「大晦日だね、父さま」
「ああ、大晦日だな」
 暮れの夜、葛葉の作った年越し蕎麦も食べ終えた月彦と真央はのんべんだらりんと居間で共にテレビなどを見ていた。
(今年は色々あったなぁ……)
 紅白歌合戦を眺めながら、月彦はふと一年を振り返った。真央との出会いに始まり、およそ筆舌に尽くしがたい出来事で目白押しの一年。ある意味、自分が今こうして五体満足で生きている事が奇跡なのではないかとすら思えた。
(真央も由梨ちゃんと仲直りしたし、来年は少しは楽ができるかな……)
 まだまだ問題は山積みであるが、一つ一つ解決していくしかないのだ。いつか、この鎖で簀巻きにされたまま底なし沼に放り込まれたような現状から抜け出す事を夢見て。
「ねえ、父さま」
「なんだ?」
「今から寝て見る夢が……初夢なんだよね?」
「そう……だな」
 初夢。真央に言われるまで気にもしていなかったというのが本音だった。
「父さまは、姫や太郎の夢を見たことあるの?」
「……ん?」
 ヒメヤタロウ?――初めて聞く人物名に、月彦は首を傾げた。
「何の夢だって?」
「えっ……だから、姫とか太郎の……」
「姫とか太郎が出てくる……初夢?」
 訝しむように、眉を寄せながら月彦は尋ね返した。真央はこくこくと頷く。
「初夢は一姫二太郎の順番に縁起が良いんでしょ?」
「真央……そんなデタラメを誰から――」
 と口にしかけて、月彦は噤んだ。聞くまでもなく、犯人が分かったからだ。
「真央、初夢で見て演技がいいのは一富士二鷹三なすびだ。姫と太郎は関係ないぞ」
 一姫二太郎は生まれてくる子供の性別で良いとされている順番の事だ――という事まで説明しようかと思ったが、下手に真央を触発して元旦から徹夜をする羽目になる事は避けたかった。
(明日は朝から由梨ちゃんと一緒に三人で初詣に行く予定だからな……きちんと寝ないとな)
 二人して寝不足の顔をしていれば、きっと由梨子には全て悟られてしまうだろう。礼儀正しい後輩は何も知らぬフリをするであろうが、それでもやはり、いい気はしないに違いない。
「さて、と……そろそろ寝るか?」
 紅白も終わったし――月彦は延びをして立ち上がり、それとなく真央に促す。真央も頷き、月彦の後に続いた。
「あ、あの……ね、父さま」
「うん?」
 自室に入るなり、真央が弾かれたように声を出した。
「私ね……今日の朝、母さまに会ったの」
「……真狐が来たのか」
 一体いつ――とは思うが、特別不思議な事ではなかった。自分の目の届かない所で、真央と真狐がたびたび会っているであろうことは、大凡想像がついたからだ。
「その時にね……初夢の話も聞いたの。そして……これも貰ったの」
 真央が勉強机の引き出しから、なにやら見覚えのある色の布袋を取り出し、逆さにして中に入っていた小指ほどの黒いものを掌に出した。
「獏の干し肉なんだって。これを食べてから寝ると、一番見たい夢が見れるって……もらったんだけど……」
「獏の肉……だと?」
 真央が掌に出した黒いかけらの一つを手に取り、月彦は訝しげに凝視する。確かに見た目は、何かの干し肉のように見える。
「獏って……やっぱりバクの事じゃあないよなぁ……」
 ヤマバクやマレーバクの肉ならば、それはそれで珍味ではあるのだろうが、あの女の事だ。間違いなく人の悪夢を食べると言われている獏の方だろう。
「父さま、どうしよう……食べちゃっても大丈夫かな?」
 真央が不安になるのも無理はない。月彦自身、真狐が持ってきたもの、というだけでどれほど美味そうに見えるものであっても二の足を踏んでしまう。あの女が持ってきたものを口にして、およそろくな目に遭った試しがないからだ。
(つっても……命に関わるような、そんな危ないモンでも無かろうが……)
 仮に本当に見たい夢が見れるというものならば、それはそれで一体全体どんな夢が見れるのか興味がある。しかし、真狐ルートで入ってきたもの――という事に、どうしても抵抗を感じてしまうのも事実。
「…………仕方ない。喰ってみるか」
 棄ててしまいたいのは山々だったが、結局月彦は好奇心に勝てなかった。それに、自分一人ではなく真央も一緒に口にするのであれば、何か厄介事が――たとえば、いつものように性欲が爆発しても――二人でどうとでも出来るではないか。
 月彦は意を決して黒い塊を口に放り入れ、噛みしめた。味の方は、普通に干し肉らしい塩味であり、特別美味くも不味くもなかった。
 ごくり、と月彦が嚥下するのを見届けてから、真央もまた自分の分を口にいれた。


 
 


 

キツネツキ 特別編

『稲荷裁き』

 

 

 獏の肉とやらを食べ、真央と共にベッドに入ってから、かれこれ一時間が経過した。
「……眠れん!」
 くわっ、と目を見開き、月彦は勢いよく上半身を起こした。
「どういう事だ……まさかこれが、“獏の肉”とやらの効果なのか?」
 眠ることが出来なくなるのがその効力であるとすれば、この大晦日の夜になんとも底意地の悪い……あの女らしい嫌がらせであると、月彦は思う。
「でも、真央は……寝てるのか」
 しかし、眠れぬ自分とは対照的に隣では真央が心地よさそうにすうすうと寝息を立てていた。いつもならば、ベッドに入るなり鼻息荒く身をすり寄せ乳を押しつけてくる真央が、今日に限って大人しく寝入っているというのも不思議な事だった。
「まさか……妖狐にしか効かないとか、そんなオチはないよな」
 首を捻りながら、月彦は再び布団に潜った。瞼を閉じ、真央の寝息を聞きながら必死に羊の数などを数えてみるが、到底寝付ける気配を感じられない。
 三十分ほどそうして、目を瞑っていただろうか。不意にかり……かりと、窓の方から引っ掻くような音が聞こえ、ほどなくするり……トトンと四つ足の何かが絨毯の上に降り立つ音がした。
 まさか――緊張に身を強張らせながら、月彦は恐る恐る薄目を開けた。しかし、明かりのついていない室内には、それらしい影は見あたらない。
「っひっ……な、何だっ!?」
 そろり、そろりと身を起こそうとした矢先、布団の足の方から何かがしゅるりと潜り込んできた。毛むくじゃらの“何か”はもそもそと足下のほうからはい上がってくるにつれて体積を増し、ぷはあと眼前に頭を出したその姿は――。
「ま、真狐っ……!」
「はぁい、月彦。元気してた?」
 真狐は月彦の体を跨ぐようにして俄に体を起こし、その巨乳を誇るように押しつけてくる。
「な、何しに来やがった」
「何よ、随分なご挨拶ね。折角人が骨を折って、二人きりで会える時間を作ってあげたのに」
「何だと……?」
「真央から“獏の肉”貰ったんでしょ?」
「あぁ……さっき喰ったが……」
「ただの干し肉みたい――って思わなかった?」
 こくり、と月彦は頷く。
「ご明察、あれは正真正銘、ただの干し肉よ。……ただ、ちょっとばかし隠し味はつけといたけど」
「隠し味……?」
「そ。妖狐にだけ効く即効性で強力な眠り薬。効果は覿面でしょ?」
 真狐はちらり、と真横で寝ている真央へと目をやる。
「何で……そんな回りくどい真似を……」
「最初に言ったじゃない。……あんたと二人きりで会う時間を作りたかったからよ」
 もぞり、もぞり。
 掛け布団の一部分が盛り上がり、蠢いているのは真狐が尻尾をくねらせているからだろう。
「ど、どういう意味だ……言っとくが、俺はもう騙されねえからな!」
 眼前の女に散々辛酸を舐めさせられてきた月彦は、容易く甘言に惑わされてなるかとばかりに警戒心を露骨に強める。
「前にもそんな事言って、途中で真央が起きたじゃねえか!」
「あれはただのお遊びよ。でも、今夜は本気」
 すりっ……と、真狐は体を擦りつけるようにして密着させてくる。ぎゅう、と胸板の上で巨乳が形を歪め、月彦は思わずうわずった声を上げた。
「ま、待て……何をする気だ……」
「ふふっ、なーにビビってんのよ。あんただって、あたしとシたくてシたくて堪らなかったんでしょ? だからこっちから来てあげたんじゃない」
 ぐぅ、と月彦は唸った。ここで素直に「ヤりたい」という意志を表明することに、若干の抵抗を感じたからだ。
(何が……狙いだ……)
 ことこの女に限っては、警戒しすぎるという事は無い。きっとまた何か、後々大笑いをされるような仕掛けがあるに違いないのだ。
(真央が、本当は寝てないのか……?)
 いつぞやのように、途中で真央が起きれば、それはそれでいろいろ面倒な事にはなるだろうが、しかしそれとて今更感が強い。同じ罠を二度もしかけるというのもこの女らしくない――とも思えるのだ。
「なぁに? まーだ疑ってるの? そんなにあたしが信用できない?」
「当たり前だ! 何べん騙されたと思ってんだ!」
「じゃあ、どうすれば信用してくれる?」
 ぴたぁ……さらに体を密着され、月彦は咄嗟に体を逃がすような動きをした。が、真狐がそれを許さない。
「ねぇ、月彦。あたしだって、一応女よ? 年に一度くらい、思いっきり男に甘えたい夜だってあるのよ?」
 ふぅ……と首元に甘く息を吹きかけるように、真狐がなんとも似合わない事を言う。
「し、信用……出来る、か……」
 湿っぽい吐息が、断続的に首にかかり、それが直に理性に揺さぶりをかけてくる。月彦はなんとか意志の力で、下半身に血が集結するのを押さえようとするが、それも空しい抵抗だった。
「あのね、月彦。勘違いしてるかもしれないから、一応言っとくけど……あたし、あんたが思ってる以上に、あんたの事気に入ってるんだから」
「……どうせ、騙しやすい玩具くらいに思ってんだろ」
 ぷいと、そっぽを向く月彦の頭を、真狐の両手がぐいと正面に戻す。
「ンっ……!」
 そのまま、唇を奪われる。ちゅく、ちゅくと唇を舐めるようなシンプルなキスは、すぐに終わった。
「馬鹿ねぇ、あんたの事が好きって言ってるのよ」
 ちゅはっ……と息継ぎがてらに呟いて、またキス。次は長く、舌同士を絡め合うような、ねっとりとしたキスだった。
「……ぷはぁ……好きよ、月彦。好き過ぎて、意地悪したくなるくらい、好き……」
「っ……な、何っ、らしくない事、言って――」
「だから、さっきも言ったじゃない。今日は……あんたに甘えたい気分なの。いい加減信用しなさいよね」
 真狐は微かに頬を染めながら怒ったように呟き、文字通り甘えるように月彦の首の辺りに鼻先を擦りつけてくる。――そう、真央が甘える時、丁度そうするように。
(……信じても、良いのか……?)
 さすがに月彦の中にも、信じてやろうかという気持ちは俄に沸く。いろいろと辛酸を舐めさせられ、苦渋を味わわされた相手ではあるが、こうして甘えてこられると、髪の毛を掴んで無理矢理引きはがす――というような無粋な真似も出来ない。
「ねぇ、月彦……ぎゅーってして」
「わ、わかった……」
 そろそろと、巨乳に延ばそうとした手を、途中で真狐に掴まれる。
「違う、こっちよ」
 と、真狐の背の方へと手を回され、漸く月彦にも真狐の意図する所が解った。望み通りにぎゅうっ、と抱きしめてやる。
「んんぅ……もっと、強く……」
 言われるままに、腕に力を込める。真狐が心地よさそうに喉を鳴らし、わさ、わさと布団の中で尻尾が蠢くような音がする。
「ふふっ……なによ、気のないフリなんかしちゃって、あんただってやる気満々じゃない」
 すり、すりと強張り始めた剛直を嬲るように、真狐が腰を蠢かす。
「そりゃあ……な。俺だって……お前がいつもそんなに素直なら――」
 ハッと、とんでもない事を口にしかけて、月彦は慌てて口を噤んだ。くすっ、と真狐が意地悪な笑みを浮かべる。
「あたしが素直なら……何?」
「う、五月蠅い! とにかく、言う通りにしてやったんだから……俺にも触らせろよな」
「はいはい、解ったわよ。ホントに月彦ってばおっぱい好きなんだから……知ってる? あんたみたいなの、世間じゃおっぱい星人って言うのよ?」
「どう言われようが知ったことか……好きなモンはしょうがねえだろ」
 たしかに、と真狐は苦笑混じりに呟いて、俄に体を起こした。すかさず、月彦は両手を伸ばし、着物ごと真狐の巨乳を揉みしだく。
「ぁンっ……もうっ、月彦ったら……胸触った途端、グンッ……ってまた堅くして……」
「そりゃあ……こんなモン触ったら……誰だって……」
 ふぅ、ふぅと荒い息の合間に言い訳をしながら、月彦は欲望丸出しの手つきでこね回す。眼前の女が痛いくらいに強く揉まれる事が好きだと知っているから、その力加減にも容赦がない。
「ふぅ……ふぅ…………真狐、上にならせてくれ……」
 いつもならば、問答無用で押し倒し、“上”を取るところだが、いつになくしおらしい真狐相手に乱暴をするのはどうにも気が引けた。
「上に……なりたい?」
 依然乳をこね回したままの月彦の両手を掴み、さらなる愛撫を促すように身をくねらせながら、真狐が悪戯っぽく笑う。
「じゃあ、あたしの事好きって言ってくれたら、ならせてあげる」
「それ……は……」
 月彦は、躊躇した。そもそも、そんな要求をされる事自体、想像だにしていなかった。
「何よ、言えないの? あたしはちゃんと言ったわよ、あんたの事が好きって」
「ぐっ……」
 普段から大嫌いだなんだと公言している相手の事を好きという――それはまるで、己の敗北を認めねばならないかのような、得体の知れない屈辱感がある行為だった。
(でも、確かに……こういう素直な真狐なら……)
 認めたくはない――が、嫌いではない……こともないような気がしなくもない。ということは即ち、好きと言えなくもない事もない。
「……わ……かった、よ……俺も……お前の事が……き……だ」
「なぁに? よく聞こえないわ」
 狐耳をぴこぴこさせながら、意地の悪い笑みを浮かべながら真狐が顔を近づけてくる。
「好きって言ってんだよ! ……何度も言わせるな」
「ふふふっ、照れちゃって。月彦ってば、可愛い」
 顔を真っ赤にしてぷいとそっぽを向いたその横顔に、ちゅっ、ちゅっとキスの雨が降ってくる。
「ちゃんと言ってくれたご褒美に、上にならせてあげる」
 ぼそりと囁いて、真狐は真央を隅に押しのけるようにして体を横たえる。逆に、月彦は体を起こし、それに被さるようにして、再び対峙する。
「ンっ……今夜は特別。……月彦の好きにしていいわよ」
 足を開き、間に月彦の体を招き入れるようにしながら、そっと首の後ろに腕を絡めてくる。
(何だ……錯覚……か?)
 こうして、この女を組み敷くのはこれが初めてではない。なのに。
(こいつ……こんなに可愛かったか?)
 美人である――とは思っていた。底意地の悪い笑い方のせいで台無しになる事が多いが、基本的に美形ではあると。しかし、可愛いと感じたことは……恐らく一度も無かった。。
 きゅんと、胸の奥で――まるで心臓が収縮するような、そんな息苦しさを、月彦は覚えた。
「な、なぁ……真狐」
 気がついた時には、勝手に口が動いていた。
「お前……真央と一緒に暮らす気はないのか?」
「どういう意味?」
 発言の意図がわかりかねる、とばかりに真狐が首を傾げる。
「だ、だから……」
 もう止めろ、と心の中で誰かが叫ぶ。が、しかし口の動きが止まらない。
「うちで、真央と一緒にだな……幸い、空き部屋なら一つあるし、お前もそこで暮らせば……真央も寂しい思いはしなくて済むんじゃないかって……思うんだが……」
「なぁに? あたしにあんたの家に住めって、そう言ってるの?」
「か、勘違いするなよ! 俺はあくまで、真央の為にだな……」
 言いながら、月彦はつい視線をそらせてしまった。それを見て、ははーん、と真狐が全てを見透かしたような笑みを浮かべる。
「あんた、あたしに側に居て欲しいんだ?」
「ち、違うって言ってるだろ!」
 つん、と鼻先を突かれ、月彦はリンゴの様に顔を真っ赤にした。
「なーんだ、違うの。もし真央の為じゃなくて、あんたが側に居て欲しいって言うんなら、考えてあげようと思ったのに」
「っ……」
 月彦は、逡巡した。逡巡した挙げ句、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。ふふっ……と、真狐が笑う。
「でも、そうねぇ……これから身重になっちゃうかもしれないし、あんたの所に世話になるのも悪くないかもねぇ」
「……なんだと?」
 聞き捨てならない言葉を耳にして、月彦はすかさず聞き返していた。
「あれ、言ってなかったっけ」
 けろりと、真狐は何でもない事のように笑い、ちょいちょいとジェスチャーで月彦に耳を貸すように促した。
「あのね、今日……超キケン日なの」
 ぼしょぼしょと、真狐はこれ以上ないという色っぽい口調で、そんな事を囁いてくる。
「なにぃぃぃっ! おまっ、そんな大事な事……」
「良いじゃない、別に。孕んじゃっても。真央も弟か妹が出来て喜ぶかもしれないわよ?」
「ば、馬鹿! そんな成り行きで――」
 するりと、首に絡んだ手に引き寄せられて、月彦は唇を奪われた。黙れ、と言われたような、問答無用のキス。
「あたしが、あんたの子なら孕んでもいいって言ってるの。文句あるの?」
「いや、でも……」
 さすがに、ヤれば子が出来るかもしれないと言われては、気後れしてしまう。既に真央がデキてしまっているだけに、真狐の言葉には言いしれぬ真実味があった。
「じゃあ、こう言い換えるわ。……あんた、あたしとシたくないの?」
「そりゃあ、シたいに決まってる」
「だったら、その通りにすれば良いじゃない。何も遠慮する事なんか無いわ」
 しかし、とあくまで迷う月彦に辛抱しかねたように、真狐は再びぐいと両腕で月彦の頭を抱き寄せた。
「あたし、あんたとの子供がもっと欲しいの……だから、協力しなさい」
 ぼそり、と囁いて、軽く耳を噛む。もう余計な事は考えるなと、そう言われたかのようだった。
(“母親”の真狐が、こうまで言うなら……)
 もう、自分も覚悟を決めるしかない。さすがに女にここまで言わせて引けるほど、自分は根性無しではないと、月彦は腹を決めた。
「……解った。本当に良いんだな?」
「だから、最初からそう言ってるでしょ。……いい加減焦らさないでよ、バカ」
 悪かった――謝りながら、月彦はキスをする。ちゅっ、ちゅっ……軽く舌を合わせながら、腰帯の上から、そっと真狐の腹部の辺りを撫でる。
「危険日って事は……つまり発情期って事か?」
「ンっ……そうよ……真央みたいに若くないから、そうは見えないかも知れないけど……ンンンっ……」
「確かに、な……真央が発情期の時は、ハァハァ言いっぱなしだったもんな」
 苦笑しながら、月彦は真狐の腹部を撫でる。この腰帯の下で、今……子を作る準備をしているのだと。そう思うだけで、眼前の女が無性に愛しいと感じてしまう。
「真狐……お前に挿れたい……いいか?」
「……ぁんっ……良いわよ……そのかわり――」
「ああ、解ってる。今日は……特別だ。思いきり優しくしてやる」
 処女とする時みたいにな――頭の中で呟きながら、月彦は言葉の通り、優しく真狐の下着を脱がせた。
「なんだ、さっきちょっと胸を触っただけなのに、びっしょりじゃないか」
「バカ……発情期だって言ったでしょ」
 そうだったな――苦笑しながら、月彦は自らも剛直を解放し、すっかり濡れそぼっている秘裂に宛う。
「ほ、ホントに優しくしてよね! あ、あんたのって……常識外れてるんだから……ンく……」
「解ってるって、何度も言わせるな……挿れるぞ」
 ずぬっ、と先端部を埋め、さらに腰を勧めていく。極上の膣の感触に背筋が冷え、初めはゆっくりだった挿入速度が、快感に逸る形で徐々に速くなる。
「ぁ、あんっ……やっ、やだ……嘘っ……こんなっ……ぁあっ、だっ、めっ……月彦っ…もっと、ゆっくり………ぁぁぁっ、ぁっ……」
 腰を逸らし、藻掻きながらも両手両足でぎゅううっ……と真狐がしがみついてくる。同様に剛直を締め付ける発情期ならでは肉襞の感触に、月彦は速くも限界が近い事を悟った。
「はぁ……はぁっ……もう……なんで……いつも、あたしとする時だけ……」
 極太の剛直を根本まで咥えさせられた真狐が、浅い呼吸を繰り返しながら、納得が行かないとばかりに文句を言う。
「いつも言ってるだろ、そりゃ真狐の気のせいだ。……もし、そうじゃなかったとしたら――」
 お前の事が一番好きだからだ――心の内で呟いて、月彦はそっと唇を重ねる。
(真狐……真狐っ……)
 互いに抱きしめ合ったまま、キスに没頭する。ちゅぐ、ちゅぐと小刻みに腰を動かし、それによって漏れる真狐の悲鳴すら飲み込むように、月彦はキスを続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 ……。
 …………。
 ……………………。
「……さま、父さま!」
 ゆさゆさと、体を揺さぶる手と、声。
「起きて! 父さま、朝だよ!」
「ン……真央……か?」
 寝ぼけ眼を擦りながら、月彦はむくりと体を起こした。部屋のカーテンからは朝日が差し込み、枕元で目覚まし時計がけたたましい音を立てていた。
「あれ……俺、いつの間に寝たんだ……?」
 うっかり「真狐は?」と口にしかけて、月彦ははたと気がついた。違和感――そう、なんとも無視できない類の不快感を、下着の内側に感じて。
「……まさか」
 もはや、手を入れて調べるまでもない。この感触は、いつぞや幼なじみの家で味わったあの屈辱の記憶と照らし合わせても、ぴったりと符合するものではないか。
「待てよ……じゃあ……アレは夢……だったのか?」
 あの夜這いも、その後にかわした言葉も、そして……甘い甘い蜜月の夜も、全てが、夢。
「う……わっ……ああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」
 そうだと解った刹那、月彦は奇声を上げて壁に思いきり額を打ち付けていた。

「ねえねえ、父さまはどんな初夢を見たの?」
 家を出て、由梨子との待ち合わせ場所へと向かう途中、真央にそんな質問を投げかけられた。
 シャワーを浴びる時にも(勿論、汚れた下着は真央には内々に処理した)、朝食時にも(何も喉を通らなかった)、同じ質問をされたが、なんとかうまくはぐらかしつづけた。
 が、真央も今度という今度は意地でも聞き出すつもりなのか、月彦がどれだけ無視をしようが、話題を変えようが、頑として受け付けなかった。
「……真央は、どんな夢を見たんだ?」
 やむなく、月彦は真央の質問に乗ることにした。が、その前にどうしても確かめねばならない事があった。
「私? 私はねぇ……」
 ぽっ……と、真央が桜色に染まった頬に両手を宛う。
「あのね、父さまがいきなり五つ子になってね、そして代わりばんこに――」
「……解った、もういい」
 知りたい事は解った、と月彦はみなまで言おうとする真央の口を封じた。
(なんてこった……)
 これで、最後の望み――そう、獏の肉とやらの効果が“見たい夢を見せる”ではなく、“最上級の悪夢を見せる”ものであるという淡い期待も打ち砕かれた。
(……死にたい)
 切に、そう感じた。汚された――と。
(まだ、白耀や和樹に掘られる夢の方がマシだ……)
 しかも、いつもは夢の内容などろくすっぽ覚えてもいないというのに、今日に限って真狐と自分の一挙手一投足、一言一句に至るまで鮮明に思い出せてしまうのだからタチが悪かった。
(なんで……あんな夢を……)
 目覚めてから、幾度となく思った事だった。見たい夢というのなら、それこそいくらでもあるではないか。真央と一緒にデートをする夢だったり、由梨子と二人で密会する夢だったり……そして、幼なじみとイチャイチャする夢だったり。
 何故、寄りにも寄ってあの女が。自分の人生を狂わせた張本人が出てくるのか、月彦にはまるで解らなかった。
(最悪の初夢だ……)
 これほど暗澹たる気分で元旦を迎えた記憶は無かった。まるで、これからの一年の行く末を暗示しているかのように思えるのは、果たして杞憂だろうか。
「……それで、父さまはどんな夢を見たの?」
 待てど暮らせど月彦の口から聞きたい情報が出ない事に焦れて、再度真央が促してくる。
「……普通に、真央とデートする夢だった」
 まさか本当の事など言えるわけがない。月彦は口を動かすのも面倒くさい、という仏頂面で嘘をついた。
「……嘘。父さま、嘘ついてる」
「嘘じゃない」
「絶対嘘。だって、そうじゃなかったらどうして父さまそんなに元気ないの?」
「あぁ……それはだな、夢の中で真央とヤり過ぎて疲れたからだ」
「それも嘘。父さま、本当の事を話して」
 にじりっ、と真央に詰め寄られて、月彦は俄に後ずさりした。その時だった、救世主の声が聞こえたのは。
「先輩っ」
「おおっ、由梨ちゃん!」
 たたたっ、と黄色い声を上げながら駆けてくる後輩の姿を見つけて、月彦は大げさに手を振った。
「あけましておめでとう、由梨ちゃん」
「あけましておめでとうございます。待ちきれなくて、先輩の家まで行っちゃうところでした」
「ごめん、俺が寝坊しちゃって……」
 謝りながら、月彦はしげしげと由梨子を見た。さすがに振り袖姿ではないものの、お気に入りらしい白のトレンチコートから延びた黒い足に、多少なりとも悪夢によったダメージが癒されるのを感じた。
「先輩、真央さんと何を話されてたんですか?」
「なに、どうでも良いことだよ。さっ、神社に急ごうか」
「どうでも良くないよ」
 さりげなく二人と手を繋ぎ、歩き出そうとする月彦を拒絶するように、真央がひどく冷めた声で呟いた。
「父さま、どんな夢だったのかちゃんと教えて」
「真央、駄々をこねるな。俺がどんな初夢を見たかなんて、どうでもいいだろ?」
 ただでさえ忘れてしまいたい記憶をこれ以上穿られてたまるか、とばかりに、月彦も拒絶の意を示す。
「どうしても知りたきゃ、初詣の後、家に帰ってから教えてやる。だから、今は神社へ行くんだ」
 さあ、と真央を促すように手を引くが、まるで根が生えたように真央は動こうとしない。
「由梨ちゃん、由梨ちゃんからも説得してやってくれないかな」
「……先輩、初夢くらい教えてあげればいいじゃないですか」
 てっきり、由梨子は自分の味方をしてくれるものだとばかり思っていただけに、月彦は由梨子の意外な言葉に耳を疑った。
「それに、私も……先輩がどんな初夢を見たのか、少し気になりますし……」
「べ、別に大した夢じゃないよ……ほんとつまらない夢だからさ、とにかく初詣に……」
「大した夢じゃないのなら、すぐに真央さんに教えてあげればいいじゃないですか」
 正論だ――と、月彦は思った。由梨子の言っていることは、間違いなく正論なのだ。問題なのは、“大したことない夢”という部分が大いに誤りであることなのだ。
(言えるわけがない……)
 真央が獏の肉の効果が“見たい夢が見れる”ものであると“誤解”している以上、真実など言えるわけがないのだ。ましてや、由梨子が側に居ては尚更だ。
「……解った、正直に言おう」
 こうなっては仕方がない。月彦に残された道は、“さも尤もらしい嘘”をつく事のみだった。
「……本当は、由梨ちゃんと隠れて会ってる夢だったんだ。真央が怒ると思って……言えなかった」
 月彦なりに熟慮を重ねた上での、万全の嘘だった。こう言えば、仮に真央が由梨子に獏の肉の件を教えた所で、致命傷にはならない。むしろ、真央に詰め寄られる自分を由梨子が庇ってくれる事だろう。
 そして、後は怒る真央を二人で宥めれば良い……完璧だと、月彦は己で己を褒めてやりたい気分だった。
 しかし。
「それも、嘘」
 真央は眉一つ動かさず、じぃと疑いの眼差しを向けてくる。
「嘘じゃないって言ってるだろ。どうして信じないんだ」
「だって父さま、『由梨ちゃんと浮気はしてない』って言ってた時と、同じ目をしてる」
「……っ!」
 痛いところを突かれ、月彦はうぐと仰け反った。
「真央さん、ああ言ってますけど……先輩、本当はどんな夢を見たんですか?」
 後ろに下がろうとする月彦の退路を塞ぐように、背後からそんな声が聞こえた。
「ゆ、由梨ちゃんまで……」
 どんなに良くできた嘘であっても、それが“嘘”であるかぎり、真央には通じない――そう思えた。かといって、真実など口にできるわけもない。
 最早、月彦に残された道は、ただ一つ。
「……解った。真央がどうしても信じないってんなら、しょうがない」
 怒気さえ孕んだ声で、月彦はぷいとそっぽを向く。
「勝手にしろ」
 吐き捨てるように言って、ずかずかと月彦は歩き出した。そのまま突き当たりまで歩き、曲がり角を曲がった所ではたと、足を止めた。
「……どうして、追って来ないんだ」
 意地っ張りの真央は兎も角として、何故由梨子も追ってきてくれないのか。「勝手にしろ」とは真央に言った言葉であって、由梨子に言った言葉ではないというのに。
(畜生……なんだってんだ)
 何故こんな些細な事がきっかけで揉めねばならないのだ。真央さえ妙な事を言い出さなければ、今頃三人仲良く神社で手を合わせている頃ではないか。
「もう知るか! 本当に一人で行くからな!」
 逆ギレするように吐き捨てて、月彦は一人でとぼとぼと神社へと向かった。近づくにつれて徐々に行き交う人も多くなる中、一人肩で風を切るようにして鳥居を潜り、参拝をすませる。
(今年一年……無事に過ごせますように)
 金欲でも物欲でもなく、ただただ安寧を欲する――そう、願う事など、一つしかなかった。切に、切に願ってから、月彦は神社を後にした。



 その帰り道、不意に車道を走っていた車に警笛を鳴らされ、月彦は振り向いた。
「やっぱり、紺崎くんだったのね」
「先生……」
 見覚えのある車のウインドウから顔を覗かせたのは雪乃だった。
「ひょっとして、今初詣の帰り?」
「ええ、今から帰る所ですけど」
 と、口に出すなり、しまった……と思った。「じゃあこれから暇なのね」――そう言われた時、断りづらくなってしまうからだ。
「そっかぁ、もし暇ならさ……ちょっとドライブでもしない?」
 ほら来た――と、月彦は嫌な顔をしてしまいそうになるのを必死に噛みつぶすが、まてよ、と思う。
(今から帰ったって、気まずいだけだよな……)
 また、真央と初夢の内容について揉めるのが目に見えて、月彦は迷った。
(……そうだな、真央が悪いんだ。少しくらい遅く帰ったほうが、反省するだろう)
 それに、雪乃のパワーに振り回されていたほうが、自己嫌悪に囚われなくて良いかもしれない。
「……そう、ですね。夕方くらいまでなら」
「決まりね。さぁ乗って」
 嬉々とした雪乃に促されて、月彦は助手席へと座った。
「そういえば、先生は初詣は済ませたんですか?」
「うん。私達は海岸まで初日の出を見に行って、ついでに初詣も済ませちゃった。で、丁度今から帰る所だったの」
 本当は紺崎くんを誘いたかったのよ?――ジトリとした目を向けられて、月彦は乾いた笑みを返す事しか出来なかった。
(ん……?)
 ふと、雪乃の発言の中に不吉なものが交じっていた気がして、はたと月彦は乾いた笑みを止めた。
「……先生、今……“私達”って言いませんでした?――ってうぁッ!」
「エヘヘヘヘっ、紺崎くぅん。あけましておめでとぉ」
 突然、背後からずるりと手が伸びてきて、チョークスリーパーに近い形で抱きしめられた。
「ぐぁっ、ちょっ……苦しっ……や、矢紗美さんですか!?」
「はいコレ、紺崎クンの分よ」
 耳元に酒臭い息をこれでもかと吐きかけられ、、どちゃどちゃと甘酒の缶を二十本ばかり渡される。
「な、なんで矢紗美さんがっ……それにそんなに酔っぱらって……」
「んー、年末雪乃と久々に飲み比べやってさぁ。負けた方が今日の運転手になる予定だったのよォ。だからァ、勝った私はずーっっっっと飲みっぱなしなの」
 矢紗美は一体何がおかしいのか、ケタケタケタと狂ったように笑い始める。
「お姉ちゃんがズルしたからでしょ! こっそり焼酎混ぜられなかったら絶対負けなかったわ!」
「気づかない方が悪いのよ。ねーっ、紺崎クン」
「ちょっ、矢紗美さんっ、やめてください!」
 背後から強引に頬ずりをされるも、シートベルトをしている月彦には殆ど抵抗のしようがなかった。
「ちょっと、お姉ちゃん! あんまり紺崎くんとベタベタしないでよ!」
「せ、先生もちゃんと前見て運転してください! あああ矢紗美さん、そんなッんぷっ……!」
 雪乃に注意を飛ばしたその隙に、今度は強引に唇が奪われる。同時に、苦いような辛いようなものが口腔内に満ち、反射的にごくりと嚥下してしまった。
「あーーーーーっ、またキスしたぁあ!!!」
 途端、雪乃が金切り声を上げ、凄まじい蛇行運転に月彦は二,三度サイドガラスに頭をぶつける羽目になった。
「せっ……先生は運転を……矢紗美さんも後ろでちゃんと座ってて下さい!」
「んふふっ、未成年者の飲酒現行犯ね……いっけないんだぁ、くふふふふっ」
「ちょっと……紺崎くん……今のは普通に防げたでしょ……どういう事なのよ」
「ま、前を……とにかく前を見てください!」
 脇見どころか、助手席ガン見で睨み付けてくる雪乃をどうにかこうにか前を向かせ、月彦は漸くひと心地をつく。
「なによぉ、キスくらいで目くじらたてちゃって。独占欲丸出しの女ってイヤねぇ。そう思わない?」
「……俺に同意を求めないでください」
 これ以上雪乃を焚きつけても、月彦には何ら得はないのだ。それでなくても、先ほど強引に飲まされた酒と、露骨に荒々しくなった極端なブレーキ&アクセルワークで悪酔いし始めているのだというのに。
「ねぇ、こんな嫉妬深い女なんて棄てちゃってさ、そろそろ本気で雪乃から私に乗り換えてみない? ほら、私達って体の相性だってバッチリだし――」
「だああああああああああっ、矢紗美さん! お願いですから先生が誤解するような言い方をしないで下さい!」
 矢紗美の発言の後半を大声でかき消し、訝しげな視線を送り続けている雪乃を必死に宥め続ける。
(ああもう……なんで元旦からこんな目に……)
 矢紗美が同乗していると知っていたら、絶対に乗ったりしなかったのに。この姉妹が揃っている時、受ける疲労は個々を相手にする時の倍以上になるのだからたまらない。
「矢紗美さん、お願いですから……少し静かにしてて下さい。それでなくても、今朝は変な初夢見ちゃって精神的にまいってるんですから」
 そう、事実月彦はかなりまいっていた。どれくらいまいっていたのかというと、このおもしろおかしい事好きの酔っぱらいの前で、墓穴としか言いようのない一言を漏らしてしまう程に――だ。
「変な初夢……?」
 興味津々とばかり矢紗美が呟いて初めて、月彦自身も己の迂闊さに気がついた。
「あっ、いえ……何でもないですから、忘れてください」
「気になるわぁ……変な初夢ってどんな初夢?」
 ちょん、ちょんと人差し指で頬を突かれながらも、月彦は脳味噌をフル回転させた。どうすれば、この苦境から巧く逃れられるか――その答えを模索して。
「ねぇほら、紺崎クン……教えてよ。どんな夢を見たの?」
「あはは……いや、大した夢じゃないですよ」
「ふーん、私達には言えないような夢見たんだ。とぉっっても気になるわ、ねえ雪乃?」
「そうね、珍しくお姉ちゃんと意見が合ったわ。紺崎くん、どんな夢を見たの?」
「せ、先生まで……ほんと、大した夢じゃないですから」
 笑って誤魔化そうとしても無理。かといって、巧い言い訳も咄嗟には思いつかない。
「……ねえ雪乃、折角だからこのまま紺崎クン、何処かに拉致しちゃおっか」
「なっ、ちょ……矢紗美さん! 急に何言って――」
「そうね。紺崎くんが素直になりやすい場所に連れて行ってあげるわ」
「せ、先生まで――わ、解りました! 言います、言いますから!」
 車が露骨に霧がかった山のほうへと続く道を走り出して、月彦は狼狽しきったように大声を上げた。
「ひ、一晩中……変なゾンビに追いかけ回される夢だったんですよ! ……こ、こんな幼稚な夢、恥ずかしくて人に言えないじゃないですか!」
 月彦なりに考えた、精一杯の――現状を打破しうる言い訳だった。
「……雪乃、納得した?」
「ううん、お姉ちゃんは?」
 答えの代わりに、ぺろりと。頬を流れる冷や汗を、矢紗美に舐められる。
「これは、嘘をついている味だわ」
「なっ……ま、待ってください! 俺はちゃんと――」
 と、そこまで口にしたところで、月彦は周囲の異常に気がついた。
「えっ……」
 という呟きは、三人からほぼ同時に漏れた。車は、霧がかった山道を走っていた。その霧が、突然フロントガラスを透過してきたのだ。
「うわっぷっ……!」
 霧、というよりは、それよりも微かに粘度があるような真っ白いもので忽ち視界が塞がれる。辺り一面乳白色となってしまい、己の手や足すら見えない。
 音も聞こえず、臭いもしない。自分が座っているのか、立っているのか、寝ているのかも解らない。そんな白色無音の世界は、唐突に終わった。
「はぁい、月彦」
 突然、聞き覚えのある声がして、月彦は即座に振り返った。
「真狐っ……!」
 白色の中に見知った女の顔を見るや、たちまち周囲を覆っていた霧が晴れていく。気がつけば、月彦は車の助手席ではなく、木々に囲まれた山の中に棒立ちしていた。
「どう? 二度目の神隠しに遭った気分は」
「神隠し……」
 成る程、動いている車の中から人が消える。正しく神隠しであると、月彦は納得する。
「……どういうつもりだ」
 月彦は即座に身構え、眼前の女を警戒する。この女が、ただの善意でこんな真似をするわけがないのだ。
「何よぉ、あんたが困ってたから、助けてあげたんじゃない」
 心外だわ、と真狐は怒りを露わにする。演技臭い――と、思いながらも、月彦はついつい凝視してしまう。
「ん? あたしの顔に何かついてる?」
「……いや」
 無意識のうちに真狐の顔に見入ってしまって、月彦は慌てて視線を逸らした。
(ヤバっ……折角、思い出さねえようにしてたのに……)
 眼前の女と愛を語り合ったという――可能ならば土下座してでも消して欲しい記憶を否が応にも呼び覚まされ、月彦は自己嫌悪に唇を噛みしめた。
(あり得るわけねえだろ……こいつが、甘えてくるなんざ……)
 夢とはいえ、そんなサッカリンじみた幻想を抱いてしまった自分に嫌気が差す。例え太陽が西から昇る事はあっても、この女が自分に甘えてくる事などあり得ないのだ。
「変ねぇ、何か隠してない?」
「……別に、いつも通りだろ」
 ぷいと、月彦は視界に真狐が入らぬ様、そっぽを向く。
「やっぱり変だわ。いつもはケダモノみたいにギロギロした目で、おっぱいガン見してくる癖に」
 そっぽを向いた先に、まるで月彦の顔を覗き込むように真狐が現れ、その都度月彦は首を捻り、真狐の姿が視界に入らないように努める。
(ダメだ……こいつにだけは、悟られるわけにはいかねえ……)
 あんな生き恥ものの夢を見たことを知られたが最後、二度と頭が上がらなくなる事だろう。下手をすれば、ノロケるフリをして真央にまで“真実”をバラしかねない。
「らしくないわねぇ、もしかして……あんたが見たっていう“初夢”のせい?」
「……違う」
 としか、月彦には言えなかった。ざわりと、胸の内で嫌な予感がした。
「ねえ、月彦。ホントはどんな初夢だったの? 助けてあげたんだから、あたしにだけ教えなさいよ」
 ずい、と巨乳を押しつけるようにして詰め寄られ、月彦は思わず後ずさりをした。――が、いつの間にか背後には巨大な大木が迫っていて、逃げる事が出来なかった。
「心配しなくても、真央には黙っててあげるわよ。だから、ね? いいじゃない」
「し、信用できるか! お前にだけは、ぜってー言わねえ!」
 おかしい、とは思ったのだ。この女が、善意で人助けなどする筈がない。恐らく、真央にも由梨子にも、そして雪乃や矢紗美にも話さなかった初夢の内容に興味を持ち、直接問いただしたくなったのだろう。
「あくまで、言えないっていうのね?」
「ああ。喋るくらいなら、舌を噛んでやる」
 脅しじゃないぞ、とばかりに月彦は舌をつきだし、その上に歯を乗せる。
「わかった、あんたがそこまで嫌がるなら、無理には聞かないわ」
 そんな月彦の覚悟を、真狐はまるで玩具の刀を振り回す子供を見るような目であざ笑い、不意にその掌を月彦に額に当てる。
 刹那、ぽぅ……と、その手が光を帯びたように見えた。
「ふんふん………………………………へぇ、元旦の朝ご飯はやっぱりおせち? でもあんた、全然食べてないのね」
「何を……言ってるんだ?」
「あらあら、一生懸命パンツ洗ったりして……って事は、夢精しちゃうような夢だったわけね」
「っっっ……や、止めろっ……何、やってんだ!」
 まさか、記憶を読まれているのか――最悪の想像に、月彦は悲鳴を上げた。その場から逃げようとするが、いつの間にか極太の蔓のようなものが体に巻き付いていて、身動き一つ出来なかった。
「んーっ、やっぱり掌じゃあ夢の内容までは無理かな。……でも、直接額を合わせれば……」
「やっ、止めろっ! 馬鹿っ、舌噛むぞ、ホントに噛むぞ!」
「ほら、暴れないの。良いじゃない、別にへるもんじゃなし、貴重な獏の肉を食べさせてやったんだから、見た夢の内容くらい教えなさいよ」
 そう、事この女に限り、哀願懇願の類は無駄なのだ。何故なら、止めてくれと必死に頼めば頼む程、それがこの女には至上の愉悦となってしまうのだから。
 ニヤニヤとサド笑みを浮かべて、真狐が額を合わせてくる。とん、と額と額が触れあったその刹那、月彦は絶叫していた。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


 ……。
 …………。
 ………………。
「……さま、父さま!」
 ゆさゆさと、体を揺さぶる手と、声。
「起きて! 父さま!」
「ン……うわああああああああああああッ……って……真央、……か……」
 瞼を開けるなり、視界一杯に真央の顔が飛び込んできて、月彦はたまらず大声を上げた。
「あれ……俺の部屋……って事は、夢……だったのか……」
 全身が冷や汗とも脂汗ともつかぬものでぐっしょりと濡れていた。どくん、どくんと早鐘のように鳴る心臓を宥めるように、月彦は深呼吸を繰り返す。
「父さま、大丈夫? 止めろぉぉぉって、すっごい大きな声で叫んでたよ?」
「あ、あぁ……すまん、それで真央を起こしちまったのか……悪かったな……ちょっと、悪い夢を見てな……」
 ぽんぽんと、愛しむように真央の頭を撫で髪を撫でる。そこではたと、月彦は気がついた。
 愛娘の目が、爛々と輝いているのだ。……そう、先ほどまでいやという程に見た、母親と同じ――好奇心丸出しの目を。
「ねえ、父さま……どんな夢を見たの?」


 


 


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