一生恨んでもらえるなら、俺も本望だよ」
剃り終わったのか、宍戸がカミソリを置いて今度はウェットティッシュを手に取る。
「そんで、宮本ともギクシャクし出して、別れちゃったりしたらもう最高だね。…………よし、終わり」
宍戸がウェットティッシュを投げ捨て、スカートの下から顔を出す。
「ほら、マドカさんも見てみなよ。鏡もあるから」
「嫌っ……そんなの、見たくない」
洗面所からでも外してもってきたのだろうか。ちょっとした窓ほどもある長方形の鏡に映った自分の姿から円香は慌てて視線を逸らした。
「ダメだよ、スカート上げたまま、ちゃんと見て」
「イヤッ……!」
「……本当に物覚えが悪いなぁ。“見ろ”って命令形で脅してやらないと解らないの?」
「っっ……」
円香は涙を浮かべた目で、宍戸を睨み付けた。――しかし、宍戸の暗く澱んだ目で逆に見据えられ、刹那のうちに抵抗の気力を奪われた。
渋々、言われたとおりに鏡に目をやる。宍戸の言葉通り、秘部は見事にそり上げられ、丸見えになってしまっていた。
「マドカさん……これでもう宮本とはエッチできないね。したら、絶対聞かれるよ……なんで剃ったのかって」
そんなの、一月もあれば元通りになる――そんな円香の反論を、視線だけで宍戸は感じ取った様だった。
「心配しなくても、生えてきた頃にまた剃ってやるよ」
「えっ…………なによ、それ……」
「マドカさんってさぁ……ホント頭悪いよね。今まで散々男に騙されて辛い目にあってきたんじゃない? それでもまだ騙されるんだから、救いようがないよね」
宍戸が鏡を別の机の上に置き、円香の方へと向き直る。その暗い瞳は、まるで深淵の縁でも覗き込んでいるかのように闇を孕んでいた。
「毛、剃らせてくれたら解放するなんて、嘘に決まってるじゃん」
「ッ……そんな……!」
宍戸が、距離を詰めてくる。円香は咄嗟に逃げようとするが、すぐに羽交い締めにされてしまった。
「い、イヤッ……離して!」
「離さないよ。もっともっとマドカさんを苛めて、メチャクチャにしてあげるよ」
くんくんくん……。
地面に鼻を擦りつけるようにして、コジローは淀みなく早足で歩いていた。その首へと繋がるリードをぐいぐい引かれる形で、武士は黙ってコジローの後に続いていた。
犬の嗅覚は人間の数万倍も鋭く、引越の際のトラブルで置いてけぼりになった犬が何千`も離れた飼い主の所まで自力で戻ってきたという話もあるという。嘘か真実かは解らないが、今の武士にはコジローの嗅覚以外に頼る術は無かった。
十五分ほど歩いた頃だろうか。不意にコジローが鼻を鳴らすのを止め、いきなり全力で走り始めた。当然武士もその後に続いた。
コジローが目指していたのは、どうやら公園のベンチらしかった。プラスチック製のそれへとたどり着くや否や、今度はその回りを回りながらふんふんと鼻を鳴らし続ける。
(……そういえば、この公園は…………)
何度か円香と共に来訪し、そしてまさにこのベンチに座って話をしたのを武士は思い出した。
(……ちゃんと円香さんの匂いを辿ってたのか)
犬ってスゴいんだなと武士が感心していると、再びぐいぐいとコジローがリードを牽き始める。そのまま公園を後にして、地面に鼻を擦りつけるようにして歩くこと十数分。
「ここに入るのか……?」
くんくんと鼻を鳴らしながら、建物の中へと入っていくコジローに些か気後れしながらも、武士も後へと続く。コジローは武士を引っ張る勢いで歩き続け、そして不意に一つのドアの前で足を止めた。
わうっ、と吠えると同時に、前足でドアにタッチ。ここを開けろ――と、言っているように武士には見えた。
「……ここに円香さんが居るのか?」
確認を取る様に尋ねると、コジローは自信に満ちた目でわうっ、と返事を返した。武士も頷いて、ドア横のインターホンを押した。
(……頼む、円香さん……無事で居てくれ……)
祈るような気持ちで再度インターホンを押す。しかし、反応は皆無。やむなくドアノブへと手を伸ばし掛けたその刹那、唐突にドアが開かれた。
「あっ……」
危うく突き指しそうになった手を慌てて引っ込めながら、武士はドアの向こうから現れた女性に目をやった。
「……何か、用ですか?」
どうやら、着替えの途中だったらしく上半身は学生服、下半身は部屋着のズボンという出で立ちの女性に睨まれ、武士は言葉に詰まった。
「ええと……いきなりですみません。俺、宮本武士っていいます。あの……こちらに佐々木円香さん来てませんか?」
「……いえ、来てませんけど……コジロー?」
女性はしゃがむと、先ほどから狂ったように飛び跳ねているコジローの体を撫でつける。
「円香さんがどうかしたんですか?」
「あ、いえ……」
どうやら、円香と面識はあるらしい女性に対して、果たしてなんと説明したら良いものか、武士は悩んだ。
(ていうか、コジローは一体誰の匂いを辿ってここまで来たんだ……?)
眼下で、完全にお腹を晒す形で愛撫を受けているコジローに疑いの眼差しを向けたその時だった。
ポケットの携帯が、振動を始めた。
「あぁー……チョー気持ちいいよ、マドカさん」
「っ……ぅ、く……んぅぅ……ぅ……」
己の上にのしかかり、好き勝手に腰を振る男の顔を視界に入れじと。円香は首を捻るようにして唇を噛みしめていた。両腕は後ろ手の状態で紐のようなものによって縛られており、抵抗らしい抵抗は何も出来なかった。
「ねぇ、ほら……マドカさん。もう宮本なんかフッて俺の彼女になっちゃいなよ。俺たちって、相性抜群じゃん」
「……っっ……ぅ、っっ……!」
ぎゅうううっ、と乳を捏ねられながら腰を使われる。声を出すまいと噛みしめている唇も、既に痛いという感覚すら無くなっていた。
「ほら、ちょっと挿れて動かしただけでもうすげーヌルヌルだよ。音……聞こえるだろ?」
「い、や……も、止め……て……っっっっ!!!」
円香の意志に反して、腰が勝手に跳ねる。乳を舐られて甘い息が漏れてしまいそうになる。
「マドカさん、さっきは俺……酷い事言ったけどさ、マドカさんが俺の彼女になってくれるんなら、もう本当の本当に絶対酷いことはしないよ。宮本の百倍大切にする、約束するよ」
俺の言葉を信じて、とでも言うかのように、いつになく優しい手つきで宍戸が髪を撫でてくる。
「だからマドカさん、俺の彼女になってよ」
「……ッ……嫌っ……絶対、イヤっ……」
つくづく、この男は正気ではないと円香は思う。これほど散々な目に遭わされた挙げ句彼女になれと言われて頷くとでも思っているのだろうか。
「……ま、イヤだって言っても……無理矢理なってもらうんだけどね」
「っ……どういう、意味……?」
「ん……そろそろマドカさんの心を折ってあげようと思ってさ」
宍戸は腰の動きを止め、膝まで下ろしたズボンのポケットから携帯電話を取り出す。
「マドカさんがいくら宮本と別れたくなくてもさ、宮本の方がマドカさんに愛想つかしたら、別れるしかないよね」
「何……する、気なの……まさか……動画の事、武士くんに――」
「ああ、その心配はしなくてもいいよ。言いにくいんだけど、実はマドカさんより先に宮本の奴、あの動画見てるんだよね」
「えっ――」
ざわりと、全身の血が冷え切るのを円香は感じた。
「俺が部活仲間の家で初めてあの動画見た時、宮本もその場に居たんだよ。まあ、なんか途中でキレてすぐ帰っちまったけど、間違いなく動画に出てるのがマドカさんだって事には気づいてると思うよ」
円香は、少なからず混乱した。眼前の男が何を言っているのか理解し難かったからだ。
武士には黙っててやるから。武士にバラされたくなかったら。武士に迷惑をかけたくなければ――そう脅されて、止むに止まれず体を許してきた。
しかしそれすらも嘘だったのだ。円香が本当に守りたかった物など、最初から何処にもなかったのだ。
「あぁ……良いよ、その顔! すっげぇ良い! “絶望”って感じスゲー出てるよ!……あぁァ……マドカさんがそんな顔するから、メチャクチャ興奮してきた……」
円香はもうこの悪魔にかける言葉が見つからず、思いきり唾を吐きかけた。宍戸は避けず、あえてそれを頬に受け、ぺろりと舌なめずりをする。
「まだだよ、マドカさん。“本当の絶望”はこれからなんだから」
笑いを噛み殺しているような顔で、宍戸は先ほど取り出した携帯電話を操作し、耳に当てる。
「……あ、もしもし。宮本?」
「なっ……ちょっッ……」
「うん、そう……俺だよ。今大丈夫?」
円香は何とか両手の拘束を解こうと躍起になって暴れた。が、しっかりと結ばれているらしい紐はか弱い女の力では解くことは出来ず、そんな円香を見下ろしながら、宍戸はのんびりとした口調で“会話”を続ける。
「実はさぁ……今マドカさんと一緒なんだよね。そそ、お前の彼女の佐々木円香さんだよ」
「止めて! 電話を切って!」
円香は上体を起こして噛みつかんばかりに声を荒げるが、宍戸は鼻で笑って空いている腕で円香の頭を掴むと容易く地面に押しつけた。
「今の聞こえた? なんか知らねーけど、お前には声聞かれたくないみたい。セックスの真っ最中だからかな?」
「ッッッ……や、止めて……本当に、止めてよぉ…………」
無駄だと解っていても、懇願せざるを得なかった。そして案の定、宍戸は薄ら笑みを浮かべたまま、電話を切る素振りなど微塵もみせない。
「嘘じゃねえって。解ったよ……んじゃ今からマドカさんイかせるから、サカリ声が同じかどうかちゃんと聞いてろよ?」
宍戸は携帯を円香の頭上からやや離れた地面へと置く。そして空いた両手で、円香の両乳を捏ね始める。
「……ッッ……!」
「我慢なんかしても無駄だって、まだわかんねーの?」
宍戸がぐりんっ、と腰をくねらせ、円香の弱い部分をこれでもかと刺激してくる。ぐり、ぐりと立て続けにそれを続けられ、どれほど頑なに口を噤んでいても、まるで不可視の手で強引にこじ開けられているかのように唇が開き出す。
「ぁ……ぁッ………………!」
「ほら、我慢するなよ。イけって」
両胸を捏ねられ、吸われる。背が反り、体の奥底から熱い塊が急速に膨れあがり、暴れ出す――円香は必死に、“それ”を堪える。
「ひ、ぅ……やっ……イヤッ……イヤッ……ぁ…………!」
体が、不自然な痙攣を繰り返す。宍戸の動きは憎らしいほどに的確だった。一挙手一投足全てが円香を追いつめ、切り崩していく。
「ほら……イけ、イけよ……イけって」
耳元に吐息を吐きかけながら、悪魔が囁く。円香は己の内側で膨らむ快感を堪えながら、必死に藻掻いた。
「はぁっ……はぁっ……ンッ…………!」
宍戸が、ぐにいと胸を掴む。ぐにぐにと、円香に対する気遣いなどまるでない手つきで乳を捏ね、その先端に吸い付く。
「ンッぅぅう……!」
じゅるりっ……と吸い上げられる感触に思わず腰を浮かせそうになってしまう。結果、宍戸の剛直をさらに締め上げる形となってしまい、そこを狙ったように突かれ――
「あァッ! ぁっ……」
弾かれたように声が出てしまった。ニヤリ……と、眼前の悪魔が笑うのが解った。
「円香さん、いつもより興奮してんの? スゲー濡れてきてるよ」
宍戸の言葉を無視し、円香はキュッと唇を噛みしめる。しかしそれも、宍戸が再び抽送を始めるとたちまち不可視の手によってこじ開けられてしまう。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……ンッ……はぁっ……はぁっ………………」
喘ぎ声を無理矢理吐息に変えるような、そんな息づかい。宍戸は円香のそんな小細工を薄ら笑みを浮かべながら見下ろし、好き勝手に円香の体を蹂躙してくる。
「円香さん、宮本にも言ってやりなよ。お前の粗チンより、俺の太くて長いチンポの方が気持ちいいって」
「うるっ……さい……ぁっ……ひっ……ぁあっ、ぁっ……はぁはぁ……ああぁっ……!」
どれほど頭で、心で拒んでも体のほうが反応してしまう。太い肉の塊が根本まで挿入れられる度に太股を痙攣させるようにして背を逸らし、声を荒げてしまう。
「乳首なんてこんなにピンッピンに尖らせちゃって、もうすぐにでもイきそうなんだろ?」
「ひぅっ……くぅッ……ッッ……」
くに、くにと指先で先端を弄られ、危うくイかされそうになるも円香は寸前て踏みとどまった。今回は堪えられた、しかし、次も堪えられる自信は無かった。
絶え間なく打ち付けられる剛直、それによって強制的に送りつけられる快楽に屈するのは屈辱の極みだった。肌を桜色に火照らせ、玉のような汗を滲ませながらも、円香は堪え、堪えながら……藻掻く。
(……もう、少し……もう少し、で……)
遮二無二藻掻いたせいで、両手を拘束している紐が緩みつつあった。もうすこし、あともう少しで両手の拘束が取れる。そうすれば――。
「っ……はぁ……はぁっ……ッッ……イヤッ……、ぁっぁあッぁっ……ひぁっ、ぁぁぁああァァッ!!!!!」
眼前に見えた僅かな希望――円香の心が俄に緩んだその刹那。“それ”は円香の心を津波のように飲み込んだ。
「んぉぉおッ……はぁっ……ヤベっ……すっげぇ締まる……」
「やっ……イヤッ……中はっ……だめっ、イヤッ……中に出さないでぇえええ!!」
絶頂と呼ぶにはあまりに罪深いそれに円香は瞳を潤ませながらも叫ぶ。しかし、そんな円香の決死の懇願とは裏腹に、どくりと打ち出された“熱”が下腹一杯に広がっていく。どくり、どくりと。まるで、心まで浸食しようとするかのように。
「ふぅぅ……マドカさん、イく時マンコ痙攣させすぎだよ……おかげでスゲーいっぱい出ちゃったじゃん」
どくっ、どくっ……。根本まで挿入された剛直からこれでもかと注がれる毒液。まただ、また汚されたのだ――円香は両目から涙を溢れさせ、全ての抵抗を諦めたように脱力した。
「ぅっ…………ぅぅ…………ッ……」
泣きじゃくる円香の頬にキスをして、宍戸は携帯電話を拾い上げる。
「あ、宮本、……今の聞こえた?」
虚空を見つめ泣いていた円香はハッと、思い出したように宍戸の方へと視線を戻す。それを見て、宍戸がニタリと。手負いのネズミを見つけた猫のような笑みを浮かべる。
「マドカさん、宮本がアンタと話したいってサ。どうする?」
「っっっ……」
「あー、宮本? なんかマドカさんイッたばっかで口利けないみたい。えっ、とにかく電話を代われって?」
またニタリ、と笑みを浮かべて、宍戸が携帯電話を円香の耳元へと近づける。円香は反射的に、上体を引いてそれから逃げようとした。
(イヤッ……止めて……!)
叫びが、声にすらならなかった。こんな状況で、武士と話など出来る筈がない。何も聞きたくはないし、何も言いたくはなかった。しかし、無慈悲にも携帯電話は円香の耳へと押しつけられ、その向こうから今にも聞こえてくるであろう罵声に円香は身を強張らせてその瞬間に備えた。
「ぷっ……ぷぷぷ…………ギャハハハハハハハッ!!!!」
しばしの静寂。それを唐突に破ったのは、宍戸の笑い声だった。
「マドカさんビビリ過ぎだって! 俺が本当に宮本に電話かけてたと思ったの?」
「えっ……」
円香はハッとして、そして改めて携帯電話から漏れてくる音を聞いた。それは愛しい相手の怒り狂った声でも罵声でもなんでもない、ただの不通音だった。
「だいたいさぁ……俺が宮本の携帯番号なんか知ってるワケないじゃん。ダチでもなんでもねーんだから。それくらいちょっと考えりゃ解るっしょ。ホント、マドカさんって頭ワリーんだから」
「……――ッッッ!!!」
怒り、そして恐れ。眼前の少年に対して懐いていたそれらが、殺意へと昇華するのを円香は感じた。
(殺して、やる……ッ)
この少年が生きている限り、安息の時など決して来ない。今ここで殺しておかなければ。
(殺してやるッ、殺してやるッ、殺してやるッ!!)
視界の端に、キラリと光るものがあった。先ほど取りこぼした果物ナイフの刃の反射だった。手を伸ばせば届く距離――円香は手首が擦りむけるのも構わず、強引に右手を紐から抜き、果物ナイフを手に取った。
「何してるの、マドカさん。アンタに人を刺す度胸なんて無いでしょ?」
円香が果物ナイフを握りしめて尚、宍戸は余裕の笑みを崩さなかった。そう、確かに人を刺す度胸など持ち合わせてはいなかった。この場に持ってきたのだって、あくまでブラフの為に用意しただけだ。
しかし、今は違う。
(どこまでも、バカにして……ッッッ!!!)
確かに、自分は馬鹿かもしれない。今回の事も、或いはもっと巧く解決する方法があったのかもしれない。侮られ、嘲られても仕方がない。
それでも――。
「ぁぁぁぁああああああああああッ!!!!!」
円香は声を荒げ、渾身の力で果物ナイフを突き出した。さすがに突き刺す瞬間だけは正視に耐えず、円香は“感触”で刃が深々と刺さるのを確認した。
「……ぁ、ぁ……」
終わってみれば呆気ないものだった。円香が感じていたよりも人体というのは刃に対する抵抗が少ないらしい。ざくりとした感触は、まるで大して中身の入っていないスポーツバッグか何かに突き刺したかのような――。
「えっ……」
そんな呟きは、円香と、そして円香の上にのしかかっていた男の両方の口から漏れた。
次の瞬間、円香の上から“重り”が消えた。
“その光景”を目の当たりにした瞬間の衝撃を形容する言葉を、宮本武士は知らなかった。頭で考えるよりも先に、体が動いた。肩から提げていたスポーツバッグを投げると同時に、武士は走っていた。
バッグは、狙い通り円香の手にしていたナイフに突き刺さる。それを確認するよりも早く、武士は“もう一つの人影”の方を蹴り飛ばしていた。
獣のように叫び声を上げたような気もするし、全てを無言で行ったような気もした。とにかく、円香によって止められるまで、武士は蹴り飛ばした人影に馬乗りになって殴り続けていた。
「武士くん! もう止めて、本当に死んじゃうッ!!!」
縋るようにして叫ぶ円香の悲痛な声は、随分と前から聞こえてはいた。しかし、それ以上にどうしようもない怒りによって、武士は殴るのを止められなかった。
「はぁッ……はぁッ……はぁッ…………」
両手の拳に、痺れのようなものを感じた。見れば、拳は両方とも赤く濡れ、その表面には見慣れないものが生えていた。それが今の今まで己が殴っていた相手の歯だということは、すぐに解った。
「武士くん……お願い、もう……」
「円香さん……」
理性を取り戻すと同時に、武士は円香を抱きしめた。円香もまた、武士の背へと手を回し、抱き合った。
「円香さん……ごめん……」
ぎゅうっ、と。武士はさらに両腕に力を込める。
「俺……円香さんがこんな事になってるなんて知らなくて……本当にごめん!」
「そんな……武士くんは悪くなんかない! 謝る事なんて、何も……ないよ……」
「…………っ……いや、俺が悪いんだ。もっと早く気がついていたら――」
円香から事情を聞かずとも、何があったのかは大凡武士には察しがついた。円香は、脅されたのだ。そして――体を求められた。円香の乱れた衣服が、それを証明していた。
(それも……今度の事が初めてってワケじゃない……きっと、もっと前から……)
そうだと考えねば、これまでの円香の様子の変化の説明がつかない。だからこそ、武士は悔しかった。己の不甲斐なさに涙までにじんだ。
「……円香さん、警察に行こう」
びくんと、武士の腕の中で怯えるように円香が震えた。
「これは立派な犯罪だよ。ちゃんと警察に行って、対処してもらおう」
「そんな……お願い、武士くん……警察には……言わないで」
「どうして、円香さんは被害者なのに」
武士には、円香の言葉が理解できなかった。加害者である宍戸が――原型を留めない程に殴りつけてしまったせいで確認は取れないが――止めてほしいというのならばまだしも、被害者である円香が警察行きを嫌がる理由が、武士には分からない。
「警察に行ったら……絶対パパとママにも連絡が行くし……この前あんな事になって、そしてまたこんな事があったってバレたら……絶対引越しとか、そういう事になると思う……。……それに、警察でも色々質問とか検査とかされたり……もう、あんなのは嫌なの……」
「でも……」
武士は足下で延びている男へと目をやる。この男にはきちんと法の裁きを与えるべきではないのか。何より、“この程度”で済ませては、武士自身の気も晴れなかった。
(よくも……円香さんに……ッ……!)
完全にノビてしまっているであろうその姿を見ていて尚、無限の怒りがこみ上げてくる。もう四,五発本気で蹴り飛ばしてやろうと武士が向き直るや、それを察したように円香がぎゅうと体を密着させた。
「ダメだよ、武士くん……これ以上蹴ったりなんかしたら、武士くんが人殺しになっちゃうよ」
「ッッッ……でも、こいつは……円香さんをッ!!」
やり場のない怒り――この時ほどに、その矛先に困った事は無かった。眼前に寝転がっている男は、千回殺しても飽き足らない程の罪を犯した。
それなのに。
「…………いいから、やれ……よ、宮本」
「……ッ……宍戸っ……」
思いも寄らぬ相手からの声に、武士は円香を抱き寄せたまま数歩距離を取った。しかし、宍戸は身を起こす力もないのか、上体を起こそうとしただけでごほごほと血を飛ばしながら咳をする。
「あぁ……痛ぇ……血がとまんねぇ…………」
「宍戸、てめぇ……」
「いいからやれよ。俺は……お前の彼女脅して、金巻き上げてレイプした男なんだぜ……何されたって……ゲホッ……文句なんか……言わねーよ」
「ッッ……!」
武士は円香の制止を振り切り、宍戸の腹に思いきりつま先をめり込ませた。宍戸は体をくの字に下り、くぐもった声を漏らしながら悶絶する。
「……ッ……なんで、こんな事したんだよ」
良いチームメイトというわけではなかった。部活は休みがち……しかしそれは止むに止まれぬ事情からであって、決していい加減なプレイをしていたわけではない。武士自身、こうして“現場”を目の当たりにして尚、自分と同年代の……しかもチームメイトがこんな事をしでかしたという事を信じられなかった。
「……うる、せぇ、俺が知るかよ……ボケが」
「ッ……宍戸ォッ……!」
「いつも人の事……哀れむような目で見やがって……いい気味だぜ」
咳混じりに、宍戸はくぐもった笑い声を上げる。
「お前……まさか――」
宍戸の言葉に、武士はいつぞやの邂逅の記憶が脳裏に蘇る。
(いや、だからって――)
そんな目で見たつもりはなかった。例えそうだとしても、こんな事をして良い筈がない。
「……ッ……宍戸、吉村から貰ったディスク、出せ」
「ねー……よ。そんな、もん」
「お前が吉村からDVDで動画を貰ったってのは聞いてんだよ、さっさと何処にあるか言え!」
「だからもう無ぇんだよ、手元には……。何処に……あるかはそこに居るアホ女に、聞けよ」
えっ、と武士は円香へと視線を移す。円香もまた、戸惑うような目で武士を見る。
「最初に……DVDを貰った……けど……すぐに捨てたわ」
「だ、そうだ……。良かったな、宮本……」
「まだだ。吉村から貰ったノートパソコンがあるだろ。それも出せ」
「ひでぇ奴だなぁ……ノートなら、そこの……黒い机の上にあんだろ。…………好きにしろよ」
武士は言われるままに黒い机の上を見た。確かにそれは大分前に吉村の家で見たノートパソコンと同じものだった。
「ついで、に上から三番目の……引き出しの中身も、持ってけよ。そこのアホ女から巻き上げた金が……入ってる。二千円ばかし使っちまったけどな」
「……円香さん、確認して」
武士は引き出しを開け、中に入っていた封筒と剥き出しの万札を円香へと渡す。
「ああ……それからどっか……その辺に……四十万入った封筒も転がってる筈だぜ。忘れず……に拾えよ」
「四十万……てめぇ、そんな大金ッ……」
「勘違いするなよ、そいつが勝手に持ってきたんだ。“このお金をあげるから、武士くんには絶対言わないで”ってな。ケケケ……ゲホッ……ゲホッ……」
「……宍戸ォッ……!!!」
武士は再び宍戸に蹴りをいれようとしたが、それは未遂に終わった。
「もう良いの……武士くん、早く帰ろう? もう……ここには、居たくない……あいつの顔も見たくない、声も聞きたくないの……」
「……ッ……円香さん……」
武士の腕を両腕で抱き込むようにしながら円香に訴えられ、武士は逡巡した。今、ここで帰っていいものかどうか。円香の制止を振り切ってでも宍戸を警察に突き出すべきではないのか。
だが、しかし――。
「……宍戸、二度と円香さんの前にその面出すなよ。もし、また円香さんを泣かせるような事をしやがったら……今度こそぶっ殺してやる」
「ゲホッ……心配すんなよ。こんな歯じゃあ、どうせ学校にも行けねえ、ついでに……お前の前からも消えてやるよ」
「……あぁ、そう願いたいもんだ」
吐き捨てるように言って、武士はスポーツバッグを拾い上げ、ノートパソコンを小脇に抱えて円香と共に出口へと向かう。
「あー……つまんねぇ。……サッカー……やりてぇなぁ……」
その背中に、ぽつりと。独り言のような声が届き、武士は足を止めた。
「なんで……借金なんか作ったんだよ……くそ親父……」
武士は返事を返さず、振り向きもせずに歩き出した。円香もそれに倣い、廃工場を後にした。
工場を出るなり、両腕が猛烈に痛み出した。街灯の明かりに照らしながら改めて傷口を見ると、両手の至る所が赤紫色に腫れ上がり、歯の刺さった場所からの出血は未だに止まっていなかった。。
「武士くん、早く病院行かなきゃ……」
「大丈夫、これくらい……大したことはないよ」
「でも……もし骨とか折れてたら……」
「そこまで酷くはないよ。折れてたら、もっと派手に腫れたりするから」
強がってはみたものの、武士自身骨折の経験は無いからあやしいものだった。それでも強がったのは、これ以上円香の心に負担をかけたくはなかったからだった。
(……これくらいの痛みなんて……円香さんの傷に比べたら……)
幸いなことに、円香の何処にも外傷は見あたらなかった。しかし、その心は武士には想像も出来ない程に傷ついている事だろう。
(……俺は、どうすればいいんだ)
ここにきて、武士は不思議な既視感を感じていた。そう――記憶を探って思い出したのは、円香に“告白”を受けた時の事だ。
あの時は、無我夢中になって抱きしめた。だが今は――。
「……ごめんね、武士くん……私、ハンカチも何も持ってなくて……家に帰れば救急箱があるから、それまで我慢できる?」
まるで痛いのは円香であるかのように、今にも泣きそうな顔だった。そんな顔をされては辛い素振りは微塵も見せられなかった。
「それ……私が持つから。武士くん……手、痛いでしょ?」
「ごめん……結構重いよ」
大丈夫、と円香はノートパソコンを受け取り、両手で抱える。ノートとはいえ、三,四キロはあるであろう代物を円香に持たせるのは気が引けたが、傷のせいか出血のせいか指に力が入らなってきていたからやむを得なかった。
「…………あの、ね……武士くん……一つだけ……聞いてもいい?」
「……なに?」
お互い、先ほどまでの事にはあえて触れぬよう振る舞っていた。円香の切り出し方は、“そこ”に触れるという合図だった。
「どうして……あの電話だけで……私がここに居るって解ったの?」
「あぁ、それは――やべっ!」
そこではたと、武士は“忘れ物”を思い出した。
「円香さん。ちょっと待ってて!」
慌てて工場まで引き返し、プレハブの階段の手すりにくくりつけていたコジローのリードをうまく動かない指でなんとか外した。置いてけぼりにされていた当の本人はといえば、またしても昼寝をしていたのか、大あくびの真っ最中だった。
リードを手に、あまり走ろうとしないコジローをひっぱるようにして武士は円香の所へと戻った。
「ごめん……コジロー勝手に借りちゃった」
「まさか……コジローが案内したの……?」
信じられない、という円香の顔。武士は“真実”を言ったものかどうか悩んだ。
(コジローがまっしぐらだったのは白石さんの所までだったって事は……やっぱり黙ってた方がいいよな……)
そこから先は、武士にしてみればまるで手品を見せられているような気分だった。武士が円香を捜しているという事を知るや、白石妙子はコジローの側にしゃがみ、まるで耳打ちでもするかのように囁きかけ、何度か頭と背中を撫でつけた。たったそれだけの動きで、コジローはさも渋々……という動作ではあったが、こうして円香の所まで導いてくれたのだ。
「……うん。円香さんからの電話でどうしても会って話をしなきゃって思って……」
「……ごめんね。私一人でなんとかしようと思ったの……だけど……」
そこで円香は言葉を切り、首を振る。
「話は手当の後だね。急ごう、武士くん」
早足の円香に、武士も続く。コジローだけが、いつまでも未練がましく白石妙子のアパートの方角を見ながら、渋々引っ張られていった。
「考えてみたら、俺……円香さんちに上がるの初めてだ」
「……いつもは、お手伝いさんが居るから……待っててね、救急箱捜してくる」
二階の円香の部屋へと通され、武士一人だけ部屋に残して円香は階下へと降りていく
(ここが……円香さんの部屋……)
頭の中で何度か想像はした。しかし、その何倍も素晴らしい部屋に見えた。まず、武士の部屋の倍は広い。さらに大きめのベッドに勉強机、本棚、カーテン、絨毯、衣装ダンス――そのどれもが光を放っている様にすら感じた。この部屋の空気を吸う事すらも恐れ多い気がして、武士は無意識のうちに呼吸を控えてしまった程だ。
(円香さん……ぬいぐるみとか好きなんだ)
広いベッドの枕元には大小様々なぬいぐるみが置かれていた。ぬいぐるみの種類も熊だったりペンギンだったりキツネだったりピエロだったりと特に一貫性は見えなかった。
程なく円香が戻ってきて、武士はベッドに座らされ、手当を受けた。えぐれた傷を消毒して、傷口用の軟膏を塗ったガーゼを宛い、包帯を巻く。素人治療には違いないのだが、相手が円香というだけで痛みまで和らぐのだから不思議だった。
「ありがとう、円香さん。痛みも大分マシになったよ」
「……武士くん、一応……明日病院とか行って看て貰ったほうがいいよ。もし、後遺症とか残っちゃったら……」
今にも泣き出しそうな円香の声に、ここで強がってみせるのは逆効果だと、武士は思った。
「うん、解った。明日病院行って看て貰うよ」
「本当にごめんね……私のせいで……」
「そんな……謝らないでよ。円香さんが悪いことなんて何も無いんだから」
「でも……でも…………」
みるみるうちに円香の両目に涙が溜まり、溢れ出した。
「ごめんね……武士くん……本当にごめんね…………私、また……」
「円香さん、大丈夫だから……泣かないで」
ぽろぽろと涙を零す円香の顔を見ていられなくて、武士は衝動的に円香の体を抱きしめた。武士の腕の中で、円香は小さく震えていた。
「私……あいつに脅されて……動画ばらまくぞって……お金も取られて……体も……」
「もういい、もういいから……円香さん」
「今日が初めてじゃないの……前にも、二回……レイプされて……」
「っっ……円香さん……」
円香を抱きしめたまま、武士は歯ぎしりをした。円香に対してではない。自分の不甲斐なさに対してだ。
(なんで……もっと早く……気づいてあげられなかったんだ……)
こんなにまで悩んで、傷ついてしまうまで恋人の窮地を察することが出来なかったなんて。過去の自分の愚かしさに歯ぎしりが止まらなかった。
「武士くんには……どうしても言えなくて……あんな動画見られたら、絶対……嫌われるって……思ったから……」
「ッ……円香さん、それは――」
そんな事はない――それだけは、武士は否定せねばならなかった。
「円香さん……円香さんは勘違いしてるよ。そんな動画なんか見たって、俺は円香さんの事を絶対嫌いになったりしないよ」
「……うん、解ってるの。武士くんなら、きっとそう言ってくれるって……でも、それでも……もし……もし嫌われたらって……そう思ったら不安で堪らなかったの……。…………それに……」
「それに……?」
「私が言うことを聞かなかったら、あの動画に出てる女が武士くんの彼女だって、部活の仲間にも言いふらすって……武士くんが部に居られないようにしてやるって……」
「アイツ……そんな事まで言ってたのか」
もう四,五発殴るべきだった――武士は己の処置が甘すぎた事を悔いた。
「……円香さん、やっぱり勘違いしてるよ。俺にとってのサッカーなんて、別に生き甲斐でも何でもないんだから。サッカーがやれなくなる事なんかより、俺は……円香さんに泣かれる方が何倍も辛い」
そう、こうして泣きじゃくる円香を抱きしめているだけで、胸が張り裂けそうな程に辛かった。この胸の痛みに比べれば、サッカーボールに生涯触れるなと言われたところで鼻で笑い飛ばしたくなる程度の些事だった。
「円香さんが前にどんな目に遭ったかとか、宍戸に何をされたとか、俺は全く気にしない。円香さんは円香さんなんだから」
「……ダメ、だよ……私は、そんな風に割り切れないよ」
武士の腕の中で、円香が首を振る。そうかもしれない――と武士は思う。実際に、円香はその体に触れられ、そして犯されたのだ。その時の記憶は、そう簡単にぬぐい去る事は出来ないだろう。
「………………ッ…………!」
改めて、武士は実感した。想い人がレイプされた――その事実を。
(……ッ……殺してやる……!)
今、目の前に宍戸が居れば、間違いなくその首を絞め殺していただろう。これほど純粋な殺意を懐いたのは、生まれて初めての事だった。
(どう……すれば……)
宍戸への殺意を楽しむ前に、傷心の円香を慰めてやりたかった。しかし、宍戸に負わされた心の傷は容易なことでは癒えないだろう。
(紺崎さんなら……こんな時……どうするんだろう)
武士の脳裏に、ふと姉の彼氏の顔が浮かんだ。武士にとって、恋愛事の師匠のような存在だった。彼ならば、どのようにして円香を慰めるのだろうか。
(解らない……でも、俺は……)
円香に対する申し訳なさと、宍戸に対する殺意、不甲斐ない自分に対する怒り――それらが武士の胸中でない交ぜになり、一つの炎となって急速に燃え上がった。
「円香さん……!」
武士は俄に体を離すと同時に、そっと円香の顔に手を宛い、唇を重ねた。
そのまま武士は円香の体をベッドへと押し倒した。両手に鈍い痛みが走るが、全く頓着しなかった。
「やっ……」
円香が俄に抵抗をしたが、武士は無理矢理ねじ伏せた。唇を奪い、胸元をまさぐる。
「だめっ……止めて……」
円香の叫びが、本当に嫌がっているように聞こえて、武士はピタリと動きを止めた。
「ごめんね……武士くん……エッチとか……そういう気分になれないの……」
「……っ……円香さん……」
違う、と。武士は言いたかった。ただセックスがしたかったのではない。この張り裂けそうな“想い”を円香に伝えたくて。伝える言葉が見つからなくて。だから代わりに行動で示そうとしただけなのに。
「……好きだ」
武士は円香に被さり、重い塊を吐き出すように呟く。
「好きなんだ、円香さんの事が。……本当に、本気で、好きだ」
「武士……くん……」
「円香さんに……もっと知って欲しいんだ。俺が、どんなに円香さんの事が好きなのか……」
言葉を重ねれば重ねるほどに、胸の奥の締め付けが増した。武士は呻くように顔を歪めながらも続ける。
「今日まで、ずっと不安だった……円香さんからの電話も、メールも無かったから。飯もろくに喉を通らないし、円香さんの家まで様子を見に行きそうになった事も何度もあった……もう、自分でもどうしようもないくらいに、円香さんの事が好きなんだ……」
円香は無言で、武士を見上げていた。その瞳には、いつしか期待にも似た輝きが戻っていた。
「だから……円香さんに泣かれると……本当に苦しくて、辛いんだ。少しでも早く笑顔に戻って欲しい、少しでも長く笑っていて欲しい……その為なら、何だって出来る」
極度の緊張のせいか、口の中がカラカラに乾いていた。しかし、それでも尚、武士は己の想いを吐露せずにはいられなかった。
「……その事を、円香さんに……解って欲しかったんだ……エッチが、したかったんじゃないんだ」
言葉に出来ないから、行動で示そうとした――その筈だった。しかし気がついてみれば、言葉で全て吐露してしまっていた。
はたと、武士は顔から血の気が引くのを感じた。こんな事を言ったら、逆に引かれてしまうのではないか――そんな恐怖心から、武士は円香の顔を正視できなくなった。
「……武士くん」
武士の視界の外で、円香が呟いた。ぎゅうっ……と、円香が両腕でしがみつくようにして抱きしめてくる。
「…………ありがとう」
何故お礼を言われたのか、武士には解らなかった。円香はそのまま、顔を武士の胸に埋めるようにして、さらに呟く。
「……ありがとう、武士くん」
「円香さん……」
武士もそっと円香の体を抱きしめ、そのまま横になった。もう、言葉は要らない――ただこうしているだけで十分。触れあった体温を通して、武士にもそれが解った。
そうして三十分も抱きしめ合っただろうか。
「……武士くん」
ぽつりと、円香が呟いた。
「今日……少し帰りが遅くなっても大丈夫?」
「……うん」
「……そっか。じゃあ、私……シャワー……浴びてくるね」
武士は頷き、抱擁を解いた。
いつもの倍以上の時間をかけて、円香はシャワーを浴びた。まるで全身から宍戸の痕跡をそぎ落とすかのように念入りに洗い清めた。
(武士くん……)
全身の泡を洗い流しながら、円香は目尻が熱くなるのを感じた。先ほどの武士の言葉を思い出すだけで、簡単に涙が溢れてしまった。
(だめ……だめだよ、こんな気持ち…………恐い…………)
言葉には出来ない想いがこみ上げてきて、円香は息苦しさを憶えた。こんなに、これほどまでに他人に想われ、大事にされた事があっただろうか。
武士の言葉が、純粋な眼差しが身震いするほどに円香は嬉しかった。嬉しすぎて、恐いと感じてしまう程に。
宍戸に負わされた傷は決して軽くはない。しかし、武士の“想い”はそれよりも遙かに大きく、強く円香の心を揺さぶった。そしてその大きさ、強烈さに円香は俄に物怖じしてしまったのだ。
(武士くんにそこまで想われる資格が……私にあるの……?)
同じ質問を武士にすれば、間違いなく武士は肯定するだろう。それも恐い、と円香は思う。
自分は、そこまで想われるような女ではないと円香は思う。数多の男達に汚された体ひとつとっても、純粋な武士には不釣り合いだ。本当に武士の事が好きならば、一芝居うってでも武士を突き放し、別れるべきではないかとすら思う。
勿論、円香にそんな事が出来るわけもない。そもそも、武士が居なければ無かったかもしれない命だ。そして今また、絶望の底から円香を救い出し、汚された心を癒してくれたのも武士だ。
離れられない――離れられるわけがなかった。
浴室から出て、髪の乾く間ももどかしいとばかりにドライヤーを置いて、円香はバスローブ姿で自室への階段を駆け上がった。家政婦は休み、父も母も帰りは遅い――だからといって、家に武士を招ける筈は無かった。そう、昨日までの自分であったならば。
(パパやママにバレたって良い……それくらい、武士くんの事が……好き)
父も母も仕事の都合でいくらでも早く帰ってくることは考えられた。しかし、それらの可能性を考慮しても尚、円香は抱かれたいと思った。愛しくて、愛しくて堪らない――生き甲斐とも言える宮本武士に。
階段を駆け上がり、自室のドアに近づくにつれて胸が高鳴った。呼吸が乱れ、目眩すら覚えた。
「……お待たせ、武士くん」
恐る恐る、ドアを開ける。ベッドに座る武士と目が合うなり、円香は全身に痺れにも似たものが走るのを感じた。
(やだっ……武士くんの顔を見ただけなのに……)
しっかりと体は拭いた筈なのに、太股の辺りに違和感を感じた。そのことを照れるよりも早く、円香は武士の隣へと腰掛けていた。
「おかえり、円香さん」
武士の右手が背中から腰へと回ってきて、ぐいと抱き寄せられた。ぁっ、とそれだけで円香は小さく声を漏らし、くたぁと武士にもたれ掛かる。
(すごく……ドキドキしてる……“あの時”みたい……)
そう、あれは三度目に武士に抱かれた時。息苦しい程に胸が高鳴って、わけも解らないうちに何度も何度もイかされた時の事を思いだして、円香は忽ち赤面した。
「円香さん……」
「ンっ……」
武士に促されるままに顔を上げ、唇を重ねる。
(ぁっ……)
ゾクリと、電流のようなものが背筋を走った。
(ぁっ、ぁっ、ぁっ……やっ、嘘っ……ぁぁぁぁぁぁ……!)
武士の唇を食むようにして、舌を絡み合わせる。ただそれだけの事なのに、まるで電気ショックでもされているかのように体が震えた。
「ンむっ……んっ……ぁむっ、ちゅるっ……んんちゅっ……!」
気がつくと、円香は自ら武士にのしかかり、押し倒すようにして唇を奪っていた。
「円香さん……積極的だね」
驚いたような武士の目に、円香はさらに顔の朱を濃くした。指摘されるまでもなく、円香自身いやというほど自覚している事だった。
(ずっと……引きずるって……思ってたのに……)
宍戸によってもたらされた悪夢から武士に救われて尚、しばらくは無理だろうと。事に及ぶたびに宍戸の顔がちらつき、決して楽しめないだろうと。そう思っていた。
事実、先ほど武士に押し倒された時は嬉しさよりも“男”に押し倒されるという嫌悪感の方が勝った。
それなのに。
「武士くんの……せいだよ」
抱かれたいと、心の底から思わされたのだ。その強烈な想いの前には、宍戸に受けた傷すらも障害とは成り得なかった。
「好き……好きだよ、武士くん」
武士にかぶさるようにして、円香は再度唇を奪う。ねっとりと、互いの舌を舐め合うようにしてのキス――その最中だった。
突然の呼び出し音に円香は慌てて唇を離した。紛れもない、携帯の着信音だった。
「ごめん、俺だ」
武士がばつが悪そうに苦笑して、ポケットから携帯電話を取り出す。
「姉貴からだ」
「お姉さんから?」
「うん……あぁ……そういえば、さっき帰る前に晩飯の材料買って来いって言われてたんだった」
つまり、それの催促の電話という事なのだろう。
「武士くん……帰っちゃうの?」
自覚は無かった。が、しかし……余程寂しい目をしていたのだろう。
「帰らないよ。円香さん」
まるで幼子をあやすような笑顔を浮かべて、武士はあっさりと携帯の電源を落としてしまう。
「円香さんにそんな顔をされたら、両親が危篤だって言われても帰れないよ」
「武士くん……ぁっ……」
携帯を投げ捨てた武士にぐいと、横転するようにして押し倒される。
「好きだよ……円香さん」
「私も……好き、武士くん…………ぁっ、……ぁっ、ぁあァ……!」
体をまさぐられながらの、三度目のキス。円香はあられもない声を上げ、体を大きく反らせた。
最初は、間違いなく冷静だった。しかし、長くは持たなかった。
「円香さん……っ……!」
バスローブをはだけさせ、直接巨乳を揉みしだきながら、武士はその先端へと食らいつく。懐かしい味が口腔内に蘇り、同時に円香が堪えかねたような声を上げて武士の後頭部に爪を立ててくる。
「ぁっ……ぅ……はぁんっ……ンぅぅ…………」
どこか苦しげな、しかし甘い声に誘われるように武士は舌先で円香の乳首を舐り、中につまっているであろう乳白色の液体を吸い上げる。
「ぁっぁぁッ……だ、めっ……そんなに、強く……ぁはぁぁぁあッ……!」
口腔内に溢れるミルクをごくり、ごくり、と武士は喉を鳴らして飲み込み、一端唇を離す。同時に円香の手と、体から力が抜ける――その隙に、今度はもう片方の乳房へと吸い付いた。
「あぁァッ……!」
ぐに、ぐにと絞り出すように乳を捏ねながら、武士は円香の母乳を吸い上げる。何度も繰り返してきた為か、その手つきはひどく慣れていた。
「母乳……なかなか止まらないね。そろそろ出なくなっても良さそうだけど」
「そ、それは……武士くんがいつも……そうやって吸うから……ぁんっ……!」
「だったら、俺……いくらでも吸うよ。円香さんの母乳……美味しいし」
「だ、ダメっ……そんなの……ぁっぁっ……ぁぁぁぁぁ……」
強く吸うと、爪を立てて体が強張る。優しく吸うと、脱力して愛しむように後ろ髪を撫でられる。そんな円香の対応を楽しみながら、武士はじっくりと円香の胸を責める。これまでの経験から、こうしてたっぷりと胸元を責めてからのほうが後々の反応も良くなる事を知っているからだった。
(ていうか円香さん……前よりも沢山母乳出るようになってるよな……絶対)
前は、ほんの一口二口飲んだだけですぐ出なくなっていたのが、今では両方飲み尽くすのが些か大変なのだ。
(……考えてみたら、別に飲み尽くす必要はないよな)
ただ、そうするとより円香の反応が良くなるからという理由で、武士は喉を鳴らしながら円香の乳首にむしゃぶりつく。むしゃぶりつきながら、その手は早くもバスローブの帯を解きにかかる。
「ま、待って! 武士くん」
「……?」
先端を咥えたまま、武士は俄に顔を上げる。
「あの、ね……電気……消してほしいの」
「どうして……?」
「は、恥ずかしい……から……ね、いいでしょ?」
良くはなかった。と言うより、何を今更――と武士は思ってしまう。
(恥ずかしいから電気を消して欲しいなんて、今まで一度も言わなかったのに)
何故今日に限って。自分の部屋だからだろうか。否、人の部屋が大丈夫で自分の部屋だと恥ずかしいという理屈には納得が行かなかった。
「……円香さん、何か隠してない?」
ぎくりと、円香が体を揺らすのが解った。
「円香さん、俺……ちゃんと円香さんの裸が見たい。だから、電気は消したくないんだ」
「……武士くんの気持ちは、すごく嬉しいよ……だけど、お願い……今は、ダメなの」
「……宍戸に何かされたの?」
そうとしか思えなかった。また、円香が体を強張らせる。
「っ……やっ、止めて! 武士くん!」
無言で、武士はローブの腰帯を解きにかかる。円香が慌てて抵抗をするが、無駄だった。元々しっかりと結ばれていたわけでもない腰帯はあっさりと解け、そして開かれたその下に、武士は円香が隠したかったものを見つけた。
「……あいつに、剃られたの」
屈辱、恥辱――そういうものに満ちた声だった。
「……こんなの、全然気にする事ないよ、円香さん」
自分でも驚く程に明るい声で言って、武士はそのまま円香の股ぐらへと顔を近づける。
「や、やだっ……武士くん、止めっ……ぁぁぁあッ……!」
藻掻く円香の股ぐらに顔を埋め、そのまま指で秘裂を割開きながられろり、と武士は舌を這わせる。
「あぁぁぁぁァ……だ、め……武士くん……それ、もうしないって……約束、した、のに…………」
そう、確かに約束した。“三度目”の後の事だ。口で舐めるのは禁止――円香にそう言われたのだ。理由は、“出そうになる”からだ。
(ッ……宍戸の野郎……よくも……ッ……!)
しかし、宍戸の所業を目の当たりにするなり、それらの事は全て頭から消し飛んでしまった。
「やっ……だめっ、だめぇぇ……はぁはぁ……ンッ……ぁぁぁっ……ほ、ホントにダメぇぇ…………!」
徐々に、頭を押しのけようとする手の力が強くなる。そこで漸く、円香の言葉は武士の耳へと届くようになった。
「……円香さん、我慢して」
らしくない意地悪を言ってしまったのは、少なからず頭に来ているからだった。無論、円香に対してではないのだが、それでも武士が強行したのは、宍戸の痕跡が残されたその場所への“上書き”をしてやりたいという独占欲からだった。
指で割開いた、ピンク色の媚肉に舌を這わせる。途端、円香がぎゅうっ……と太股で挟むようにしながら身じろぎをして声を上げる。構わず、武士はれろり、れろりと舌を動かす。
(……すごく、ヒクヒクってしてる……)
それは尿意を堪えているせいか、それとも感じているからか。武士には判断が付かない。
「た、たけし……くん……もう、いいでしょ? お願い……もう、止めて……」
「我慢して、円香さん……どうしても我慢できなかったら、出しちゃってもいいから」
「そん、な……恥ず、かし……ぁぁンッ!!」
最初は、宍戸への怒りから、がむしゃらに舐め始めた。しかし続けるうちに次第に怒りではなく、純粋に円香の“味”の虜となりつつあった。
「ンぐ……んっ……」
舌を差し込み、内壁とそれらににじみ出る粘液をすくい取るように舐める。それらの味が、徐々に武士の脳を痺れさせ、“男”ではなく“牡”へと変える。
「円香さん……挿れたい」
秘裂から顔を上げ、呟くと円香はホッとしたような顔をした。
「うん……私も、武士くんの……挿れて欲しい……」
「待ってて、すぐつけるから」
汗ばみ始めた制服を脱ぎつつ、武士は財布からスキンを取り出す。その封を開けようとした所で、ふいに円香に手を掴まれた。
「武士くん……今日は、つけなくても……いいよ」
「え……でも――」
「…………あいつに、レイプされるようになってから、ピル飲むようにしてたの。だから……今日は、大丈夫」
でも――その呟きは掠れて声にならなかった。ピルを飲んでいるからといって、百%大丈夫とはいえないのではないか。そう言わねばならないと、頭では解っていた。
「武士くんを……直接感じたいの……だから、お願い」
しかし、心の底から惚れている女性からそう言われて、果たして断れるものだろうか。否、惚れているからこそ、避妊は厳格にしなければならないのではないか。
「お願い、武士くん」
武士の頭を駆けめぐったあらゆる思案は、円香の最後の“お願い”によって彼方へと吹き飛ばされた。後に残ったのは、眼前の女性を抱きたいという想いで意思統一された牡のケモノのみだった。
比べてはいけない。比べるべきではない。そうだと解っていても、矢張り違う――と。円香は思った。
「あぁっ……武士、くん……ぁぁっ、ぁぁぁぁああっ……!!」
秘裂に剛直が触れ、埋没するにしたがって円香は弾かれたように声を荒げ、ベッドシーツを掻きむしった。
「っ……これ、が……円香さんの……す、ごい……気持ちいい…………」
“生”の刺激が予想以上に強いのか、息も絶え絶えに武士が呟く。円香もまた、武士の手を握りながら、強く頷いた。
「私も……凄く……良い、よ……ンッ……動いて、武士くん……」
円香の声を受けて、武士がゆっくりと腰を使い始める。その腰使いに合わせて、円香は胸元を大きく揺らしながら、声を漏らす。
「あぁっ、ぁっ、あぁっ、あっ……あっ……ンッ……!」
無理矢理犯されるのと、こうして愛しむように抱かれるのとでは、それこそ雲泥だった。形や、大きさなど関係ない。やはり、互いの気持ちこそが大事なのだ。
「武士、くん……ぁっ、ンッ……! キス……ンぅ……キス、したい……」
悶えながら、円香は武士の首に腕を絡めるようにして巻き取り、唇を重ねる。
「ンンンンぅぅ! んっ……ふっ……んんんっ……!」
そうしたキスの最中にも、武士は腰を動かしてくる。円香は喉奥で噎びながら、武士の動きに合わせて自ら腰をくねらせた。
(やだっ……すご、い……こんなのっ……あぁぁっ……ダメッ……すぐ、イッちゃう…………!)
それでなくとも、先ほどこれでもかという程に秘裂を舐られているのだ。皮肉なことに、そうしてこみ上げる尿意を我慢すればするほどに、円香の中に沸く快感は強まった。
「ンぁぁァッ……! 待っ……たけし、くっ……ちょっ、止めっ……はぁっ……はぁっ……」
「どうして……? 円香さん、気持ちよくない?」
不安そうな武士の問いかけに、円香はふるふると首を振ってみせる。
「そう、じゃ……ないの……凄く、良いの……良すぎて、私……すぐ、イッちゃいそう……だから……」
「いいよ、イッても。……俺も、円香さんがイく所……みたいから」
「そんなっ……ぁんっ! やっ……だ、だめっ……一緒っ……一緒に、イきたいの……ぁぁっぁぁぁッ!!」
円香の懇願は聞き入れられず、抽送が再開される。
「俺は先に円香さんをイかせたい……円香さんがイく時の声が聞きたい」
「だめっ、だめっ……そんなの、ズルい、よぉ……はぁはぁ……やっ……そこ、やぁっ……そこばっかり、擦らないでぇぇ……ぁぁぁぁぁッ!!」
ゾクゾクゾクッ……!
弱い場所を念入りに擦り上げられ、円香はあられもない声を上げながら背を逸らす。
「円香さん……ほら、我慢しないで」
「ひぅぅぅ……だめっ、イくっ……やっ、イくっ……イくぅッ……イくぅうっ……!」
はぁはぁと息を荒げながら、円香は濡れた目で武士を見上げる。下腹から痺れにも似た熱いものが全身へと伝播し、それらが大きなうねりとなって円香の心を押し流す。
「やっ、あッ……イくっ……イクゥゥゥうううッ!!!!」
声を抑える事など、到底できなかった。全身が痙攣するように波打ち、円香の意志とは無関係に剛直を締め上げる。
「あぁぁァァっぁぁッ……!……ぁっ……ぁぁっ……ぁっ………………」
視界に火花が散るような凄まじい――永遠に続くかに思えた絶頂も波が引く様に収まっていく。涙でぼやけた視界に愛しい男の顔を見つけて、円香は夢中になって抱き寄せ、キスをした。
「んむ……、んちゅっ……ンンッ……れろっ……んっ……」
じっくりたっぷり、得心がいくまで舌を絡めた後、円香は漸くに武士の唇を解放した。くすりと、武士が微笑む。
「……円香さんのイき方、すごく可愛いかった」
「もうっ……バカぁっ……」
照れ混じりに、再度キス。絶頂の余韻を楽しむような甘いキスに、円香は身も心もとろけそうになった。
「円香さん……後ろからしてもいい?」
断る理由など何もない。円香は控えめに頷き、武士の方に尻を向ける形で四つんばいになる。
「いくよ、円香さん」
「んっ……来て……ぁっ、ぁあああッ……!」
ぐっ、と尻が割り開かれ、剛直が挿入される。
(やっ……さっきより、気持ち、良い…………ぁぁ……っ!)
一度イッたせいだろうか。円香はベッドシーツを握るようにして、挿入の快感に堪えた。
「はぁぁぁぁっ…………ふぅっ…………ふぅ…………武士、くん……お願い……今度は、ゆっくり……あんっ!」
そんな円香の言葉を無視するかのように、武士は腰のくびれに手を沿えるとぱんっ、と尻に打ち付けるようにして腰を動かし始める。
「やぁっ、そんっ、なっ……強っくぅ……ひんっ……ゆっくり……ゆっくりぃぃ……」
「無理、だよ……円香さんのナカ……気持ちよすぎて……腰、止めらんない」
腰のくびれを掴んでいた手が背中を撫で、脇腹を通って胸元へと到達する。
「やっ、やだっ……胸っ……あぁんっ……!」
武士が被さるようにして密着してきて、両手で双乳を揉みくちゃにされる。乳白色の液体が滲んだ先端を指先で穿るようにされながら腰を使われ、円香は思わず蕩けるような声を上げてしまう。
(やっ……武士くんの息がっ……)
はぁはぁ、ぜぇぜぇ……武士の荒々しい息づかいを耳の裏に感じた。それは、武士の興奮のバロメータだ。つまり、それほどに――。
「円香さんっ……!」
「ンッ……!」
不意に名を呼ばれ、円香はぶるりと体を震わせた。
「円香さんっ……好きだ……ッ!」
「やっ、やだっ……武士くんっ……急に……そんなッ……っ……!」
条件反射――そう言っても良い程に、過敏な反応だった。好きだ――そう武士に言われた刹那、円香は己の秘部がヒクヒクッ……と剛直を締め付けるのを感じた。
「武士……くん……ぁあっ! わ、私も……ぁぁぁぁぁッ!!!」
両胸を揉みくちゃにされながら、腰をぐりぐりと動かされ、円香の言葉は途中からあられもない声に変わった。
(好きっ……私も、武士くんが好き……!)
言葉に出せない代わりに、強く念じた。密着している武士にも伝わるよう、強く、強く。
「円香さんっ……もう、離さない。離したくない……ッ!」
「た、武士……くんっ……ぁんっ! ぁっ、ぁっ、ぁっ……あぁっ、ぁっあぁッ!!!」
ぎゅうううっ!
息苦しい程に抱きしめられたまま、腰だけが何度も何度も打ち付けられる。その動き、剛直の挙動で、武士も限界が近い事を円香は悟った。
「武士、くん……お願い……ぁんっ……今度……今度は、一緒、一緒にっ……ンぅ……はぁはぁ……」
「うん……俺も、もう……ヤバい……出そう……」
呟いて、武士が身を起こす。円香の腰のくびれを掴み、打ち付けるようにしてスパートをかける。
「やんっ、ぁんっ! たけしっ、くッ……ひんっ……は、早っ……ンッ……あんっ、ぁっ、あっ、あっ、ひぅっ……やっ……イくっ……イくっ……イくっ……!!」
度を超した快感に上半身に力が入らず、円香は母乳の滲んだ胸をベッドに擦りつけるようにしながら必死に絶頂を堪える。
(だ、め……気持ちよすぎて……あたま……クラクラしちゃう……)
ただ、武士と一緒にイきたい――それだけを念頭に、円香は必死に快感に堪えた。
そして――。
「ッ……円香、さんっ……!」
腰が、一際強く尻に打ち付けられ、深く挿入された剛直がぶるりと震えたその刹那。
「ぁっ、ぁっ……た、たけっ……し、く――ぁっ、あぁぁァーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
下腹部に打ち付けられる熱い塊と共に、円香はサカリ声を上げ、盛大にイった。
「ッ……くぁっ……ちょっ……円香さっ……締め、すぎ……」
武士が体をくの字に折り、ぎゅうとしがみつくようにして抱きしめてくる。
「ふぁっ……ふぁぁ…………ぁぁ……ぁ…………」
びゅぐりっ、びゅぐりと吐き出される精液を痙攣を繰り返す肉襞で受け止めながら、円香はそんな満足げな吐息を漏らす。あまりに盛大にイかされたせいか、体が消えてなくなってしまったかのようにフワフワと落ち着かなかった。
(こんなに……違う、なんて……)
同じ“中出し”でも想い人のそれと、そうでない男のものとではこうまで違うものなのか。宍戸にされた時は嫌悪感しかなかったものが、相手が武士というだけで下腹に溜まっているドロリとした熱塊が堪らなく愛しいと思えた。
「……ごめん、円香さん……」
二人して無言で呼吸を整えていた――その沈黙を先に破ったのは武士だった。
「俺、我慢できなくて……中に…………」
心底申し訳ないと思っているような声だった。
「……いいよ、ちゃんと……ピル飲んでるから」
円香は自分を抱きしめる武士の手に己の手を沿えて、言葉を続ける。
「武士くんだから……いいの。もし、万が一……失敗しちゃっても――」
子を堕ろす辛さは、勿論円香には解っている。だからこそ、避妊には細心の注意を払ってきた。
しかしそれでも、武士の子ならば――そう思ってしまう自分に、円香は苦笑を禁じ得なかった。
「もし……そうなったら……その時は俺、絶対……責任、とるから」
ぎゅうっ、と。沿えた円香の手を、武士が握りしめてくる。
「責任とって……そして、絶対円香さんを幸せにするから」
「……武士くん」
ありがとう――その言葉の代わりに、円香は武士の腕の中でくるりと体の向きを変え、唇を重ねた。
(私……武士くんの事好きになって……本当に良かった……)
互いにしっかりと抱きしめ合いながら、いつまでも……いつまでも円香は唇を重ね続けた。
宍戸が入院したという話を武士が聞いたのは、翌日の夕方の事だった。
「なんで……」
吉岡から話を聞くなり、武士が漏らした第一声はそれだった。確かに、手を怪我するほど殴りつけはしたが、入院が必要な程痛めつけた自覚は無かった。
「なんか、家に帰る途中で車に撥ねられたんだってよ」
「車に……?」
最初は、宍戸が自分が負った怪我の理由として嘘をついているだけだと、武士は思った。
「あぁ。幸い……って言っていいのかな。命がどうこうっていう事は無いらしい。ただ……両足ともヤられたらしくてな、しばらく学校には来れないらしいぜ」
しかし、吉岡の話を聞くにつれて、どうやら本当に事故に遭ったらしい事が解った。
「そんな、まさか――」
武士は思い出した。去り際の、宍戸の言葉を。ついでにお前の前からも消えてやる――あの時はただの負け惜しみ、捨て台詞の類だと思った。
(本当に、事故なのか……それとも――)
ざわりと、黒いものが武士の心を撫でた。
「…………宍戸の怪我、そんなに……酷いのか」
「俺も人づてに聞いただけだからな。詳しい事は見舞いに行ってみりゃ解るだろ」
どうやら、吉岡を含めた部員の殆どは部活を休んで見舞いに行くつもりの様だった。当然、武士も誘われた。
――が。
「……いや、俺は止めとく」
「止めとくって……おい、武士!」
「あぁ、それからな、吉岡。“例の件”だけど……あれ、もうなんとかなった」
「まさか、武士……お前――」
吉岡の言葉を最後まで聞かず、武士は逃げるようにその場を後にした。
見舞いになど、行ける筈がない。行けば、恐らく宍戸の顔を見るなりまた殴りつけてしまうだろう。
円香の頼みで警察沙汰にこそしなかったものの、決して宍戸の所業を許したわけではなかった。円香には内緒で個人的に落とし前をつけさせるつもりだった武士としては、些か肩すかしを食らったような心持ちだった。そう、例えるなら――親の敵を赤の他人に討たれたような、そんな気分だった。
(宍戸の奴……何であんな事を……)
今更ながらに、武士は疑問に思った。そもそも、何故宍戸はあのような真似をやったのだろうか。円香の話を聞くに、金目当ての犯行とも思えなかった。事実、宍戸から回収した金は二、三千円ほど減ってはいたものの、円香が渡した金額を鑑みれば微々たるものだった。
(それとも……考えすぎ……なのか)
ただ、考え無しに円香を脅し、行き当たりばったりに暴虐の限りを尽くしただけという可能性も、もちろんある。しかし、武士にはどうしてもそうは思えなかった。
宍戸は、円香を脅し、金を巻き上げ、挙げ句レイプをするようなとんでもない人間の屑だ。だが、例えそれが本性だとはいえ、それを周囲に全く感じさせずに演じきるだけの頭は持ち合わせているのだ。ならば、このような暴挙がいつまでも続けられるわけがないという事くらい、宍戸本人が一番良く解っていたのではないか。
それでも事に及んだのは一体何故か。
(アイツ……最後に言ってたな……)
いつも哀れむ様な目で見やがって――確かそのような言葉を零していた。まさか、それが原因だったのだろうか。
勿論、武士自身にそのような目で宍戸を見ていた自覚など無かった。無かったが――指摘されれば、そうかもしれないと思わされるだけの心当たりはあった。
(だからって――ッ)
円香にあのような陵辱を加えても良いという理由にはならない。自分を見る目が気に入らないというのならば、何故直接向かって来なかったのか。
その辺りの理由を宍戸に問いただしたい気もしたが、納得のいく答えを聞くまで手を出さずに堪える自身が無かった。
(そういや……前に吉岡から聞いたな……アイツの家の事……)
父親の経営していた工場が倒産し、母は宍戸や幼い妹、弟を残して蒸発。残った父親も借金を返す為に単身赴任で働いている――そこまでは、チームメイトならば誰でも知っている宍戸の家庭の事情だ。しかし、宍戸にはその先があることを、武士は吉岡から聞いていた。
正直、眉唾だと思った。親の借金を減らす為に内蔵を売った等という話、そもそも信じられる筈がない。例え合宿で風呂に入った際、それらしい傷痕を見ても、何か別の手術痕なのだろうと思った。――だが、恐らくは真実だったのだ。
それが幼い心にどれほどの恐怖を植え付けたのか、武士には想像もつかない。当然、それほどの事を強要する相手ならば、それ以外にもいろいろな方法で脅しをかけてきた事だろう。
そう、宍戸があのような暴挙に走ったのは、そういった事が原因で心が壊されてしまったからだ――そう思いこもうとしている自分に、武士は気がついた。レギュラーではなかったにしろ、仮にも同じ部活で同じ時を過ごし、艱難辛苦を乗り越えてきた“仲間”が生来の悪人であった等と思いたくはなかった。
とはいえ、宍戸が生来の悪人か、環境がそうさせたのか――どちらにせよ、円香に危害を加えたという事だけは許せなかった。だから、宍戸を殴りつけた事に関しては後悔はしていないし、円香さえ頷いてくれれば今からでも警察に突き出すべきだとも思っていた。何より、そうやって罪を明らかにしてやる事こそ、宍戸が望んでいる事なのではないかとすら思うのだ。
(……アイツが本当はどういうつもりだったかなんて、解るわけがない)
はっきりしている事は、宍戸は円香の弱みを握り、それを使って脅迫したという一点のみだ。そして、武士にはどうしてもそれが許し難いのだ。
部活には出ず、武士は家に直帰した。夕飯時、昨日の件について姉に小言を言われたが上の空だった。風呂から上がり、部屋に戻ると携帯に親友からのメールが届いていた。
内容は、宍戸の容態についてだった。そこで武士は、宍戸の怪我は噂以上に悪く、退院は相当先になるらしいという事を知った。
その週の土曜日、武士は円香からデートに誘われた。勿論、断る理由などあるはずもない。むしろ、円香からの誘いが無ければ自分から声をかけようと思っていた所だった。
駅で円香と待ち合わせをして、向かった先は絵画の展覧会だった。絵の善し悪しなどは武士には全く解らないが、ただそうして円香と一緒に居られるというだけで満足だった。
展覧会の絵を一通り見終わった後は、ぶらぶらと周囲の住宅街などを散策した。とりとめの無い話を幾度と無くかわしたが、武士も、そして円香も“事件”の事には一切触れなかった。
楽しい時間ほど、あっという間に過ぎるもの。武士の想いを嘲笑うかのように、日はあっという間に落ち、円香と別れねばならない刻限が刻一刻と迫ってくる。それは焦りにも似た感情を生み、至極武士が時計へと目をやる回数が増えた。
「……武士くん、この後……何か予定とかあるの?」
夕食の為に入ったファミレスでもそんな具合だったから、円香にそんな事まで聞かれてしまった。
「ううん……もうすぐ、帰らなきゃいけないなぁ……って」
「……そうだね」
互いに未成年、そうそう泊まりがけのデートなど出来る筈もない。しかし、今日に限って武士にはそのことが一際辛く感じられるのだった。
(もっとずっと……円香さんと一緒に居たい……離れたくない……)
ファミレスでテーブルを挟んで対峙する事すら苦痛に感じた。可能ならば、その手を片時も離さずに握り、少しでも長く肌を触れ合わせていたかった。
勿論それは、純粋に円香の事が好きで、片時も離れたくないから――という理由もある。が、それよりもまたしても辛い目に遭ってしまった円香の支えになってやりたいという想いのほうが強かった。
辛くない筈がないのだ。支えが必要な筈なのだ。それなのに、自分に出来る事といえば休日にこうして会う事と、メールや電話を交わす事くらい――それが何とももどかしく、耐え難く感じた。
口を開けば、呻きにも似た声を漏らしてしまいそうで、武士は口を噤まざるを得なかった。そして、円香もまた口を噤み、しばし時間だけが流れた。
「……あの、ね、武士くん」
十五分ほども黙っていた後だろうか。不意に、円香が切り出した。
「私ね……アルバイト始めようと思うの」
「えっ……?」
純粋に、武士は驚きの声を上げた。
「どうして……急に、そんな……」
「アルバイトしてお金貯めて……一人暮らし始めようかなって」
円香は照れ混じりに指を弄りながら言葉を続ける。
「そしたら、武士くんも……もっと気軽にうちに泊まれるでしょ?」
「それは……だけど、そんな……円香さんにそこまで……」
確かにその状況は、武士としては至れり尽くせりには違いなかった。もしそんな事になったら、きっと円香が許す限り、円香の部屋へと通ってしまう事だろう。
「勿論、それだけの為じゃないよ?……ううん、武士君の為っていうより、私の為なの」
「円香さんの……為?」
「うん。自分でも……解ってたの。今のままじゃダメだって……だから、家を出るのはその為の切っ掛け。自分でお金を稼いで、アパートを借りて、そして勉強して……大検を受けるの」
「大検……円香さん、大学に行くの?」
「そのつもり。……家賃とか、学費とかも全部自分のお金でやりたいから、準備するだけで何年もかかっちゃうと思うけど。でも、絶対行くつもり」
「でも、円香さん。大学目指すなら、やっぱり家から通った方が……」
少なくとも、金銭的な意味ではその方が圧倒的に楽な筈だ。しかし、武士の提案に、円香は無言で首を横に振る。
「……それじゃあダメなの。家に居たら、きっと今までと何も変わらない。だから、出ないといけないの……もう、誰にも“金持ちのお嬢さん”なんて言われたくないの」
「一体、誰がそんな事……」
円香からの返事は帰ってこなかった。それで、武士には“誰”の言葉なのか解ってしまった。
「私は逃げない。あんな事があったからって、もう怯えて家に閉じこもったりもしない。ちゃんと正々堂々胸を張って社会に出るの。……私は、あいつとは違うんだから」
「円香さん……」
強い――と、武士は思った。立場が逆であったら、果たして自分は円香のように考える事が出来ただろうか。
「……強いね、円香さん」
つい、口からも漏らしてしまった。しかし、円香はゆっくりと首を横に振る。
「……そんな事ないよ。今までが弱すぎただけ。……そして、これから“人並み”を目指すだけだよ」
円香は俄に照れ笑いともとれるような笑みを浮かべて、そしてそっとコーヒーカップに唇をつけた。
(人並みだなんて……円香さんはもう十分強いよ)
そう、自分などよりもずっと強い。円香の決意をこうして聞いているだけで、武士は己の顔面から火が出てしまいそうだった。
(円香さんが色々考えて、決心してる時に……俺は……)
ただただ、円香の安否を気遣い、そして円香と会えない事をもどかしく思っていた自分が酷く子供じみて思えた。最早、眼前に居るのは歩道橋の上で出会った弱々しい少女ではない、歴とした“年上の女性”なのだと、武士は認識を改めた。
守っているつもりだった、支えになっているつもりだった。しかし、最早そんなものはただの思いこみに過ぎなかったのだ。
(円香さんが……どんどん素敵になっていく……)
果たして自分は円香に釣り合うような“素敵な男性”になれるのだろうか。円香の成長を喜ぶと共に、武士は焦りにも似た不安に苛まれるのだった。
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