Forest Elf
〜月の涙編〜
―― 第八話 ――





 湖での騒ぎから、約半日経っても、男は目を覚まさなかった。
 その傍らで、じぃ〜っと、男を観察するエルフが、約一匹。

 姉の方、ルカだ。
 先刻の湖での騒ぎの後、ルミと二人で男を住処まで運び、そしてこの来客用のベッドに寝かせてから、ほぼずっと…片時も目をそらさず、ルカは男を観察し続けていた。
 ルカにしてみれば、生の人間をこれほど近距離で、しげしげと見るのはほとんど初めてと言ってもいいくらいの体験だった。
 過去、妹のルミと共に旅をしていた頃は人間やその他の獣人、魔族などとも頻繁に遭遇していたのだが、しかし今のルカにはその頃の記憶はほとんど無い。
 街への買い物には基本的にルミが毎回行き、ルカは森で留守番をするだけであるから、生の人間を見ることなどそれこそ数十年、百年ぶりくらいの珍事なのだ。
 ルカの心には、不思議と人間に対する嫌悪感は無かった。
 エルフという種族はその特徴として、自分たちより能力の劣る人間族を何かと見下したり、敬遠したり、またその暴力性を嫌ったりしがちなのだが、しかしルカの場合は違った。
 それは、眼前の人間が持つ雰囲気のせいかもしれない。
 ただ、寝ているだけの男の筈であるのに、どこか春の陽光と心地よい涼風を思わせるような―――ルカの前に居る男はそういった風貌を持っている男だった。
 勿論、それは誰もがそう感じるということではなく、ルカにはそう感じられたというだけの話だ。
 男は、美形だった。
 実は服を一枚剥ぐと女なのではないか、という疑いすら持たせるほどにその面影はどこか幼さを孕んでいた。
(この人に…私、裸見られたんだ……)
 そのことは、ルミから聞いた。
 勿論ルミ自身、男が実際に見る所を見ていたわけではないのだが、状況証拠を普通に分析すれば、そうとしか考えられなかったのだ。
(………恥ずかしい…)
 女性として当然の羞恥は、ルカにもある。
 裸を異性に見られて平気な筈はない。しかし、何故か不快な気はしなかった。
 それどころか、ルカは男に興味を持ち始めていた。
 何故、あんな―――湖の岸などに居たのか。
 エルフの森の結界はどうやって抜けたのか、どんな目的があってこの森に入ったのか。
 それともただ迷い込んだだけなのか…。
 気がつくと、頭の中は眼前の男のことで一杯になっていた。
 早く、男に目覚めて欲しい。
 声を聞いてみたい、話を聞いてみたい―――そういう欲求が、湧いてきて止まらない。
 ルカはふと、徐に自らの腕を伸ばした。男の肌を触ってみたいと思ったのだ。
 指の先で、袖の短い服から伸びている腕の肌をそっとさわり、そしてすぐに引っ込めた。
「……………。」
 あまりよく解らなかったらしい。
 ルカは少し大胆に、手のひらで男の腕を触った。
 撫でるように、一の腕二の腕手首手のひらと、ひとしきり触った後、すぐに手を引っ込めた。
 チラリと、男の顔を見る―――まだ、意識は回復していないようだった。
(………どうしたんだろう…?)
 ルカはふと、自分の異常な状態に気がついた。
 こうして男の寝顔を見ていると、何故か胸の奥の、本来定期的に刻まれるはずの鼓動がドクドクと早鐘をうつように早まってしまうのだ。
(…苦しい…)
 とさえ、思う。
 そのことを意識して、抑えようと思えば思うほど、鼓動は早くなっていくようだった。
 ルカは、男の顔を見た。―――ますます、鼓動が早くなる。
 それが何故だかは、ルカには理解できない。
 理解できぬまま、ルカは再び手を伸ばしていた。
 今度は腕ではない、男の頬に触っていた。
「…ぁッ………」
 ルカの震える唇から、そんな声が漏れる。
 体内を駆けめぐる血液のビートが、さらに早く、力強くなる。
 特に、頭へと上ってくる血液がギュンギュンと音を立てて、何かを強烈に促そうとしているようだった。
 ルカは、指の先を男の頬から、鼻の頂、額へとゆっくりと滑らせた。
 自分でも気がつかないうちに、ルカの呼吸はまるで今し方潜水を終えたばかりのように荒く、湿っていた。
 頬が上気して、瞳が潤む。
 体の奥底から、正体不明の強烈な衝動が次から次に湧いてきて、ルカは指の先を、男の唇まで走らせた。
(やっ……私―――っ…)
 男の息が微かに指の先にかかり、ルカは咄嗟に指を引っ込めた。
 遅れてやってきた理性が慌てふためくようにして、”触れた瞬間”に頭の浮かんだ事を打ち消した。
 胸の高鳴りは止まらない。
 ルカは、その大きな乳房を大げさに揺らしながら、横目で盗み見るようにして、男の寝顔を見続けた。
「お姉様、どうかしたの?」
「ひっっ!?」
 突然、背後から聞こえた妹の声にルカは文字通り心臓が飛び出しそうなほどに仰天した。
「ひ…?」
 部屋に入ってきたばかりの妹は、姉の悲鳴に不思議そうに首を傾げる。
「な、なんでもないのっ…ルミちゃ…後、お願いっ!」
 どたばたと、まるで逃げるような素早さでルカは椅子を立ち、今にも湯気が出そうなくらいに紅潮した顔を伏せたまま、部屋を出て行った。
「………お姉様?」
 後に残されたのは、未だ意識の戻らぬ男と、妹と、不可解そうなその表情だけだった。











 ルカは、千年樹に上った。
 バネのようにしなる枝から枝へ、その動きはまるで東洋の天狗かなにかのようにも見える。
 普段の彼女には、そういった機敏な動きはとれない―――それは、彼女が本能的にやった、”本来の彼女の動き”なのかもしれなかった。
 ルカは極めて頂上付近まで上ってから、ようやくそのすっかり細くなった幹を背に、持たれるようにして足を止めた。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
 慣れない動きに、息はすっかり上がり、鼓動も早い。
 否、それは部屋を出る前とさほど変わってはいなかった。
「……私、……どうした…の………?」
 自問しても、何も答えなどは出ない。
 ただ、脳裏に男の顔を思い浮かべる度に、身をよじらずにはいられないほどの焦燥が、蛇のように体を締め付けてくるだけだった。
「…ぁッ………!」
 無意識のうちに、右手がそのミニスカートの下に潜り込んでいた。
 下着は既に、雑巾のように搾れば彼女の蜜が滴りそうなほどに濡れそぼっていた。
 

 

 
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